新規契約ですが、なにか?
「例えば、おれが全力で走ると、余裕で公道の法定速度を超えることができます。
それと、靴や服も保たないな。あらかじめ魔法で強化しておかないと……。
つまり、魔法があることが前提となっている社会とそうでない社会とでは、根底から違ってくるということで……」
「完爾くんがいいたいことは、なんとなく理解できたと思う」
是枝氏が、うなずいてくれた。
「だが……世に出してもいい魔法とそうでない魔法とを、われわれで協議して決めつつ伝授していただく……という形では、駄目なのかね?」
どうやら、三人の来訪者の中で交渉の主導権を握っているのは、この是枝氏のようだ。
この間はあれほど騒がしかった是枝女史は、配偶者の前だから、今日はずいぶんとおとなしい。
「駄目、ですね。
というのは……一度世に出してしまえば、どういった使われ方をするのか、予測ができませんから。
例えば、さっきの固定化の魔法だって、一度習得してしまえば、旅客機の中へでも簡単に武器を持ち込むことが可能になってしまいます」
「……なるほど……」
是枝氏は、しばらく考えてから、
「だが……魔法を直接伝授できないとしても、このコインを調べるのは構わないというわけだね?」
「調べて、何事かが判明するというのなら……それは、今の科学技術の大系の中で説明がつくということですから。それに、技術的に再現が可能だとしてら、実質的には普通の発明品と同じようなものでしょう」
完爾は、肩をすくめる。
「そこまで制限してしまったら、技術の進歩もなくなってしまう」
「……ふむ。
道理だ」
是枝氏は、完爾の言葉に深くうなずく。
「では……完爾くんが承伏できる範囲内で、クシナダの研究員の前で、魔法を実演してくれることは可能かね?」
「条件によっては」
完爾は即答する。
「もっとも……実演してみせたところで、すぐにそちらでも再現ができるとも思えませんが……」
「それについては、こちらも承知している。
だが、原理解明の糸口くらいは掴めることを期待しよう。
それで、具体的な条件だが……」
「まず、おれの身元については、部外秘にしてもらってください。
いや、研究者の方々におれの名前とかを教えるなってことではなくて、なんでおれが魔法を使えるのかって部分は、絶対に詮索してこないように徹底してください。
プライバシーというよりも、もっと切実な部分で……その、おれ、実験動物になりたくはありませんし、解剖もされたくありませんから」
「明快だな。
もちろん、完爾くんの人権は可能な限り尊重しよう」
「次に、観測した記録なんかも、外部に持ち出したりコピーしたりできないようにしてください。
例えばマスコミとかに、興味本位に追い回されたくありません」
「観測データは、全般に内部のローカルサーバ内のみに残し、外部への持ち出しは厳重に禁止しよう。
これから、可能な限り堅固なセキュリティを構築して、関連データはすべて部外秘とする。
……これでいいかな?」
「あと……実演してみせる魔法の選択については、おれに一任してもらえますか?
