憑依された男の話
俺の人生は突如として終わりを迎えた。
見知らぬ顔など見たことがないほど小さな村に生まれ、豊かな自然に囲まれた土地で育ち、代々継いだ家畜たちを追いかける日々を重ね、30年あまり過ぎていた。
奥手で慎重な幼馴染と、三十路をこしてはじめてキスをした翌日に、俺の人生は終わってしまったのだった。
だのにこうして独白が続いているのは、死んだわけじゃないからだ。
俺の体は、何者かに乗っ取られていた。
意識だけが存在し続けている。
30年近くともに助けあって生きてきた村のみんなは、俺ではない誰かを、俺と呼び、俺の積み重ねてきた日々に、誰かの日々を重ねていこうとする。
俺の体を乗っ取っている男の意識は、常に俺のなかに流れこんでくる。閉ざす耳も持たない俺は、ただただ暗闇のなかで、そいつの意識を飲み下していくしかない。
男は、異世界転生という言葉を心の中でたびたび口にしていた。
どうやら、こことは違う世界で死んだ男の魂が、俺の体に宿ってしまったらしい。
そして男は、もとの世界ではひどく劣悪な労働環境にいたらしく、俺の暮らしていた日々をたいそう気に入ったようだった。
男の意識と、俺の意識は、決して交わることはない。俺が一方的に落掌している男の意識は、とにかくうるさかった。
女をとにかく値踏みする男だった。やれ向かいの娘さんがどうだ、三軒隣の奥さんがどうだ、と、目につく女をとにかく舐めまわすように眺めていた。
俺の積み重ねた信頼と親愛を、男は踏みにじり、家族のように接していた村の女たちにぶしつけな獣欲のまなこを向け続けた。
俺の心が完全に折れてしまったのは、幼馴染と対峙した時だった。
そいつは俺ではない俺なんだ、と暗闇のなかで叫び続けたが、もちろん届くことはなく、幼馴染はふたたび俺と唇を重ねた。焼けた頬には、きれいな朱が差していた。
だが、すぐに男は向かいの娘さんに乗り換えた。
まだ16歳の、なにも知らぬ少女に、男は春情を覚え、それをぶつけた。
向かいの娘さんは、俺に好意を寄せていたらしく、男の腕におとなしく抱かれてしまった。
気が狂ってしまいそうだった。
罪悪感でのどが焼けそうになるが、俺にはもう肉体などない。
これ以上見たくもないのに、塞ぐ瞳もついていない。
いっそ殺してくれたほうがいい。
向かいの娘さんと連れ合いになるという話を聞いたときの、幼馴染の顔が忘れられない。
謝る口すら持ち合わせていない。
助けてくれ、と毎日祈った。
俺のことはもういい。ただ、幼馴染が負ってしまった心の傷を、どうか癒してやってくれ。