森の中で
やはり何の音もしない。
ここに居るのは自分と姫様だけだと感じる。
姫様は時々眠そうになりながらも歩き、頑張っていた。
「ルイス、私が寝落ちした時は置いていかないでね」
「分かってますよ。その時は負ぶって行きます」
「それは……ちょっと……」
嫌だと言うのか、他に方法はないのに。
「では、お話をしましょう。何が良いですか?」
「そうね……ずっと思っていたわ。あなたと居る時はこの姿でヴィオでも良いけれど、やっぱりあの国がなくなったら私は亡国の姫となるのでしょう? そして、お尋ね者よ。だったら、全てを隠す必要があるわ」
「どういうことですか?」
「だからね、あなたは別にそのままでも良いと思うけれど、私は自分をなくして生きていかなきゃと思うの!」
「へ?」
無謀過ぎな事を言い始めたとルイスは思った。
「私、魔法か何かで姿を変えて、名前も変えて、姫というのも隠す為に冒険者パーティーの荷物持ちはどうかな? って思ってるの!」
それは本当にどうかしている……とは素直に言えなかった。
あまりにもその無謀な安直さはその表情に表れているのに、とてもワクワクとしたような希望に満ちていた。
そうされるとこちらは弱い。
命を大事に思うのなら――か……、ルイスは思う。
この姫様の人生だ。自分はその人生の一部なのだと。
決して派手に生きたいわけではない。
ここに辿り着いたのだって、先祖代々旅をしていて得た場所だ。
彷徨う理由は何かあるかもしれないと探していたけれど、結局それは見つからず、こうして生きる道を自分で選んだ。
「良いですね、と簡単には賛成できませんが、姫様がそうお決めになったのなら、俺は従います」
「もう! ルイス、その姫様はやめてって言ったでしょう!」
そこにお怒りとは……。
「では、ヴィオ様と言うのは許して下さい。あなたとこうして二人きりの時は、尚更です。私はあなたの国の騎士団にずっと居ようと思っていました。だから、俺はその騎士学校に入り、騎士になった。それはあなたを守るのと一緒だ」
「じゃあ、ルイスは私を一生守ると言うの? もし、お父様とまた出会えたら、どうするの?」
「王に従います。あなたにも従います。俺の身はもう決まってるんです。心もきっと」
「そう、じゃあ、あなたは『ロリア=プジアム』という名をどうするの?」
それを聞いた瞬間、ルイスの身は震えそうになった。
「どうしてそれを?」
努めて冷静に聞く事ができたのはたまたまかもしれない。
「あなたがどういう人だかはこの国の人ではない人をこっそり使って徹底的に調べさせてもらったわ。お父様は全然そういうのを気にしてなかったけど、婆やも知らないから安心して」
「はい」
「全てを知ってるのは私だけよ。まあ、その調べさせた人がその後どうなったかは知らない。何があっても口を割らないようにと口止め料としてそれなりにしたわ。だからこの国には何も起こらなかった。それにその人にはその名を記された布の切れ端の字が読めなかったみたい。太古の文字だものね、原始の魔法を知る人。そんな家のあなたが選ばれた理由、それは私があなたが良いって言ったの。最強の騎士より最弱の騎士の方が寄り付かないって」
「それは……」
敵がだろうか?
