残された少女は栄光を追った、新たな魔法少女となって。
空を泳ぐ少女を、彼女は嫌っていた。
頭上に煌めく鈍色の光は、どうしてか、見る度に胸の奥をざわつかせる。
とりわけ目立つ閃光の先、名を〝トワイライト〟という一人の少女が、その手に掲げた大口径の銃を手に、ブーツの底から噴射する淡い熱源で空を浮遊していた。
視線をその少女から横に送ると、コウモリのように羽を広げる巨大な異形の生物が、空を闊歩するが如く飛び回る。その様はまるで世界を蹂躙する災禍。
空を翔けるその少女は恐れを知らなかった。
縦横無尽に舞うコウモリが、竜巻のように風を巻き起こして突進する。その風に乗り、速度はさらに増していく。
「その程度の風、ボクの相手じゃあない。……セット」
少女が調子づいた声をあげた瞬間、迫るコウモリの大口が牙を覗かせる。音もなく、少女は横なぎに躱し、振り返ることなく銃口に口付けをした。その銃口はいつの間にか、ハンドガンほどに小さくなっている。
「──リア・マグナム」
十発もの弾が瞬く間にコウモリの体を撃ち抜き、爆散する。やがて光の粒子とともに、空へと溶けていった。
人智を超えた力で災いを退けるのは──魔法少女。
街の人々に愛され、親しまれ、絶対のヒロインと呼ばれる存在。
百羽零未は、彼女たちに心酔するこの街の人々のことも、嫌いだった。
──魔法少女が、堕ちるまでは。
◇
──トワイライトが空を焦がしたあの日から、まだ三日も経っていない。
生徒会室内で、零未は先日起きたその出来事を思い出し、嘆息した。垂れ下がる灰色がかった髪に左目は覆われているが、零未は気にしない。
「──零未君は、本当に。彼女たちのことが苦手だよね」
紙の束を前に、目を通しながら端正な顔立ちの少女は言う。短く切り揃えた髪に手を添えたあと、手に持ったプリントは机に置かれたトレイへ吸い寄せられていく。トレイの側面には『承認済み』のシールが貼られていた。
「苦手という訳じゃないです。なんか、気に入らないんですよ」
「それは同じことじゃないのかい?」
零未は苦笑いを浮かべる彼女に、つんと口を尖らせた。ファイルの束を持って書棚へ移動しながら、零未はぶちぶちと告げる。
「そもそも、公共の機関でもないのに街の治安を守るなんて、ありえないですよ。魔法少女? なんですかそれ、夢の世界じゃあるまいし」
「あ、あぁ、わかったわかった、熱くならないで。僕が悪かったから……」
「十和さんはむしろ、あの子たちに肯定的ですよね……」
「そうじゃないさ。僕は公平でいたいだけだよ」
目を伏せ、一路九十和はプリントをまた一枚、置いた。
「救うもの、救われるもの。等しく同じように扱われるべきだと言うことさ」
薄く笑いかける十和に一瞬たじろいだ。確かに、日頃魔法少女たちにかかる風当たりを考えれば、それはそうですが……と零未は小さく零す。それからもう一言反論した。
「ですけど。あのバケモノじみた力を持った魔物に対抗する存在である彼女たちが、力を持たない私たちと同じ土俵で語れるとは思いません」
「そうかな。彼女たちも、戦いからひとたび身を下ろせば僕たちと同じ人間かもしれないよ? ……それとも、零未君は、魔法少女の変身を解く姿でも見たことがあるというのかい?」
「それは…………」
そう返されると何も言えない。今も紙束を選別しながら言う十和から、視線を落とす。『生徒会議事録』と、そんなシールの貼られたファイルの中身は、開かなければ何が書いてあるかわからない。つまりはそういう話をしているのだろうと零未は簡単に結論づけ、書棚へ戻した。
ファイルを並べ終わると零未は十和の元に寄る。目も動かさず「いつも悪いね」と優しい声音で言う十和は、零未が次に何をするかをわかっている様子だ。
「そりゃ私はあなたの右腕なんですから、当然ですよ、会長」
たわいもないことのように、机の上の紙束を受け取る。入部届と書かれた用紙にはこの学校にいる生徒たちの名前が書かれていた。
「はは、愛され者だね、僕は」
