保留ですが、なにか?
「……うん。
とりあえず、その件は保留にさせてください。
なんにせよ、姉やこちらのユエとよく相談してから決めたいと思いますし……それ以上に、世の中全体に与える影響が大きすぎます」
これまで魔法がないことが前提だった社会にいきなり未知の要素をぶち込んだらいったいどのような騒ぎが巻き起こるのか……その波及効果までをざっと想像してみたら、いくらなんでも軽々しく首肯できるものではない。
「まあ、そうなりますよね。ええ」
是枝女史も軽くうなずいてくれた。
完爾の出方をある程度は予想していたように思える。
「この場ですぐに快諾いただけるような方でしたら、かえって人物評価を再考するところですし……」
ようするに、「まず受け入れられないであろうことは予測した上で、一応、試しにいってみただけ」ということらしい。
「まあ、おれも伊達に十八年もいいように利用されていたわけではありませんから……」
完爾としては、苦笑いするしかない。
「……悪意や私利私欲一方を腹に秘めて近づいてくる人種なら、なんとなくそうだと感じ取れます」
少なくとも是枝女史には、そういう気配はない。
「あと、金勘定のことならうちの姉が、交渉事ならユエが割と得意なんで……こちらで魔法を利用してなにかおっぱじめるような機会が今後あるとすれば、まず身内ではじめることになると思いますが……」
今の時点ではこちらの言葉や事情に明るくないからほとんど同席しているだけのユエミュレム姫も、元王族だけあって実はかなりタフな交渉人だったりする。総合的な判断力ということに関していうのなら、単なる殲滅兵器扱いだった完爾自身よりもずっと頼りになる存在だった。
将来、魔法を使ったなんらかの事業を展開するにしても、そのユエミュレム姫がこちらの言語や事情にある程度精通してからの方がずっとスムーズに事が運ぶはずであった。
「カンジ。
さきほどから彼女は、なんといっているのですか?」
この場の雰囲気を受け止めたユエミュレム姫が、完爾に説明を求めた。
「こちらにはない魔法を利用して一緒に商売をやらないかって提案された」
完爾はざっくり一行で是枝女史の提案を説明する。
「即答は避けておいたけどな」
「当然ですね」
性急な変化は、混乱しか生みません」
完爾の説明に、ユエミュレム姫もうなずく。
「ショウタやうちの子が大人になったとき、荒廃した世界を手渡したくはありません」
ユエミュレム姫も、こちらの世界に不用意に魔法という要素をぶちまけても、いい結果ばかりは生まないであろう……と、考えているようだった。
「ユエもおれと同意見のようです」
完爾が改めて是枝女史にいう。
「わかりました。
では、その件はいずれまたの機会があればということで」
続けて是枝女史は、やはり完爾の異世界での体験を聞きたがったのだった。
「とはいっても……前半分はけっこう世紀末的な荒廃した世界だったんで、景気のいい出来事ってのはあまりなかったんですが……」
しぶしぶ、といった態で完爾はぽつぽつとはなしはじめる。
勇者としての活躍を語るのは自慢話じみていて完爾の望むところではないのだが、これから将来にかけて甚大な影響を及ぼすであろう交渉をこれ以上続けるよりははるかに気が楽だった。
遊びにいっていた翔太が帰宅したのを期に、是枝女史は、
「あらまあ。いつの間にかこんなに長居しちゃって」
とかいいながら席を立つ。
帰宅時に、
「続きはまた今度、改めて」
といい添えることも忘れなかった。
結局、彼女の今日の成果は、ユエミュレム姫母子の国籍関連について今後の方針を確認したことと、それに完爾の異世界での見聞記を二時間前後拝聴して録音したくらいなものだったわけだが……本人がいうとおりこれで終わりというわけでもなく、あくまで顔合わせの挨拶ていどのつもりなのだろう。
「……五月雨のやつはっ!」
是枝女史が帰ってからいくらもしないうちに、千種が帰宅した。
こんなに早い時間に帰ってくるのは珍しい。
「もう帰ったけど」
まあ落ち着け、と、夕食を準備中だった完爾はコップに冷えたウーロン茶を注いで手渡す。
「あいつ、なんか変なことやってないでしょうね!」
「変といえば、かなりおかしな人だったとは思うけど……適当にあしらっておいた」
「なにをいわれた?」
「ええっと……おれやユエが、どこから来たのか詮索されたり、魔法を教えてそれを商売にしたりいとか提案されたり……」
「それ、もちろん!」
「ああ。保留っていっておいた。
ユエも、どういう影響があるのか予測がつかないとかいっていたし……」
「当然でしょう、そんなの!」
千種はウーロン茶を一息に飲み干し、どっかとテーブルセットの椅子に座り込む。
「……あいつがこんなにはやく動くとは思わなかった……」
「そうなの?
