打ち合わせですが、なにか?
金曜日。
その日も無事に仕事を終えた完爾は、会社のあるマンションへと向かった。この日は会社から現場までの送迎はなく、現場までは電車と路線バスを乗り継いでの移動だった。そのまま直帰してもよかったのだが、週末であることだし火曜日から木曜日までの三日分の給料を受け取りたいと思ったのだ。この三日間のうち水曜日に二現場分をこなすことができたので、四勤務分の給料と交通費を受け取れる計算になっている。
その日同じ現場にいった作業員たちといっしょにぞろぞろと事務所のある部屋へ入ると、同じように給料を取りに来た先客がすでに数名、いた。電話で今日を取りに来ることは伝えていたたので、完爾たちの顔をみた事務員が一名一名、名前を読み上げてプリントアウトされた受領書を二枚、手渡してくれる。そこに書かれた金額に間違いがないか確認してから署名と捺印をし、給料と引き替えるシステムだそうだ。二枚のうちの一枚は、必要ならば作業員側が記録として保管する。
完爾はスマホをだして交通費などにあやまりがないかを確認してから署名と捺印をして、受領書を事務員に渡した。そのときに、明日の土曜日と来週の月曜日は仕事に入れないことということを、事務員に再度確認しておく。
現金を受領するまでの待機時間で、完爾は手元の受領書をまじまじとみつめる。
交通費は別として、一勤務八千円の四勤務分で三万二千円。そこから、若干の所得税が引かれている。毎日都合よく二現場入れればそれなりの収入になるのだろうが、そのへんの事情は現場の多寡やその日稼働可能な作業員数によって変動するわけで、完爾の意志とは関係ないところで決定される。
つまり、こういってはなんだが、この仕事で稼げる金額はそれなりのものだということだ。
……おれが独り身だったら、そういう生活も気楽でよかったかも知れないけど……。
楽観的に計算しても年収は二百万円代にしかならず、そこからさらに国保や住民税などが差し引かれるとすると、どうみても一家三人の生計を支えられる収入とはいえない。
この仕事以外の収入源を別に確保するか、それが無理ならもっと効率よく稼げる仕事をはやめに探すよりほかないな、と、完爾は結論した。
この仕事自体は、完爾にとってはそれこそそ鼻歌交じりににでもできるほどにイージィなものなのであったが。
会社からの帰り道、駅前にケーキ屋を見かけたので中に入る。
せっかくの初任給だ。手土産くらい用意しても罰はあたらないだろう。
翔太もそうなのだが、ユエミュレム姫もあれでなかなか、甘いものに目がないのだった。
種類の違うケーキをいくつか適当に注文し、保冷剤と一緒に紙袋に入れてもらう。
その紙袋を持って電車に乗り、帰宅すると午後八時近かった。千種は例によってまだ帰宅しておらず、翔太は遊び疲れたとかでもう寝ている。ユエミュレム姫だけが出迎えてくれて、帰宅の挨拶もそこそこに完爾は紙袋を渡す。
「カンジ、これは?」
「こっちの、菓子だな。甘い」
「まあ。それはそれは」
「もう遅い時間だし、冷蔵庫に入れておいて、明日、みんなで食べよう」
「そうですね。
ショウタやチグサと一緒に」
ユエミュレム姫は冷蔵庫の中からいくつかの総菜を出して場所を作り、そこに紙袋から出したケーキの箱を詰めた。
取り出した総菜は、そのまま電子レンジに入れたりガス台にかけたりして温め直す。
もうすっかり、手慣れた動作になっていた。
「明日は、お客様がいらっしゃるのですよね?」
「ああ。
ねーちゃん、そういっていたな。
間際って弁護士の先生と、この間家に来た、是枝って女の人の関係者と……」
是枝女史とのやりとりを思い出し、完爾は「また、ややこしいことにならないといいが……」とか、思った。
「……是枝さんたちはともかく、間際って先生はよさそうな人らしいからな。しっかり話し合ってこっちの事情を理解してもらわないと……」
「そうなのですが?」
「うん。
おれもね-ちゃんも、できるだけ合法的にふるまいたいと思っているから」
