カレーですが、なにか?
お客さんたちが帰った後、完爾はいそいそと夕食を作りはじめた。
タマネギをばらしてから圧力鍋に直接サラダオイルを引いて炒めている間に、ユエミュレム姫にニンジンとジャガイモの皮をむいてもらう。ここ数日、完爾が料理を作りはじめると、ユエミュレム姫も手伝ってくれるようになっていた。
シチュー用の角切り牛肉の表面だけをざっとあぶり、切ったニンジンとジャガイモを、よく炒めたタマネギの入った圧力鍋に放り込み、水を入れて蓋をしめ、火にかける。
「口座が必要になるな」
千種が、完爾の背中に声をかけてきた。
試料、つまりあの硬貨の賃貸料として、毎月なにがしかの現金をクシナダグループが振り込んでくれる契約になっている。
これまで、実質、居候に近い境遇であった完爾は、銀行の口座を持つ必要がなかった。
「そうだな。
月曜日にでも、間に合えば銀行にいってくるよ」
完爾は、短く答える。
第一、慰謝料込みでいただいたばかりの大金をいつまでも自宅に置いておくのも、不用心というものだ。
「あ、ねーちゃん。
今までの借金、一回これで精算しちゃおうか?」
生活費その他、これまでに完爾が必要とした費用はすべては、姉の千種からの借金ということになっている。
「こちらは構わないのだが……いいのか?
これからも、なにかと入り用になるはずだが……」
「別に、いいよ」
完爾は、軽くうなずく。
「こんだけあるんだし、払うものはさっさと払っておきたいし」
千種はExcelを立ち上げて完爾関連の経費を集計し、プリントアウトした。職業柄、こうしたデータの扱いは手慣れたもので、普段からかなり詳細に記録しているのだ。
「……思ったよりも、金額が大きいかなあ……」
その紙を一瞥した完爾が、呟く。
食費や諸雑費は大したことはないのだが、こちらに戻った当初にかかった諸検査代や法務関係の手数料などは完爾が漠然と想像していた額よりも、よほど多額だった。
今日呼んだ間際弁護士への報酬も、その中に含まれていた。
「……だから、いったろう」
千種は、軽く首を振った。
「ま、いいや。
これと……あと、光熱費や水道代も折半で……ええっと、とりあえず、半年分か」
完爾が先を続けた。
「なんなら、ここの家賃もいれてもいいけど……」
三人も転がり込んでいる関係上、完爾としてはそういうしかない。
「家賃は、いい」
千種は、首を横に振った。
「家事や翔太の世話もして貰っているからな。
それで、相殺ということにしよう」
などと諸々の要素を計算すると、貰ったばかりの札束のうち丸々一つ分がそのまま千種の所有分となった。
完爾にしてみれば、なんの苦労もせずにいきなり入ってきた現金である。とくに惜しいとも思わない。
「ああ。
それから……」
それから千種は、
「いい加減、義妹ちゃんの服を買ってやれ」
と、続ける。
「月曜日には病院へいくんだから、まともに外出できるやつを手に入れておかないと……」
完爾にしてみても異論はなかったので、その晩は、ユエミュレム姫のサイズを計ったり、ネットで服の品定めをしたりして、それなりの時間を費やすことになった。
今日中に注文しておけば、明日中には届くらしい。
こういうところは、ずいぶんと便利になったもんだよなあ……と、完爾はむこうに飛ばされる前の時代と比較し、関心した。
「当面はこれでもいいけど、後からもっとちゃんとしたものを揃えてあげなければ駄目だぞ」
と、千種からは念をおされたが。
そんなはなしをしている間にも圧力鍋から蒸気があがり、火を止める。
鍋を冷ましている間にレタスちぎってから冷水にさらし、よく水気を取る。
ボウルにレタスを盛ってその上にざく切りにしたトマトを乗せ、テーブルに置く。
圧力鍋の蓋がとれるようになったら、とろ火で暖めながら表面に浮いた灰汁をすくい、市販のカレールゥを放り込んだ。
「これ、カレーな。
