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生徒会顧問 水無瀬理人




俺はいま、無性にドキドキしている。


どれくらいかと言うと、そうだな、幼稚園生のころにあった初めてのピアノの発表会レベルには緊張している。幼児の俺に、観客500人は多過ぎだった。幼かったので、心臓が口から出そうなほど緊張したことしか覚えていないが、あれは俺の人生で最大に緊張した瞬間だった。


というわけで。

俺はそのときの緊張と並ぶレベルで人生最大級に緊張しながら、いま、放課後の校舎内を歩いている。

うっかりすると同じ方の手足が出そうになるから、いっそ手は白衣のポケットに突っ込んである。我ながらいい策だ。

心臓の音が身体中に響き渡っているのを感じる。その鼓動音の大きさたるや、下手したら近くにいる人ぐらいには聞こえてしまうかもしれないほどだ。だが、幸いにして、あたりには誰もいない。



「あ! 水無瀬先生ー!」



――と思っていたのだが、パタパタと後ろから足音が近寄って来た。

振り向くと、小綺麗な顔をした生徒が、飛びつくようにして俺の腕に腕を絡めたところだった。



「うお、危ねえな。なんだよ」

「せんせー、今日もかっこいーね。どこ行くのー?」



そう言って、丸い目で上目遣いにこちらを見上げてくるのは、俺が授業に出ているクラスの生徒だった。

名前は…知らねえ。この四月から持ち始めたクラスで、まだ数回しか顔を合わせていないからだ。


申し遅れたが、俺はこの常磐学園で教員をしている、水無瀬理人という。教科は数学で、いまは高等部にいる。

生徒からは、よく「ホストみたい」だと言われる。面構えと服装がそれっぽいそうだ。まあ俺のファンクラブもあるくらいだから、悪い意味ではないらしい。

ちなみに、俺は自らもこの学園の卒業生だ。だからこの学園の独特な環境は十分理解している。ファンクラブについても容認している。まぁ在学中にも親衛隊持ちだったしな。


廊下を歩きながら、腕に絡みつく生徒と雑談をしていたら、そいつが不意に声を落とした。



「…ねぇせんせー、今日の夜、ひま?」

「あ?」

「俺の部屋、来ない…?」



そいつを見ると、やけに熱っぽい視線をこちらに向けてきていた。

そういえばこの生徒は、よく俺に声をかけてくる奴だった。授業中もよく手を挙げて俺を呼ぶし、廊下で呼び止められたのもこれが初めてではない。

この誰もいない廊下で俺を捕まえたことを、好機と捉えているのか。その目はらんらんと輝き、期待が込められているのがよくわかる。


俺はため息を噛み殺した。



「…暇じゃねえ。悪いな」

「え、そ、そうなんだー。じゃあ、明日は?」


「…『そういう』意味での暇なら、生徒とは、一生ねえよ」



なるべく顔や声に何らの感情も出さないよう注意して、そう告げてやる。

するとそいつは、明らかにショックだというふうに目を見開いた。みるみる顔が青ざめてゆく。だがその腕の力は、逆にぎゅっと込められる。



「う、嘘……だって、3年の先輩が、前、水無瀬先生と、」

「あーーー。そりゃ、昔のことだろ。今はもう、やんねーの」

「なんで…? 俺とは、無理…?」

「……」

「だって、先生、こんなにドキドキしてるじゃん」

「………それはまた別のなんだよ」



やっぱ聞こえてたか、心臓の音。

次第に速さを増す鼓動は、間も無く目的地に到着するということを意味している。俺は、こいつをそこまで連れていくつもりはなかった。

足を止め、少し時間はかかったが、なんとかそいつを言いくるめる。最終的に半泣きになったそいつは、納得したのかどうかわからないような顔で、走り去って行った。

あとに残された俺は、我慢していたため息を、思いきり吐き出す。



俺はこの学園の卒業生。御多分にもれず、俺もヘテロではない。

今のやつの言うように、ここに来てしばらくは、誘われて、顔と身体が悪くなけりゃ、断りはしなかった。だが、特定の相手だけは作らないようにしていた。俺が望んでいたのは、身体だけの割り切った関係だったから。

それでも、まぁ面倒なことになったこともある。本気なんだと泣きついてくるそいつらを見るたび、俺は理解できず困り果てていた。なんでたった一人の人間にここまで執着できるんだ、と煩わしさを超えていっそ不思議に思っていたのだ。


