謝罪と賠償ですが、なにか?
是枝女史一行が来るはずの時間になっても、間際弁護士は腰をあげようとはしなかった。
「ひょっとして、先生……」
「そう、邪険にしないでください。
示談というお話ですから、ぼくが同席するだけでプレッシャーになると思いますよ」
間際弁護士だけではなく、千種までもがにやにやと笑っている。
「示談の件については相談を受けたわけではありませんが、とても興味深いお話なので見学させてください」
……二人して、グルなのかよ……と、完爾は思った。
なんだか、自分の思惑をこえたところで、話が勝手に進んでいくような気がする。
そして、約束の時間ぴったりに、是枝女史一行の来訪を告げるチャイムが鳴る。
やってきたのは、是枝女史と、四十がらみ、身長二メートルはあるのではないかという大男、それに、六十前後とおとぼしき、頭髪が乏しい小柄な男性だった。
「すいません!」
そのうちの大男が、玄関に入るなり靴も脱がずにその場で土下座した。
「うちのが、大変ご迷惑をおかけしましてっ!
ほらっ! お前もっ!」
大男に即される形で、是枝女史もその場にひざまづく。
「あ、あの……」
いきなりの土下座に、完爾は戸惑うばかりだった。
「まずは、面をあげてくださいな」
千種は、にこやかな表情のまま低い声を出した。
「大地君も大変ねー、こんなのとくっついたばかりに……。
それよりも、そんなところでうずくまっていても邪魔なだけだから、とりあえず上がってくださいな」
千種に即されて、三人の来訪者はリビングのテーブルに並んで座る。
中央が大地とかいう大男、左右がそれぞれ是枝女史と小男だった。このうち小男の方は、間際弁護士のバッジに気づいて明らかにぎょっとした顔をした。
取りあえず、名前もわからないままでは……ということで、名刺の交換がはじまる。
とはいっても、完爾自身は名刺を持っていないので、貰う一方だったわけだが。
「是枝大地さんと、それに、橋田行雄さん、ですか……」
是枝大地の方は、いくつかの会社名がずらずらと並んでいて、取締役だとか代表取締役だっとか役職名も併記されていた。
名前から推察するに、是枝女史の旦那さん、なのだろう。
橋田行雄は、クシナダグループで管理主任とかいう役職に就いているようだった。いったいなにを管理するのかは、名刺には書かれていなかったので不明だが。
いずれにせよ、盗難とかの醜聞は避けなければならない身分であることは、確かなのだろう。
三人は、千種と間際弁護士の名刺を見ながら、なんともいえない神妙な表情になっていた。
「こちらに来られたということは、盗品の方はお返しいただけると考えてもよろしいのでしょうか?」
まず、千種が切り出しだ。
「はっ!
それは、当然……」
橋田氏が、鞄の中からビニール袋に入った数枚の硬貨を取り出す。
「しかし、ですな。
これはあまりにも貴重な試料であるため、できることなら引き続き実験の……」
「まずは、お返ししてください」
千種はきっぱりとした口調で橋田氏の言葉を遮る。
「それとも、司直の手に委ねた方がよろしいでしょうか?」
「……どうぞ」
橋田氏は、神妙な顔で硬貨が入ったビニール袋を完爾の前に置く。
……これと同じやつ、銀行の貸金庫にまだまだあるんだけどな……と、完爾はかなり複雑な気分になった。
「それと、これは……」
橋田氏と是枝女史が、かなり分厚い封筒を取り出してテーブルの上に置く。
「……せめてもの、気持ちということで……」
少し遅れて、是枝氏も、二人の封筒の二倍くらいの厚みの封筒を、テーブルの上に置いた。
「どうか、お納めください」
え? え? え?
と、かなり狼狽しながら、完爾は左右の千種と間際弁護士を見る。
封筒の中身は想像できるのだが……受け取っていいのだろうか?
