3・毒の副作用
「お前、中々器用だな」
「そうですか?豊さんの教え方が上手いんですよ」
身体が回復すると、敦也は男からこちらで暮らす為の様々な事を教わり始めた。男は豊と名乗り、もう五十代半ばだと言う。
「褒めたって何も出ねぇぞ?ま、お前が居る間、楽出来らぁ」
「こき使って下さい。俺、今放り出されたら生きていけないんで」
そう言いながら笑う敦也の頭を、豊はぐしゃぐしゃに撫でた。
「お前が働かなくてもな、叩き出したりしねぇから安心しとけ。叩き出すのは、一人前になってからだ」
乱暴な言葉と手の強さだったが、敦也を気にかけてくれている事が分かる。敦也はそんな豊の優しさに、自然と口角が上がった。
「もう普通に生活出来る位には身体が回復してるな。こちらは言葉が違う事は言ったか?」
「あ、あちらの言葉は久しぶりに話す。と言ってましたね」
敦也は朦朧としながらも聞いていた言葉を思い出した。豊は言い辛そうに先を続ける。
「そうだ。だからこちらの言葉を覚えねーといけねぇ。話せるようになったら、村の学校に行って貰うぞ。村長には話してある。あー……小さい子達と勉強する事になっちまうが……」
「大丈夫です。ちゃんと通って覚えます」
敦也は気にしないと、豊を安心させるように頷いた。物分りが良すぎる敦也を見て豊は何か言いたげだったが、その言葉を飲み込んだ。
それから、日本語をあまり使わない生活が始まった。豊は言葉の意味や文法を教える時は日本語を用いたが、暫くすると会話はほぼこちらの言葉になった。
ある日の事、敦也が薪を切る為に家の裏に出ると、少女がこちらを見ていた。こちらの人間に会うのは初めてだ。
「こんにちは」
敦也はこちらの言葉で少女に挨拶をすると、少女は少し吃驚したように大きな目を見開いた。
「こんにちは。あなた、渡りなんでしょう?パパが言ってたの。渡りが来たって」
「渡り?」
勝気そうな少女はハキハキと話し出した。敦也は、少女の言う「渡り」の意味か分からず聞き返した。
「あちらから来た人を渡りって言うの。うちの村は森があちらと繋がっちゃってるから、渡りが来ちゃうのよね」
「そうなんだ。うん。俺はあちらから来たから、渡りだね。俺は敦也。君は、名前は何ていうの?」
少女はまた目をぱちりと見開いた。それが可愛らしくて、敦也はにっこりと微笑む。
「私、サラ。敦也は、もう帰れないのでしょう?家族は居たの?」
「うん……居たよ。父さんと母さん、あと弟がね」
「そうなんだ。私にも弟が居るの。もう会えないってなったら、寂しいな……」
サラは敦也の状況を想像し呟いた。そして敦也の方を見て驚いた。
「あ、敦也……?」
「え?あれ……?」
敦也は無意識に涙を流していたらしく、それに気付いて涙を拭った。しかし、拭っても拭っても次々に涙が溢れ出る。
「ご……ごめんなさい……!」
サラは敦也の涙を見て、驚きと罪悪感で走り去った。敦也は溢れ出る涙に戸惑っていた。しかしこれまで押し殺してきた寂しさと帰れない現実を思い、ようやく声を出して泣く事が出来た。
その日の夜、夕食に桃のシロップ煮が出た。
「あれ?豊さん、今日何かあったんですか?」
「敦也、お前やっと泣いたな」
「み、見てたんですか?」
豊に指摘され、敦也は濡れていない目元を拭った。少し顔が熱くなる。
「馬ァ鹿。泣いたって良いんだ。ずっとお前、我慢してただろ。辛かったら辛いって言え。不満があるなら言え。悲しかったら泣いても良い。俺が帰れないって分かった時は、寄ってくる魔物相手に当たり散らしたもんだ」
