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薄氷の上で彼女は踊る  作者: 由甫啓
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深雪1

 世の中に陳腐でないものはもう、何処にもないんじゃないかと僕は思う。

 学校行事とか、修学旅行とか、レクリエーションで色々うんと考えてこれ以上にない名案だと浮かんだ案が割とそこらで見掛けるやつだと、終わってみれば気付いてみたり。

 親友との喧嘩だって時間が経てば大したことじゃない、探してみればちらほらとみつかるようなもので、自分にとって大事件だと思ったことが世の中では見慣れた、ありふれたことであったりするのだ。


 だから、幼馴染のあいつを、深山深雪を好きだと思うのは陳腐な与太話で、ありきたりでごく普通のことなのだろう。


 思えば高校までずっと連れあって、それで何となくこいつとずっと一緒に居るんだろうなと漠然と考えて、それを当たり前のように感じていた。

 きっとそんなものは探せばどこにでもある、大事件なんて口にするほどじゃない、そんなありふれた、陳腐な出来事に過ぎなくて。


 あまり気軽に縁だとか、運命だとか。そういう言葉を本当はあまり使いたくないのだけれど。

 彼女、深山深雪とは切っても切れない縁がある。腐れ縁とも言えるし、良縁とも言えるような縁が。

 そもそも家が隣同士なことと、親同士の仲も良く記憶にはないが赤ん坊の頃から顔を突き合わせていたらしい。赤子、幼稚園から始まり小中高と学校を共にし、お互いにこのままずっと連れ合うのだろうと冗談混じりに口にするくらいには、その縁を信じてしまっていた。

 プラトニックだの、ロマンスだの、そういう言葉で着飾るほど華美ではないけれど、横にいるのが普通と思えるくらいには、長いこと僕たちは一緒にいる。


 その漫然と続く関係の下、家近くのコンビニで僕は時間を潰している。

 もう数日もすれば新年を迎えるのもあって、客は少なく人通りはまばらだ。普段だったらこの時間学生が雑然と並んだ自転車の横で屯しているものだが誰もいない。別に新年だから忙しくなるものだろうか。この時期は忙しく過ごすぞ、と意気混んでいるからなんとなくそういう気持ちになるんじゃないか。誰も彼もが帰省したり旅行に行くわけでもあるまいに。


 もう直に、打ち上げが終わって帰ってくるはずだ。連絡するから一緒に帰ろうと言った彼女の顔を思い浮かべる。

 その立地から学校に行くにしても駅に行くにしても前を通らないといけないのもあって、僕たちはよくこのコンビニに立ち寄っていた。


 この時期に打ち上げというのもどうなんだろう。まもなく年越しだというのに、彼女はテニス部最後の打ち上げとやらで学校に行っている。三年のスケジュールを優先して帳尻合わせした結果とか言っていたけど、なんとも忙しなくご苦労なことだ。

 まあ、三年は可能な限り他は来たい人はどうぞ、と随分緩い集まりらしいが。


 スマホを取り出して時間を見る。十八時、そろそろ帰ってくる時間のはずだ。ついでにメッセージがないか、確認するがまだ深雪から連絡は来ていない。


 代わりに深山母の名前が通知に上がっている。『ごめんね。コンビニでいいから牛乳をお願いー』なんてお使いのお願いだ。深雪が来てから買えばいいかとスマホを外套のポケットに落とす。


 それにしてもごめんね、なんて言わなくてもいいのに。ここ最近ご厄介になっているのだから深山家には全面的に頭があがらないのだし。


 手持ち無沙汰に手に取った週刊誌に目を落としながら数日前のことを思い返す。


 父方の婆様がいよいよ息を引き取るやもしれないという一報があったらしいのだ。

 らしいのだ、というのも冬休みもあり緩々と起きた時にはもう家を出る準備をしているのだから何事かと動揺するのも仕方のないことだと思う。この時ばかりは両親の瞬発力にとても驚かされた。

 寝ぼけ眼を擦りながら婆様のとこへ行く説明を受け、当然僕も行くことになるかと思ったのだが、「来たかったら一人でも来れるでしょ?」と家を飛び出して行く両親を見送ったのは、そう三日ほど前のことだ。

 昔からの馴染みである深山家のご両親が「食事の面倒くらい見とくから安心して行ってくるといい」」なんて口添えをしたものだから、安心感もあったのだろうけど問答無用で一人取り残される形となるとはなあ。


