10-19
「いたい!」
園庭で男の子が叫んだ。
転んだのは、別の子だった。
先生が駆け寄った。
「大丈夫?」
転んだ子は、膝を見た。
血が出ていた。
それを見て、もう一度、男の子が言った。
「いたい」
「あなたは転んでないでしょう」
先生は笑った。
男の子は、自分の膝を見た。
血は出ていなかった。
でも、いたかった。
*
三十年が経った。
男の子は、先生になった。
園庭で女の子が転んだ。
泣き声が上がるより先に、別の男の子が叫んだ。
「いたい!」
先生は駆け寄った。
「大丈夫?」
女の子の膝から、血が出ていた。
先生は傷を洗い、絆創膏を貼った。
「もう大丈夫だよ」
女の子はうなずいた。
それから、絆創膏の端を指でいじっていた。
先生は、さっき叫んだ男の子を見た。
「きみは大丈夫?」
男の子は、自分の膝を見た。
「ぼくは転んでないよ」
「そうだね」
先生は笑わなかった。
「でも、いたかった」
「どこが?」
男の子は膝をさすった。
胸を押さえた。
それから、先生を見た。
「わかんない」
先生は、うなずいた。
*
夕方。
最後の子どもが帰った。
先生は救急箱を開けた。
絆創膏の箱が空になっていた。
新しい箱を出して、補充した。
「でも、いたかった」
男の子の声が浮かんだ。
先生は、自分の膝を見た。
古い傷跡が一本、白く残っていた。
いつの傷だったか、もう覚えていない。
廊下から、別の先生が声をかけた。
「お疲れさまです」
「お疲れさま」
先生は箱を閉じた。
帰り支度をして、靴を履いた。
門を出たところで、足を止めた。
帰り際の女の子の絆創膏は、端が少し浮いていた。
先生は歩き出した。
いつの間にか、膝に手を当てていた。




