願望機ですが、なにか?
次の瞬間、完爾たちは東京湾上空にいた。
自由落下状態にあったわけだが、完爾は眼下の光景を一瞥してもう一度転移魔法を行う。湾岸地域は完爾が予想していた以上に埋め立て地が立て込んでおり、大規模な災害が起こった際の波及効果が怖かったからだ。
二度目の転移魔法で完爾たちはゲートブリッジや浦安市のさらに外、内陸部とアクアラインに囲まれた東京湾の真ん中あたりの上空に出現する。
完爾はユエミュレム姫の体を引き寄せて両腕の中に抱え、足下の海水を魔法で凍らせて足場を作り、その上に着地した。即席の氷塊は人間二人分の重量が落下してきた衝撃を受け止め、大きく沈み込む。
前後して靱野も、同じ氷塊の上に着地したが、こちらはなんらかの魔法を使用したのか、落下の衝撃をほとんど感じさせない軟着陸だった。
「……今の状況は!」
抜き身の魔剣バハムを両手で構えた完爾が、怒鳴るように訊いた。
この剣についてはユエミュレム姫と靱野に任せていたため、完爾は細かい部分を把握していない。
ただ、今このときも周囲の空間がざわついていることは、完爾にも感じ取ることができた。
なにより、完爾の直感が、今手にしているこの剣から大きな危険を察知している。
状況が許されるのならば今すぐこの剣を放り投げて遠くまで逃げ出したい気分だったが、このときに完爾が実際にやったことは、剣を握る自分の周囲に何種類もの防御用結界を張り巡らせることだった。
「空間を歪める」
などという奇妙な機能にどれほどの効果があるのかはわからないのだが、実際的な効用というよりも自分の精神を安定させるための措置であり、完全に気休めだった。
魔剣バハムは、今、こうしている間にも完爾から大量の魔力を吸いあげている。
「……空間に穴が開きはじめてますね」
複数の仮想巻物を展開し、それらに忙しく視線を走らせながら、靱野が不機嫌そうな声を出す。
「ただ、かなり不安定な状態です。
どこ定まった目的地に通路を作るため、というよりは、制御不能な状態で出鱈目に稼働している状態と予想されます。
わかりやすくいうと、暴走していると思われます」
靱野の言葉の通り……周囲の空間に異常が発生していた。
海上に、上空に。
いくつもの幻影が現れはじめていた。
砂漠や森林、海原。
見慣れない動植物。
村や都市など、人造物の情景が、現れては消えていった。
それらのほとんどは、この世界に存在していてもおかしくはないものであったが、たまに、ひどく不自然な、それでいて妙に生々しい現実感に満ちていた。
単なる幻影、などではなく、そおらくは、別の世界の現実を反映した映像なのだろう。
魔剣バハムは、完爾の魔力を使用して、干渉すべき諸世界を「検索」しているらしかった。
「対策は?」
完爾は聞き返す。
「今、できることは?」
「あります」
その問いを予測していたのか、靱野は短く即答する。
「その剣にしっかりとした目的を与えること。
それも、大量の魔力を消費するような大きな仕事をさせる。
それこそ、完爾さんが持つ魔力をすべて使い切るような……」
「靱野さん!」
完爾は大声を出した。
「あなた、自分の世界に帰りたくないですか?」
「……正直、ぐらりと来る申し出ですが、今回はやめておきましょう」
靱野は、複雑な表情をしながらゆっくりと首を振った。
「おれが居た世界は、その、いろいろと濃い人たちが大勢居まして……。
あー。
この世界と地続きになったら、ちょっとやそっとの混乱では済みそうもない」
「それでは……」
「ええ」
ユエミュレム姫が完爾の背中に寄り添うようにして、魔剣バハムの柄を握る完爾の手に、自分の手を重ねる。
「わたくしたちがいた世界への通路を開いてしまいましょう!」
「それはいいけど……」
完爾は、ユエミュレム姫に聞き返した。
「……具体的に、どうやって?