となんでもないように笑う十和に、零未は思わず目をあげた。合わせて頬をつり上げ──不意に吹き込んだ風が、机の上の紙束をさらった。
窓の外から入り込んだその風は、どこか冷たい。
「きゃっ……⁉」
零未の手から紙が剥がれ顔に張り付く。弾みで一歩後ずさったが、落ちた紙束を踏んでしまい、バランスを崩す。
倒れる──その直前、零未の体が一瞬宙に浮く。鼻をくすぐった整髪料の香りがすぐ近くで漂ったことで、助けられたのだとすぐにわかった。
零未の体は地面へ激突することはなく、十和の腕に抱き寄せられる。体の熱が十和に伝わるようで、妙に恥ずかしい。
「っと……、すまない、窓を開けっぱなしにしていたね」
片手だけで受け止めた十和の腕の中、零未の顔が紅潮する。
「……すみません、ありがとうございます」
「なに、気にしないで。僕も不注意だったよ」
体が起こされる。そっと離れていく十和の腕を名残惜しく思いながら、零未は小さく呟いた。
「……ずるいです」
「……? 何か言ったかい?」
「なんでもないです」
そう言いながら、零未は自分でもわからない胸の痛みに気付いていた。
──十和さんは、いつもそう。自分のことより真っ先に、私を見てくれる。……嬉しいのに、どこか、寂しい。
零未は密かに。この時間がいつまでも続けばいいのに、と心で悪態をついた。
◇
また明日、と告げ横断歩道の向こうへ去っていく十和の背を、零未は眺めていた。
──今日もまた、言えなかった。
心残りがずっとある。思えば、十和との出会いは運命的だったと零未は振り返った。
ある日の通学路で起きた、その一瞬の出来事。鞄を担ぎ直すと、いつかの雨音が耳の奥で蘇る。
──あの時、ちゃんと返していれば。
そう思うたびに、胸の奥が濡れたままだ。
あの長い雨の朝のこと。
路肩には水たまりも出来ていて、傘を差していても濡れるほどの横雨。不意に後方の車が水しぶきを上げ向かってくるのを、避けることも出来ずに、
「……!」
目を瞑った。しかし、体は特段濡れることはなく、恐る恐る開けた目蓋の先に、彼女がいたのだ。
「大丈夫かい? ……よかった、大事ないみたいだね」
一言で言うなら、その様は絵本から飛び出した王子のようだった。一番に心配したのは零未の安全であり、全身がずぶ濡れになろうとお構いなしといった様子。
「……おっと、まだ少し濡れているようだね、ええと……よかった、こっちは濡れていない」
背中で受け止めた飛沫は幸いにも、全体には行き渡っていない。制服の前ポケットから取り出した紺色のハンカチがそれを示している。
彼女はそのハンカチで零未の顔に付いた汚れを拭く。指先が近くて、頬に触れそうな距離感に、零未は戸惑いを覚えた。
「あ、その……えと……、ありがとう、ございます……」
緊張と恥ずかしさで目を向けられないまま、零未は俯いた。十和は困ったように頬を掻くと、思い出したようにハンカチを零未の手に握らせたのだ。
「また濡れるといけない。一緒に行こう」
十和は自信満々に笑い、制服を一枚剥いで自身の肩に掛ける。それから落とした傘を差し直した。
「こ、子供扱いしないでください! それに、濡れてるのはあなたの方で──」
「僕は構わない。僕は風邪なんて一度も引いたことがないんだ」
そういうことじゃない。制服を脱いだことで、ブラウスが透けていたから。それに、ハンカチを受け取ったことの罪悪感が零未の焦燥を掻き立てていた。
「と、とにかく、あなたもちゃんと拭いてください! 学校に着いたら、すぐに服を……あぁ、でも、変えの制服なんて……!」
「お、落ち着くんだ。なに、体操服でも着ていればとりあえずなんとかなるさ、僕は陸上部だからね」
答えになってない! すんでのところまで出かかった声は、彼女に手を引かれたことで飲み込まれた。
「え、ちょっと、まっ」
「雨が強くなってきた! 急ぐよ!」
傘から落ちる水滴。冷たさが頬を伝うけれど、握られたその手のひらの方が、熱くて仕方なかった。
