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元勇者の嫁ですが、なにか?  作者: (=`ω´=)


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姫の感慨ですが、なにか?

 そんなわけで、ユエミュレム姫の身辺はにわかに慌ただしくなった。

 いや、それ以前にもそれなりに多忙ではあったのだが、基本的にそれまで自宅と近所だけの狭い世界で完結していたユエミュレム姫の生活に、それまで視界に入ってこなかった数多くの見知らぬ他者が入り込んできた、というのが正確な表現になるのだろうか。

 直接対面したわけでもなく、しかし、否応なく突きつけられる有象無象の意見は、ユエミュレム姫の神経を静かに波立たせる。理性では彼らのいい分が理不尽なものであると理解してはいても、そして実際に否定をしても、心のどこかで彼らのいい分のどこかしらには理があるのではないのか、という疑念が残ってしまう。末席とはいえ王家の一員として教育を受けてきたユエミュレム姫は、民の言葉に耳を傾ける習慣が残ってしまっている。

 今現在のユエミュレム姫は、この日本に居住する一無国籍者であるのに過ぎないというのに。

 そのユエミュレム姫が考えても詮無いことなのではあるが、それぞれの苦難を抱えている人たちの声に直に触れると、「やりようによっては、救う手だてがあるのではないだろうか」と、そう思ってしまうのだ。

 しかし、それを行うのはユエミュレム姫の役割ではない、ということもまた明白であった。実際問題として、まだまだ手のかかる乳幼児を抱えたユエミュレム姫の生活はそれなりに多忙であり、他人の問題にわざわざくちばしをつっこむほどの余裕もないのだが。


 その乳幼児である暁は順調に成長している。最近ではじたばたと短い手足を動かして床を這い回るようになった。これはこれでなかなかに目が離せない状況なのだが、一生懸命動いている暁を見ているとなにやらほっこりとしてくるのも確かなことなのである。

 運動量が増えたせいか、食欲も以前に比べて増してきているように思える。ちょうど母乳から離乳食へ移行しようという時期なのだが、どちらにも食いつきがよく旺盛な食欲を見せていた。幸いなことに乳児検診のときのアレルゲン検査にも引っかかるところがなかったので、乳児が食べられるものならなんでも食べるような状態だった。そのおかげで、毎日抱き上げるたびに重みが増しているような気さえして来る有様だった。

 実際には四六時中暁ばかりを監視しているわけにもいかないので、掃除や洗濯、執筆のときなどはベビーベッドの中に放り込んで放置しているわけなのだが、そんなときでも暁は意味もなく笑い声をあげている。逆に鳴き声をあげられるよりは始末にいいのだが、なんだかこの子は機嫌がいいときがずいぶんと多いような気がする。


 ユエミュレム姫は一日のうちに何度か外出をする。

 そのうち二回は、いうまでもなく完爾の甥である翔太の送迎なのだが、このときも暁は抱いて出て行く。

 それ以外に、日によっては食材や日用品などの買い出しに出ることもある。これには暁はもちろんのこと、翔太も一緒に連れて行くことが多かった。スーパーなどに行くときに翔太がついていけば、ついでにお菓子かなにかを買ってくれるとことが多かったからである。ユエミュレム姫自身もコンビニやスーパーで売っている菓子類が好物であり、翔太をだしにしてそうした嗜好品を買っている節もあった。

 完爾の姉である千種は金銭の管理に関してはことのほか厳しく、こうしたときのレシート類もすべて持ち帰って保存し、集計したあとにしっかりと割り勘にすることになっている。

 完爾もそうだが、ユエミュレム姫や暁もいきなりおしかけてきてかなり強引に同居に持ち込んでいる関係上、それくらいきっちりと割り切って貰う方が気が楽だった。ちなみに、家賃に関しては、家事のほとんどや翔太の世話などをユエミュレム姫が担当しているため、それで相殺という取り決めになっていた。

 ユエミュレム姫からみれば千種は小姑ということになるのだが、その千種は金銭のことに関してはきっちりとしているものの、その他のことに関してはむしろずぼらな方であり、その他の雑事に関しても頼りになる相談相手として対応してくれる。

