3-Aのクラスメートと熱き体育編
好きな教科は何ですか、と問われることがたまにある。
この間の新聞部からの取材でも聞かれた。それを聞いてどうするんだと俺は思うが、まあ心の中で思うにとどめて、俺はこう答えることにしている――「体育」と。
いや、聞くまでもなく、健全な高校生ならふつうそうだろ。
特に男子は、体育のために学校に行っている、みたいなところあるよな。俺ら3年は受験控えてるから一概にそうとも言えねーけど、でも息抜きっつーかさ。
他の教科のおもしろさと体育のおもしろさは種類が違うっつーか。やっぱ、体育ねーとやってらんねえよな。
というわけで、俺は、体育だけは絶対に休まないようにしている。
つーかどの授業休むのも本当は嫌なんだが、あのハチャメチャな転校生が押し寄せて来て、生徒会役員の奴らが働かなくなってからというもの、行事の直前なんかは公欠して仕事片付けねえと間に合わないことがたまにあるのだ。
でも、そんなときでも、体育だけは絶対休まない。
なぜか。好きだからだ。
そして、――俺を待っている奴がいるからだ。
「あーっ、会長さま!」
体育館に足を踏み入れた瞬間、明るい声に出迎えられた。
すたたたっ、と素早く駆け寄ってきた声の主は、嬉しそうに目を輝かせ、俺を見上げる。
その角度はもはや直角。
俺もたいがいデカいが、こいつも男子高校生の平均より相当低い。近寄れば近寄るほど思い切り見上げる必要があるのに、距離感の近い男なのでいつも目の前、いや腹の前まで寄ってきてこうして直角に見上げてくるのだ。
近いゆえにちょうどいい位置にある頭に、俺は例によって手を乗せ、なでてやった。
「よー、猿田」
「会長さまーおはよー! 今日は公欠しなくて大丈夫系なの?」
「おう、なんかおまえ心配してくれたんだって? 中島先生が言ってた。ありがとな」
「えへー!」ときらきらの笑顔で笑う猿田。小さくて人懐こく、名前の通り子猿のような奴で、クラスのペット的感覚の男だ。誰からも愛されており、この学園にあって俺に抱きついたり飛びついたりしても何も言われない、稀有な存在でもある。
いや、俺自身は別に飛び付かれても構わねーんだが、親衛隊とかは妬いたりするからな。
猿田の毛の短い頭をぐりぐり撫でていると、
「神前、おはー。やっぱおまえ体育は休まないと思ってたわ」
「会長様、おはようございます! ジャージ姿がこの上なく様になっていらっしゃいますね!」
「神前、岡野のマンガ次お前の番だから、今日の夜部屋行っていー?」
猿田に続いて、クラスの奴らがわらわらと集まってきた。
うちのクラスは仲が良い。そしてなんというか、みんな素直で優しい。金持ちの家に生まれたのによくそんなにスレずに育ったな、というほど、いっそ幼い奴が多いのだ。俺のことを家柄ありきで見る奴も少ない。
忙しそうだけど大丈夫か、とか気遣われると、つい「お前らのために父ちゃん頑張るからな」と答えたくなるから不思議だ。
そして他校に彼女がいる奴も少なくなく、そいつらは俺とふつうの男子高校生的な会話をしてくれるので、だいぶ貴重な存在だ。
ふつうが貴重、って矛盾してるよな。
みんなと他愛ないことをダベっていると、
ダァン!
――何者かが、床を強く踏み鳴らす音がした。
いや何者かっていうか、もうそれが誰なのかはわかりきっているので、誰も驚かない。そいつは、いつも俺の気を引くときこうして床を踏み鳴らすからだ。
猿田などはそちらを見もせずに「熊谷うるさーい」と顔を顰めている。
ちなみに猿田はいま俺の肩の上にいる。俺が肩車しているからだ。
それはともかく、俺はその音のした方、俺の背後へと、ゆっくりと振り返った。
「…おう、神前。逃げずによく来た、と褒めてやりたいところだ」
太い眉を釣り上げながら、そいつは厚い唇をにやり、と笑みの形にした。
俺と並ぶほどの長身。よく筋肉のついた身体は分厚くがっしりとして、一目で運動部だとわかる。
顔はなんつうか、うーん、ソース顔をさらに特濃にしたかんじだ。つまりすごく濃い。
俺もまた、にやり、と笑い返す。
おい、誰だきゃーっつったの。
「…よお、熊谷。『褒めてやりたいところだ』だって?