──本当に、勝手な人ですよ……。
未だ返せずにいるそのハンカチは、零未のポケットに隠れている。校内でも随一の人気者である十和に近付くチャンスは零未にはまるでなかったのだ。
十和が生徒会長に立候補すると聞いて、零未もそれに倣って生徒会入りを決めた。しかし生徒会の仕事は思いのほか多忙であり、機会を逃すことが何度も続いていた。
「そろそろ、ちゃんと言わなきゃなぁ……」
ポケットの内側に手を突っ込み、その感触を確かめる。さらっとした手触りに、少し笑みが零れる。微かに彼女の手に触れているみたいで、心地がいい。
その時だった。
「きゃっ……! あぅッ!」
地の底から拳で突き上げられたような衝撃が襲う。零未は立っていられずその場に倒れ込む。
──魔震……⁉ まさかまた……!
慌てるも、近くに隠れる場所はなく、零未はその場で小さくうずくまることしか出来ない。
一説では、魔物襲来の余波ともされる、予兆のない縦型地震。真偽のほどは確かめようのない、未知の災害だ。
やがて揺れは収まり、次いで、サイレンが鳴り響いた。
「逃げないと……」
魔物警報が発令した。零未は急いで立ち上がり、鞄を腕に抱えた。逃げるといっても、どこまで行けばいいかなどわからない。魔物はこういう時、いつどこで現れてもおかしくないことをよく知っていた。
だから、零未がいつもの通学路の角を曲がった先にソレがいたとして、なんら不思議なことはない。
「……ッ! あ、ああぁあぁ!」
体長はおよそ三メートルを超え、身の詰まった身体がその脅威を物語る。凶刃とも呼ぶべき両刃のハサミを二対携えていた。
零未はその姿に、自身の知る漫画のキャラクターと組み合わさる名前が過ぎった──ジンベエガニ。丸々と太ったその様子と鋭利なハサミがぴったりだと感じたのも一瞬だ。
逃げたい、今すぐここから立ち去りたい。
なのに尻もちをついて一度止まってしまった足は、石化したように固まって動かなかった。
「セット! フロント・マグナム!」
聞き覚えのある声。直後に銃声が一発横切った。
「大丈夫かい! もう安心だ! ボクが君の盾になる!」
透き通るハキハキとした声音。顔をあげるとそこには──トワイライトがいた。
「とわい、ライト……」
獲物をとり逃したとばかりに、鼓膜に響く金属質な摩擦音。ジンベエガニの鋭利なハサミが零未の恐怖を掻き立てた。
「はっ、なんともしつこいな。けれど、しつこさではボクも、引けを取るつもりはないよッ!」
トワイライトは零未を背に、早く逃げろと促す。頷きだけ返し、零未は走った。
走る間零未が振り返ると、ジンベイガニの憤慨した様子が見て取れて、一瞬足が竦んでしまう。その隙に感付いたか、ジンベイガニは所構わず水泡を口から噴き出した。
「きゃ……⁉」
ジンベエガニの放った水泡に零未は足を取られる。こけた体を起こそうとも、ぬるっと滑りの良すぎる足元のせいで上手く立てずにいた。
「なっ──」
「まずい……!」
反旗を翻し、まっすぐ零未の元へ向かう魔物に、死を覚悟した。
「……ッ! いやっ……!」
「がはっ……!」
零未は、その光景に目を見開いた。
トワイライトは、魔物の凶刃に、腹部を裂かれている。
「……! いやっ、と、トワイライト……!」
「あ、がふ、……どう、やら、しくじってしまった、みたいだね……」
吐血し、顎を伝う鮮烈な色の血液が。零未の頬に流れ落ちた。
「あぁ……でも。きみ、に、大事なくて……良かった……」
こんな時でも。
真っ先に目の前の零未に向けて安堵を浮かべるトワイライトに、目蓋が滲んだ。
同時にその影が、十和と重なったのは、単なる偶然だと思っていた。
腹部から引き抜かれた魔物の手が離れると、トワイライトは力なく零未にもたれかかる。生気のない顔が、この世のものとは思えないほど苦しくなった。
「あ……いや……待って…………死んじゃダメ! なんで、なんでなんで……!」
声が枯れるほど叫んだ。民間人を庇って魔法少女が死ぬなんて、そんなこと……!
