ぬいぐるみに宿る縁
裏庭へ続く道は、校舎の裏手を回りこむようにして伸びていた。
ちょっと草の生えた細い通路。あまり生徒も通らない静かなエリアだ。
「……こっちで合ってるの?」
「うん。線が、まだ見えてる」
俺の左目には、ぬいぐるみから伸びる細い光の線が、まだくっきりと見えていた。
まるで風にたなびく糸のように、揺らめきながら、俺たちを先へ導いてくれる。
「“線”って、どんな風に見えるの?」
「うーん……説明しにくいけど……光、みたいな。淡い糸みたいな」
「じゃあ、それが“縁”?」
「たぶん、そう。少なくとも、“落とした人と持ち物を繋ぐ線”には見える」
「……ふぅん」
美羽は興味深そうに頷きながらも、それ以上は問い詰めなかった。
彼女の歩き方は落ち着いていて、俺よりずっと余裕があるように見える。
「落とし物って、ただのモノじゃないと思うんだよね」
「……ん?」
「持ってた人の気持ちとか、思い出とか。そういうのが、ふわっと染み込んでる。だから、“誰のか分からないぬいぐるみ”って、逆に一番情報量が多いんじゃないかな」
「……なんか、ロマンチストだな」
「理屈じゃないからね。私、そういうの好きなんだよ。“見えないもの”が意味を持つ瞬間って」
そんな話をしていたとき、視界の“線”がふと止まった。
その先に──誰かが、いた。
制服姿の女子。しゃがみこんで、花壇の横に咲いた白い小花をじっと見ていた。
「……あの子、だ」
俺がそう言うと、美羽は足を止めた。
「行ってみて」
俺はうなずいて、ぬいぐるみをそっと胸に抱えながら、少女に近づいた。
「……あの」
「……え?」
彼女がこちらを振り向いた瞬間、確信した。
線は、彼女へと繋がっている。
「これ、落としませんでしたか?」
俺はぬいぐるみを差し出した。
「……あ……! それ……!」
彼女は目を見開き、そっとそれを受け取った。
「……どうして……」
「たまたま、見つけて」
俺は嘘ではない答えを返した。
彼女はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、ぽつりとつぶやいた。
「よかった……。これ、ずっとお兄ちゃんと一緒に寝てたぬいぐるみなんだ」
「お兄ちゃん……?」
「去年、大学で県外に行っちゃって。お別れのときに“代わりに、これと寝なさい”って笑って渡してくれたの。子どもっぽいけど……でも、大事なものなの」
その声は、どこかくすぐったいようで、ちょっとだけ泣きそうでもあった。
(……ああ、そうか)
ぬいぐるみが“繋いでた”のは、物理的な持ち主じゃなくて、
彼女と、離れて暮らす家族との記憶だったんだ。
「ありがとう。本当に……ありがとう」
彼女は深く頭を下げてから、ぬいぐるみを大事そうに抱きしめて歩き去っていった。
線は、スッとほどけて消えた。まるで使命を終えたかのように。
「……すごいな」
隣で美羽がぽつりと言った。
「見てただけでも、なんかあったかくなる」
「……でも、ちょっと引っかかる」
「なにが?」
「線は“どこにあるか”は教えてくれるけど、そこに込められた“気持ち”までは……見えないんだなって」
「……ふふ。それを分かろうとするのは、“人の役目”じゃない?」
美羽の言葉は、さらりとしていたけれど、不思議と胸に残った。
“縁”が見えるからといって、それだけで誰かを救えるわけじゃない。
繋がっていることと、理解してあげることは、たぶん別の話だ。
「まだまだ、勉強中か……“落とし物係”」
「というより、落とし物係りで定着なの?」
「あら、不満なの?。じゃあ“物探し屋”なんてどう?」
「勝手に名前つけないで……」
「“縁繋ぎ屋”? “ひもとき屋”? それとも、“拾い人”?」
「全部ダサいからやめて……!やっぱり落とし物係りでいいや。」
満足そうな美羽を横目に、俺はぬいぐるみの毛が残る手を見ながら、苦笑いするしかなかった。
──それでも、ちゃんと“ありがとう”が聞けたこと。
それは、確かに小さな成功だった。