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2.5・黒穴山神隠し事件

 




 小杉謙介が仮眠をとっていると、電話の着信音で起こされた。慌てて起き上がりながら通話ボタンを押すと、電話口からも慌てた声が聞こえてきた。


「あ!すみません!七黄山交番ですか?黒穴神社に来て下さい。子供達が!何者かに襲われたんです!」


 電話の内容に瞬時に目が覚めた謙介は勢いよく立ち上がった。


「黒穴神社ですね。すぐに向かいます。お名前と連絡のつく電話番号ををお願いします」


「日比野純子です。電話番号は…………」


「日比野さんですね。では、今から向かいます」


 名前と電話番号のメモをとり電話を切ると、謙介は交番の戸締りをしてパトロールカーに乗り込んだ。

 黒穴神社は黒穴山の中にある神社だ。禁足地近くの神社という事もあり、参拝客は少ないと聞く。

 山道は暗闇に染まり、車のライトの届かない場所は不安を覚える程に暗い。

 車通りの無い山道を、謙介はパトロールカーを走らせ急いだ。


 黒穴神社に着くと、謙介はパトロールカーを駐車場に停め境内に続く長い階段を小走りに登った。階段に電灯は無く、謙介の持つ懐中電灯だけが先を照らしている。


 階段を登り切ると、謙介に気がついたらしい人がこちらに来る足音が聞こえ、謙介はそちらの方に懐中電灯を向けた。


「お巡りさん。お待ちしてました。電話した日比野です。襲われた子供達は……」


「警察に連絡したって意味が無いと言っただろう。全く、これだから余所者は……」


 小走りに謙介の元に来た純子の後ろから、苦虫を噛み潰したように顔を顰めた初老の男性が現れた。装束を身に付けている事から察するに、この神社の者であろう。


「通報があり駆け付けました。その、襲われた子供達とは……?」


「……拝殿に居ます。お祓いは済んでるから、あとは落ち着いたら帰るだけですよ」


 男性の口調は丁寧でぶっきらぼうだ。不愉快なのだと態度で示しているようだ。


「お祓い?何が起こったんですか?」


 謙介が聞くと、男性は心底面倒臭そうに片方の眉を上げて謙介を見た。


「聞いたって理解出来ないでしょうよ……全く……こっちです」


 ぶっきらぼうにそう言うと、男性は謙介に背を向け歩き出した。拝殿の方には向かわずに、森の方へ歩いて行く。


 謙介と純子が男性の後に続くと、男性は振り向き暗い顔を二人に向けた。


「今から向かうのは禁足地の中です。禁足地になっているのには理由がある。何があっても自己責任ですよ。過去には気が狂っちまった人も居たんだ……それでも、着いて来るんですか?」


「……神主さんは、お化けですとか呪いですとか、子供達の言う事を信じているんですか?この時代に……馬鹿馬鹿しいです。お巡りさんも来て下さったのですから、犯人を捕まえて貰いましょう」


 純子の答えに神主の男性は諦めたようにため息を吐き出し、森の中へ歩みを進めた。

 夜になり昼間の焼ける暑さは落ち着いているが、ジメジメとした蒸し暑さが森の中に残っている。

 黒い闇を、三人の懐中電灯の明かりだけが部分的に地面と木々の存在を映し出していた。


 殿を務めていた謙介は、前の二人が立ち止まった事に気付き、同じように立ち止まる。


「ここから先は禁足地です。変なものを見付けたら、叫んで下さい。あとは、俺から離れないようにして下さいね」


 そう言いながら謙介と純子を見た神主は、怖い位に真剣な表情をしていた。

 神主の後ろには、木々に張り巡らされたロープが薄く明かりに照らされ見える。ロープには御札が貼られており、ただならぬ雰囲気が漂っている。

 一瞬純子がたじろいだが、神主がロープを潜ると純子もそれに続いた。謙介も緊張しながらロープを潜る。


 暫く歩いていると、男の怒鳴り声が聞こえた。どうやら、こちらに向かって怒鳴っているらしい。


「何でまた連れて来たんだ!被害者を増やしたいのか!?」


 怒鳴っているのは、見慣れない変な服装をしている五十代位の男性だった。着ているのは黒い鎧のような物で、腰には剣を下げている。身体中に黒っぽい液体を浴びたようで、所々ぬらりと光っている。

 コスプレイヤーだろうか。こんな所で撮影を……?


「……仕方ないんですよ。見ないと、納得出来ないそうなんでね」


「……チッ!好奇心は猫をも殺す……だったか……?んな事の為に、狂うかも知れない危険を冒すなんて……俺はこんなに大勢を守る事は出来ないぞ。後で文句言われても知らねぇからな」


