「その直後」ですが、なにか?
「それでよし、それでよし」
テレビの中継画像をみながら、辰巳先生はしきりに頷いている。
この日、辰巳先生は講義をする予定が入っていなかったため、一日自宅にいた。
そのため、一連の騒動もテレビやネットを通じてリアルタイムで接することができた。
テレビを通じてグラスホッパーや一般的にはミスターKKとして知られている完爾の姿が、活躍が延々と放映された一日となった。
夕方、六本木の大カエルが始末され、ようやく怪人騒動が収束したかと思ったら、それからいくらもしないうちに東京湾に謎の幻影が現れはじめた。
そして今、テレビの画面には、完爾とユエミュレム姫が一本の剣を二人で掲げている映像が映し出されている。
望遠レンズ越しの映像だった。
おそらく、多くの視聴者にはこの二人と幻影群との関連性を推測することは不可能だったろう。
しかし、以前から完爾になにくれと相談されてある程度の事情を把握していた辰巳先生は、現在進行中の事態についてもかなり正確な背景を想像することができた。
テレビの中では、たった一つの幻影だけが残し、それまで無数に現れていた幻想群が次々と消えていく様子が中継されていた。
最後に残ったは、空。
四角に切り取られた、青空だけが残されていた。
周辺はすでに日が暮れて、すっかり色を落とした空の中に、映画のスクリーンのような四角い青空がぽっかりと浮かんでいる。
「国産み……いや、婚礼だな」
二つの世界の……という言葉は、あえて口に出さなかった。
いずれにせよ、あの窓がこれからもあのまま残るとすれば、この世界の様相もかなり変わっていくはずだ。
辰巳先生はその予感に駆られて、さっそく諸々の準備を開始する。
「……安定したようですね」
ユエミュレム姫が、いう。
完爾と一緒に剣の柄を握っている格好だったが、先ほどまで完爾から剣にむかっていた魔力の流れは、今は関知できなかった。
「そりゃあ、いいけど……」
完爾は頭上をみあげる。
「……どうすのよ、あれ……」
そこの空が、四角く切り取られている。
その部分だけ、空の色が明白に異なるのだった。
数百メートル上空、一辺数百メートルくらいの少し横長の長方形をした……異なる世界への出入り口。
そのむこうは、まだ真昼なのだろう。
かなり暗くなってきたこちらとは違って、抜けるような青空が広がっているのが見えた。
報道のものなのか、それとも警察のものなのか、とにかく何機かのヘリが爆音を轟かして完爾たちが乗る氷塊の周辺を周回していることに気づいた。
いきなり、あの出入り口のむこうに行くような無茶をするとも思えないのだが……。
「……一応、お役所関係に根回ししておくか……」
完爾は剣の鞘を引き寄せの魔法と転移魔法の合わせ技で手元に呼び出し、魔剣バハムの刀身を納めた。
それからスマホを取り出して、境界例委員会の代表番号にかける。
「……ええ、すいません。
門脇完爾です。
すでにお気づきかと思いますが、現在、東京湾上にいます。
ここの上空にある四角い出入り口、あれは別の世界、おそらくはうちのユエの故郷に繋がっていると思われます。
むこう側の様子についてはこれから確認してきますので、今しばらく、誰もあそこを通らないように指導していただければ……そう。
混乱が少なくなるかと思います。
ええ、ええ。
どうしてそんなことになったのかという説明は、長くなるのでまた改めて……」
先ほどまで必死になって完爾が張った防御結界を破ろうとしていた「博士」は、今では氷塊の上に座り込んで上を見あげていた。
靱野が近づいて確認してみたところ、放心したような表情をしている。
靱野がすぐそこに近づいても、特に反応を示さなかった。
「……あんたのことは前から知っていたけど、直接、顔を会わせたくはなかったんだよなあ……」
靱野は、そんなことをいいはじめる。
「性格はともかく、性質的にとてもよく似ている奴をひとり、知っているんでね。
自分の好奇心を満たすためならどんなことでもやってのける強引さとか……」
「……あなたが来た場所の人ですか?」
はじめて、「博士」が反応する。
「まあ、そんなとことろ。
おれの世界には、本当に色んなのがいたからなあ……」
靱野は苦笑いを浮かべながら、そういった。
「……黄金の甲冑に身を包んだ正義の味方、銀色の腕を振るだけで無数のモンスターを召還できる少年、タロス使いの兄弟、絶対防御の加護を持つ王子様……。
あっちの世界でなら、あんたみたいなのもあまり目立たないと思うんだけどね。他に居る、濃いやつが多すぎて」
「グラスホッパー」
「博士」が、靱野に顔をむける。
「……あなたは……。
これから、どうするのですか?