はらりと。変身が解け、コスチュームから剥がれた赤いスカーフが重力に引きずられ、落ちる。
零未は、目を疑った。そこにいたのは、紛れもなく。
「え。……十和、さん…………?」
一路九十和。零未のもっとも敬愛する──心の底から、恋をしている、少女の姿、そのもの。
「嘘……ですよね……? どうして、あなた、が……? いや、やだ。死なないで……ねぇ、十和さん…………!」
まだ真実を受け止めきれない。口から漏れ出る言葉と、嗚咽が、止まらなかった。
なのに十和は、零未を見て──確かに笑っていた。
十和のか細い腕が伸ばされ、零未の頬に冷たさを残す。鮮血は空気に触れ、黒い染みとなっていた。
「はは、バレてしまったか…………最期に。君を守れて、本当に幸せものだよ、僕、は……」
目が、閉じる。腕が、だらりと行き場をなくした。
零未の手に残った、べったりと残るその血が。簡単に事実を突き付けてくる。
「あ。ああ、いやああああああぁぁぁあああぁあぁッ‼」
揺さぶった。抱き寄せた。それでも、彼女が目を覚ますことはもうない。零未の目から、大粒の涙が溢れ出ていく。
「目、開けてくださいよ……! わた、私、まだあなたに言えてないこと、伝えたいことっ! いっぱい、いっぱい……! やだ、やだやだやだ……! うあぁ、ああぁ……!」
重さだけが残る彼女の身体を抱きながら、顔を埋めた。喪ったことによる後悔ばかりが募り、他に何も考えられなくなる。
言えばよかった、止めればよかった。
もうあなたが戦う姿は見たくないと。普通の女の子に戻ってほしいと。
トワイライト、あなたのことが好きだからこそ。あなたが傷付くことはないのだと。
零未は、知らないうちに、十和と重ねていた。
自分のことよりも真っ先に、誰かへ救いの手を差し伸べる、トワイライトに。
誰よりも自分を見てくれる、一路九十和という少女に。
ズズ……と。涙すらも吹き飛ぶほど、おぞましい気配に、顔をあげた。まだ、終わっていない。ぶくぶくと口から泡を吹き出すその影がそこにある。
恐怖は、その温床は、未だ目の前にいる。
「……誰か……たすけて……!」
ジンベエガニの大きな図体が飲み込むように、零未に大きくのしかかる──直前だった。
「【ビートヘッド】!」
「っ⁉」
とっさに閉じた目蓋を開けると、立体音響のように甲高く響く音の波が、ジンベエガニの側面を殴打する。体勢を崩したジンベエガニは、器用に片足だけで身体を持ち上げていた。が、
「ナイスだよ、フォルテ! いけっ、スタックボルト!」
今度は雷撃の玉がバランスを打ち崩す。泡を空に吹きながら横転したジンベエガニをよそに、その声の主である二人が零未の前に立ちはだかった。
「お怪我はありませんかっ! 助けに参り…………ッ⁉」
トワイライトではない、また別の魔法少女。左の少女は緑を基調としたトレンチコートのような風貌で、左側だけこんもりとしたフリルが形作られている。
彼女の手には拡声器が握られ、ジンベエガニを前に顔の前に構えていた。が、零未と、その傍らに眠る十和を見て、目を見開いている様子だ。
「……そう、ですか」
