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一匹狼不良 遠藤鷹良

一匹狼不良懐柔編



何かが違う。

その不快な感覚が、ここのところ絶えず遠藤を苛んでいた。


言うなれば、地図の通り進んでいる筈なのに、何だか目的地ではないところに向かっているような感じ。これが正しい筈なのに、一方でそうではないような気もする、という感覚。

遠藤は気の長い性分ではない。この嫌な感じのために、最近、己が訳もなく苛立っていることに気づいていた。

だから、この学園で初めて自分を理解してくれた雛形遊磨に八つ当たりをしてしまわないために、遠藤はこのところ、ろくに授業にも出席せず独りで過ごしていた。




常磐学園高等部1年遠藤鷹良は、この学園において「不良」と呼ばれる人種である。


事実として、遠藤は中等部3年時、街中で「相手が意識を失うまで暴行」し、それ以来「度々授業をサボる」ようになり、「親から不良息子と呼ばれ、避けられている」。


遠藤に言わせれば言い分もないではないが、積極的に訂正しようとも思わなかったし、訂正したいと思うような友人もいなかった。元々背丈も高く体格も良く、凄みのある整った顔立ちだったのもよくなかった。次第に話に尾ひれがついて、遠藤は今や学園内で「あの遠藤」である。

黙って立っているだけで周りが道を開けていく。教師ですら遠巻きだ。


今日も、「あの遠藤」こと遠藤は、独り図書室で時間を潰していた。

遠くからピアノの音が聴こえてくる。己のクラスの授業は国語だったか。

何となく手にした雑誌のページを読むでもなくめくっていく。司書はちょうど出払っているらしく、一人きりの図書室には、微かなピアノの音色だけが聞こえていた。


しばらくして、入り口の引き戸が開く音がした。


こうしてサボっていると、稀に同じくサボっている者に出くわすこともある。大抵は向こうが遠藤に驚いて逃げていく。

司書か、サボりか。

闖入者を、遠藤は眉間に皺を寄せて迎える。



「…!」



しかし、驚いたのは遠藤の方だった。

今時の高校生らしからずピンと背筋を伸ばして入室してきたのは、遠藤でさえ知っている、この学園最大の有名人だった。


生徒会長・神前征司。


遠藤はその名を心中で呟き、思わずその姿を凝視していた。

眉目秀麗と謳われる容姿は、真近で見ても少しも文句に違わざるものだった。顔といいスタイルといい、完璧に整ったパーツとその配置に、遠藤は神の存在を感じ、圧倒される。


神前もまた、遠藤の姿を目に止めた。

が、意に介した風もなく、すぐ視線を外し、迷いなく書架へと進んで行く。


――遠藤は知らず詰めていた息を吐いた。

何を動揺しているのかと遠藤は舌打ちする。たかが生徒会長だ。恐れることはないというのに。


生徒会役員には、校務のためには公欠できるという特権がある。神前は、それでここへ来たに違いなかった。

遠藤がまた雑誌に目を落としはじめると、神前が戻ってきたらしく、足音が近づいてきた。顔は上げないから正確にはわからないが、数冊の本を持ってきたようだ。遠藤からそう遠くない席に着く。


落ち着かない。


遠藤は苛立ちを感じた。自分が、この僅かに年嵩なだけの同年代の男に畏れを抱いている、というその事実に。さらには、ピアノの音色にさえ苛立ってくる。

そしてその苛立ちは、遠藤の胸中に燻る別な苛立ちを誘引した。

すなわち、ここのところ遠藤を苦しめる不快感。遠藤の想い人である、雛形遊磨に関するそれである。



遠藤は、雛形に違和感を感じていた。

最初こそ遠藤は、己の話にまともに耳を傾けた初めての存在として、雛形に夢中になった。「俺だけは絶対お前の友達だ」と屈託のない笑顔で断言した雛形だけが、己の理解者であると盲信した。この無邪気で幼気な存在を何者からも守ろうと、それが己の使命に違いないと。


その考えに綻びが生じたのはつい最近だ。

雛形と行動を共にしていて、見目の良い奴らがやたらと目に付くようになった。名前はろくに知らない。威嚇しても散ってゆかないそいつら。

あるとき遠藤は、そいつらの目が、眼差しに宿る想いが、まるで自分のそれと同じであるように思われた。


雛形は、遠藤を孤独から救った、唯一の理解者である。

しかし、雛形からはどうなのだろう。

遠藤の世界には雛形しかいない。しかし、雛形の世界には?