日本の国民食といってもいい」
「食欲をそそる香りですね」
ルゥが溶けるにつれてたちのぼってくる香辛料の香りと粘度を増していく鍋の中身を、ユエミュレム姫が興味深そうな表情で確認していた。
「それに、作り方も、とても簡単です」
「今日作ったのはオーソドックスなのものだが、具や香料を変えるとかなりのバリエーションがある。
基本は、具を煮込んで香辛料で味付けする調理だ。ご飯によくあう」
「あの、最後に割り入れたブロックは?」
「あらかじめ香辛料を調合してあるものを、ああいう形で売っている。
あれにも、数え切れないくらいの種類があるんだが、今日のは、翔太にあわせてお子さま用の甘口を使っている」
「そうですか。
ショウタの……」
ユエミュレム姫もこれで結構な甘党だから、甘口でちょうどいいくらいかも知れんな、と、完爾は思った。
「これからも継続的にあの連中とつき合うつもりなら……」
食事の最中に、例によって千種が切り出す。
「……個人事業主、ということになるな。
長期化するようだったら、形式だけでも会社組織にしておいた方が後々有利になるけど。
その方が、節税をしやすいというか」
「ペーパーカンパニーってやつか?」
「そう、それ。
会社組織にしておくと、いろいろ経費で落とせるし……それと、社会的な信用もな。
日雇いと会社経営者なら、どうしたって後者の方が上に見られる」
完爾は少し考えてみた。
昼間、是枝氏や橋田氏から提示された金額を考慮すると、確かに個人で引き受けるよりも会社で引き受ける方が相応しい気もする。
「……あの硬貨の貸し賃だけで、毎月五十万だもんなあ……」
「それプラス、別に頼まれた場合に発生するボーナス、な。
利益率だけを考えると、思いっきりボロい商売だな」
「……おれの十八年間の苦労と引き替えだけどな」
完爾はそれまでの会話について、ユエミュレム姫に説明をする。
「カイシャ、ですか?」
聞き終えた後、ユエミュレム姫は、きょとんとした表情をした。
そもそも現代社会についての基礎知識がまだまだ圧倒的に不足しているのだがから、無理もないのだが。
「それでは、カンジは、今のお仕事を辞めてしまうのですか?」
「辞めない。
辞める必要もないし」
金払いがいいとはいうものの、クシナダグループがいつまで魔法に興味を示し続けるのかは未知数だ。
それに、仕事にいかなければ、完爾が時間を持て余してしまうのも事実なのだった。
「あいつらがどこまであてになるのか分からないし、用事がない時の時間を売れるのなら、売って金にしておきたいし」
「……そうですね。
お金は、大事です」
そういってうなずいてみせるのだが、ユエミュレム姫がどこまで正確に将来のことを見据えているのかは、完爾にもよくわからない。
「ところで、こちらの物価についてなのですが……」
「……おれの半年分の生活費を集計しているから、後で一緒にそれを見ていこう」
千種が表計算ソフトで集計している家計簿は、かなり詳細な部分にまで記録している。
完爾が翻訳しながら二人でそれを読んでいけば、こちらでの金銭感覚もかなり磨かれてくるだろう。
夕食後、千種がメジャーを出してきて、ユエミュレム姫のサイズを詳細に計りはじめた。
千種はいちいち、「うわっ! 足ながー!」とか「腰、ほそぉーい!」とかいいながら、ちゃっちゃと数値をメモしていく。
タブレット端末で通販サイトに接続し、そのメモを見ながらユエミュレム姫の服を探しはじめる。もちろん、ユエミュレム姫も同じ画面をのぞき込んで、あーでもないこーでもないと一緒に物色している。
不思議なことに、このような場面ではユエミュレム姫の片言でもそれなりに意志の疎通ができるようだった。
ああ、これは長くなるな、と直感した完爾は、「先に風呂に入るぞ」と声をかけて風呂場に向かった。
翔太もそのあとについてきた。




