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3-A担任 中島





「中島先生、次、A組ですよね?これ、田中に渡してもらえますか?」



授業に行こうとしたところを、後ろから呼び止められた。

同僚の佐久間先生が、小さな紙切れを差し出してきている。受け取ると、佐久間先生は、いやぁすいませんねぇと額をかいた。



「もう今日授業がないもんですから。今日中に伝えなきゃならないんですが、わざわざ放送で呼ぶほどの話でもないもんで」

「いえ、全然構いませんよ。田中ですね」

「はい、すいません。ありがとうございます」



佐久間先生はにこにこと笑いながら頭を下げる。私も、頭を下げた。

佐久間先生は不惑に達して久しいと聞いたことがあるから、私より10程年上ということになる。おっとりした雰囲気でいつもにこにこしており、優しいため、生徒からの人気も高い。私の担任する3-Aでは、古典を担当してくれている。うちのクラスの生徒たちも皆、質問しに行ったり相談しに行ったりと、よく懐いているようだ。


――なのに。ほんと、人は見かけによらないよなぁ。


私は手元のメモを見た。折り畳まれたメモは端を糊付けしてあり、中を見ることは叶わない。しかし、大体何が書かれているのか、私にはわかってしまっていた。

なぜなら、淫猥な、紫ともピンクともつかない色のオーラが、紙から滲み出しているからだ。

先程の佐久間先生の身体からも同じ色のオーラが溢れ出していた。床に滴るほどのそれは、相当に強い想いであることの表れだ。そしてその色が示すものは、性欲。

私はため息をついた。




私は中島隆義、先程も言ったとおり3-Aの担任をしている。

特に秀でた能力も無いし、見た目は中の中だから、何より顔面偏差値が優先されるこの学園では軽んじられる対象だ。そのため、内面の良さでなんとかカバーしようと、日々あの手この手で生徒にとりいっている。…と言っては言い過ぎだが、まぁ親身には接するよう心がけている。

その甲斐あって、生徒からはそこそこの評判を得られている。生徒曰く、「中島先生は心が読める」。私はよく生徒の感情を読み、ちょうどよい距離感で接してくれる、のだそうだ。

それは喜ばしいことだが、初めて生徒がそう言ったのを聞いた時、私はドキリとした。なぜか。その言葉がある意味事実だったからである。


そう、何から何まで平凡な私だが、一つだけ非凡な点がある。

それが、人の纏うオーラから、その人の性格や運命といったものがわかるということだ。


説明は難しいが、とにかく私の目には、全ての人の体から靄のような光のようなものが滲み出しているように見えている。それには色が着いていて、多くの場合その時の機嫌や健康状態を表す。怒っていると赤っぽい、悲しいときは青っぽい、など。

それだけでなく、時にそれによりその人の運命すらわかることもある。例えば、色が黒に近づいてきたら非常に危険だ。それはいわゆる死相というものだからだ。

細かく言えばキリがないのでこのくらいにするが、とにかくこの能力を活かし、私は生徒からの人望をうまいことかき集めているのである。




さっきの佐久間先生は、見た目には非常に温厚な方なのだが、中身はとんだ助平野郎だ。生徒にも相当手を出していると思う。いい年して凄まじい性欲だ。

田中はこれと言って目立った容姿ではないが、素直で純朴な少年である。優しい先生に唆されたら、流されてしまうかもしれない。


あれこれ考えているうちに教室に到着した。まだ始業まで少し時間があるため、教室内はざわついている。

私はドア近くのゴミ箱に先程のメモを丸めて捨てると、教壇に立った。



「先生、こんにちはー。来るの早いね!」



すると、一番前の席の生徒が声を掛けてきた。この学園においてはさして学力の高い生徒ではないが、人懐こい性格で、教師からも級友からも愛されている奴だ。

この生徒の声につられたように、何人かが私に挨拶の声を投げかけた。



「はいこんにちは。早いですね、だろー。誰か体調崩した奴とかいるか?」

「いない! けど、今日、朝のSHRのあと、会長様は授業出てないよ」

「…そうか」



少し残念そうに、そいつは言う。そのオーラがうっすらと青みがかる。青は悲哀の色だ。

私は窓際列の後ろから二つ目の空席に目をやった。

そこは、本校高等部生徒会長、神前の席である。



「最近あんまりいないから、みんなつまんないんだよね。会長様、おもしろいから、いないとつまんない」

「そうだな。先生も寂しいよ」

「こんなに休んだことないよね、そんなに忙しいのかな?」

「…まぁ、そうなんだろうな」



神前の欠席は、生徒会特権の公欠である。何事にも生徒主体であることを重んじる本校では生徒会役員にかなりの負担を強いており、行事が近づいて来れば、役員の生徒が何時間か、あるいは丸一日公欠するのはザラにあることであった。

