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外伝 転入生が来る前の生徒会





放課後の生徒会室は、落ち着いた静けさに満ちていた。

室内にはただキーボードを叩く音だけが響き、それが少し途絶えるたび、部活動に励む生徒たちの声が窓の外から遠くかすむように聞こえてくる。

先日入学式を終え、春めく校内はいま、年に一度のにぎわいを見せている。進級したてで浮足立つ2・3年生と、希望に胸を膨らませる新入生とが織りなす、摘みたての花の瑞々しさのようなこの雰囲気は、一年のうちこの時期にしかない活力であふれていた。


それらをBGMに聞きながら、七海は、パソコン画面に文章を紡いでいく。


七海は生徒会副会長であり、いまは自らの業務として課せられたとある文書の作成を行っている。

パソコンは苦手ではない。打ち込んだ文字列は、みるみるうちに画面上を埋め尽くしていく。その様を見ていると達成感があるので、七海は文書作成が嫌いではない。

だが、それと同時に少しずつ疲労感を覚え始めているのも事実である。やりたくてやるのとやらされるのとでは天地ほどの差がある。

彼はいまこの仕事を、はっきりと面倒だと感じていた。


私立常磐学園高等部生徒会役員は、全国いずれの学校でもそうであるように、生徒の投票で決まる。

だがここにおいては、その投票はほとんど人気投票とイコールであり、立候補したわけでもないのに校内の人気者だからという理由で選ばれた者が役員に就く場合がほとんどである。

七海もそのクチで、なまじ顔が良かったためにうっかりと選出されてしまったのだ。

こんなの雑用係の押しつけだ、と七海は日々苦々しく思っている。


ふと手を止め、うつむき目頭を揉む。

そうしてから七海は、そっと目だけを動かして、斜め左の席ーー最も大きな執務机に座るやたらに美形な男に目をやった。


七海はこの役員としての仕事をとてつもなく面倒だと感じていたが、その大きな机に座る男は、そう思ってはいないらしかった。

その男は、就任してこの方矢継ぎ早に舞い込んでくる業務の数々に対し、面倒がるそぶりすら見せたことは無い。むしろ行事となれば嬉々として案を出し、周囲を巻き込んで実現していく姿は、それを楽しんでいるようにすら見えた。


そして、彼もやはり立候補したわけではなく、見た目の良さで選ばれた立場である。

この男は、実に美しい。

七海は自身の秀でた容姿を自覚していたが、この男に比肩しようもないこともまた、理解していた。共に役員として接することが多い立場であるにもかかわらず、ふとしたときには未だに驚嘆してしまう。彫刻のように整った造形、日本人離れしたプロポーション。いつまで見ていても飽きない、まるで芸術作品のようだと思う。


その美貌ゆえに、ぶっちぎりの一位で会長職に就かされた男、神前征司。


こちらが視線を送っていることにも気付かず、神前は真剣な表情で画面を見つめ続けている。

その顔についしばし見とれたあと、我に返った七海は、不自然にならぬようゆっくりと画面に目を戻した。

疲労感をごまかしつつしばらくまた手を動かして、画面上の長方形に文字を並べきると、ようやっと文書が完成する。おもわず、ふうと小さく息を吐く。

と、目の前にずいとティーカップが現れる。



「終わったんだろ。俺も終わった。おつかれさん」



傍らに、神前が立っていた。

いつ淹れたのか、湯気の立つティーカップからは紅茶の良い香りがした。先ほどまでは表情を消して画面に向かっていた神前の顔は、いま、労わるような、部下の仕事を評価する上司のような、にやりとした笑みを浮かべている。