「魔物相手に、ですか……?」
「ああ。俺に色々教えてくれた爺さんは……もう亡くなったが……俺が渡ってすぐに魔物退治を教えてきた。明日から、お前にも教える」
敦也は女郎蜘蛛を思い出し、唾を飲み込んだ。敦也の心中を察し、豊は安心させるように豪快に笑う。
「はっはっはっ!あんな大物、中々お目にかかれるもんじゃない。まぁ……お前に引き寄せられて現れる可能性はゼロじゃないが」
何やら不穏な事を言う豊を、敦也は眉を歪め見た。そんな敦也の不安を、豊は笑い飛ばす。
「毎日俺がこの辺りを見回ってんだ。大物の目撃情報も今は無い。それに、明日から戦えなんて言わねぇから安心しろ。初めは体力作りと筋トレだ。あとは素振りする位だよ」
何だかはぐらかされた気がして敦也は豊を胡乱げな表情で見たが、豊は気にせず桃を一口に食べ美味そうに目を細めた。
豊は敦也に長剣の構え方から、振り方納刀の方法、攻撃の避け方受け方、動き方を教え込んだ。元々運動神経の良い敦也は、豊の教えを受けぐんぐんと成長した。その成長ぶりは、豊を驚かせる程だった。
「まだ早いかと思っていたが、お前なら大丈夫そうだな。こちらの世界の人間には、あちらの人間と決定的な違いがある」
豊の言葉に、敦也はサラを思い出した。サラは髪色こそ赤銅色と少し珍しい色をしていたが、それ以外はあちらの人間と変わりはなかった。
豊は掌を上に向けると、小さな炎を出した。敦也は驚き目を丸くしている。
「えっ!?豊さん、それ……?」
「こちらの人間は、魔法が使える。不思議な事に、俺も何故か使える。聞いた話によると、魔物に噛まれた事が原因らしい」
豊は掌の炎を消し、懐かしむように宙を見た。
「俺にはよく分からんが、爺さんが言ってた。噛まれた時に入ってくる魔物の毒が、血液を変質させるんだと。こちらの人間にはある、魔力を作り循環させる臓器があちらの人間には無い。魔物の毒は血液に混じり心臓を侵食し、血液中に魔力が生成されるようになる……ってよ」
敦也は魔物の毒と聞いて寒気を感じたが、魔法を使えるという事に少し格好良いと思ってしまった。
豊は全身を流れる魔力を感じる事から敦也に教えていった。
「うわあああ!本当に出た!」
「だはははははは!俺と同じ反応してやがる」
魔法を教わり始め数日。敦也は自分の掌から炎が出た事に驚いていると、その反応を見た豊は爆笑した。本当に魔法が使えた事に、敦也は興奮している。
「すっげぇ!豊さん見ました?火、出た!」
「おう。見た見た。これから色んな魔法教えてくからな。実戦で使える魔法を覚えたら、魔物退治に連れてくぞ」
「うわ~。俺に出来るのかな……」
敦也は豊にかなり打ち解け、気が抜けると砕けた口調が出るようになっていた。不安そうな敦也に豊は笑い答える。
「お前は筋が良い。多分俺より強くなるだろ」
「マジです?うは。俺、頑張っちゃお~!豊さんおだて上手だから、すぐ乗せられちゃうんですよね~」
「それはお前もだろ。俺はお前を甘やかしすぎてるかもしれん。厳しくいかんとなぁ」
「げぇぇ!」
お互いに気を許している二人は軽口を言い笑いあっている。
豊は頼る者が無くなった敦也を不憫に思っていたし、自分と同じ境遇の敦也の助けになりたいと思っていた。こちらに渡ったばかりの頃と比べ、敦也が明るくなった事を嬉しく思ってもいた。
敦也は村の学校にも通い始め勉強もしているが、豊は敦也に学校の事は尋ねなかった。
あちらの高校生である敦也は今、村の小学生低学年位の年齢の子供達と一緒に勉強をしている。その事を敦也と同年代の子供達に、蔑まれているかも知れないと豊は考えていた。実際、敦也も学校の事を豊に話そうとしなかった。