「俺からも忠告はしてありますから。すみませんが、アイツの姿を見せて下さい」


 忌々しそうに吐き捨てる男に、神主は自分だって嫌だったのだと、不服そうに頼んでいる。


「……神社に帰ったら、神主の言う事に従うんだぞ。絶対に、出された薬は飲め……こっちだ」


 男はそう言うと、暗闇に向かって歩き出した。闇の奥からは、男女の泣き声が聞こえてくる。

 この恐ろしい雰囲気の中、男の足取りは力強く、山道を歩き慣れているようだった。


「ひぃぃ……!」


 泣き声に近付くと、純子が恐怖に引き攣った声を出した。謙介も見えた物に叫び声を出しそうになったが、それを喉の奥に飲み込んだ。


 懐中電灯に照らされたのは、泣きながら倒れた高校生位の男子に縋る男女の姿。そして、その後ろに倒れる異形の姿。

 上半身は裸の女、下半身は蜘蛛の体。女郎蜘蛛という妖怪の姿を、謙介は思い出していた。しかし、その腹は鋭利な刃物で引き裂かれ、黒い血に塗れている。腹を引き裂かれているのに、尖った牙が並んでいるのが不可解だった。そして、この異形のものの大きさも不可解だ。大きすぎる。


「……な……何なんですかこれは!?こんな物が!これは一体何なんですか!?」


「ラ……いや、女郎蜘蛛だよ。マモ……いや、妖怪か。聞いた事位あるだろう?まあ、本当に居るとは思わなかっただろうが」


「妖怪……?そんなものが、本当に……」


 純子は青ざめブルブルと震えている。強ばり見開かれた目は、女郎蜘蛛を捉えている。恐怖で目が離せないのだろう。


「子供達は、この女郎蜘蛛に襲われたという事ですか……?」


 謙介の問いに、静かに男は頷いた。


「ああ。実際に攻撃を受けちまったのは、あの男の子だけだ」


「あの子は、どうなるんです?」


 神主は男に小さな声で問い掛けた。女郎蜘蛛の攻撃を受けた男子は、血だらけで意識無く地面に横たわっている。


「毒を流し込まれちまってる。俺みたいに耐性が付けば死なずに済むが、こっちで生きていくのは無理だ」


「耐性が付かなかったら、どうなるのです……?」


 謙介は男に尋ねた。余りにも現実味の無い事が起こっている。


「正気が無くなり、衰弱し始める。幻覚、幻聴が起こり、ここに戻って来ちまう。んで、またこの妖怪の仲間の餌になる。ここに戻れないようにしても、長くは持たん。耐性が付いても、こいつの毒で体が変わっちまってるからな……」


 暗い声色で、神主が男の代わりに答えた。

 気が狂ってしまった人が過去に居た。森に入る前に神主が言った言葉を、謙介は思い出した。


「……さぁ、これで納得出来たか?そろそろここを離れないと……長くここに居るのは危険だ」


「敦也君は、どうなります?」


 神主が男に尋ねた。男はそれには答えず、夫婦の元へ行くと片膝を付いた。


「貴方達も、そろそろ森を出ないと……」


「でも……この子は……!敦也はどうなるんですか!?」


「敦也を置いていくなんて出来ません!病院に連れて行かせて下さい!」


 夫婦は悲痛な声で男に訴えた。男は悲しそうな、労るような目で二人を見返した。


「この子は彼奴に噛まれ、毒を流された事は聞きましたね。この毒は血を巡り、心臓を冒します。そして、こちらで生きる事が難しくなるんです」


「どういう……事です……?」


「俺も詳しくはないんですが、こちらの空気には無いものが、あちらにはあるんです。妖怪の毒に耐性が付くと、この子には、それが必要な体に変質してしまうんです」


 母親は下を向き涙で地面を濡らしている。父親はそんな母親の後ろから腕を回し、支えるように肩を掴んでいる。


「……耐性が付いても付かなくても、敦也はここでは生きていけない……って事ですか……」


「あなた、病院に連れて行きましょう!きっと、お医者様が何とかして下さるわよ!ねぇ、こんな事、信じられないわ……あなた……」


 母親は縋るように自分を掴む父親の手を握り訴えた。父親は困ったように眉尻を下げ、母親を見て首を横に振った。


「嫌よ!きっと元に戻るわよ!……お願い……あなた……敦也を連れて行かせないで……お願いよぉ……」


 父親は悲痛な叫び声を上げる母親の肩を、今度は母親の正面から腕を伸ばして掴んだ。


「君も知っているだろう。昔起こった、この山の事件を。噂で聞いただけだったが、病院で亡くなった方が居た事は事実だったんだ。そして、この方が神隠しで居なくなった方なんだよ。敦也はここに居たら、病院で亡くなった方と同じ未来を辿ってしまうだろう。だったら……だったら、敦也が生きていられる未来を選びたいじゃないか……」


「ぅぅぅ……敦也……!あつや……!」


 二人は涙を流し、地面に横たわる敦也と呼ばれる男子を抱きしめた。どれだけ時間をかけても、息子との別れを受け入れる事は出来ない。

 だが、無情にもその時は来てしまった。


「……これ以上ここに居るのは危険です。神主、これを全部持って行ってくれ。これだけあれば、足りないなんて事無いだろう」


「あ、ああ。分かった。敦也君の事、お願いします。それじゃあ、神社に帰りますよ!はぐれたら危ないので、ちゃんと着いて来て下さいよ!」


 神主は男から袋を受け取ると、夫婦が着いて来るのを確認し歩き出した。謙介は皆の後ろに付き歩いた。

 途中後ろを振り返る。あの闇の奥に、あの男と女郎蜘蛛が居る。温く纏わりつく空気の中、現実味の無いまま謙介は報告書に何と書いたら良いのか考えていた。

これで最後になります。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

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