16・昔昔、ミモレという娘がおりました
もう、何日が経ったのだろう。私はこの小さな牢に囚われて、眠り、細い窓から空を見上げ、ミモレが持ってくる食事をとるだけの生活を続けている。
ミモレは食事を運ぶ度に、私へ憎悪をぶつけてきた。泥棒、アバズレ、犯罪者……耳を塞いで耐えていると、冷えたスープを器ごと投げつけられた事もあった。器は鉄格子に弾かれ、中身のスープは床に零れてしまった。私にかかったスープは少しだけだったが、ショックで暫く動けなかった。
それからミモレの罵倒は、耳を塞がず聞くようにした。ただ俯いて耐えていた。そうすれば、ミモレは満足して去っていく。
最初の頃は、何時になったら出られるのか。ヒロはどうしているのかを聞いていたが、その度にミモレに罵倒され馬鹿にされ、私の心は挫けてしまった。
ヒロ、貴方は今どうしてる?私の事を、泥棒だと思ってるって本当?
会いたい。会って、話がしたい。本当に、私、盗んだりなんてしてないの。ヒロ……。
「アデル、食事を持って来たわよ。起きなさいよ。アデル!」
ミモレの声で目が覚めた私は、重い体を起こしミモレを見た。食事のトレーは、鉄格子の下からこちら側に置かれている。私はトレーに手を伸ばした。
「アデル。これを見て?」
いつもの棘棘しさの無いミモレの声に、私は顔を上げた。ミモレは笑顔で私を見ている。ミモレのこんな顔は、久しぶりに見る。
ミモレが差し出したのは、木で出来た箱だった。蓋の部分に施された美しい細工を見た私の胸の内に、温かいものが広がっていく。細かく施された美しい細工。ヒロは木工細工職人で、この小箱がヒロの作った物であると私にはすぐに分かった。
「綺麗でしょう?ヒロがね、私にって、くれたのよ」
「……あ、そう……なの……」
太い棘のようなものが、胸に刺さったように痛む。
「この中にはね、この指輪が入ってたのよ」
ミモレはそう言うと、私に手の甲を向けた。ミモレの薬指には小さな宝石の付いた指輪。先程までは温かかった胸内が、冷えていく。灯りの少ない暗い室内でも、その指輪は小さく輝き強い存在感を示している。
「私、ヒロと結婚するの。ヒロがこの箱を心を込めて作ってくれたのが、よく分かる……とても嬉しいわ……」
胸の中に氷を入れられたようだった。ミモレを見上げると、彼女は意地悪く微笑んでいる……そう見えているだけかもしれない。ミモレは幸せそうに微笑んでいるだけで、恋人を奪われた私の悲しみと恨みから、そう見えているのかも……よく、わからない……。
「この箱は、とても大切だけど、アデルにあげるわ。私にはヒロがいるもの。ここから出られない可哀想な貴方に、幸せのお裾分け」
そう言うと、ミモレは小箱を鉄格子からこちら側の床に置いた。冷えていく。胸内の氷は、体中の熱を奪い、もう指先まで冷たく感じる。ミモレは私に微笑みかけると、足取り軽く立ち去った。
小箱を撫でている。ヒロが、ミモレの為に作った小箱を。嫌な気持ちが溢れてくる。あれからずっと。怒り、憎悪、悲しみが消えない。凪ぐ事の無い気持ちを抱えて、ずっと箱を撫でている。
蜘蛛が歩いている。天井に近く開かれた細い窓から蜘蛛は出て行った。蜘蛛は自由だ。
ミモレは毎日食事を運んでくれる。来るのはミモレだけだ。元々この建物には村人たちは近寄らない。
ミモレの勝ち誇ったあの笑顔が脳裏に焼き付いていて、気分が悪い。箱を受け取った翌日、ミモレの目の前で皿を床に叩き付けて割ったけど、あの時のミモレの顔は見物だった。またやってやろうかしら。
今日のミモレはいつもと様子が違った。お腹が膨れていて、ミモレはお腹を優しく撫でている。そしてまた、勝ち誇ったあの笑みを私に向けた。
私はミモレが持って来たばかりの皿を床に叩き付けた。私の衝動的な行動にミモレは驚いていたが、私を蔑むように笑うと建物から出て行った。
この部屋は蜘蛛が多い。天井の隅には、厚い蜘蛛の巣が張られている。寝ていると、天井に張り付いた蜘蛛が前の脚を上げたと思ったら、糸を出しながら降りてきた。初めの頃は驚いたが、もう慣れた。
ミモレのお腹は日を追うごとに大きくなっている。私はそれを、無感情で見ている。
いいえ。
無感情なわけない。恨めしい。
何故私がここに閉じ込められて、あの女が幸せになっているのを見ていなければならないのか。私は何もしていないのに。
指輪を盗んでなどいないし、ミモレを叩いてもいない。
ミモレは私を嵌めた。村長は愚かにもそれに気付かない。
ヒロは私を裏切った……信じていたのに……。
許さない。あの女を。村長を。ヒロを。
窓から蜘蛛が入ってくる。私のすぐ傍を何匹もの蜘蛛が通り過ぎる。
この村の誰も、ここに近寄らないというのに。
「……ふふ、可愛い子」
私は蜘蛛を一匹掌に乗せた。蜘蛛はそのまま私の腕を少し歩くと、ふわりと床に降りて行った。
