試着ですが、なにか?
そろそろいい時間だから、試着の前に昼食にしようということになった。
「義妹ちゃんのプロポーションだと、国内メーカーよりも輸入物狙った方が早いんだよな」
昨夜の残りのカレーを食べながら、千種はそんなことをいった。
「日本人じゃないんだから、日本人離れした体つきをしていても別に不思議はないんだけどさ」
「いいんじゃないか、別に」
完爾としても、別段異論があるわけではない。
「幸い、お金の方はなんとかなりそうだし」
昨夜、是枝氏が置いていった札束のおかげで、多少目減りしたといっても、まだまだ懐は暖かい。
「しかし……そうなると、ユエはバーゲン品狙いとかは駄目なのか?」
「体形を誤魔化しやすいスカート系なら既製服でも大丈夫だと思うけど……。
当面は、パンツルックの方がいいでしょう。動きやすいし。
あまりフェミニンな服を着ていると、かえって目立っちゃうし……」
「……だよなあ」
完爾も、うなずく。
見慣れているからあまり意識することがないのだが、ユエミュレム姫は割と……いや、かなりの美貌の持ち主なのだ。
「ま、子どもが小さいうちは、ああいう動きやすい服の方が楽だよ。なにかと」
昼食を食べ終わった後、ユエミュレム姫に試着して貰った。
「どうだ」
千種が、自分のことのように胸を張る。
「おお。
思ったよりも、似合うな」
完爾は、素直に感想を述べる。
こうして体の線が出やすい服装になると、ユエミュレム姫の手足の長さと顔の小ささが強調されるようだった。
「おかしくは……ないですか?」
そのユエミュレム姫はといえば、なんだか申し訳がなさそうな顔つきになっている。
「全然、おかしくはない。
よく似合っているよ」
完爾は、むこうの言葉ではなしかける。
ほぼ、本心だった。
「着心地はどうだ?」
「とても、動きやすいです。
それに、軽い」
ユエミュレム姫は手足をのばして見せた。
「こちらではみんな、このような服を着ているのですか?」
「みんながみんな、ってわけでもないし、もちろん、時と場所によってはそれなりのドレスコードもあるわけだけど……」
考えながら、完爾は答える。
「普段、普通に町中を歩く格好としては、それで別におかしいことはない」
実際のところ、若い女性のファッションに関する知識などきわめて乏しいものなのであったが……ユエミュレム姫は、納得してくれたようだった。
「後は、髪とか足下も整えたいところだけど……それはまあ、おいおい」
千種が、無造作に束ねてあるユエミュレム姫の髪に触れる。
「いきなりハイヒールを履かせるわけにもいかないし、服装に合わせてスニーカーをチョイスしておいたわけだけど」
「いいだろ、スニーカーで」
子どもを抱えて転んだりしたら、目もあてられない。
「髪は……なあ。
手入れ、必要なのか?」
若い女性のファッションに明るくないのと同様に、完爾は髪の手入れにも詳しくない。
「どうだろ?
