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説明抜きに続きですが、なにか?

 突如出現したユエミュレム・エリリスタル姫の姿を見て完爾が棒立ちになっていたのはごく短い時間でしかなかった。

 再会の喜びを分かち合う間もなく、完爾は赤ん坊を抱いたままのユエミュレム・エリリスタル姫の手を引いて庭先から自宅内へと移動する。完爾の甥の翔汰も、詳しい事情が理解できないながらも、とことことそのすぐあとについてくる。

「どうした? 完爾。

 片づけ、もう終わったのか?」

 リビングのソファに寝そべって新聞を眺めていた完爾の姉が、顔も上げずに完爾に対して問いかける。

「終わってない。

 それ以上に優先すべき非常事態が発生した」

「……なんじゃ、そりゃ?」

 不審に思った千種ちぐさがようやく顔を上げると、そこで絶句して目を見開いたまま凍りついた。

「ぱらぺらぬぬぬぽぷ。ぽらぺら」

 濃紺の髪に緑眼のエキゾチックな風貌の女性が、赤ん坊を抱いてサリーみたいな民族衣装風の布を体に巻いた姿で立っていた。

「彼女、どうやらおれを追いかけてきたらしい。

 おまけに、この赤ん坊はおれの子どもだって」

「それは……確かに、非常事態だな」

 弟の全く説明になっていない説明に、千種はもっともらしく頷いた。


 赤ん坊を抱きながらキョロキョロと落ち着かない様子で室内を見回すユエミュレム・エリリスタル姫。

 その姫に対する質疑応答を翻訳する完爾。

 完爾から説明を受けて、次第に深刻な表情になっていく千種。

「……つまりなにか?

 その子どもはお前とお姫様との間に出来た子どもで、こちらのお姫様は向こうとやらに帰るあてがない、と……そういうこと、なのか?」

「ざっくり状況を俯瞰すると、そういうことになるな。

 おれが向こうにいって帰ってきたときも、なにがどうなって行き来が出来たのか、その原理とかはまるで判明していないし。

 姫様にしても、なんでこっちに来れたのか、まるで心当たりがないそうだ。

 強いていえば……」

「強いていえば?」

「この剣の刀身に、忘れ物防止の簡単な魔法をかけていたそうだけど……」

「その魔法というのは、なにか。

 向こうとこっちの橋渡しをするような効能があるわけか?」

「ないない。

 せいぜい、遠く離れてもその魔法をかけた物体がどっちの方向にあるのか、漠然と感じ取れるようになる程度だ。

 その魔法をかけたものが近くにあって軽いものなら、引き寄せる程度のことも出来るけど……。

 その魔法、向こうではそれこそ子どもでも使える、初歩的かつポピュラーなものだったはずだけど……それでもその魔法をかけたものがどこかに消えてしまったなんてはなしは、これまで一度も聞いたことがない」