…なんですっきり褒めてくれねえんだよ」
一瞬の間。
誰かがぶふっと噴いたのと、熊谷の顔が怒りに赤くなったのは、同時だった。
「~~っ!! そこはどうでもいいだろうが! そうやっていつもいつも俺をおちょくってっ!」
「おちょくってなんかねーよ。バカにしてもない。まあ『その台詞使ってみたかったんだろうなぁ』と微笑ましく思ってはいる」
「きっ、…き・さ・まぁあーーー!!」
真っ赤なお顔の熊谷が、また床をバァンと踏みつける。周りの奴らは俺らのやり取りを見てケタケタ笑っている。
これ、うちのクラスの体育の時間に、よく見られる光景である。
ところでこの熊谷というガタイMAXな顔の濃い男は、運動神経がピカイチで、真面目で責任感があり、バスケ部の主将を務めているすごい奴だ。後輩からも顧問からも、厚く信頼を寄せられていると聞く。
そんな熊谷、中等部の頃から俺を目の敵にしており、こうして体育の時間に突っかかってくる。
よくは覚えていないのだが、昔体育の時間、熊谷の得意な種目で俺が勝ったことがあるらしい。それ以来、俺はこの男にライバル認定されているのだ。勝手に。
フン、と気を取り直したらしい熊谷は、俺に誇らしげな顔を向けてくる。
「調子に乗っていられるのも今のうちだ。ふふふ…神前! 今日の体育で何をするか知っているか!」
「猿田、今日なにやんの?」
「バスケだよ!」
「かんざきぃいぃいい!! 俺はお前に聞いたんだ! あっさり猿田に聞くな! 猿田もあっさり言うな! というか俺と話しているときは猿田を肩車するのをやめろ!!」
バカにしてるのかぁあああ!! と熊谷が飛び上がらん勢いで叫び、みんながケタケタ笑う。
熊谷は間違いなく真面目でいい奴だ。真面目すぎてからかうとおもしろい。おちょくりがいのある奴め。
さらに最近はツッコミのキレが増してきていて、自ら笑いを生み出せるようにもなってきた。今後の成長が楽しみだ。
しかしあまりイジると血管が切れてしまうかもしれないから、今はこの辺にしておこう。
チャイムが鳴り、体育の授業が始まる。
準備運動やらパス練習やらをしたあと、早速試合をすることになった。
当然俺と熊谷は別のチームだ。ちなみにチーム分けの段階でも、熊谷のチームに文化部の奴らが集まるなどクラス結託して熊谷をいじりにいったのだが、割愛する。
「なー前言ってたやつ、神前できんじゃねーの? 」
センターラインの前に整列しながら、同じチームの奴が言う。
前言ってたやつ? と一瞬考えて、思い当たるものがあった。
ふむ。
「あーアレな。やったことねーけど、たぶん頑張ればいけると思う」
「マジかよすげー。やってみてよ」
「おー」
などと同じチームの奴と話していると、「整列の時は喋るな! あと猿田は神前の肩から降りろ!!」と熊谷に怒られた。真面目ないい奴なのである。
そんなこんなで試合開始。
その直後、早くもゴールが揺れた。
こちらのボールをスティールした熊谷が、素早いドリブルから、瞬く間にゴールをさらったのである。
一瞬のことだった。
見ている奴らが歓声をあげる。
「すげー、やっぱ熊谷うめー!」
「さすがの会長様も、これ勝てねーんじゃねーの? やっぱ部長だもんなぁ」
「ていうか熊谷、ついに形振り構わなくなったよね。これまではバスケでだけは勝負しなかったのに」
「バレーもサッカーも卓球も負けたもんなあ」
「自分が部長やってるスポーツで挑むのってねー」
「相当天秤揺れただろうな。プライドと勝利と」
「会長さまー! 頑張ってくださーい!」
――そんなクラスメートの会話は、どうやら熊谷には届いていないらしい。
熊谷の目は、ただ真剣に、バスケにだけ向いていた。
すごい集中力だ。体育ごときにそんなんなっちゃう? あれこれインハイ決勝とかだっけ? ってくらい集中している。
俺にパスが回った。ステージ上からきゃー! と声が上がったのは、聞こえないふりをしておこう。
で、アレをやるのか。
熊谷の長い手が伸びてくるのをかわしつつ、先ほど整列のときに言われた「アレ」を思い出す。
んん、できるかどうかはわからないが、物は試しだな。できたらおもしれーし、熊谷を驚かすには、アレしかない。
俺がパスを受け取ったのは、センターラインより手前、すなわち自コート内である。ゴールまでの距離は随分とある位置だ。
同じチームの奴が、期待するように、にやにやしながら俺を見ている。
やるしかない。
俺は軽いステップからぐっと膝を曲げた。
床を蹴る。
体が伸び上がる。
高く跳びながら、肘、手首、指先を連動させ、勢いよくボールを放つ。