「お父様は笑っていたわ。冗談だろうと、でも私がこうなった原因だから、許してくれたのかもしれないわ」
ヴィオレッタの顔はもう笑っていなかった。真面目に歩みは止めずに話す。
「この不意の攻撃はね、私を結婚相手に欲しいって言って来たギディマノニアの人を断ったからよ」
「つまり、その敵国となったのはあなたを手に入れられなかったからだと?」
「違うわね、領土拡大しようと手を伸ばしたのに、それが無理だった腹いせよ」
「それは何と言うか、悪いのはあちらな気がしますね」
「そうでしょう? そう思うと行く気にもなれなかった。それにこの国は魔法を毛嫌いしているのに、私が少し魔力を持っているって知れたら大変だもの、お父様だって軽々渡せないわよね」
「え?」
「知らないの? 魔法小国『セミルヒーテ』の人は私のような紫色の目をしているのよ。それは魔法を持つ証拠なんですって、私の母はそんなセミルヒーテの人なの。小さな国を守ってもらう代わりにこの国に嫁いで来たの。だから私の目は紫色で名前もそこから付けられたらしいわ。お母様はもうこの世にいないけどね」
「じゃあ……」
「でも、私はそんな国で育たなかった。あなたが魔法を使えるのは何故かしら?」
「……」
言わんとしている事は分かる。
「俺が魔法を使えるのは、代々そうやって伝えられているからです。もちろん、これから向かうヒャグロスに行けば簡単に魔法書は手に入るでしょう。魔力がなくても使える魔道具やらもあるかもしれません。けれど、俺はそれを必要としないで学びました」
「それが『ロリア=プジアム』である証よ。今は皆もう忘れてしまっただろう、その名を持つ者は古来エルフから原始と呼ばれる最初の魔法を教わり授かった者の末裔であり、由緒正しきギディマノニアの祖となったプジディマ国の建国に関わった最高位に位置する貴族でもあるということを示す。つまりはギディマノニアの公爵になるってことよね?」
「そうですね、でも俺の家族はそれが嫌で飛び出しました。俺もそれになる気はありません」
「今や巨大魔法国なのに?」
「ええ」
「欲がないのね……」
「姫様はあるのですか?」
「そうね、欲と言えばあるけれど、ほら、そこに咲く白い百合の花、あれから名を取って『リル』と呼ばれたいとかね」
「それには変身魔法が必要なんじゃないですか?」
「急に食らいついて来たわね、ルイス」
「あなたに俺の秘密を握られてると知っては尚更逆らえないでしょ?」
「そう、調べておくものだわね。それにさっきあなたの口から出た『ヒャグロス』って、冒険者達が集まる場所でしょ?」
「ええ、この世界の中心地です」
「そうよね、私の国は端っこだものね……」
そう言うと姫様の目が輝き出した。
「そういえば、あなたの口から『変身魔法』というのが出て来たけれど、それはどんな魔法なの?」
よく話を聞いている。聞き逃すことがないみたいだ。
「それはとても簡単と言えば簡単ですが、持続性がないと続きません」
「そう……。じゃあ、他にあなたの知っている魔法を全て教えて! どれか一つでも出来たらステキじゃない?」
「良いのですか? そんな事をして」
「お父様はもう居ないのだから良いのよ、あそこできっと踏ん張ってるわ。私が歩くの遅いの知ってるから」
そうだな……と思う。
こんな悠長にしている時ではない。だけど、ここぐらいでしか出来ないかもしれない。
「儀式をしましょうか?」
「え?」
「あなたが大人になる為の、何をしてないんです?」
「最後のやつよ……」
「ああ、では、あとは選ぶだけなのですね?」
「そうね……でも、私は絶対あの騎士団長だけは嫌だった。だって、妻子がいるのよ! それなのに……」
「分かりました。でも、あなたはもうすでに選んでいるでしょう。これから困難に立ち向かう為に必要な者をただ一人」
え? という顔を姫様はした。
「私を選んだのだから、私はあなたを一生守ると誓いましょう」
「そんな安請け合いして良いの?」
「ええ、俺にはもう家族もいませんし、別に良いんです」
「自暴自棄になってない?」
「あなたに心配されるようじゃ、全然ダメですね」
「そこが良いんじゃない!」
そう言って姫様は最初に見た時よりもさらに明るく、良い笑顔になった。
「私はルイス・ヴァーノン・ロリア=プジアムを選ぶわ! きっと良い人だと思うから!」
それは取り消しができない誓いだった。
大人になれば親元を離れる。
頼りはいない。
だからこそ、あの騎士団の中で一番強い者を選び、守らせる。
自分の手の代わりとなって、その命を守れと――それはどんな名誉よりも名誉なことだとこの国の人は言う。
王族を守れるのは誉れだと。
絶対選ばれないはずだった自分が選ばれた理由はこの姫だからこそあったのだと思う。
だから、感知されていることを知った時、咄嗟に魔法反応が出ていた。
「大火炎?」
相手の言葉を信じるなら、意表を突けたのだろう。