このまま推移すれば、世界でも、そのうち魔法はありきたりの、誰もが扱える技術の一種となるでしょう」
「ま、ここまで来れば、おれもお役御免だよなあ」
靱野は、呟く。
「まだ残党が残っているのかも知れないが、自律術式はほとんど壊滅に追い込めたし……。
残りに関しては、他の魔法を使った犯罪者と一緒に門脇さんのようなこの世界の人たちになんとかして貰おう。
ここでのおれの仕事は、もうほとんど終わったようなもんだ。
そして、仕事を終えた冒険者ってのは……」
必要以上に長居をせず、速やかに、別の土地に移る移るもんだよ……と、靱野は続ける。
「……その前に、いくつか始末をつけなけりゃならないこともあるし、起きっぱなしにした兜や二輪車種族も回収しなけりゃならないけど……。
あれらは、あれでおれ一人では再生産できないレアなアイテムだし……」
「別の場所……別の世界に移動する方法を……あなたは……」
「ああ、あるよ。
ギリギリ、あと一回だけなら」
「博士」の問いかけに、靱野はあっさりと答える。
「なんなら、あんたも一緒に来るかい?」
「……いいのですか?」
「このままこっちに居続けても、あんたのためにもこの世界のためにも、よい結果にはなりそうもないしな」
そういって靱野は、自分のスマホを取り出した。
完爾と靱野が関係各所に連絡をし終えたのは、期せずしてほぼ同時だった。
二人は顔を見合わせて、どちらともなく頷きあう。
「靱野さんは……もう、お帰りになるのですか?」
完爾がいった。
「博士」との会話が、完爾の耳にも入っていたらしい。
「ええ。
もう、ここでのおれの仕事は、終わったようですから」
靱野はいった。
「その前に、さっきの学校まで送って貰えれば、ありがたいのですけど……」
「それくらいなら、おやすいご用です」
頷いて、完爾は靱野のそばに近寄っていく。
「その女性は……どうしますか?」
「一緒に連れて行きます」
靱野は、淡々と答える。
「ここまで大騒ぎを起こしたあとに置いていっても、面倒なことになるばっかりだ。
一種の追放処分と考えてください。
その代わり、こいつを差し上げます」
いったあと、靱野は自分のスマホを完爾に手渡す。
「……役に立ちそうなアイテムの制作法と運用法などのノウハウ情報。
あと、おれがこっちで作った活動資金とかが、若干。
それらの管理人には、さきほどはなしをつけておきました。
今後、この世界のためにお役だてください」
「……ずいぶんと気前がいい」
戸惑いながらも、完爾はそのスマホを受け取って、すぐにユエミュレム姫に手渡した。
「こちらの世界の貨幣など、むこうに行けば無用の長物ですからね」
靱野はそんな風に答えて、肩をすくめた。
「長かったけど……終わってしまえば、ずいぶんと短かったような気がします」
その後、いくつかのやりとりと別れの挨拶をしてから、完爾は靱野と「博士」の二人をエリリスタル王国語講座の学校予定地まで転移魔法で送る。
そして、完爾とユエミュレム姫の二人も、「コンサルティング」の事務所へと転移した。