神前は紅茶を淹れるのが巧い。一口ふくむと、疲れが体から霧散して行くような気がした。



「…あなたには欠点が無いんですか」



自分の分のカップを手に会長席へと戻る神前の背に、ポツリと独りごちる。神前は耳ざとくそれを聞きつけて振り返る。



「あ?何か言ったか?」

「……その粗暴な言葉遣いはなんとかならないのかと言ったんです」



紅茶の香りが鼻から抜けるのを楽しんでいると、扉の向こうからばたばたと足音が近づいてきた。音は複数。こちらへと廊下を走ってくるようだ。

学園の人気者たちが集う生徒会室は、生徒たちにとって不可侵の領域となっており、親衛隊の者たちも基本的にここへは立ち入らない。このように慌ただしく近づくなど言語道断である。ゆえに、この足音の正体を、七海も神前もわかっていた。

勢いよく扉が開いて、小柄な人影が二つ飛び込んできた。



「じゃーん!」

「見て見てー!」

「どっちがどっちか」

「わかるかなー?」



案の定、会計の双子、堀江兄弟である。

よく似通った兄弟で、共に役員となって随分経つが、いまだに七海にはその区別がつかない。どちらかが堀江燐で、どちらかが堀江伶である。

双子は前髪を髪留めで結び、一人は右上に、一人は左上に結び目をつくっていた。髪留めのゴムにはネコとウサギの顔の形をデフォルメした小さな飾りが、それぞれ付いているようだ。七海には理解できない趣味であり、つい眉間にシワが寄る。



「あなたたち、またバカなことして…そのゴムはどうしたんです」

「親衛隊の子が」

「くれたの!」

「僕たちにきっと」

「似合うからって!」

「ねー会長!僕はどっちでしょう!」

「そして僕はどっちでしょう!」



男子高校生がそんなものを付けて喜んでいてどうするのだと七海は思うのだが、双子は楽しそうである。

そして双子の最近の楽しみは、神前に自分たちがどちらかを当てさせることであるらしかった。今のように神前の机に二人して押しかける姿を、最近よく目にする。そのたびに「仕事が終わってからな」といなされて席に戻り、仕事が終わる頃には疲れ切った双子たちにその気力が残っていない、というのがパターンである。



「あー?んだよ、見分けてほしいならもっとわかりやすくしろっての」



しかし今回は、例のパターンから外れた。

双子の仕事も今日は無いし、神前も今し方終えたところである。カップを片手に、面倒そうにだがきちんと話につきあってくれる神前に、双子がいつもより前のめりになっている。当人たちは明言しないものの、双子がかなり神前に懐いているのは、見ていればよくわかる。



「もーわかってないなー!」

「同じように見えるときに」

「見分けてほしいの!」

「本当の僕をわかって」

「ほしいってかんじ!」

「なんだよそれ、めんどくせえな。……よし」



神前はひとつ瞬くと、真剣なまなざしで双子を見比べ始めた。

先ほどのパソコンに向かっていた時の顔だな、と七海は思う。射抜くような、とはよく言ったもので、神前の視線はまさにそれである。対面して視線をまっすぐに向けられると、何か体の中心となるようなもの、心や心臓といったものが貫かれてしまったように、妙に緊張するのだ。わずか数秒であっても、ひどく長い時間に感じるほどである。

双子もいま、その感を味わっているらしかった。うきうきとした雰囲気は次第になりを潜め、体にぎゅうと力がこもって行くのが傍から見てわかる。顔がだんだんと紅潮してきてようだ。