だが、本来自分はそういうのが得意ではない。
でも、今はそんな事を気にしていられなかった。
「走って! このまま真っ直ぐ森を抜けて、待っていて下さい!」
「え? 分ったわ!」
思ったよりも自分の叫びに対し、良いダッシュをしてくれる姫様を見送り、ルイスは相手に向き直る。
「おい」
「何だぁ? お宅、剣しか出来ないんじゃないのか?」
「そうだな、それが良いと思っていた時もあった。だが今は違う。何をしても良いと言われている」
解釈は自由だ。
あとはその思いだけが頼りになる。
全ては自分の為。
人は全てそうあるべきだ。
「呪文もなしに?」
「そうだ、驚くのが普通だ。この森をなくすことは造作もない」
つまり! と考える隙も与えず、ルイスは余力を残しながらその魔法を解き放った。
奴は完全に焼かれただろう。
でも、あの騎士団に入る為にやったドラゴンよりは優しかったと思う。
まる焦げになったかしら? と、ひょこっと行った先にあった岩陰から現れたヴィオレッタにルイスは安堵した。
「あのぉ、森を全て焼き払ってしまったんですけど、あれは怒られませんかね?」
「そうね……びっくり驚かれると思うわ。相手のせいにするというのもあるけどね」
「妙案ですね、きっと魔法を使ったと知れたら俺は呆気なく殺されるのでしょうね、あの国の王に」
「そうね。でもそうしなければこの命は危なかったわ、ありがとう、ルイス。私はあなたを責めないわ。その代わりに生きている喜びを伝えるわ! 私はあなたとこれからを共にできることを嬉しく思うわ!」
「まるでそれは――」
「何?」
気付いてないのなら良いとルイスは言わなかった。
それが賢明だからだ。
彼女は儀式を終えてもきっとこのままだ。
なら、深みを知らない方が良い。
「さあ、この何もない砂地の先を行けばヒャグロスです。水路もあるのですが、船を待つ時間もあります。それに時間を取られるくらいなら自分の足で歩いた方が早いでしょう。馬車が近くを走ってくれることもたまにありますが、ないと思った方が良いです」
「最初から嫌な事を言ってくれるわね、陽はもうすぐ出るかしら?」
「まだでしょうね、星空を楽しむのも良いでしょう。もうここはグルニャダレムスではありませんから」
「思ったよりも早かったでしょう? 自分でも驚きだわ、恐怖って人を何でも出来るようにさせるのね」
あっけらかんとした感想の姫に少しルイスは笑ってしまった。
あれで恐怖を感じていたのか、とても大物だ。
あの王の娘である、それくらい当然か。
「では、次に見せる魔法こそ、あなたに必要なものになるでしょう」
「それは変身?」
「ええ、そうです。習得してから入った方が良いでしょうね。それにここら辺は魔物が時々現れたりしないとか」
「出ないの?」
「ええ、初心者の冒険者達が日々頑張って狩ってるので、夜行性がほとんどなんですがね、残念ですね。だからこそ安心して旅をしてられるんですが、人間の賊には気を付けて下さいね、さっきみたいなのよりはマシだと思いますが、刃物をちらつかせる可能性があります。まあ、あなたの荷物は全て俺が持ってるわけで良いんですけど」
「分かったわよ! 変な事はしないわ。真面目に習得する! 本当は小さい時から憧れていたの、私もいつかって! でも、許されていなかったから……」
不満そうな顔をしてルイスを見る。
それだけでこの姫の魔法への理解度が分かった。
「これからは好きな時、必要な時、いらない時で魔法が使えますよ」
「そんなに?」
「可能性があるというだけで、どのくらいかはまだ分かりません。確かにあなたの魔力は見るからにまだ弱々しい。それに感知されるほどコントロールが出来ていない。生まれたての子のようにその術を知らない。だから知れば良いんです。その時間を持てたと考えるなら、あなたは何をします?」
「もちろん、得たいと思うわ! それが許されるなら!」
とても明るい希望が見える。
命とは儚いものだ。
すぐに駄目になるのはそんな小さなワクワクさえも途絶えてしまうからだ。
引き留める為にはそれくらいのインパクトが必要だ。
「では、見てて下さいね、あなたのこれからの為に――」
ルイスは変身の魔法をヴィオレッタの前でやった。
自分が子供だった時、それをやってくれたのは祖母だった。
母は魔法を愛し、父は祖父を超えようとしていた。
全ては皆自分の為だ。
他人を思っているようでいて、それらは全て自分に還る。
自慢と強さを手に入れ、人はありのままで居られるのか。
「そうなると、こうね!」
そう言って彼女は初めての魔法を使った。
もしかしたら、あのダッシュもそれを使っていたかもしれない。
それぐらい無意識に彼女の魔法は発動するらしい。
「どう?」
そう言った彼女は完全に元の姿を失っていた。
よりによって、小人族とは!
「どうしてそれにしたんです?」
「え? だって、背丈も違った方がバレないかなって……」
何とも安直な考えでルイスは脱力した。