「気持ちということですから、素直に受けておきなさい」
ゆったりした口調で、間際弁護士が完爾を促す。
「口止め料と慰謝料と……。
それ以外の思惑も、どうやらありそうですし……」
「それでは、盗難の件に関しては、これで示談ということでよろしいでしょうか?」
千種は、淡々と仕切っている。
「よろしいようでしたら、こちらの書面を確認の上、署名をお願いします」
そういって、あらかじめ用意していた書類を三人に手渡した。
千種が手渡した書類に目を走らせたあと、三人はうなずきあって署名をし、千種に戻した。
是枝女史が、太い安堵のため息をつく。
「……千種ちゃん、ひどいぃー……。
こんな意地悪してくるなんてぇー……」
「どっかで線引きしておかないと、あんたは際限なく暴走するでしょうに」
「まったくです」
千種の身も蓋もないいいように、是枝氏が深くうなずき、頭をさげた。
「今回の件、知らなかったとはいえ、まことにすみませんでした」
「五月雨の暴走は今にはじまったこっちゃないから、別にいいけどねー。
大地くんも、これの手綱取り続けるの大変でしょうし……」
「……いや、まあ……はは……」
是枝氏は、あかるさまに言葉を濁す。
「そちらの……ええっと、管理主任の方も、今回は災難で……。
大方、これが盗品だとは、まるで知らされていなかったんでしょう?」
「いや、その……なんと申しましょうか……」
橋田氏は、しきりにハンカチを使って汗を拭っている。
「……なんか、わたし一人が悪者みたい……」
「いや、五月雨。
明確にあんた一人が悪いから、今回の件は」
千種が、半眼になった。
「だって、千種ちゃん、いくらいっても弟くんに紹介してくれないし……」
「こっちに来たばっかの完爾にあんたなんか引き合わせた日には、あっという間にノイローゼにでもなるわっ!」
「それはそれとして、ですね……」
是枝氏が、おずおずと次の話題を切り出してきた。
「まことにいいにくいことなのですが……。
その、できれば、これ以降も……その硬貨を貸していただいて、ですね……」
「それ以外ににも……その。
魔法、というのですか?
それの原理や具体的な方法について、ご教授いただければ……」
橋田氏も、そういって頭を下げてきた。
「その試料についても……調査を中断された研究員たちから強い不満が出ているところでして……」
おおかた、あの分厚い封筒は、完爾たちの心証を少しでもよくして未来に繋げるための布石も兼ねていたのだろう。
完爾は、深いため息をついた。
「この硬貨を……そちらでは、試料と呼んでいるのですか?
お貸しするのはかまいません。
ですが、これ自体をいくら調べても、新しいことを発見することはできないでしょう」
完爾は、硬貨が入ったビニール袋を持ち上げて、両端を摘んで、ぴっ、と、張った。
「見てください。
同じような魔法を、この硬貨が入ったビニールにかけました」
ビニール袋は、張りつめた格好のまま、板状になって硬直していた。
三人は、しばらくの間、実際にビニール袋を手にして曲げたり折ったりしようとしていたが……五分ほど試みて、やめた。
「これは……」
「まさか、こんなにすぐ、間近に見ることができるとは……」
「え? なんで?」
「こっちの言葉でいうと……固定化の魔法、とでもいうのですかね?
この手の魔法は、実はおれは得意ではないので、硬度の保証はできないのですが……。
むこうでは、かなりポピュラーな魔法です」
「あの、せめてこの魔法だけでも……」
橋田氏が、完爾に食い下がる。
「直接お教えすることはできません。
その試料をいくらでも分析して、そちらで原理とかを解析してみてください」
「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
是枝氏が、完爾に問いかけてくる。
「それほど……この、魔法に関する知識を秘匿するのは……何故なのですか?」
「それは、今の社会が、魔法がないことを前提として機能しているからです」
そうした疑問が出てくることを、あらかじめ予想していたので、完爾はすらすらと答えることができた。
「今の社会では……当然のことですが、法律もそうですし、服も建物も、乗り物も……すべて、魔法がないことが前提となっています。
そこに、いきなり魔法という未知の要素をぶちこんでも、混乱しかうまないと思います」