いや、リクエストを断固受けつけないということではなくて、ですね……危険すぎて滅多なことでは使わない方がいいくらいの魔法が、多いもので……」
というか、完爾が得意とする攻撃魔法は、だいたいがその手の魔法だ。
多少の出力調整はできるものの、こちらで気軽に使うには、あまりにも破壊力が大きすぎる。
「……危険は避けておくのに、越したことはないな……」
「最後に……もちろん、これは無料で、ということではありませんよね?」
「もちろんだ、完爾くん。
報酬については、可能な限りご期待に添えるように、努めさせていただこう」
「では……実演一回ごとにいくら、という形で契約した方がいいと思う」
いきなり、千種が会話に割り込んでくる。
「煩雑ではあるけど……魔法の価値について、そちらも最初から、内部で意見が一致しているわけでもないでしょうし……。
解析の糸口がいつまでも掴めず、いつお役ごめんになるのかもわからないわけだから」
「……そうですね、千種さん。
確かに……クシナダ内部でも、このコインの存在だけしか知らない者が大半なわけですし……」
是枝氏と橋田氏は、顔を見合わせてうなずきあった。
「では、まず……てはじめに、近日中に一度、大規模な実験をしてもらえますか? そのデータをみさせれば、うちの内部でも興味を持つ者が増えるでしょう。
こちらの方でもいろいろと準備がありますので、具体的な日付については今すぐには確定できませんが……」
「では……少し規模が大きな魔法の方がいいっでしょうね。
どーんと、派手に……。
そうなりますと、外部からは見えなくて、できるだけ広めの場所なんかを用意していただければ……。
そうですね。
東京ドームあたりを借り切っていただけると、ちょうどいいんですが……」
「いきなり東京ドームは、ちょっと難しいかなあ」
完爾の要望を耳にして、是枝氏は苦笑いを浮かべた。
「どこかの体育館を確保しましょう」
「体育館は、よしてください」
完爾は即座にいった。
「えっと……おれの大規模な魔法は、たいがいが破壊専門です。
できるだけ、周囲になにもないようなところが望ましいかと」
「……わかった。
では……うん。そうだな。
どこかの倉庫を確保しよう」
「それも、できるだけ大きなところでお願いします。
それと、破壊しても構わないよな標的も用意していただければ、魔法の威力がわかりやすいかと」
「了解した。
車でもいいかな?」
「戦車でも装甲車でも、どうぞ」
それくらいは、瞬時にスクラップにする自信があった。
そうでなくては、むこうで勇者なんかやっていられないのだ。
「それは、それは」
是枝氏は、破顔した。
「……楽しみだ。
いいデモンストレーションになることだろう。
あとは肝心のギャラの方だが……」
是枝氏が提示した金額は、完爾が漠然と予想していた金額とは桁が違った。
そのあと、是枝氏と橋田氏と、ビニール袋に入った硬貨を再び貸し出す件についての条件なども詳細に詰めて話し合うことになった。
ある程度細部が決まった段階で千種がノートパソコンを開き、その場で簡略な契約書を作成し、二部づつプリントアウトして、それに関係者一同が署名。
一枚づつ双方で預かって保管する……という儀式を経て、再び硬貨数枚は橋田氏の手に、今度は合法的に貸し出される。
硬貨の賃貸料については、後日、完爾の口座に振り込まれることとなった。
目下、完爾は、経済的には千種に頼っている。その関係でこれまで自分名義の口座すら持っていなかったわけだが、今日貰った慰謝料を保管する必要もあり、早急に自分の口座を開設する必要に迫られたことになる。
謝罪と新しい契約をいくつか締結し、三人は二時間ほどの滞在しただけで去っていった。
千種が新しいお茶をいれなおし、途中から別室で翔太や暁の相手をしていたユエミュレム姫がリビングに出てくる。もしも交渉が難航するようだったら助けを呼ぶ予定だったが、結局、この日は、ユエミュレム姫の出番はなかった。
お茶を飲みながら、完爾はユエミュレム姫に今し方の会談の内容を説明する。
その途中で、間際弁護士も、
「今日をいいものを見聞させていただきました。
それでは、ぼくも今日はこれで……」
と席を立つ。
特になにをしてくれたというわけではないが、弁護士のバッチをつけたこの人がこの場にいてくれたことで会談が円滑になった面はある。
完爾は間際弁護士を玄関まで見送った。
「魔法のデモンストレーションの際には、ぼくも呼んでくださいよ」
出際に、間際弁護士はそんな言葉を残した。
この家の者だけが残ったところで、三人が残した封筒の中身を改める。
白い紙で結束された新品の一万円札が、四束。
「……これって……」
半ば予想していたことであるが、完爾は、呆れた。
「この厚さだと一束あたり百万で、計四百万ってところだな」
千種が、なんでもないことのように答える。
「実際に数えてみろ」
札束を数えながら、完爾は釈然としない気持ちになる。
四百万、というと……一勤務八千円の、五百勤務分相当。一年働きづめでも稼げない金額だった。
それだけの大金を、完爾はなにもしないまま、慰謝料として受け取った計算になる。
「ま……やつら、金は持っているわけだし、それにお前との関係を良好にするための餌も兼ねているんだから、あんまり気にするな」
千種は軽い口調でそう言い放った。




