ユエミュレム姫の一日ですが、なにか?
朝食と弁当を準備して午前五時前後には家を出ていく完爾。
午前七時半頃に出勤する千種。
少し遅れて保育園にいく翔太。
午後三時前後に翔太、帰宅。そのとき、決まって「やちよさん」をお茶に誘う。「やちよさん」は、誘われるままに一息ついていくこともあり、そのまま帰ることもあり。なにぶん、ユエミュレム姫の日本語がせいぜいカタコトレベルなものだから、お茶のみ話もままならないのだ。
ただ、明らかに日本人ではない風貌のユエミュレム姫と乳飲み子の暁が同居しているこの家の状況については、それなりに興味を示している様子では、あった。
残念なことに、「やちよさん」にことの次第を詳細に説明してくれる人は誰もいなかったわけだが。
翔太は、だいたいいったん帰宅してもすぐに外に遊びにいく。たまに家にいて絵本を読んだりお絵かきをしたりすることもあるのだが、割合的には少ない。ユエミュレム姫との仲もそれなりに良好である。
夕方になると、風呂や食事の用意をはじめる。多くは完爾があらかじめ作り置きした総菜なり冷凍食品なりを温めて出すわけだが、ユエミュレム姫自身も少しづつ、こちらの料理をおぼえて作りはじめている。
そのおかげで完爾は帰宅してから小一時間ほど、ユエミュレム姫に乞われるままにむこうの言葉で簡単な料理のレシピを書き出す作業を、毎日のようにしていた。
千種が帰宅するのは、遅い。午後十時から午前零時すぎ前後、いわゆる、夜中だ。
女性が連日こんなおそくまで働いているというのは、ユエミュレム姫の基準ではかなりおかしいのだが、この国ではあまり珍しくもないらしい。
「男だ女だって性別で配慮してくれるほど甘い世界ではないからねー。
責任とそれなりの報酬はバーターだから、仕方がない」
とは、千種の弁である。
前に一度、完爾を通して千種の仕事について訊ねてみたことがある。
「公認会計士と中小企業診断士の資格持っているけど、今の仕事は会計がほとんどかな?
他人の会社の帳簿作って、場合によっては軽くアドバイスをすることもある。この部門、もう儲かる目は出ないから、はやめに損切りした方がいいよ、とか……。
ま、だいたい、他人の忠告なんか聞きやしないんだけどね。
経営者ってのは、たいてい、夜郎自大ってえか、ゴーイングマイウェイで手遅れになるそのときまで自説に根拠のない自信を持っている人種だから……」
どうやら、各種商店の会計を預かる職務であるらしかった。「会社」という概念について何度か説明されたのだが、ユエミュレム姫はそれについていまいち十全な理解ができていない。
国以外の大小の組織が乱立し、株を持ち合ったりして世界全体を動かすための礎になったり、多くの人々の雇用を確保していたり……などといわれても、国が最大の組織であり血縁によるコネクションが大きくものをいう世界から飛び込んできたばかりのユエミュレム姫には、あまり具体的にイメージできないでいた。
ともあれ、ユエミュレム姫のここ数日の生活は、そんな具合で進行していた。
完爾が仕事に出るようになってからの一番の変化は、ユエミュレム姫の手に、この家族の家事がかなりの比重を移されたこと、だろうか。
それとて、ユエミュレム姫は、実のところあまり苦にはしていない。
ユエミュレム姫にいわせれば、井戸がから水を組んできたり、火を使うのでも薪から用意したりする必要がないだけ、こちらの家事は格段に手が掛からず、容易であったからだ。それに、おなじみの塩、胡椒はともかく、醤油や味噌などの目新しい調味料、だし汁を多用する調理法などにも興味を引きあれるところである。
それと、朝が早い完爾と一緒に起きるので、まとまった睡眠時間がかなり短縮された……という変化もあったが、こちらについては、ユエミュレム姫はもっと苦にしていなかった。
いつ泣きだすのか予想できない暁がいることもあって、ユエミュレム姫の眠りは、もともと浅かった。
体力的にきついと思えば、昼間、誰もいない時間帯にいくれでもうたた寝ができたし、完爾をはじめとしてこの家の人たちはそういった事情もよく理解していたから、ユエミュレム姫が目を閉じて休んでいても、他に急ぎの用事がなければそっとしておいてくれる。
そんなわけで。
ユエミュレム姫自身がもともとかなり楽観的な性格をしていたことも手伝って、ここでの生活がそれなりに良好に推移していた、といえよう。
「はい、門脇ですが?」
木曜日の晩、ユエミュレム姫に炊き込みご飯の作り方を解説していた完爾は、呼び出し音を聞いてスマホに手をのばし、画面に表示されたのが見慣れない番号であったことを確認して軽く眉をひそめたあと、電話にでた。
「えっと……是枝さん? 是枝さん、っていうと……ああ。
あの、弁護士さんの関係者ですか?