「か、かいちょー」

「あ?んだよ」

「あんまり見られると」

「恥ずかしいなー…」

「おまえらが見分けろっつったんじゃねーか」



よし、と神前が呟いた。双子の片方、うさぎのゴムを留めている方を見つめながら口を開く。



「わかった。おまえが――」



真剣そのものの神前に引きずられ、双子も固唾をのんでその答えを待っている。

神前の眼差しはまっすぐ双子に向いているため、


ーー背後にはまったく注意が向いていないようだ、と七海は観察していた。



「………会長」



背後に背の高い男が20秒ほど前から聳えるように立っていることなど、微塵も気付いていないのだろう。



「うおっ!」

「わぁっ!」

「わぁっ!」



果たして、突如背後からかけられた声に、神前は大きく動揺して声を上げた。

神前の目に縫いとめられていた双子もついでにびくりと体を揺らし、七海は三人の滑稽な姿にため息を吐いた。



「くだらないことに集中しすぎです。書記はしばらくそこに立っていましたよ」

「マジで!?なんだよ、じゃあさっさと声かけたらいいじゃねえか!」

「…………」



神前は素早く背後を振り返り、そこに立つ書記・矢野に言った。しかし矢野は無言で、少し眉根を寄せて困ったような表情をしているだけだ。

書記は実に物静かな男で、七海は彼が発言しているのをほとんど聞いたことがない。

いまも、双子が来る前からずっと生徒会室にいたというのに一言も発していなかった。挨拶やら返事も頭を下げるだけだ。言語能力に問題があるというわけではないが、あまり口を聞くのが好きではないらしい。

普段は親衛隊の者たちにあれこれと世話を焼いてもらい、喋らなくても生活に支障はないようになっているそうだが、当然、生徒会業務には支障がある場合もある。

だがまぁそれは我慢して、あとはあまり関わらないようにすればいい――と七海は考えているのだが、神前はそうではなかった。



「で、なんの用だ?」

「……」

「あのなぁ、言ってくれねーとわかんねえよ。俺は、おまえの先輩なんだ。目上の人間に、察してもらおう、なんて考えるな。おまえから言え」



黙りこくる矢野に、神前はゆっくりと言い聞かせる。

七海は思う。神前は実に物好きな男だと。

このお節介な男は、こうして繰り返し矢野に言い聞かせる。そうしていても一向に話せるようになどなっていないのに。

しばらくして、矢野は手に持っていた一枚の紙を神前に渡した。



「……転入生」



お、喋った。と七海は珍しいものを見た気になる。

だがようやく出て来た言葉も単語であるし、なんだかよくわからない内容である。

しかし神前は、それで合点がいったらしかった。



「あぁ、ワリ、書記に渡した書類の中に紛れてたか。――ほらよ副会長、これはお前に、だ」

「…私に?」



急に話の矛先がこちらへ向いた。矢野の渡してきた書類が、そのままこちらへと流される。

それは、生徒会顧問の水無瀬からの依頼文書であった。



「今度、1年に転入生が来るんだと。そいつの入寮日に寮まで案内するのと、簡単な学校の説明なんかをしとくのがおまえの仕事だとよ。詳しくは寮監さんとかがするから、あくまで簡単にな」

「……なぜ私が」



内容を掻い摘んで説明され、七海は嫌そうな顔を隠しもせず紙面から顔を上げた。神前はにやと笑う。まるで悪巧みをしているような、ひどく魅力的な顔だ。



「水無瀬先生のご指名なんだよ。考えてもみろ、会計はうるせえし書記は喋んねえし俺はテキトーだし。適任じゃねーか」

「……もー!また」

「まとめて言う!」

「もーいいや、行こ!燐」

「うん、伶!」



双子は不満げな様子をあらわにして、生徒会室から出て行ってしまった。先ほどのゲームを書記に邪魔されたこともあり、苛立ちが募っていたらしい。

神前は、なんだあいつら、と特に気にした風もなく言って、すっかりぬるくなった紅茶に口を付けた。

矢野は自席に戻り、黙々と作業を再開したようだ。


七海は、再び書類に目を落とし、面倒だ、とため息を吐いた。

適任というか、消去法ではないか。しかも先ほどの神前の説明によれば、神前がやっても一つも問題がないように思える。神前が適当になどするはずがないからだ。

だが、水無瀬の指示であれば、断ることもできない。

貧乏くじを引いたようなものだ。


やはり生徒会役員は雑用係である。


七海はその書類をしまうと、自身も残った紅茶を飲んでしまうことにした。ともかく、今日の業務は終了なのだ。

仕事を終え、疲れ切った頭を巡るのは、今夜の夕食のことや明日の時間割のことなど。

面倒事の種となった転入生とかいう一生徒のことなどどうでもいい。

こうして、転入生のことは、瞬く間に意識の隅に追いやられていったのだった。



生徒会役員たちが転入生・雛形遊磨に骨抜きにされる、一週間ほど前のことであった。




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