「……はぁ。

 つまり、帰し方はまるでわからない、というわけだな……。

 この子の様子を見ていると、帰る気もあまりなさそうだが……」

 千種がちらりと目を向けると、ユエミュレム姫は無邪気な笑顔を作る。

「……長期戦になることを前提に、しかるべき準備を整えなくてはならないな、これは。

 法務……関係は、今日は土曜日か。

 週明けにでも知り合いの先生にでも相談してみることにして……ちょっと買い物に行ってくるぞ」

「ねーちゃん、どこに」

「ドラッグストアだ。

 赤ん坊がいるんだからおむつの換えや粉ミルクその他、当座、必要になるものはいくらでもある。その他の細々としたものについては……あとで考えよう。

 お前は彼女に……そうなだな。

 とりあえず、最初は……この部屋の中のものの使い方くらいざっと教えておけ。

 特にガス台とか電子レンジとか、扱いに注意がいるような事柄について、やってはいけないことをよく教えておけ」

「お……おお」


「彼女が、カンジの姉君なのですか?」

「姉君っていうほどに上等なもんでもないけどな。

 それでも、あれで頼りになるいい姉貴だ。

 で、こっちの五歳児が、姉の一人息子で翔汰。

 おれの甥になるな。

 ……って、いっても、おれにしてみても、こっちに来て初めてその存在を知ったようなわけだが……」

「ねー、ねー、カンちゃん。

 さっきからプリプレなんとかとかいっているの、別の国のことば?」

「外国語……では、あるのか。

 うーん……ずっと遠い、ものすっごく遠い国の言葉だ」

「……ふーん。

 カンちゃん、別の国の言葉、しゃべれたんだ」

「……どうした加減かなあ、理解できるししゃべれるんだ。

 まさか、今になって同時通訳をすることになるとは思わなかったが……」

 そんな問答をするうちに、ユエミュレム姫が抱えていた赤ん坊が、盛大に泣きだした。

「おっ。おっ」

「な、なに?」

 覿面に狼狽しはじめる完爾と翔汰を尻目に、ユエミュレム姫は「あらあら」とかいいながら襁褓の中に手を差し入れて何事か確認すると、やおら衣服の前をはだけて放漫な乳房を露出させた。

 おそらく部屋着なのであろうユエミュレム姫の衣服は、ガウンや浴衣に近い構造で、体の前部がはだけやすくなっている。

「この子、おなかが空いているみたいですね」

 そういいつつ、自分の乳首を赤ん坊の口に含ませる。

 物珍しいのか、完爾の甥の翔汰が、はじめてみる従妹の授乳シーンをじっと見つめた。

 こうして改めて見てみると……ユエミュレム姫の肌色は日本人よりは色が薄く、しかし、ただ色素が欠乏しているだけではなく、若干青みがかっても見えて、カーコソイド系の白さとはまた別の色合いであることがわかる。

 無心に乳首を吸っている赤ん坊の肌色は、健康的なピンク色だった。気のせいかも知れないが、ユエミュレム姫の肌色と比較すると、若干血の気が濃いような気がする。

「お前もついこの前まではこうやってねーちゃんのおっぱい吸ってたんだぞ」

 そういって完爾は翔汰の頭にポンと手を置き、

「……いい時間だし、おれたちの昼飯も作っておくか……」

 といって立ち上がった。


「これは?」

「冷蔵庫。

 食物を冷やしたり凍らせたりして保存するための道具だ」

「レー、ゾーコ……」

 冷蔵庫、という発音を復唱するユエミュレム姫。

「そ、冷蔵庫。

 この中はいつも冷えているから、取り扱いに注意すべきことは特にないな」

 完爾は冷凍庫の中からタッパに入ったご飯とミックスベジタブルの袋を取り出してガス台の脇に置き、ミックスベジタブルを適量皿に盛って電子レンジに放り込み、解凍した。

 大振りなフライパンを出して火にかけ、湯気がたったところでサラダオイルを引く。

 ユエミュレム姫は一挙動でガスに火をつけたときビクリとふるえて驚いたようだが、質問は後に回してくれたようでなにもいわない。

 ユエミュレム姫にしてみれば、こちらに来てから目にするものすべてが不思議なのである。

 ……後でカンジが質問責めにされるような気もするが、当面、静かにしてくれるのはありがたい。

「……カンジがご飯を作るのですか?」

「それが当面、ここでのおれの仕事だからな。

 油が飛ぶといけないから、もう少し下がっていろ」

「は、はい」

 ユエミュレム姫は赤ん坊に乳首を含ませたまま、ずっと抱いている。

 フライパンに油を馴染ませてから解凍したミックスベジタブルを放り込み、慣れた挙動で掻き回す。十分に火が通ったら、今度は、タッパに入った余り物の冷凍ご飯も放り込み、ほぐしながら炒めはじめた。

「カンジがお食事を作るの、はじめて見ました」

「あっちじゃあ、そんなことまでおれがやってたら、他の奴の仕事がなくなるだろ」

 具材に適当に火が通ったところで塩胡椒、それにケチャップで味を調えて三つの皿に盛る。

 それから玉子を冷蔵庫からいくつか取り出してボウルに割り入れ、適当にかき混ぜてからまだ熱いフライパンの上にバターを落とし、その上に溶いた玉子を注いで手早くかき混ぜ、半固形になったところで先ほど作ったケチャップライスの上に乗せて、形を整える。

 それを三度繰り返して、二人前と少し分のオムライスを完成させた。五歳児の翔汰の分は、分量としては半人前にも満たないごく少量になる。

「……手慣れていますね」

「かれこれ半年もやっているからな。慣れもする」

 渋い和食などよりはこうした彩り豊かな洋食の方が、翔汰の食が進む。それに、ユエミュレム姫が箸をうまく扱えるとも思えない。

 オムライスなら、スプーン一つで食べることが出来るはずだった。

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