近く行事があるので、神前はそれの準備に追われているのだろう。


…と、素直に納得できないのは、私が神前の出欠を把握している担任だからである。

私は違和感を感じていた。神前は公欠を好まない。以前から、いかなる行事の前にも、ほとんど休まず授業に出ていた。彼は特待生でもあり、その勉強への打ち込みようは、他の模範とも言うべき真摯なものだ。これまではおそらく、生徒会の仕事は昼休みや放課後を利用してうまくやりくりし、勉強の時間を削らないように努めていたのだろう。

よく欠席するようになったとは言っても、歴代の生徒会役員と比較すれば、休まない方ではある。だが、やはり違和感は拭えない。他の役員たちもよく授業を休むようになったと聞くし、やはり、何か理由があるのではないだろうか。



そんなことを考えていると、生徒たちが席に戻って準備を始めているのに気付きはっとした。間も無く始業である。

それとともに、ふと、にわかに廊下の方が金色に眩しく輝き出したのにも気付いた。

生徒たちを見ると、誰もそれを気にする様子はない。ということはアレは私にしか見えていない――すなわちオーラの色だということになる。

廊下の外からでもわかるほどの神々しい金色のオーラが、次第に輝きを増していく。



金色のオーラは特別だ。

もう三十路も折り返しを過ぎるほど生きてきたが、ほとんどお目にかかったことがない。だから断言はできないのだが、おそらく金色のオーラは、絶対の成功を約束された者のみが纏うことを許されたオーラなのだと思っている。

滅多に見られないが、この学園は各界の重鎮たちのご子息がお通いあそばす場所であるため、生徒の保護者等に会う機会に、稀に見ることもあった。そしてそれを持つ人は、一代で会社を起こした社長や、一流の芸能人など、類稀なる才知や野心に優れた人物で、カリスマ性というかなんというか、絶対強者たる存在感のある人であった。


ちなみに、そんなものの持ち主は、現在この学園には一人しかいない。

そう、実は私は、教室に「彼」がいないことは言われるまでもなくわかっていた。いれば、入った瞬間、その眩しいオーラでわかるからだ。



ガラリ、後ろの戸が開いて、廊下から教室の中へ、眩い金色の光が流れ込んだ。

「彼」の登場に気付いた生徒が、素早く隣の生徒へ囁く。そして生徒から生徒へと、教室の中に、さわさわと優しい囁きのさざなみが立つ。

光と囁きの海のその中を、真っ直ぐに、こちらへ向かって「彼」が歩いてくる。私は、この幻想的な光景を見るのが好きだ。



「こんにちは、中島先生」



教卓の前にやって来た神前が、軽く頭を下げた。私の目には、その身から金色の光が迸っているように見えている。しかしその輝きは、攻撃的なそれではなく、こちらを照らし出すような、導くような、どこか優しいものだ。

そしていつ見ても、恐ろしく整った顔立ちである。思春期にありがちな皮膚トラブルなど一つも経験したことがないと言わんばかりの肌に覆われた面に、細部まで造形の整ったパーツが完璧に配置されている。

この造作に金のオーラだから、神前と話すのはいつも少し緊張してしまう。なんというか、自分より格の上な人間だ、とひしひしと感じるのだ。



「こんにちは。どうした神前、今日は朝から欠席しているって聞いたけど」

「はい、生徒会の仕事で公欠していました。今日はこのあとから出席するつもりだったのですが、『今日一日で全て終わらせて明日から授業の遅れを取り戻すという手もある』と先ほど水無瀬先生からご助言いただきまして。考えてみて、このまま今日は一日公欠させていただこうと思ったので、中島先生にお伝えしに参りました」