静かに呟いた少女の声。零未には聞こえた。「間に合わなかった」というか細い声も。
「落ち込んでる暇ないよ! 次の攻撃が来る!」
鬼気迫る声で応答するのは右の黄色い姿の少女。奇抜とも思える雷のようなギザギザのスカート。瞬間、空気を裂くように俊敏に空中を跳ね回っている。
零未は、彼女たちを知っていた。フォルテとエレック。トワイライトとともに戦う、三人一チームの、魔法少女。……だった。
エレックの声に重く頷くフォルテ。零未と十和を抱き抱えると一息に跳躍し、二人をマンションの屋上へと避難させた。驚く暇もなく、零未はなすがままだ。その間、エレックはジンベエガニの頭上まで瞬時に移動し「サンダーボルト!」と雷撃を落とす。
しかしジンベエガニは立て直した体勢から泡を膨らませ、自身を覆うように包み込む。魔法は泡に触れると、途端に虚空に飲まれた。
「な、なにそれ⁉」
「エレック、無茶は禁物ですよ!」
零未はそんな一部始終を見つめながら、一緒になって抱えられた十和の服の裾を握りしめる。
「……戦いが終わるまで、しばらくここにいてください。……すぐに、終わらせてきます」
フォルテの、優しくも覚悟の決まった声に──顔を見上げることも出来なかった。振り返ることなく、フォルテは屋上から飛び降り、戦場へ繰り出していく。
歯噛みする。そしてひとつ、零未は確信した。
──やっぱり、私は魔法少女が、嫌いだ。
心を殺して、戦いに身を投じる姿が苦手で。
偽善的な救済で、魔物を屠る彼女たちが嫌いだった。
痛みを庇ってなお、戦い続ける姿勢が辛抱ならなかった。
けれど肩代わり出来る存在は他になく、魔法少女は魔法少女として、自らの責務を全うする。──トワイライトのように、その身が果てるまで。
「そんなの…………奴隷と変わらない……」
どうして、彼女たちはそのことに気付かないのか、理解が出来ずにいた。
「これじゃ、運命に殺されてるみたいじゃない……!」
横たわる十和の端正な顔に、雫がひとつ、またひとつと零れていく。
「私が、私がトワイライトを……十和さんを……う、うあぁ……!」
『そんなことはありませんよ』
「ッ⁉」
どこからか響く異様な声。女性の声とも、子供の声とも付かないその声に、零未は辺りを見回した。
『悲しみにくれる暇はありません。さぁ、立ち上がりましょう……その身を焦がす、胸の痛みがあるのなら』
「だ、誰……なんなのよ、もう……!」
光が瞬く、それは零未の声に応えるかのように。宙を見上げると一点へ光が収束していき、やがてそれは姿を現した。
淡いピンクの毛もくじゃら。見た目の印象はそんなものだった。小さく丸っこい手足は小動物的なのに、異質な雰囲気が漂っており、どこか不快だと零未は感じていた。
「申し遅れました。ワタシはピアメル。あなたを──魔法少女へと導くものです」
見た目とは裏腹に丁寧な口調が、一層不気味を際立たせる。
「ぴあ、める……? 訳がわからない、なんなんですか、魔法少女? ふざけないで……」
「百羽零未。あなたは選ばれました。トワイライトの──後継者として」
──は?
