雑談と相談ですが、なにか?
その夜はひさびさに二人きりで過ごすことになり、それなりに夫婦らしいこともしたのであるが、詳細については省略させていただく。
当たり前のことだが、だからといって一晩中いちゃついていたわけではなく、ホテルにチェックインしてからすぐに先ほどの一件を靱野あてにメールで伝えておいた。この世界土着の魔法だか呪術だかを使って完爾たちを狙うような者に心当たりがありそうな人物は、この靱野しか思いつかなかったからである。
ここ最近の靱野は忙しいのか、連絡が途絶えがちであったが、一応、報せて未知の相手に対する情報を持っていたら提供してもらいたいと思っていた。
それ以外に、辰巳先生あてにもさきほどの一件に関してお礼を兼ねて詳細な説明を書いて、改めてメールを送付する。
それが終わったら、二人ともスマホの電源を切った。
「靱野さんといえば、あの剣を調べる方は、どうなっているのかな?」
「一種の思考制御ではないのかとあたりをつけて調べなおしているところですが、そちらの系統の魔法はわたくしたちの世界でも靱野さんの世界でもあまり発達していなかったので、完全に手探り状態になっています。
制御系の働きとか術式の意味を、ゼロから試して解析している状態で」
「そりゃ……時間がかかりそうだ」
そちらに関してはべつに急がねばならない理由があるわけでもないので、他の用事の合間に気長に取り組んでもらうくらいでちょうどいいのか、と、完爾は思う。
「ただ……制御系はともかく、他の世界との門を開くとなると、膨大な魔力が必要であることはわかりました。
あの剣には、魔力を集めたりする機能はありません」
「……遣い手を選ぶ、ということかな?」
「そうですね。
剣ではなく、あの剣の本来の機能を引き出せる人は、かなり限られているかと。
少なくとも、普通の人の魔力量では……」
「無理?」
「ええ。
カンジほどの魔力量があれば、問題はないのでしょうけど……」
翌朝、二人は自然といつもとほぼ同じ時刻に目がさめめた。
二人でシャワーを浴びて手早く身支度を整え、ホテルをチェックアウトする。
駅に行く途中に落ち着いた雰囲気のセルフ式のカフェがあったので、そこで朝食を取ることにした。朝食用のプレートというのが三種類ほど用意されていたので、そのうち二つを選んで空いている席に座る。
ユエミュレム姫はこの手の店に入るのは初めてだったので、目立たない程度に周囲を観察していた。
朝食を食べながらスマホの電源を入れてメールをチェックすると、辰巳先生と靱野から返信が来ていた。
辰巳先生の方は長文の、なんというか、見慣れない専門用語が多い学術的な文章がずらずらと並んでいたのであとでゆっくりと読むことにする。
靱野の方は、簡素な文面で、
「昨夜の襲撃は、おそらく「大佐」と呼ばれる者の仕業と予想される」
といった内容が書かれていた。
それによると、靱野に敵対する連中のうち、この世界の魔法使いを束ねるような立場の人間であるらしい。
そのメールによると「大佐」は武闘派で、これと思い定めた相手にをとことん追いつめていく執念の持ち主であるらしかった。
「おれの一度つきまとわれたことがありますが、やつは自分よりも強い者に執着します」
とも、書いてあった。
昨夜、最初の攻撃を軽く退けてしまったことで、かえって因縁をつくっちゃったかな……と、完爾は少し後悔をした。
とはいえ、他にも慰労会の参加者が多数いたあの場では、一刻も早くあの奇妙な空間を破壊して元の場所に帰還する必要があったのは確かであり、他の選択肢はなかったわけだが。
「しかし、呪術結界を力づくで壊しましたか」
とも、書いてあった。
桁外れな完爾の魔力量に呆れているような文面だった。
山手線で新宿まで出てから私鉄に乗り換え、地元の駅へむかう。山手線へ乗っていた区間はごく短いものであったが時間が時間であるため、かなり混雑をしていた。
しかたがなく、二人で体を密着させてやり過ごす。
「これが通勤ラッシュというものですか」
「この程度なら、まだまだ緩い方だと思うけど」
「……ニホンのサラリーマンは、我慢強いのですね」
ようやく新宿駅に着いて山手線を降りたとき、二人はそんなやりとりをした。
気を取り直して、私鉄の駅まで移動する。
新宿発ということは下りに乗るわけであり、始発ということもあって二人ともシートに座れることができた。
ユエミュレム姫は、隣のホームに到着したばかりの電車から吐き出される人々の量をみて、目を丸くしている。
「……トウキョウは、本当に過密都市なのですね」
「過密っていうか……ベッドタウンにいる人たちが職場にどどどーって移動してくる時間だからなあ」
「なぜ、時間をずらしたりしないのでしょうか?