ざわ、と体育館がどよめいた。
中空で俺の指を離れたボールは、コート上を縦断し、高く高く、美しい弧を描いて、吸い込まれるようにゴールへと向かい――
スパ
あっさりとした軽い音を立て、リングをくぐった。
「――な…!」
超長距離からの、スリーポイントシュート。
魅せるプレー、ってやつだ。
うわあああああ、とクラスメートたちが大きな歓声を上げる中、熊谷は呆然と目を見張っている。
俺は、「意外とできるもんだな」と内心自分でも驚いていたのだが(何せやったことがなかったので)、それは表に出さず、余裕ぶった顔で熊谷を指差した。
にやりと笑う。
「――『俺に勝てるのは俺だけだ』…ってな」
もちろんおちょくるのは忘れない。
「……それはそいつの台詞ではなぁあああい!!」
熊谷やはりは顔を赤くし、体を震わせながら全力で叫んだ。
やはり、熊谷のツッコミスキルは急上昇中である。俺たちは腹を抱えて爆笑した。
「――神前くん、ちょっと…!」
楽しい体育のひと時は、あっという間に幕を閉じた。途中ボールが2個に増えたり、人数が6人に増えるなどのハプニングもあったが、結果的には俺のチームが勝った。
みんなで雑談に花を咲かせながら教室へ戻っていると声を掛けられ、振り向けば困ったような顔をした先生が立っていた。
「…神前くん、ごめんね。明日の件でちょっと打ち合わせたいから、この後の授業公欠して、こっちに来てもらっていいかな?」
眉を八の字にしてそう言うのは、まだ年若い、言っちゃなんだが気の弱そうな先生で、最近俺がよく話している人である。
明日の件、と聞いて、心の中の俺がうわっと呟く。
明日行われる会議はとある校務に関するものだ。が、長年それをとりまとめていた先生が昨年で退職した際うまく引き継ぎできなかったとかで、どの先生方もそのやり方をよくわかっていないらしい。資料もほとんど残っていないという。
そこで断片的な資料を元に、今年、一から企画し直したのである。
俺が。
ちなみにこれは生徒会の業務とは全く関係ない。
頼むからやってくれ、時間がないんだ、君じゃないとできない、と先生方から頭を下げられ、無下にできなかったのである。
そのために昨日授業を公欠する羽目になったので、実はちょっとイラっとしている俺であるが、
「はい、わかりました。着替えたらすぐに伺います」
もちろんそんな内心はおくびにも出さず、直ちに会長モードに切り替え、歯切れよく返事を返した。
俺は生徒の代表たる生徒会長なのだ、引き受けたものは絶対にやり通す。
先生がぽおっと頬を染めたが、いや、頬を染めて欲しかったわけではないぞ俺は。今後はちゃんと引き継いでくれマジで。
ごめんね! と先生が立ち去ると、誰かが俺のジャージの裾を引いた。
振り返る。
俺の左腰のあたりで、猿田が悲しそうに眉を寄せていた。会長さま、と小さな声で呼ぶ声が寂しげに聞こえる。
見れば、俺のことを待っていてくれたクラスメートたちもみんな、似たような顔でこちらを見ていた。
「…会長サマはたいへんだよなぁ」
「先生め、神前くんも生徒なのに、こき使ってぇー」
「神前ぃ、無理すんなよー?」
「僕たちもできることがあったら手伝いますから、いつでも声かけてくださいね!」
「そーそー」
口々にそう言って、みんなが労わるような眼差しを向けてくれる。
ダンッ!
唐突に、強く床を踏む音。
見ればそこには案の定熊谷の姿があった。廊下でそれやるのはやめた方がいいと思う。
ちなみにさっきのバスケで負けた罰ゲームとして、Tシャツの裾をヘソのあたりで結び、常夏を楽しむ女性のようなスタイルになっているのが笑える。
が、その目は真剣だったので、俺もなんとか頬の内側を噛んで真顔を保った。
「…頑張れよ。ノートは取っておいてやる」
負けた悔しさがあるのか、ふん、と熊谷は続けた。
俺が好きな科目は体育なのだが、実は以前は、体育が好きではなかった。
最初は純粋に好きだった。自らの記録が伸びたり、スポーツの新しい技術が身に付いていくのがおもしろく、楽しめた。
しかし次第に楽しくなくなっていった。俺は昔からたいてい何でもできたので、俺に競ってくるような奴がおらず、みんな「負けて元々」といった態度だったからだ。
しかし、今は違う。
何度でも立ち向かってくる熊谷がいて、それをおもしろがるみんながいて。
体育の時間が、俺は一番好きだ。
俺は傍らにある猿田の頭を撫でてやりつつ、頬を緩めた。
「みんな、ありがとな。行ってくるわ」
ノリが良くて、優しくて、暖かい。
俺はこのクラスが大好きである。