第二話
「遅い、」
天羽境天羽ノ宮、炎皇殿と呼ばれる建物は球帝のプライベートな住居スペースである。
その中でも一番高いその塔は、天羽ノ都が一望でき、遠くの山間に昔の都の跡が見えた・・・。
「誰か、誰かおらぬか!」
「アジュがここにおります・・・、カジャ殿、親衛隊長ともあろうお人が、その様な大声を出されておりますと、みな何事かと思います」
「ああ、すまぬ。しかし、あの様に真実の鐘が鳴っていると言うのにあの方はまだ戻られぬ」
カジャと呼ばれた黒髪青年は、手に握りこぶしを作ってバルコニーから外を睨み、鐘の音を聞いていた。
「今まで約束を破られた事が無いと言うのに、今日はどうした事だ」
「まぁ、そう焦らずに、もう半刻したら城を出て探しに参りましょう。・・・・・あぁ、でもその心配はいらなくなりましたわ」
「?」
アジュラは真下を指差した、そこには、無造作に長い赤毛を三つ編みにした男が見える。
「あーあ、またあの様に砂だらけになって、・・・あの髪も縺れまくっているではないか、女官達の嘆きがここまで聞こえてきそうだ」
あわただしく、小間使いの従者が部屋に入ってきた。
「カジャ殿、アジュ殿、球帝がお呼びでございます」
「今日、遅かった理由でも聞かせて頂けるのであろうか・・・」
カジャは怪訝そうに呟いた、それをカジャは苦笑で返した。
そこは女人の渦であった。
カジャは銀の洗面器に湯を入れた侍女とぶつかりそうになり、慌てて避けた。
アジュはその後ろに続いていた白い布を持った女官のモロにぶつかった。
その奥から球帝の聞きなれた声が聞こえた。
「もう・・・・、よいと言っている・・・」
「なりませぬ!、この後、街と村より賢者の集まりが宮殿でありますゆえ、たとえ御簾越しであろうとも、この様なお姿では、このセラーシャ、サリュー様に合わせる顔がございません!」
「・・・・・・どうしてここで、サリューが出てくるのだ?」
「あぁ、お美しいサリュー姫様・・・、別世界にてさぞかし苦労されておる事でしょう・・・。このセラーシャ、姫様より、よくよく父上を宜しくと仰せつかっておりますゆえ、ここで引く訳には参りませぬ!!」
球帝の服を、何とかひっぺがそうとしているふくよかな女性は、彼を捲くし立て、逃げ腰になっている彼の髪を見て別の女官に解くように言った。
最初は少なからず抵抗していた球帝だったが、絶句して言いなりになっていた。
その様子を高みの見物をしていたカジャが呟いた。
「俺はな、始めてここにお仕えした時、この騒ぎを見てそりゃーびっくりしたもんだ。・・・今はもうそんな事は無いけどな」
「何をそこで、ボーっと立っておるのだ・・・助けようかなとかは思わんのか」
その言葉を聞いてカジャは一礼した、続けてアジュラも礼をする。
「お呼びと聞きましたが、我ら二人に何か?」
「ちょ・・・一寸待ってくれ」
カジャに聞くのを待てと言いたかったのか、女官に髪を解くのを待てと言いたかったのか、周りの動きがピタリと止まった。
「今年もやるのだろう?ほら・・」
「御前試合でございますか」
カジャの後ろに控えていたアジュラがぼそりと言った。
「それが、どうか?」
「私もそれに参加しようと思うのだが、この頃体が鈍ってな、三日に一度の遠乗りではストレスが貯まるのだ」
「誰ぞ!、湯浴みの用意を!」
「風呂に入るのか!!ちょっと待たんか!!」
「この砂埃は着替えただけでは取れませぬ、髪も梳いただけではどうにもこうにも・・・、カジャ、球帝をお連れしなさい」
「しかし・・・」
「今はいい、一寸待て!」
球帝が踵を返し、どこかに行こうとするのを、腕の強い女官が2人左右から押さえ込み、動けないように拘束した。
「カジャ、速く湯殿までお連れくだされ」
球帝より背が高いのはこの宮殿で彼しかいないのだ。
「諦めなさいませ・・・」
アジュがそっと耳もとで囁いた。
「なにっ」
カジャがセラーシャの言葉に急かされるように、球帝の傍に行き、女性を抱くように掲げ上げた。
「降ろせ、よい、自分で行ける」
「いえ、このまま参りましょう、私はセラーシャ殿と目を合わせるのが恐ろしい・・・」
「・・・・・この界で一番の高位に就くのは誰か?」
球帝は怒っている様だったが、暴れはしなかった。
「はっ、天羽境では炎皇球帝つまり貴方、しかしながら、この宮殿を取り仕切っているのはあのセラーシャ様です!」
「よく分かっているじゃないか・・・」
その後、球帝は湯煙の中に消えて行き、髪にしっとり水分を含ませ、白い湯上りの布を身に纏い出てきた。
すっかり疲れきった様子で、籐で出来た長いすに横たわり、水をしっとり含んだ髪を重そうに掻き揚げた。
「平和な事だ・・・」
「は?・・」
突然の球帝の言葉に、カジャは驚いた。濡れた髪を指で弾き、彼はカジャを見つめる。
「しかし自然王の血を継ぐものが、私と娘そしてナゼールの5歳児だけになってしまった、風王の座は娘が継いだから良いとして、地王、水王の座は空席か・・・。どうだ、カジャ、どちらか継いでみようとは思わんか?精霊の力が強まると、この世は少し安定するのだ」
「私には荷が重い様に感じられます・・・」
分かっている、と言うように球帝は頷き微笑みながら起き上がった。
「そう言えば、居間で何か言い掛けていらっしゃいましたが?」
「おぉ、そうだ」
球帝は辺りを見回し、彼とカジャしか居ないのを確認すると、手招きで呼んだ。
「今年の試合、秘密で私も混ぜて欲しいのだが・・・」
「それは・・・なりません」
普通止めるだろう、当たり前だ。
カジャは大きく目を見開いて反対した。
「力が違いすぎるのではありませんか、殿が勝ち進んで行ってどうするのです?これは遊びではなく、親衛隊員を選抜する大切な行事であり試験も兼ねているのです」
「分かっている、ちょっとな、面白いのを見つけたのだ、試して見たいのだ・・・どこまでやれるのかをな・・・」
きっと言い出したら、いくら止めても聞いてくれはしない。
球帝は立ち上がり、寝室へ向かって歩き出した。
「他言無用ぞ、分かっていると思うがな」
残されたカジャは無言で見送った。
「さて、準備をせねばなるまい、まったく一度言い出したら何も聞いて下さらないのだから・・・」
主の姿が完全に見えなくなってから、カジャは呟いた・・・。