そして、たった一人しかいない世界というのは、「正しい」ものなのだろうか。



己の進む道は、果たして「正しい」のだろうか。



イライラしながら文字列を視線で撫でていると、ゴン、と小気味良い音が鳴った。木机を本の尻が叩いた音である。


顔を上げると、神前がこちらを見ていた。静かな、しかし強い眼差しに、遠藤はまた圧倒される。




「うるせぇ。図書室では静かにしろ」




遠藤はそう言われて初めて、自らの片足が床を断続的に叩いていたということに気づいた。貧乏揺すりのようなもので、苛立った時の遠藤の癖だ。素直に止める。

しかしそれだけでは癪だった遠藤は、ぐっと神前を睨みつけた。



「ーー会長なのに、俺が授業サボってることは注意しなくていいのかよ」



話しかけたのは純粋な疑問を口にするためでもあったが、一番は己の中の神前に対する畏れを払拭するためであった。

神前は本に戻しかけていた視線をまた持ち上げ、最高に整った表情を崩さず、別に、と言った。



「、なんでだよ」

「サボる奴にもなんか考えがあんだろ。これまで会った奴らにも一回も注意なんかしたことねーよ」

「じゃあ、今のは」

「後輩にマナー教えんのは先輩の仕事だからな」



答えに淀みが無い。遠藤には、神前は凛としているように見えた。


そういえば、と気付く。雛形が、あるとき言っていたことがある。せーじ先輩はかっこいい。顔も中身もかっこいい、と。雛形は頬を赤らめていて、その可愛らしさにばかり気を取られていた。


せーじ先輩。神前征司。

こいつか。



「会長は、遊磨のこと、どう思ってんだよ」



神前は、このときはじめて表情を崩し、虚を突かれたような顔をした。

逡巡してから、答える。




「俺は何とも思ってねーけど、おまえはどう思ってる?遠藤」




はっきりと、たじろいでしまった。



「なんで…俺の名前」

「あぁ、おまえ覚えてねーか。中等部んとき、俺ら一回喋ったことあんだよ。俺記憶力いいから。えんどうたから、だろ。親から宝だと思われて名付けられたんだろうなと思った覚えがある」



遠藤も、記憶力は悪くはない。しかし視野が狭いためだろうか、いくら探ってもそのときの記憶は出て来なかった。


しかしそれよりも遠藤の心を揺さぶったのは、親のくだりだ。

神前は、知らないのだろうか。遠藤が親からも見捨てられた、と言われていることを。

遠藤は、何も言えなかった。ただ神前を見ていると、神前もまた見返して来た。



「…悪りぃな、そんなにびっくりされると思わなかった。おまえに関する噂も知らないわけじゃねーけど、…普通に考えて、ちゃんとおまえをこの学園に通わせ続けてる時点で、おまえは親から愛されてると思うけどな、俺は。学費たけーんだぞここ」