だが、今は違う。

今の俺なら、はっきりと共感できる。

誰か一人の人間に、恋い焦がれるという気持ち。振り向いてもらいたいと、相手にも、自分と同じ感情を持ってもらいたいと。

そういった感情が、理解できるようになったから、俺は、身体だけの付き合いを持つことをやめたのだ。




目的地に到着した。

鼓動の高鳴りがクライマックスを迎える。腹の中に心臓があるようだ。そして口から心臓が出そうだ、幼児期のように。いや、あのときも出はしなかったが。

俺は目を閉じ、10秒かけて震える息を吸い、10秒かけてそれをふうううと吐き出した。

そして、いざ、と目を開く。震える手が、目の前の扉をノックする。



「はい」



――俺はその場にくずおれた。

扉の向こうから聞こえてきたのは、完璧に予想通りの人物の声だった。しかしダメだった。予想通りなのにかっこよすぎる。たまらん。まだ扉を隔てていてこちらの姿が見えていないのをいいことに、俺は蹲りぶるぶる身体を震わせた。

そしてすぐに立ち上がる。腹に力を込めて、一息に言った。



「――水無瀬だ。入ってもいいか?」

「…はい、いま開けます」



この返事には、蹲らずに済んだ。というか、すぐドアを開けにきてしまうことが予想できたため、蹲ることはできなかった。

ガチャリ、と鍵の開く音がして、次いで、ドアが開く。

開くにつれ、中から、一筋、二筋――

そして目一杯、光が漏れてきた。




「水無瀬先生。こんにちは」




――ように見えたのは、当然俺の妄想である。

中から現れたのは、光り輝かんばかりに容姿の整った青年であった。俺と殆ど変わらぬ背丈だが、完璧な美貌と圧倒的なオーラにより、なぜだか俺の方が小さいように感じられるから不思議だ。しかしこの青年のすごいところは、この美貌に加えて、頭脳明晰で運動神経抜群、かつ性格が男前なところだ。すなわち完璧。


ゆえに人呼んで、ザ・パーフェクト。

高等部生徒会長、神前征司である。



「どうぞ、中にお入りください。どうされたんですか?」

「いや、悪ぃな。失礼する」



穏やかな笑みを浮かべた神前は神がかって清らかで、俺を室内に誘うその様子は、まるでこの先に天国が続いているのかと思われるほどだ。

そんな神前に、俺もまた微笑を浮かべて応じる。

しかし、神前は知らない。

いま俺の背中がぐっしょりと汗で濡れていること、そして、俺の心臓がずっと強烈なビートを刻んでいることを。



ここまできたら、もうおわかりだろう。

実は俺には、おそらく全校生徒だれにも露見していない秘密がある。


それは、俺が、神前征司の大ファンだということだ。


きっかけは一昨年に遡る。

それ以前から、神童と名高い神前の名前自体は知っていたが、俺は神前に興味を持っていなかった。

だが、運命の日は来た。

それは偶然だった。俺は、階段で足を滑らせた一般生徒を、神前が優しく抱きとめたのを目撃したのだ。相手が神前だと知り昇天せんばかりに恐縮する生徒に、神前は微笑み、「オイ大丈夫かおまえ。今後は気をつけろよ」と言った。

それだけの場面。


だが、そのとき俺は、全身が総毛立つのを感じた。脳内には大音量で、教会の鐘のような音が鳴り響いた。

俺は強烈に思ったのだ。

あの生徒に成り代わりたい――と。



そうして俺は、神前のスピーチ(体育祭開会式の隠し撮り)を目覚ましに目覚め、神前のブロマイド(非売品)を10分ほど眺めてから眠るという生活を毎日送るほどの、神前の大ファンになった。

教師が生徒にとか気にしたことはない。もはや心酔だ。親衛隊長の西田とかいうやつも相当神前に狂っていると聞くが、俺もかなりのものだと自負している。たぶん、西田と結構話も合うと思う。



さて、というわけで、俺が訪ねたのはもちろん生徒会室である。

神前が手際良く淹れたコーヒー(持ち帰って一週間くらいかけて飲みたい)を前に、俺はソファに腰を下ろしている。その向かいに神前も、失礼します、と断って腰かけた。

こんなに近くに、神前がいる。鼻血が出そうである。ちなみに俺は平静を装うことにかけては他の追随を許さないので、もちろん一滴も垂らしていないし、あまり身体も震えていない。



「悪かったな、仕事中に」

「いえ、大したものではありませんから。それより、わざわざご足労いただいてすみません。呼んでいただけたら、僕が職員室に伺いましたのに」

「んな畏まんなよ、ちょっと散歩したかっただけだからよ。おまえが最近忙しいっつーのも、…まあ見てりゃわかるしな」



内心の動揺にも関わらず、俺はすらすらと喋る。なぜなら昨夜暗記した台本のとおりだからだ。台本の範囲内なら、まあざっとこんなもんだ。

神前は一瞬間をおいて、眉尻を下げて苦笑した。



「……やはり、水無瀬先生には敵いませんね。ご存知でしたか」



……敵わないのは俺だよ!!!