 ユエミュレム姫が知る「小姑」というものは、何かというと体面とか世間的な体裁のことを気にかけ、なにかと口やかましい存在であったが、それとは対局にある珍しい形の小姑であった。なにより、名分ばかりが先行する社会に生まれ育ったユエミュレム姫にしてみれば、まず第一に実利や実際的な要素を重要視する千種のような女性自体が珍しく、その考え方に刺激を受けることが多かった。


 仕事といえば、ユエミュレム姫とつきあいがある牧村女史なども、元の世界にはいないタイプの女性だった。そもそも元の世界には、こちらの世界にあるような「学校」にあたる組織がない。知識の伝授はもっぱら師弟関係の中で育まれ、ときに一子相伝という形で閉じた家系の中で伝えられる例も少なくはなかった。庶民向けに読み書きや計算を教える私塾などがないわけでもなかったが、それは専門的な知識というよりももっと生活に根ざした日常的な知識を伝えるため、あるいは、子守代わりに子どもを預ける先として存在している。こちらの世界の「学校」とは、根本的な部分で目的が違うような気がする。

 ましてや、専門の研究期間である「大学」など、問題外でさえあった。牧村女史とやりとりをするようになって気づいたのだが、元の世界には「辞書」にあたる存在さえなかった。

 文法の概念すらなく、仮に国語教育らしきものがあるとすれば、古い手紙を束にして文例集として使用し、ひたすらそれを書き写す。その過程で「なんとなく、感覚で」このようなときはこういう文章を書くのだな、と体でおぼえるのだった。

 こんなアバウトな方法でも人間同士のやりとりなど、所詮過去の例をと踏襲し続けているわけであり、実用の場ではなんら困ったことにはならなかった。恋文や借金の遣り取りなど、立場さえ同じであれば固有名詞などを交換してもなんら支障はないわけである。また、そうした過去の例を知り、それに則ることが文化的である、ともされていた。

 こうした背景であれば、特定の語彙を細かく分類したり、その意味するところを詳細に説明し、それを一冊の書物に纏めようという発想自体が起こりえないのだった。


 学問関係のことも去ることながら、元の世界とこの世界の大きな違いは、魔法の存在を抜きにすれば、その「専門性」の有無になるのではないのかと、ユエミュレム姫は思っている。

 巨大な人口を支えるだけの生産性があるからなのだろうが、この世界は専門的な職種が数多く存在する。いいかえれば、分業が行き届いている。ごく狭い領域の自分の仕事をしていれば日々の糧が得られる、という環境が整っていた。また、そうでなくてはこの複雑な現代社会を維持できないだろう。

 ユエミュレム姫は、テレビやネットのむこう側に存在する、顔を見たこともない人々の存在を想像するとき、あるいは、たまに都内に出たときに行きあった大勢の人々にそれぞれの人生があり、その一人一人がユエミュレム姫などには想像もできないような生活を送っているであろうことを想起するとき、その複雑さを思って身震いがしてくる。

 ユエミュレム姫が元いた世界では、人の一生はかなりシンプルなものだった。

 生まれて、伴侶を得て、子をなして、没する。

 基本的には、家畜や野生動物とさして変わらない。

 しかし、こちらの世界では、その一生に様々な意味が付随してくる。

 こちらの世界では、「誰か」が特定の「誰か」であるためには、それなりの履歴が必要になってくるのだった。むこうの世界では、せいぜい、「誰それの子」程度で済んでいたものが、こちらでは履歴書やより詳細な職歴表が必要となってくる。

 むこうでは「役職」や「肩書き」がその人と同一視されていた。こちらでは、それぞれの個人に「役職」や「肩書き」が付随している。

 むこうでは、そもそも、「個人」という概念がない。あるのは、個々の人を役割などで見分ける習慣だけだ。たとえば「王」はユエミュレム姫の父や兄である前に「王」であり、その人なりの考えよりもまず「王」としての裁定を行わなければならない。また、周囲からもそおうであることを望まれている。

 こちらでは、なによりもまずその人の人権が優先される。少なくとも、法の上ではそういうことになっていた。


 文化の違い……などと一言で切って捨ててしまえばそれだけのことなのだろうが……ユエミュレム姫には、むこうとこちら、二つの世界を隔てる価値観の相違は、かなり根深いように思えた。


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