敦也がこちらに渡り一年が過ぎた頃、敦也は学校で飛び級をした。言葉の壁はほぼ無い状態まで理解出来るようになっていた。分からない単語があっても、辞書を引き自分で解決出来る。
飛び級をした学年の教室に入ると、見た事のある顔があった。赤銅色の艶やかな髪を一つに結んだサラだった。
「サラ、久しぶり。同じ学年なんだね」
敦也が話し掛けると、サラは怒ったように顔を赤くして視線を逸らした。
「……どうも」
素っ気ない態度に目を丸くした敦也だったが、自分が異端者である事は自覚していた。その為、敦也はそれ以来サラに話し掛ける事はしなかった。
敦也に話し掛ける者は生徒の中には居なかったし、彼等は敦也を見て遠巻きに陰口を囁いていた。敦也が話し掛ける事で、サラに迷惑をかける事になってはいけないと後になって思った。
学校内では浮いていたし孤独だったが、敦也は気にしなかった。敦也にとって今友達を作り楽しむ事よりも、こちらの世界で生きていく知識を得る事の方が重要だった。今敦也はあちらに居た時よりも、自分の将来について真剣に考えている。
こちらの世界に来てから三年が経つと、敦也は村の学校の最終学年に飛び級していた。大人しく真面目な敦也を、教師達はとても評価していた。その反面敦也には、今だに友人と呼べる者は居なかった。
豊の家は、村から離れた森の中にある。森の番人として管理するのに適切な場所、という理由で番人は代々この場所で暮らしていた。
学校の帰り道、森に入り暫く歩いていると悲鳴が聞こえてきた。敦也は声の方へ走り出した。
「きゃああ!嫌っ!うっ……!」
女性が小さな魔物に襲われている。小さいといっても背丈は敦也の半分程もあり、四足の魔物は女性に飛びかかり女性を転倒させていた。
魔物は女性の腕に噛み付いていた為、敦也は長剣を抜き魔物の後ろ足に切り付けた。魔物は女性から口を離し飛び退き敦也に向かって唸っている。
「夢中で食い付きやがって……そんなに美味かったか!?」
敦也は忌々しげにそう言うと、刀身に炎を纏わせた。そして瞬時に魔物との距離を詰めると、長剣を振り下ろし魔物を二つに斬り裂いた。
肉と毛の焼ける匂いが辺りに漂う。敦也は魔物の亡骸に炎を投げ、亡骸を焼却した。
「大丈夫ですか?」
敦也は襲われていた女性を振り返ると、女性は座り込んだまま敦也を見上げた。
「あ、サラ……」
「アツ……ヤ……ありがとう……」
涙で濡れた顔を歪め、サラは敦也に礼を言う。涙がぽろぽろと零れ落ち、サラの服を濡らした。
「腕、見せて」
「ん……」
敦也がサラの腕を取ると、魔物の牙の跡が幾つも開いていた。傷の周りの変色は薄い。
「ちょっとごめんね」
そう言うと、敦也は傷口に口を付けた。
「えっ!?」
驚いているサラの前で、敦也は傷口から血を吸い出し地面に吐き出す。吐き出された血液は、濃い紫色に変色していた。
サラはその色を見て、ゴクリと喉を鳴らした。敦也は全ての傷口から変色した血を吸い出し、最後に吐き出した血が赤いのを確認すると、荷物から消毒薬と飲み薬を取り出した。
「これ、俺が作った薬。魔物の瘴気に効くから、不味いんだけど飲んで」
「うん……」
サラが素直に受け取り薬を飲んでいる間に、敦也は傷口に消毒薬をかけている。
「痛っ」
「ごめんね。もう少し我慢して」
時折痛みにサラが顔を歪める度に敦也は優しく謝っていた。
手当が済むと敦也はサラを家まで送り、敦也も森へ帰って行った。