開業準備ですが、なにか?
物置に入った窃盗犯を警察に引き渡してから一月以上経過したが、橋田管理部長からの連絡はなかった。
こちらに報告するような進展がないか、それとも別の仕事が忙しくてこちらまで手が回らないのかは不明だったが、いずれにせよ完爾はさして気にもとめていない。
それよりも最近の完爾には、もっと差し迫った問題があった。
新しい事業のため、にわかに身辺が慌ただしくなったのだ。
荷揚げ屋の日雇い仕事も、そのために次第に入れなくなってきている。
まず完爾は、店舗や作業所にふさわしい不動産を探したり、場所が決まったら今度は内装の打ち合わせなどにかなりの時間を取られることなった。
店舗と作業所は、できれば同じ場所でやるのが好ましかったのだが、予算の問題もある。
店舗としてふさわしいのは人通りの多い賑やかな場所であり、そうした場所はえてして地代が高い。少し面積が欲しい作業所もともに確保するとなると、こちらが想定した予算を越えがちであった。
完爾はいくつかの不動産屋をまわり、いくつかの物件に足を運んだ上で、最終的には某駅前商店街にある十五坪ほどの物件にいきついた。
その商店街そのものはかなり寂れており、半分以上の店舗がシャッターを閉じたままにしているような状態であったが、駅の利用者自体は決して少なくはないし、人通りもそれなりにある。ただ、大きな買い物をこの駅の周辺でする習慣が、いつの間にか周辺住民から抜けてしまっているようだった。
いずれにせよ、この店で直接商品を売ること自体には最初からあまり期待していないので、問題はなかった。
駅から五分もかからない立地と、それに床面積が決め手となった。
完爾は、千種やユエミュレム姫にも物件を見せて意見も確認した上で契約し、すぐに内装の手配した。
約十五坪の敷地のうち、入り口に面した半分を店舗として使用し、残り半分を倉庫兼発送所兼作業所にするつもりだった。
内装が終わったら、什器などを買い入れて商品を並べなくてはならない。
資金はどんどん飛んでいくし、時間にも追われていた。
並行して、千種による登記が行われた。
社名は、「門脇インダストリィ」となった。
門脇プランニングから出資されてできた子会社、という形となる。
それから完爾は、千種に紹介される人々と面接をする機会がめっきりと増えた。
そうした面接は大概、駅前の喫茶店などで行われるわけであるが、当人を目の前にして履歴書を見ても、完爾にはどういう基準で採用したらいいものか、まるで判断がつかない。
「……ええと、笠原さん、ですか?
五年間、職歴がないようですが……」
「子育てをしておりました。
ようやく手がかからないようになって来たので、お仕事を探そうとしていた矢先に門脇さんに声をかけていただきまして」
「ああ。なるほど。
前職は……」
「保険の外交員をしておりました」
「なるほど」
完爾は、うなずく。
営業には馴れている、と判断すべきなんだろうか?
「うちの姉から聞いているかと思いますが、今募集しているのは完全歩合制の営業職になります。
ここにあるような商品を持っていろいろなお店を回ってもらい、商品を置いてくださるように交渉していただく。
商品を置いていただくだけでは駄目で、実際に売れた数に応じて報酬が支払われます。買い取りの場合は問題ありませんが、委託販売とかですと実売数がはっきりするまでは報酬が支払われません。
正直にいわせていただきますと、収入的には、特に最初のうちは、かなり厳しいかと思われますが……それでも、よろしいでしょうか?」
「ええ。
門脇さんから、そのように聞いております」
この場合の「門脇さん」とは、完爾の姉である千種のことだ。
「雑貨などを扱っている店のオーナーを何人か知っておりますので、特に問題はないかと。
商品が定期的に流れるようになれば、その分も報酬をいただけるのですよね?」
売り込めそうな知り合いがいるパターンか、と、完爾は納得した。
千種も、紹介する人物はそれなりに選んでいるらしい。
「もちろんです。
報酬はすべて、実売数に応じて支払われます」
完爾は、大きくうなずいた。
千種が紹介してくれた人材の多くは、営業経験者であるか、問屋やなんらかの業界にコネクションを持っている人たちがほとんどだった。営業経験についても、過去に一定以上の好成績を収めてきた実績がある者ばかりである。
完爾が具体的なシステムを説明してから向こうから断りを入れられて来ることも多かったが、千種からあらかじめ簡単な説明を受けていた人がほとんどだったので、そのまま採用される者の方が多かった。
結局、営業として採用したのは十二名。雇用条件としてかなり厳しいことは自覚するところだったし、かなり人が途中で脱落するだろうと予測もしていたが、まずはそこからスタートすることにした。
最初はその人数で首都圏を中心とした関東一円を回って貰うつもりだ。
営業以外にも、店舗に常駐する店員や梱包作業を行う作業員なども必要になってくる。これらの人員はパートやアルバイトでなんとかするつもりだった。
ただ、採用にあたっては面接にプラスして、勤務できる曜日や時間帯の調整という工程が加わった。
どこまで商品が捌けるのか予測がつかない面があったので、最初のうちは人件費を抑えるために事務員は雇わないことにしていたのだが、そうした勤務スケジュールの調整は意外に煩雑であり、完爾の頭に予想外の負担をかけることになった。
このうち梱包作業員については、内装工事が一段落した時点で早速働いて貰うことになった。
多種多様な製品ができあがっており、その後も続々と新しい製品が完成し運び込まれていたのだが、そのままでは出荷できないのだった。
店舗部分ではまだまだ工事をやっている騒がしい状態で、製品の梱包作業は粛々とはじまった。
完爾はといえば、パートやバイトに混じって梱包作業をしているか、それとも作業所の隅に仕切られた空間で、面接や書類整理、製品の補充などを担当している。
魔法を使用しているところを人目に晒すわけにも行かないので、「社長室」という名目で三畳ほどの空間を確保してあったのだ。
石膏ボードと化粧合板で簡単にまじきりしただけのちっぽけな空間でしかなかったが、当面は、ここが完爾の仕事場ということになる。
店員と梱包作業員の面接には、ユエミュレム姫が同席することもあった。暁の世話もあるので、流石に毎回というわけにもいかなかったが。
実際に質疑応答を行うのは完爾と面接者なのだが、ユエミュレム姫は完爾の脇にいてじっくりと面接者の挙動を観察している。
そして、面接者が帰ってから、
「今の人は向いていないと思います」
と駄目出しをすることが多かった。
しばらく勤務してみると、面接時には問題がなさそうに見えた人が意外な問題を露呈することが多かったので、完爾はユエミュレム姫の人を見る目の確かさを再確認することになった。
どんな職種であれ、面接時に、
「採用から三ヶ月は試用期間とし、いつでも解雇できます。そちらからお断りもすることも可能です」
と告げ、契約書にもその旨を明記している。
問題行動があった者に関しては、完爾は即座に解雇を告げた。
製品が出揃うのとほぼ同時に、営業が見本を持参して各地に散り、ネットショップでの販売もはじまった。
徐々に営業が注文を取って来るようになり、梱包だけではなく発送作業にも人手を取られるようになってきた頃……内装工事が完了し、ついに店舗が完成した。




