その1 マサエの相談
午後の診察時間が終わった治療院、一年前に産んだ娘サホを膝の上に抱いて、クレアはマサエの相談を受けていた。
学校での右腕としてジローが育てているタダシ、その五歳離れた姉だと言う。ということは二十歳くらい、クレアとは同じ年恰好ということになる。
父を亡くしてから、治療院の敷地に建つ職員用住宅で母とタダシと暮らしていたが、最近では家を出て郊外にある農場に住み込みで働きはじめた。生き物が好きで、家畜を世話する仕事は天職だとも言う。クレアも、食堂で顔を合わせる同年代の彼女とは面識があった。
◇ ◇ ◇
「魔王国の護国卿について、聞きたいのね?」
「はい、ギラン様が魔王国ではどんなお立場なのかが、知っておきたくって。」
「ギラン殿と、お付き合いしているみたいね。旦那様から聞いています。」
そう言われて、マサエは目を輝かせた。「はい、始めは頼まれて家畜の飼い方を教えていたのですが、気が合って、そして優しい方で、今ではとても惹かれています。」
目の前で魔族の男への慕情を隠さない人族の娘を、クレアは健気に思った。魔族の私も人族のジロー様に恋をして、そして妻の座を射止め、子を授かったのだ。異種族との恋に悩む同年代のこの娘の想いを、叶えてやりたい。
「護国卿とは、その名の通り王国を護る要ね。最近は人族との諍いはなくなったけれど、王国を脅かす魔物の討伐だけが仕事ではないわ。魔王の側近として内政、つまり貴族間の利害調整や、犯罪行為の摘発や逮捕と処罰、他の魔族の里との連携も大きな仕事ね。」
「重責なのですね。」
「そう、多くの配下を走らせて、とても忙しい役割ね。しかも護国卿自らが魔物と戦える強力な魔法剣士でなければならないし、そもそも家伝の「魔人の加護」を操るには大きな魔力が必要だから、剣と魔法の鍛錬は欠かせないの。」
「魔人の加護、戦勝会の上映で見せてもらった、あの大きな召喚獣のことですね。あれをギラン様とお父様で、それぞれ操ったと聞きました。」
「そうね。だから護国卿の妻には、魔力の高い子供を儲けるために、代々魔力の大きな女性が選ばれてきたわ。魔人の加護を子孫に継承できない事態は、避けなければならないから。」
「ギラン様は、やがてはその地位をお父上から継ぐのですね。」マサエは、話の先に思い至ったのだろう、うな垂れて小さな声だ。
「そうね、だから最初に言っておくけれど、魔力のない人族の貴女は護国卿の妻にはなれないわ。」
マサエの目には、みるみる大きな涙の粒が膨らみ始めた。
「クレア様、それでは私の恋が成就することはないのですね。」
「マサエ、私と貴女は同じような歳でしょう。様はいらないわ、これからはクレアと呼びなさい。そして私はあなたの味方ですよ。」クレアは優しくマサエの手を取った。
「いま私が言ったことを、正確にお聴きなさい。私は護国卿の妻と言いました。ギラン殿の妻とは言わなかったわ。」
「護国卿ではないギラン様、と言うことでしょうか?」
「そう、ギラン殿は侯爵家の跡取りとして、きっと悩むでしょうね。だからマサエ、貴女は『私を選べ!』とはっきりと告げるべきです。」
「そんな事をしたら、ギラン様を困らせてしまいます。」
「貴女は、惚れた男が欲しいのでしょう。跡取り問題に悩むのはギラン殿に任せておいて、貴女はこの恋をつかみ取りに行きなさいな。」
マサエは、クレアの言葉をじっと噛みしめていた。「クレアは、強いのね。」
「好いた男を手に入れるのも、そしてその子を産むのも、女は命懸けなの。遠慮など、してはいられない。」
「ギラン様は、私を選んで下さるでしょうか?」
「護国卿と言う立場に拘って、侯爵家のために貴女を選ばないとすれば、それだけの男だったのです。貴女から捨てておしまいなさい。どうしてもマサエが欲しいとギラン殿が言うのなら、私はお二人に協力しましょう。」
マサエは、浮かんでいた涙を手の甲で拭くと、ニッと笑った。
「有難うございます。私、きっとギラン様を手に入れます。」
「そう、その意気よ。受け身ではダメ。私を惚れさせた責任をとりなさいって、あの優しいギラン殿に迫るぐらいでいいのよ。」
「はい。」
◇ ◇ ◇
吹っ切れたのか晴々した顔で帰るマサエを送り出して、クレアは治療院の受け付けに置いてあるボットの前に腰かけた。
「さあ、策士クレアの手並みを見せてあげましょう。」クレアは、赤子をあやしながら妖艶に微笑んだ。
(続く)