姉によりますと、そちらではなく別の先生に依頼を……え?
そっちのはなしではない?
……はぁ。……はぁ。……はぁ。
と……いわれましても……おれは、あまり気にしませんが……。
いや、参ったな。
謝罪……ですか? ええ。
ええっと……そうですね。
姉と相談してから、改めてご返事をさせていただきます。
はい。
では、そういうことで」
「なんですか? 完爾」
「うん。
この前うちに来た、弁護士さんの旦那さん。
なんでも、おれが持ち帰った硬貨の何枚かを勝手に持ち出したことについて、正式に謝罪をしたいとか、なんとか……」
「謝罪……ですか?」
ユエミュレム姫は、軽く首を傾げた。
「あとで謝るくらいなら、はじめからやらなければよいと思うのですが……」
「おれもそう思うんだけどね……。
今回の件は、盗品を、そうと知らされずにごちゃごちゃ調べちゃったわけで……その調査をした機関ていうのが結構お堅いところだったから、なんか大事になっているみたい。
ぶっちゃけ、むこうの体面の問題だよな。うん。
……しかし、ねーちゃん……なんだって、内容証明なんてもんを送って面倒を増やすかなあ……」
そういって完爾は自分のノートパソコンを取り出し、立ち上げて姉の千種にメールをしたためはじめた。
「あははは。
五月雨のやつ、反応してきたか。
いい気味だ」
その夜、帰宅してきた千種は、開口一番そういった。
「いい気味だ、じゃないよ。
ねーちゃん……」
完爾は、不機嫌な顔をしている。
「……なんだって、わざわざひっかき回して面倒くさいことにするかな……」
「だって、このまま盗られたまんま……っていうのも、業腹ではないか」
千種は、悪びれることなく答える。
「内容証明は送ったけど、旦那にはチクってないもんねー……」
「そういう問題でも、ないような気がするけど……」
「それで、むこうさんは、直に謝罪したいって?」
「ああ、それそれ。
是枝さんが夫婦で、それに、クシナダってところの偉い人も一緒に謝りにきたいって……」
「うん、上等上等。
しっかししたところだから、万が一、刑事事件とか裁判沙汰になったら困るだろうしな。
ここまでは、読み通りだ」
「……ねーちゃん、なにを考えている?」
「べっつにぃー。
うちのものが盗られたままでいることが我慢できなかっただけだしぃー……」
「……絶対、嘘だ……」
「で、完爾。
お前、土曜か日曜は休めるの?」
「あ……ああ。
どっちでも、休めるけど……」
「うん。
じゃあ、土曜日でいいか。
場所は……義妹ちゃんも立ち会わせたいから、この家になるなあ。消去法で」
「ねーちゃん……こんなところまで、呼び立てるつもりかよ?」
「呼び立てるもなにも、むこうが詫びをいれたいっていってるんだぞ?
こっちが遠慮しなければならない理由は、どこにもない。
それに……こっちが断ったって、むこうから接触を取ってくるのは時間の問題だ。
だったら、決定権のある上の人と最初から直談判した方が、よっぽどはなしがはやいだろう?
お互いにとって……」