「後継者って……なによ、それ……」
「あなたには、成すべきことがあります。果たしたい夢があります。トワイライトを想うその心が、なによりその証明です」
頭が痛くなる。零未は、苛立ちから頭を掻きながら、ピアメルという桃色毛玉に食ってかかった。
「そんなの、何の理由にもなってないでしょ……! 私、は……何の力もない、守られるだけの弱者でしかないんだから……」
「それでも、彼女たちに対し。あなたは何を感じていたでしょうか? 確かに抱いていた、魔法少女への嫌悪感、嫉妬、愛憎……どれも、あなたの感情に眠る感情のひとつでしかない。……違いますか?」
「……何が言いたいのか、全然わからない」
「あなたは。彼女たちが戦わなければならない現状が、我慢ならなかった」
「……!」
核心を突いた一言に、零未の胸がざわざわと音を立て揺れていた。
「出来るなら、彼女たちが戦わずに済む方法はないか。世界を揺るがす脅威だろうと、対抗出来る手段はないのか。……きっと、日々そんなことを考えていたのではないでしょうか」
「なんっ、で……」
「わかります。だって、ワタシは……あなたとよく似ている。願えるなら、ワタシは誰も傷付いてほしくはないですから。……けれど世界は残酷です。何も変わらない、魔法少女は魔法少女として、その生涯を成就する。この事実は、未来永劫書き換わることはないでしょう」
屋上にも響くほどの振動が伝う。土煙があがるのがフェンス越しにも確認出来て、零未は手で口を覆った。
「フォルテ、エレック……!」
「安心してください。彼女たちはまだ、無事なようです。……ですが今回の魔物は、相当以上に手強いようですね」
さて、とピアメルは零未に向き直る。
「どう、したらいいの」
零未は投げかけた。そして、言った。
「守られるばかりなんて、嫌だって思ってた。私はそんなに弱くない、頼りないなんて言われたくない……なのに。魔法少女になれない私じゃ、傍観するしか出来ないのが辛いの……! 守ってくれなんて頼んでない! 私だって! ……あの人の、トワイライトの……十和さんの隣に! 並びたかったんだ……ッ!」
やっと零れ出たその心。喪って気付いた、その想いが。
「私は、魔法少女なんて嫌い! 大嫌い! 助けるなんて言って、自分たちのことは顧みないままに挑み続けるなんて以ての外! ……だけど、うじうじして結局何も出来ないでいる自分の方が、よっぽど大嫌いなんだ! 転倒して立てなくなった虫を、そっと起こすみたいな優しさがあったって……それが何の役に立つって言うの⁉ これじゃダメなの、私は、私は……!」
もっと。みんなの助けになりたい。
ただ、その一点が、百羽零未を支えていた。
傍らに横たわる、少女の姿を想って。
「叶います。……隣には、並べなくとも、受け継ぐことなら」
ピアメルは、その女性とも子供とも付かない声で、静かに告げる。そして、星を象ったアクセサリーを、天に掲げた。
「時間は一刻もありません。強行手段ではありますが──契約上書き実行」
「え、なに、きゃあっ⁉」
ピアメルが唱えた言葉に呼応し、光が零未を包み込んだ。制服を着ていた感覚が消え裸同然でありながら、その身が晒されることはない。淡く虹色に光る粒子が全身を覆い、身体のパーツ一つずつに花を咲かせていった。
光から解かれた零未は、その変わり果てた自身の姿に目を見開いた。
緑と黒のミリタリージャケットが上半身を彩る。胸元の弾痕のような装飾は覚悟の証を示しているようだった。下半身を覆うのはショートスカートに黒タイツ。スカート裾には弾丸模様の小さな刺繍が施されている。そして首元に、赤いスカーフが風にたなびいた。
その姿は、軍服のようで、喪服のような出で立ちだった。
「な、なに、これ……」
「それが、あなたの姿です。戦いの火蓋は切られました……今こそ。トワイライトの後継者として──なすべきことを、果たしてください」
不思議と力が湧いてくる。零未はその手に力を願い、光とともに顕現したそのグリップを握った。重厚な手触りの、ハンドガン。
トワイライトの力をそのまま受け継いだかのような、それでいて覚悟を背負った一人の少女が、ゆっくりと立ち上がる。
「……私に何が出来るかなんて、まだわからない」
「ええ」
ピアメルは、彼女を許す。
「あなたに従う気なんて毛頭ないし、私は私の都合で動くかもしれない」