あの中の何割かが始業の時間をずらせば、混雑もかなり解消されると思いますが……」
「取引先と連絡取るのに都合が悪くなるとかで、なんとなく同じような時間になっちゃうんじゃないかあ。
一部、フレックスタイム制を採用しているところもあるようだけど、まだまだ業種とかが限られているみたいだし……」
「ところで、昨夜の襲撃についてなのですが」
「ああ。
うん」
「わたくしたちを直接攻撃してきたのは、あれがはじめてのことですね」
「そうなんだよね。
だから、こちらの実力を計るための偵察も込みの攻撃ではないかと」
「まだ、本気を出していないと?」
「うん。
挨拶代わりというか、ちょいとつついてこちらの反応を見たかっただけなんじゃないかな。
殺気とかは、あまり感じなかったし」
「威力偵察というわけですか……」
ユエミュレム姫は、何事かを考え込む顔つきになった。
「それなら、あの場ではもう少し手を抜いてもよかったのでは?」
「あの場には、人質になりそうな人たちが大勢いたからなあ。
まずはあの変な場所から脱出することを優先しておいたんだけど……」
「そうですね。
カンジはやはり、そこを最重視しますか」
ユエミュレム姫は、軽くため息をつく。
「そういえば、襲撃者を追跡してとどめを刺そうとするそぶりもありませんでしたし」
基本、ユエミュレム姫は完爾などよりもよほど現実主義者であり、ときとして実利優先の物の見方をする。
「あのまま放置すればあとを引くってことは分かっていたけど、おれの存在によって周囲が被る被害は最小限に抑える、っていうのは、これはもう大前提だから……」
その大前提を崩すつもりはない、との意味を込めて、完爾はそう伝える。
「完爾はつくづく、勇者向きの精神をお持ちなのですね」
「実際には頭に元がつくけどな」
そんな会話をしながら、完爾はスマホを出して辰巳先生や靱野の長文メールを読み直しはじめる。
ユエミュレム姫も完爾の手元を覗き込んできたので、そのメールをユエミュレム姫のスマホあてに転送した。
乗客が多くなってきたこともあり、地元の駅に到着するまで、二人は無言でそのメールを読み続けた。
「このあとはどうするの?
真っ直ぐ家に帰る?」
「アキラは姉君が保育園に預けてくださるそうですから、時間はあります」
翔太が通っている保育園には一時保育という制度があり、予約をしておけば半日とか一日、乳児からでも子どもを預かってくれるのだそうだ。千種は以前にも頻繁に翔太を預けていたそうだが、ユエミュレム姫が暁を預けるのはこれがはじめてのことになる。
「そっか。
それじゃあ、ちょっと会社に寄っていくか」
「そうですね。
お話ししたいこともありますし」
途中にあった自販機で暖かい飲み物を買って、倉庫兼配送所の鍵を開けて中に入る。こちらには手洗い用の流しがあるくらいで、ガス台ひとつないのでお茶も沸かせないのだった。
まだ早い時間であったため、他の従業員たちが出勤してくる時間まで、まだ一時間以上もあった。
これから寒さも厳しくなるし、電気ポットくらい買っておいた方がいいかな、とか、完爾は思う。
「すぐにお仕事をはじめるのですか?」
「うん。
昨日、ちょっとここを空けちゃったし、在庫を補充しておきたいかなーって……」
いいながら、完爾は仕事用のタブレット端末を立ち上げて在庫管理用のサーバに接続、そこに表示された数字を確認しながら、品薄の商品から順番に必要となる材料を作業用のテーブルの上に置き、練金系の魔法をかけはじめた。