「そっか。忙しいのか? 体調は大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」



受け答えは卒無い。ザ・パーフェクトなどという大仰な二つ名も、神前には相応しい。


神前の口から水無瀬先生の名が上がったときには、内心少し驚いた。なぜならあの先生は、神前に対し恋心を抱いているからだ。

それに気づいた理由はオーラを見たからだから、おそらく私以外に気付いている者はないだろう。神前といるときの水無瀬先生のオーラは、とても鮮やかな色になる。恋情と性欲と憧憬とが混ざり合ったその色を、私は青春の色と呼んでいる。


神前が水無瀬先生をどう思っているかは知らなかったが、相当な信頼を寄せているようだとわかった。水無瀬先生の名を口にしたとき、私と対峙したときにはあまり見られない、信頼の色が滲み出たのだ。くぅ。

だがまあ、仕方ない。水無瀬先生はかなり苦心して神前の前では頼れる存在であろうとしているようだから、それがうまくいっているということなのだろう。

それに対して、私は、神前の方が己より格上だと思ってしまっている。多くの教師がそうだ。

私たちは神前の目から見て、頼りになる先生ではないのだろう。いや、神前はザ・パーフェクトだ。むしろ、神前に頼りなど必要ないのかもしれない。



「…わかった。じゃあ、頑張ってな」

「はい、ありがとうございます。では失礼します」

「――あ、そうだ。ちょっと待ってくれ」



踵を返しかけた神前を呼び止める。なんだろうと言いたげな表情もまた美しい。

間も無く始業のチャイムが鳴る。私は慌てて教卓上の資料の中から、左肩を綴じた数枚のプリントを取り出した。



「これ、持っていきなさい。神前はここ数時間公欠してるから、授業の内容を復習できるプリントを作ったんだ」



神前は頭脳明晰だ。自主学習で授業に追いつくことは十分可能である。

だが数時間も連続して抜けてしまった上に、このところ扱っている単元はややこしいので、教授者があった方が理解が早いのは確かだ。私が作成したのは、ポイントごとに私のメモを書き添えた、問題演習のプリントである。少しでも自習の足しになればと思ったのだ。

プリントを受け取った神前は、じっとそれに目を落としている。



「まぁ、神前はしっかりやってるから、必要ないかとは思ったんだけどな。大変そうだけど、応援してるぞ。頑張れ、よ…――」



なんだか釈迦に説法というか、要らぬ世話を焼いているような気分になり、気恥ずかしさから早口で弁解めいたことを言ってしまう。

我ながらスマートじゃないな、と思っていると、目の前の輝きがふいに一層の明るさを増し、私は全身にぶわりと鳥肌が立つのを感じた。

そして私は、目の前の光景に目を奪われた。




「…ありがとうございます。今日帰ったら、必ずやります。僕は、先生のクラスで良かったです」




常の毅然とした顔とは違う、柔らかな微笑みを浮かべたその表情は、初めて見るものだった。

まるで、先生に褒められた子どもが嬉しくて笑った、とでもいうようなそれ。

加えて、金のオーラに、私が憧れていた、信頼の輝きが加わっていた。


背筋がぞくぞくする。

神前から信頼を得るというのは、こんなにも喜ばしいことなのか。



なんと応えたかは覚えていないが、気付いたら神前は教室からいなくなっていて、号令を終えた生徒が着席するところだった。どうやら私は感動のあまり始業のチャイムをも聞き逃したらしい。我に返った私は教科書を開き、授業に取り掛かった。


授業中、ふと思う。

明日からは、生徒会の仕事を終えた神前がこのクラスに戻ってくる。きっと私の作ったプリントを解いてくるだろう。なぜなら、まだ高校生であり、私のクラスの子どもだからだ。

言葉にすると実に違和感を伴うが、先ほど私は改めて感じた。神前は、いかに何でも出来るとはいえ、まだ18かそこらの子どもなのだ。完璧で、能力値が高く、私より人として優れていようとも、それは揺らがない。すなわち、神前とて先生に助けてもらえれば、普通に嬉しいのである。

そのことをやっと理解した私は、実に晴れ晴れとした気分だった。


明日、あの空席が金のオーラで埋まるのを想像し、私は口角を引き上げた。




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