そんなに傷んでもいないようだけど、ただ、ボリュームがあるから……」
このままだと、目立つんじゃないか? というのが千種の意見だった。
兄の城に隠棲するようになってからこの方、ユエミュレム姫は髪に鋏を入れていなかった。
外出する機会もなかったし、手入れをする必要を感じないまま臨月まで来てしまった、という極めて無精な理由からだったりするのだが……。
今、ユエミュレム姫の髪は、緩やかにウェーブを描きながら腰のあたりまでのびている。
少々癖が強い髪質なのか、ふわっと全般にシュルエトが持ち上がっていた。
ちなみに色は、青に近い濃紺。無理して見れば、少し色素の薄い黒髪に見えないこともない。
完爾は、千種の意見をユエミュレム姫に伝えた。
「この髪、目立ちますか?」
「まあ、な。
こっちでは、そこまでの長髪は、別にまるでいないってわけでもないけど、珍しいんだ」
ただでさえ、ユエミュレム姫は人目を引きやすい風貌をしているのだ。
「では、切った方がいいでしょうか?」
「いや、そこまではいわないけど……まとめるかなんかして、目立たないようにして貰えば助かる」
元々、ユエミュレム姫は髪型だけではなく、自分の風貌全般に関してあまり意識を払っていない。必要と思えばその場で切ってしまいかねない、ということを完爾は知っていた。
「そうですか。
それでは、外出する時には、まとめて編んでおきましょう」
ユエミュレム姫はしきりにうなずいている。
「後、この服は丈が短くてめくりやすいのがいいですね。
暁にお乳をあげるときに……」
「いや、ユエ。
いちいちめくらなくていいから」
無造作にポロシャツの厚手の生地をまくろうとしたユエミュレム姫を、完爾は慌てて制止した。
「というか、公共の場では絶対にめくるな」
「……駄目なんですか?」
「駄目なの。
こっちでは、若い女性は、人目のある場所では服を脱いだり胸を見せたりしないようになっているの」
「それは……お乳をあげるときに、不自由しそうですね。
それでは、外出時にこの子がご飯を欲がった時は、一体どうすればいいのですか?」
「専用の授乳室がある場所もあるけど……あとは、トイレとか……」
「……随分と、面倒くさそうですね」
ユエミュレム姫は、珍しく、不満を露わにした。
こちらの社会常識も、徐々に教えていかなければなあ……と、完爾は思った。
今までだって決して軽視していたわけではないのだが、思わぬ所で見落としや陥穽があったりするのだ。
羞恥心が及ぶ範囲やシュチュエーションなんて、文化によってかなり違うしな。
「で、昨夜いった起業のはなしだが……」
「やった方がいいんなら、やってしまおう」
千種が切り出すと、完爾が即答する。
「それでおれは、なにをやればいいんだ?」
「ふむ。
やるのなら、早い方がいいな。
今日中に必要な書類を整えて……と。
あ。
完爾お前、実印持ってないだろう?」
職業柄、千種はこの手の手続きにはなれているのだ。
「持ってない」
完爾は首を横に振った。
「では、それを誂えるところからだな。
適当な判子屋いって作って貰って、役所で実印として登録しておいてくれ」
「それはいいんだけど……この場合、一体、なんの会社になるんだ?」
「……うーん……。
コンサルタントの会社、っていうことにしておくか」
魔法の、か。
もちろん、そんなことを大ぴらに業務内容として案内するわけにはいかないのだろうが……。
「なに、形さえそれなりに整えておけば、当面はクシナダグループから定期的に金が流れてくるんだ」
「とはいっても、コインを貸したり魔法の実演ショーをするだけだけどな。
今約束している分では」
「それで金が流れてくるんなら、楽な商売じゃないか。
必要経費は限りなくゼロに近い。
脅威の利益率。
他の中小企業の経営者が聞いたらうらやましすぎて悔し涙を流すこと請け合い……」
ダベりながらも、千種はときおり完爾に確認しながら、登記に必要な項目を素早く順番に埋めていく。
「資本金は……いくらにしておく?
いくらでもいいんだけど、一度決めるとその金額は自由に使えなくなる」
「じゃあ……百万くらいでいいんじゃないか?」
「資本金百万からスタート、ね。
実体のない会社としては多いけど、普通の会社としては少ないかな」
「そうなのか?」
その辺の経済感覚は、完爾には備わっていなかった。
「そうなの。
ま、都合が悪くなったら後でいくらでも増資ができるから、とりあえずこれでいいか」
完爾の感覚では、「実体のないペーパーカンパニーにそれだけかければ上等だろう」、という気もするのだが。
「登記をする際、金が二十万かそこいら必要になるけど……」
「ああ。
払う払う」
軽い口調で完爾は答える。
節税とかそっちよりも、完爾にとっては経営者という対外的な身分を持つことができるという点が重要だった。
単なる日雇いバイトよりは外聞がよいはずだし、これから先なにかが起こったとしても、そうした肩書きが合った方がなにかと動きやすい。
だから、この場では多少の出費は厭わなかった。