完爾たちを取り巻く事情が事情だけに、難しいところではある。
「こちらの事情には明るくないので、完爾や姉君にお任せいたします」
そんな会話をしながら、二人は食事をはじめた。ユエミュレム姫は、完爾と一緒に夕食を摂るのが常だった。
翌日、土曜日の昼下がり、まずは間際弁護士が訪ねてきた。
間際弁護士は、いかにも人のよさそうな白髪、細身の老人で、
「事情は一応、こちらの千種さんから説明を受けているわけですが……」
と前置きした上で、当事者である完爾自身からの説明を乞う。
完爾は、例によって「異世界が」うんぬんの部分だけをうまく省略して、可能な限り現在ユエミュレム姫たち母子が置かれている境遇を可能な限り正確に説明していく。
間際弁護士はひとしきり、うんうん、とかうなずきながら完爾の説明を聞いたあと、
「要は、こちらの奥さんとお嬢さんの出身国や入国経路は説明できない。
しかし、帰国する方法もわからないので、このまま合法的に永住したい、ということですね?」
と、実に簡潔にまとめてくれた。
「ええ。
そういうことになります」
完爾は、うなずく。
「了解しました。
希望に添えるように善処してみましょう」
間際弁護士は、にこやかに答える。
「おそらく、千種さんの方針に沿った形でいけると思います」
「その……先生。
本当に大丈夫なんでしょうか?」
あっさりといいきったので、完爾は半ば反射的に聞き返してしまった。
「法というのは、ですね。
条文に書かれてあるとおりに機能するものです。明文化されていることがすべて。
そこには帰化の仕方から無国籍者の扱いまで、すべて詳細に書かれています。
それに準拠して地道に申請を出していけば、問題はありません」
間際弁護士は、丁寧に解説してくれる。
「今回の場合、奥さんとお嬢さんの出身地についてなんの証明もできないことがネックといえばネックになりそうなのですが……。
幸いなことに、日本国が定める無国籍者の定義には、前の国籍を問題にする条文がありませんので、まあ、大丈夫でしょう。
仮にそれが問題になったとしても……正直に、事実をいってしまえばいいんですよ、ええ」
「事実を、って……」
「奥さんたちは、この地上のどこでもない場所から来たという話でしょう?」
間際弁護士は、なんでもないことのように核心に触れてきた。
「その通りのことを書いて、裁判所なりお役所なりに提出します」
……ねーっちゃん、そこまでつっこんだところまではなしているのかよ……とか思いながら、完爾は聞き返す。
「それで……通用するもんなんですか?」
「通用は、しませんでしょう。
けれども同時に、彼女たちがどこからどうやって来たのかも、誰にも説明できません。
深く詮索されるようでしたら……言葉や遺伝子を詳細に調査すれば、奥さんたちがこの地上にはどこにもない国から来たことは証明できます。
翻って、密入国した証拠は、どこにもない。
どんなに懸命に探したって、見つかるわけがない」
間際弁護士は、軽く両手を左右に広げてみせる。
「不法入国者であることを証明できなければ、強制送還をすることも不可能なんです。
だとすれば、受け入れるより他に方法はないでしょう。
まあ、今回の件の場合……奥さんたちの出身国に関しては、そんなに問題視されることはないと思いますが……」
「は、はあ……」
なにしろ、専門家がいうことだ。
完爾としては、うなずくより他にない。
「昔、昭和時代のSF小説に、異なる惑星と空間が繋がってしまった場所を見つけた不動産屋のお話がありましてな。
その不動産屋は、広大なむこう側の土地を宅地として売りに出そうとします。
その際、違法にならないようにするために……どうしたと思います?
出入り口付近の土地を計測して、新たに発見された土地として役所に届けるのです。
当然役所は、そんな広大な土地が手つかずでそんな場所にあるわけがない、と、登記を退けます。
そこまで準備をして、はじめて……その不動産屋は、日本国とは無縁の広大な宅地を自分のものとして売り出すことができるようになったのです」