おれは、ねーちゃんが正式に依頼したものだとばかり……」
「してない!
国籍関係に強い弁護士を紹介して貰おうと連絡しただけだしっ!」
「……そうなのか……」
完爾は、複雑な気持ちになった。
「第一、弁護士は弁護士でもあいつの専門は知財よ、知財。
特許とか著作権関係が専門で……」
「あー。
道理で……」
つい先ほどのやり取りを思い返し、完爾としてはうなずくより他ない。
「確かに弁護士の資格を持って法律事務所に籍も置いているけど、実家がクシナダグループの創設者の一人だし、そっち関連の株もかなり持っている」
「クシナダグループって……なに?」
「……ああ、そうか。一般にはまだあまり知られていないのか……。
開発専門のシンクタンクっていうか……」
三十年くらい前に複数の旧財閥系企業が出資しあい、「日本の製造業を盛り上げる」ことを目的として立ち上げた民間の研究施設、だそうだ。
「詳しくは、ぐぐれ」
「ういっす」
完爾は素直にうなずいた。
機嫌が悪いときの姉には、逆らわない方が無難だ。
「風呂、わいているよ。
今、ユエが暁を洗っているところだけど……」
「……ん。
もう少し休んだら入る」
そんなに心配だったらメールなり電話なりでこちらの様子をうかがえばよかったのに……とか思わないでもなかったが、仕事中でそんな余裕もなかったのか、それとも心中穏やかではなくもっと単純に心理的な余裕自体がなかったのか……。
そんな状態でまともに仕事ができたのだろうか? と、完爾は疑問に思った。
その後、みんなで夕食を摂りながら是枝女史との会談の様子を千種に詳しく説明する。
「……さーみーだーれー……」
是枝女史が無断で硬貨を持ち出したことを聞いた千種は、低い声でうなった。
「でも、その件に関しては、ねーちゃんの管理が甘かったのもあると思う」
完爾の帰還直後に相談したとすれば、その件が起こったのもおそらくその前後、つまりは半年くらい前のはずだ。
「あ、あのときはわたしもそれなりに動揺していたし……」
確かに、完爾が持ち帰ったもののうち比較的問題にならなさそうなものを、是枝女史に見せたこともあるという。
「一時は、あいつの伝手で詳しいことを調べられることも考えたんだけど……」
完爾自身の「あまり大事にしたくはない」という意向を尊重する形で、断念したそうだ。
「……あんまり大声でふれ回ることでもないだろう。
おれも、いい年齢だしさ……」
単なる行方不明ならいざ知らず、「別の世界で勇者やっていました」なんて公然と自称しはじめたら、下手をすれば精神の異常を疑われる。
「だからやめにしておいたんだって……」
でも、相談は、した。
そして、是枝女史は好奇心を押さえきれずに、独自に調べはじめた……と、いうことらしい。
「やつは、精査するための伝手もあったしな」
「そのクシナダ、ってぇの……ひょっとして、政府とかとも繋がってる?」
「財界の肝いりで発足した組織だ。
それなりのパイプはあるだろう」
「……捕まって標本とかになるんじゃないのか、おれ……」
「おとなしく捕まるタマでもなかろうに」
「そうなんだけどね……」
完爾としては、こっちの世界ではあまり暴れたくはないのだった。
勇者とは……ようするに、生ける大量破壊兵器である。
完爾が使用できる魔法も大半は破壊に特化したものだった。その威力は現代兵器にも匹敵し、条件によっては凌駕する場合さえある。