 両親の実家に行くというのは余り気が進まなかったから一向に構わないのだけどね。他人とまでは言わないが車や電車に何時間と揺られてまで行きたくないと思ったのは疑いない本心で、不謹慎な気もするが面倒を見てくれると口にし居残っていても構わない理由をくれた深山家には感謝の念を感じてしまった。

 親族とはいえ、あの人に対し悼む感情というのが中々沸かなかったのだから仕方がない。


 あの大きな古臭い日本家屋も婆様も好きではないのだ。

 婆様一人では到底面倒を見切れないようなあの家は、事実年を重ねるごとに目に見えて老いていっていたし、あの婆様の葬儀が終わればきっとあの家も取り壊されるのだろう。戦争を乗り越えた家と言ったって住む人が居なければどうしたって廃墟になるのだ。取り壊し、新しい何かへと変わっていくのだろうな。


 長い廊下はぎいぎいと何事かを訴えてくるし、一人で居れば家鳴りが耳について離れない。特に夜なんてのは居心地が悪くて堪らないのだ彼処は。ぎいぎい……ぎいっと、と、と、と……そんな音が四方から躙り寄るように聞こえてくるのだ。


 古臭くて、その古臭さが何か別の得体の知れない何かに転じたような虚ろさのような停滞感が彼処にはあるのだと思う。何かが潜んでいてこちらを伺っているのだ。それを両親は田舎だから、古い家だからねえ、なんて呑気に返すのだ。


 それに加えあの婆様はなんというか、今で言うところの教育ママとでも言うべき気があり、詰襟をピッとして気位の高そうな吊り目気味の人で、両親が居るときは普通なのに、居なくなると途端に礼儀がなってないだの、食べ方が下手だから床が汚れてるだのと幼少の折りにちくりちくりと言い募ってくるのをよく覚えている。

 それが非常に恐ろしくて、怖くて。ただそれを両親に伝えるのは悪様に言いつけるようで、気が咎めた。きっと傷ついてしまうだろうし、口だけで殴られるだとか突き飛ばされるだとかは無いのだから、僕が我慢するだけで良かったのだし。


 流石に小中と上がって僕の体も年相応に大きくなってからは言われることは無くなったが、高校に上がって直ぐだっただろうか。休み明けにあるであろうテストの勉強か何かをしていたときだと思う。

 机に向かう僕を睨めつけるように「私はねあんたなんかよりうんと立派なんだ。それなのに」だのと呟かれたとき思わず、「家の掃除も十分に出来ないのに立派なんですね」と返してしまったことがある。

 もしかすると婆様なりに、発破をかけに来たつもりだったのかも知れないが、兎に角一方的でこちらを鑑みもしない言葉に感じられてしまったのだな。


 僕の言葉に婆様は目を見開き、表情をぱたりと消して口を金魚みたいに何度かパクパクとさせると、顔を真っ白にして何も言わなくなってしまった。僕も僕で、嫌いとまで言わないが面倒で苦手だと思っていたわけだから気にせず勉強を進めていた。気付いたらいつの間にか居なくなっており、その日の夕食の折には妙に耳障りな笑い声を上げて居たのをよく覚えている。


 従兄弟から聞いた話ではあるが、婆様は使いもしない部屋の数々を一日かけて丹念に掃除するようになったという。病的なまでに家の隅から隅までを掃除し、汚れの一つでもあろうものなら何度も何度も擦るそうだ。


 思うに無理が祟ったのだろうな。

 祟った、とか口にすると何とも言えないものがある。老骨に鞭打ち一人で過ごすには過大な日本家屋をたった一人で一日かけて掃除していたのだ。それを僕の一言が切っ掛けで祟りになったとでもいうと、流石に言い過ぎだろうか。元々、ああいう小言を愚痴愚痴と口にする気性を知る人間は他にも居るだろう。その誰もが内に秘めた悪口の数々が何とはなしに感じ取られ、勝手に自分自身を追い詰めていたのだろう。


 悪い人では無いのだ。

 外面との乖離は激しいものの、それは決して悪いことでは無いだろうと思う。ただ、頻繁に顔を合わせるわけでもないのだから適当に流しておけば良かったな。

 これは気まずさなのかも知れないな。だから、死に目とはいえ会いたくないのだろう。


 なんというか、すとんと腑に落ちる。自分の気持ちだとか考えというのに理論づけしようとすると案外難しいものなのだな。こういうところが、小説に共感を与えられない要因なのかも知れない。もっと、何を感じて、思うのか、それを考えるのが大切なんだろう。

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