なんだその顔。なんで日本は急に相手の写真を撮るのが自然な国になるように歴史を重ねなかったんだ!

ああ撮りたい!毎晩いまの表情を眺めてから寝たい!!


――と、内心ではだいぶ取り乱している俺だが、もちろん表面上は静かに微笑み、コーヒーに口をつけるにとどめている。

なお緊張しすぎて味はわからない。


神前のこの気を許した態度にも、俺の並々ならぬ努力が隠されている。

神前を好きになってからこれまで、俺は、様々な場面でさりげなくしかし機をとらえて確実に、不自然かつお節介にならない程度に、神前をサポートしてきた。結果として、いま俺は、神前の「頼れる先生」的ポジションをがっちりと掴んでいるのである。

今日俺がやってきたのは、「頑張る生徒を励ます教師」を演じるためだ。

あまり頻繁だと煩わせるし信頼していないかのようだから、たまにしか来られないのが辛いところだ。だがまあ俺の心臓的にも、あまり頻繁だと負担が大きすぎるからちょうどいいのかもしれない。


それはともかく、俺は脳内で台本の次のページを繰った。あまり長く持っていると手の震えがバレるので、カップを置く。



「俺に隠せると思ったら大間違いなんだよ、バーカ。あんだけ雛形にかまけてるやつらが、この生徒会がクソ忙しい時期に、仕事できてるわけねーだろうが」

「はは、その通りですね。…すいません、黙っていて」

「…だがな、俺が今日ここに来たのは、隠してたことを咎めるためでも、ほかの役員の奴らを非難したいからでもねーよ」



神前の目がこちらを射抜くように見つめている。なんという眼力。ただ見られているだけなのに、盗撮したことなど悪事を全部白状してしまいそうだ。

俺は必死に虚勢を張り、それを悠然と受け止めているふりをする。やべえ震えが膝にきた。



「おまえを励ますためだ。神前、おまえがこの高等部の会長だ。やりてーようにやりゃいい。それがどんな形でも、俺はおまえを支持する」



そして俺は、口の端を引き上げた。

なんとか震えずに言い切ることができたこれは、昨日一日中考えていた決めゼリフである。短い時間で効果的に好印象を与えるには、やはり言葉の力が重要なのだ。短く、かつかっこよく。ゆえに生徒会室訪問の前日は、授業中もけっこう上の空である。

たぶんスベってはいないだろうと思うんだが、どうだろうか、どうかうまくいってくれ、頼む神様、ちなみに俺の神は神前だけどね!と、心中で神前に五体投地していると、俺の言葉に、神前(本物)が、ゆっくりと、顔の筋肉を弛緩させていくのがわかった。

ああああ撮りた(以下略)



「…ありがとうございます。僕は、この学園では先生の前でだけ、『子供』でいられるような気がします」

「…そーかよ」



正直な指が、ぴくりと震えた。

それを隠し、見ているだけで怪我とか治りそうなほど神々しい神前の笑顔を見ながら、俺は笑みをつくって、コーヒーに口を付けた。

もちろん味はわからなかった。




そうして俺は、生徒会室を後にした。


廊下をまた独りで歩きながら、今日もなんとかうまくいってよかった、と思う。何度会っても毎回人生最大級に緊張するので、いつも冷や冷やするのだ。

きちんと「神前の望む姿」を演じられるのかと。


――望む姿、か。


己の思考に、ふ、とつい俺は笑ってしまった。



本当は。

毎日会いたい。それで心臓が鳴りすぎて死んだっていい。

生徒たちのように、好きだ好きだと叫んでしまいたい。それこそさっきの生徒のように、一夜だけの関係を請いたい。



だが、そんなことはできない。

そんな「俺」は、神前の求めるものではない。こんなにも近くにいられるのは、俺が神前にとって「信頼できる教師」だからだ。過干渉にならない程度に、しばしば現れ、「生徒」を励ます「信頼できる教師」。

それが神前の求めるものであり、そしてこの関係が、俺の求めるものに「最も近い」ものだった。


好きな人から、同じ感情を返されたい。そう願っても、叶わない。


神前と出会って、俺が理解できるようになった感情だ。そして俺はこう思う。叶わぬならば、せめて可能な限り最も近い感情を。

だから俺は、また高鳴る鼓動を、背中の汗を隠して、神前の求める、「信頼できる教師」のふりをするのだ。




「あーーー、切ね」




鼓動の治まってきた胸に、ぽつりと独り言が落ちる。

しかしそこには既に、次に会える日を楽しみに思う俺の恋情が、ぎっしりと詰まっているのだった。



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