こいつの制御法は?」
「これまでリスクが大きすぎて試していなかった方法があります」
ユエミュレム姫は、そう返した。
「この剣を稼働させてしまうことを恐れて試せなかったわけですが……」
「だから、なにをすればいい!」
完爾は、同じ質問を繰り返した。
「願うのです!」
「……願う?」
「以前、姉君がいっていた願望機というおはなし。
それに、わたくしが最初にカンジを呼び寄せたとき、カンジがこの世界に帰ってきたとき、わたくしがこの世界に来たときの状況。
これに共通するものというと……」
「……この剣が、お願いをかなえてくれるための道具だと?」
思わず完爾は聞き返してしまう。
そんな、出鱈目な。
ただそれだけのために、時空を歪めて異なる世界の間を繋いだりするなんて……魔力の浪費もいいところだ。
使いようによっては自然の因果律も大きく歪めてしまう、かなり不自然な「奇跡をかなえるためのアイテム」ということになる。
「用途はともかく、実際には使用できる者がかなり限定されるような、そんな条件があるのかも知れません。
たまたま、わたくしとカンジの二人がその条件に適合していたから……。
いいえ。
最初の、幼少時のわたしくし願いに感応して、数多の世界の中から最適の適合者である完爾を見つけだし、わたくしの目前に運んできたと考えれば……」
「……願望機、か」
完爾は、自分の顔がひきつっていることを自覚した。
現在の自分の特異体質も、ユエミュレム姫や完爾自身の願いをかなえるためにこの剣がなんらかの影響を及ぼした結果なのかも知れなかった。
ユエミュレム姫の仮説が正しければ、この剣がなければ、これまでの完爾の経歴も今の完爾も、存在し得なかったということになる。
勇者であった自分を作ったのは、まさしくこの剣であった……というわけだった。
「……思考制御というのは、本当なんだろうな」
完爾は確認した。
ともあれ、今はそんな仮説を検証している場合ではない。
「いろいろ調べてみましたが、その他の操作方法を発見することができませんでした」
ユエミュレム姫は、静かな声で告げる。
「思考制御でないのだとすれば、どんな制御法なのか、まったく見当がつきません」
試してみる価値がある、というよりも、それ以外の方法がない状態であるらしい。
「……強く願えばいいのか?」
「おそらくは!」
完爾は、ユエミュレム姫が来た世界、自分が十八年に渡って生活し、戦ってきた世界の情景を思い浮かべた。
「それだけでは漠然としすぎている」
あの世界のことを一通り思い出してから、完爾は指摘した。
「どこか、二人でどこか特定の場所へ行きたいと願う方がいいんじゃないか」
「それでは……王宮前の広場を!」
『……そそそそんんなななななこととととおぉぉぉされてててはこままままりますすすなああ』
突如すぐ近くの海原が盛りあがり、巨大な異形が姿を現す。
会場へ出ている部分だけで、二十メートル以上はあった。
分厚い甲殻に囲われた体、カニのようなハサミを両腕に持った、エビかシャコのような生物。
その頭部には、巨大な「大使」の顔がついている。
そして、その巨大な「大使」の体は半分くらい爛れていて、所々で煙をあげていた。
「大佐」の呪いにより、かなりダメージを受けているらしい。
「あれはおれに任せてください」
完爾が反応するより速く、靱野はそういって空高く跳躍した。
「あれとも、長い腐れ縁だ」
魔法もずいぶんと使用したのだろう。
そのまま真上に、ごく短時間で、何十メートルも舞いあがり……各種結界や疑似重量付加、高熱、風属性その他の各種攻撃用術式、自律術式分解用の術式などを幾重にも自分の体の周囲に展開し、そのまま勢いをつけて巨大な「大使」めがけて落下していく。
完爾により補充された魔力を一度の攻撃ですべて使い切るくらいの心づもりで行った靱野の体当たり……いや、蹴り、だった。
魔術光に包まれた靱野の体は「大使」の巨体に突き刺さり、粉砕しながら深く潜り込んでいく。
靱野が穿った穴の周囲から、「大使」の体組織がぼろぼろと崩れていった。