「構いません」
「私は──私を貫く。異論なんて言わせないから」
屋上のフェンスから地上を見下ろす。エレックとフォルテはいまだ、苦戦しているようだった。よく通るその声に、耳を澄ませる。
「こ、の……! ウザったいデカブツガニだなぁもう!」
「冷静さを失わないでエレック……ひゃ⁉ くっ、しつこい、この泡吹き魔物め……!」
くすりと笑う。近くで見たら、なんて頼りないのだろう、あどけないのだろう。こんな景色、魔法少女でなければ、見ることは出来なかった。
零未は躊躇なく、フェンスから飛び降りる。問題ない。フォルテに出来て、私に出来ない道理などないと、無根拠の自信が突き動かした。
落下しながらハンドガンを構える。掛け声など無用だと引き金を引いた。弾ける破裂音と反動に尻込みするが、構わず二発三発と引き抜いていく。地上のジンベイガニの泡で張ったシールドがパチパチと音を立て割れていった。
「⁉ 銃声……なんで……え!」
先に気付いたフォルテが零未を見上げて驚愕している。地上に降り立つ零未の姿に困惑している様子だった。
「君は……、どうして……いえ、答えを求めている場合では、ありません! ご協力いただけると、助かります!」
「……言われずとも、最初からそのつもりよ。……トワイライトの、敵だもの」
突然やってきた零未の声にハッとする二人の反応を見て、零未は改めて目の前の魔物と対峙する。
「けど……どうやって倒せばいいんだよコイツ! あたしらの魔法じゃ歯が立たないっつーの!」
「……凶弾でもあれば……」
──凶弾。
それは、トワイライトの切り札のような力だった。たった一発で戦況を覆すほどの、鋭い弾丸。
しかし彼女亡き今。その力に預かることは出来ない──はずだった。
ニヤリと零未は微笑んだ。そして──その手に握ったハンドガンの口径を、カラクリのように、巨大な砲身へと変化させた。
「……! それ、あの子の……!」
「凶弾って言うなら。このぐらいは必要ですか?」
誰に聞くでもない問いを、彼女は引き金を引くことで答えに変えた。
誰よりも彼女を見てきた。故に、この程度、百羽零未にとっては造作もないことだったのだ。
「セット。──レイ・ガン」
直後。閃光が満たした。高出力で打ち出されたレーザー光が、容易く魔物を打ち貫き、空を割っていた。
後に残ったのは、硝煙の臭いと、魔物の敗北を示す、淡い光の崩落。
──かくして。
百羽零未は、のちに名をドレッドと呼ぶ魔法少女として、魔物との戦いに身を乗り出したのだった。
◇
あの日流した涙は風に溶けた。憧れの生徒会長の姿を追う形で会長の座に就いた零未は今、十八。三年生となり、高校の最後の一年を過ごす日々を送っていた。
──十和さん。私は、あなたに少しでも、近付けたでしょうか……。
心で呟くも、それを伝える相手はとうにいない。枯らしたはずの涙をポケットにあるハンカチでこっそり拭った。
とその時、背中越しに衝撃が当たる。バランスを崩し零未はダイブするように廊下に転倒した。
「あっ」
「ご、ごめんなさい! 怪我してないですか!」
「え、ええ大丈夫、私こそ廊下で立ち止まっていて、ごめんなさい」
完全に不注意だった。どちらともなく謝って、零未は起き上がる。起き上がりざまに見た少女の制服と、どこか着慣れていない風貌を見て、おそらく一年生なのだろうと邪推した。
「お互い、気を付けないとね。それじゃ」
「あ、えと!」
まだ何か? と振り返ると、彼女の手には今しがた自分の手にあったハンカチが握られていた。
「あの……落としてました」
長い黒髪に左目の泣きぼくろは繊細さを窺わせる。だが、それ以上に零未の心にはある一人の姿を浮かばせた。
「……どうかしましたか?」
不安そうに訊ねる少女の声にハッとし、取り繕うように零未は彼女の手から紺色のハンカチを受け取る。
「……似てるわね」
「え、えと……」
零れた一言に、思わず笑う。訳もわからない目の前の少女は困惑していた。
「失礼、拾ってくれてありがとうね」
「あ、いえ……このくらいなら」
すると彼女の後方から元気な声が届く。
「七海ー?」
「あ、うん、今行く! えと、それじゃあ」
「えぇ。……あなたも、手放さないようにね」
零未はそれだけ言って、背を向けた。
もう返す相手のない、そのハンカチを胸に当てながら。