誰かを呪う方法なんて知らなかった。でも呪わずにはいられない。作法なんて分からないけど、ここにある物で私はミモレを呪うことにした。
蜘蛛はいくらでもここに集まって来る。ミモレが暇つぶしにと寄越してくれた紙とペン。割れた皿。ヒロがミモレへの愛情を込めて彫った箱……全部に呪詛の念を込めてやる。
数日姿を見せなかったミモレが、恐る恐る食事を運んで来た。
「アデル……?」
名前を呼ばれ私は起き上がった。ビクビクしながらも、ミモレは安心したように息を漏らした。ミモレは私を不気味に思うようになっている。無理もない。まだ若く年齢通り瑞々しい見た目のミモレに対して、私は老婆のような枯れた見た目のなっている。しかも、ミモレが来る度にありったけの憎悪を込めて睨みつけるようにしていた。
今日も私はミモレを恨みがましく睨みつけた。数日ぶりに見るミモレは、大きかったお腹が目立たなくなっていた。出産したらしい。しかし、私にはどうでもいい事だった。
「いいんだ私には、もうどうでも……」
思ったよりも嗄れた声が出た。私の声にびくりと体を飛び上がらせたミモレは、それ以上何も言わずに走り去って行った。
私はそれを見て、嗄れた声で笑った。そして数日ぶりの食事を、咽せながら食べた。
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最近のミモレの様子がおかしい事を、父親である村長は気になっていた。ミモレの様子がおかしいのは、最近になってからではない。村長は気付いていなかった。ミモレは隠すのが上手い娘だった。
ヒロが村を出て行ったからだろうか……村長は考える。ミモレがヒロに恋慕の情を抱いていたのは明らかだった。アデルが罪の意識に苛まれ村を出たと聞いてから、ミモレのヒロへのアピールは熱烈になった。
しかしヒロはミモレへ答える事はなく、アデルを探すと言い村を出た。もしアデルが村に戻ったら渡して欲しいと、村長に木箱を託して……。
それからミモレは荒れた。忌々しげに表情を歪め、遠くを睨むようになった。どうしたんだと聞くと、何でもないと柔らかく微笑み返してくる。いつもの優しい表情に村長は安堵していたが、ある日ミモレが真っ青な顔で家に帰って来てから何かが変わった。
「声が聞こえるの……私を探しているみたいな……声が……」
ミモレは頭を抱えてそう言ってから、家に引き籠るようになった。失恋の痛みを引き摺っているのかと思っていたが、そのうちベッドから起き上がれなくなった。村長はミモレを心配し看病していたが、それがミモレだけの問題ではない事に気付いた。村を出歩いている人の数が明らかに減っているのだ。いつも井戸端会議をしている元気な女性達も、走り回っている子供達も……村が閑散としている。
畑仕事をしている村人も、とても忙しそうに働いている。人手が足りないようだ。村長はこの日畑仕事を手伝い、帰路に着いた。頭痛がしている。村長は村の現状に気付かなかった自分を責め、溜息をついた。
翌日、村長は厩舎を訪ねた。いつもなら動物の鳴き声が聞こえてくるのだが、今日はそれがない。嫌な予感がし、村長は緊張しながら厩舎の中へ声を掛けた。
「こんにちは、ロドリーさん」
村長の声は静かな厩舎の中によく響いた。しかし、返答は無く厩舎は静まり返っている。村長はその静寂に後退りした。ジャリッと音が大きく響く。
「ロドリーさん?」
恐る恐る再度声を掛けると、奥の方で影が動いた。しゃがんでいたらしいその影の主は立ち上がると、ゆっくりとした足取りでこちらに近付いて来る。
「……ああ、ロドリーさん……大丈夫ですか?」
よろよろとこちらに来るロドリーの顔を見て、村長は駆け寄った。ロドリーと呼ばれた初老の男性は村長に背中に手を置かれ、その温かさに涙腺が緩んだ。
「……う、うう……うちはもう、駄目だ……豚がみんな、病気でやられちまった……リリィも、アルスも体壊して……村長、知っとるか?村の者が皆、よく分からん病気に罹っとる。変な病気が流行ってるみたいだが……」
村長は唸った。伝染病であるならば、ミモレのあの症状は何なのだ。頭の中に語りかけてくるという声は……村で流行っている病とは別なのだろうか。
「リリィさんとアルス君の症状はどんなものなんですか?」
「症状は……頭が痛いとか重いとか、気持ち悪いとも言っとった。あと……変な声が聞こえるって……」
「声……」
村長はハッとしてロドリーを見た。村長の瞳に、不安と狼狽えの色が滲んでいる。
「ミモレもそうなんです。何か、怖がっているようにも見えるんです」
「村長、これは、伝染病なのか……?何か違うもんなんじゃねえかって、思うんだよ……」
村長とロドリーがこの会話を交わした数日後、アデルの囚われていた牢は壁が破られ、ミモレが姿を消した。ミモレを探した村長も帰らなかった。
衰弱していった者は事切れ、村で生計を立てる事が難しくなった数少ない村民達は村を出て行った。こうして、村は滅んだ。