神前の言葉が、遠藤の心臓を鷲掴みにする。

しかし、その事実は、遠藤にとっては耐え難く羞恥を伴った。この歳になって、親の愛どうこうと言われたことでこんなにも動揺する自分に、苛立つ。

高鳴りはじめる心臓を無視し、なんとか逃げを打つ。



「…別に、俺は、俺には、遊磨が」



そう、別に親などいなくとも、俺には遊磨がいる。

しかし神前は、怯えて逃げようとする遠藤を許さなかった。遠藤の心中を見透かすような眼差しで、「別に説教してーわけじゃねぇんだけど」と前置きし、



「おまえ、雛形を何だと思ってんだ?あいつはただの高校生だ。聖母じゃねーし、親の代わりになるもんでもねーぞ」



きっぱりと、そう言い切る。

鼓動が高まる。

神前は、ふうと息をついた。気怠げに、がしがしと襟足をかき混ぜる。



「まー俺、ろくにお前のこと知らねぇからさ、俺からおまえはこう見えるっつう話な。おまえ、なんか寄る辺なくて困ってるよーに見えんだよ。まずは親と話したらいいんじゃねーの。なんか考えがあってボコったんだろ。おまえがわかってもらおうと思って話しゃ、わかってくれんだろ。さっきも言ったけど、俺はおまえ、十分愛されてると思うし」



鼓動が加速していく。なぜ自分は会ったばかりの人間にここまで内情を知られているのかと、遠藤は頭が混乱する。



しかしその一方で、妙に頭が冷えていく。最近遠藤を苦しめていたわけのわからない違和感が、理路整然と並び直され、解けて霧散していく。


遠藤は、親に求むべき愛情を、雛形に代替的に求めていた。しかし雛形は親ではないから、その愛情の対象は多岐に渡り、遠藤に親子間の愛情のような絶対的な関係を約束しなかった。ゆえに、遠藤は違和感を感じていた――


当然、愛だ親だと、16歳の青年がはいそうですかと納得しうる内容ではない。

しかし遠藤は馬鹿ではない。この説明がいかに自らの心境にしっくりくるかということを認めるだけの潔さはあった。

自分のことであるにも関わらず、他人に説明されて納得するなど、遠藤には初めての経験だった。



神前が、目を見張って立ち上がる。



「――おまえ、なんつー顔してんだよ」



己がどんな顔をしているのか、遠藤にはわからなかった。


ただ、仕方ないな、とでもいう風に笑って、さして神前と変わらないほど体格の良い遠藤の頭を撫でてきた神前は、遠藤にはとにかく輝いて見えた。

自らのことで頭がいっぱいになっている筈の遠藤であったが、頭のどこか片隅で、確かに納得することがあった。

こういう男を恰好良いと云うのだ、と。



遠藤がもういいと頭を撫でる手をのけると、神前は席に戻り、再び本を開いた。



「説教臭くして悪かったな。どーも俺、おまえと初めて会ったときの印象が抜けなくて」

「……中等部のときの、ってやつですか」



自然と敬語を使い始めた遠藤に、神前は僅かに嬉しそうにする。

神前は、本からルーズリーフへ何事か書き写す手は一向に休めぬまま、遠藤と話しを続ける。密かにそれに感嘆した。



「そう。入学式んとき。おまえ、親を探して心細そうにしてたんだよ。んで俺が声かけて、そのあとすぐ親みつけて、俺、おまえんちの家族写真撮ってやったんだぞ」

「覚えてないです」

「まぁ、遠藤にとっちゃ嫌な思い出だろうからな」



それからしばらく取り止めのない会話をしたのち、神前はさらさら動かしていた手を不意に止めた。本を閉じ、ペンを胸ポケットに差す。

立ち上がる神前を、遠藤がつい目で追う。すると神前は、ふ、と口元を緩めた。



「だからおまえ。その顔やめろって」

「な、なんですか。その顔って」

「さみしそーな顔。俺いまちょっと時間とれねぇけど、またそのうち会ったらしゃべろーな」



にやりと笑って、神前が言う。

遠藤は、せっかく落ち着けた胸が別な理由でまた高鳴るのを感じながら、負けじと言いかえした。




「――そのときまでに、親と話しておきます。そのときは、俺の話、また聞いてくださいね」




遠藤は、すっきりとした心地で、素直に、そう言うことができた。

もちろん簡単なことではないが、胸には闘志が芽生えていた。中3以来腐っていた気持ちが息を吹き返し、そして勇気をくれる。


それこそが、遠藤にとっての「正しい」道だと。


当然それが誰のおかげかなんてわかりきっている。

神前は、おう、と頷いた。その姿はやはり完璧に美しくて、そして恰好良いと、遠藤は思った。



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