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究極の完璧主義者


「これはこれは、ベル嬢。ご機嫌麗しく」

 とあるパーティー会場。

 政治家やお金持ちも集まる中で声を掛けられた1人の少女。

 ベルと呼ばれた彼女は母親らしい女性の隣でちょこんとドレスを摘んで持ち上げて見せた。

 完璧なカーテシー。

 赤いドレスは彼女を華やかに飾り、この会場の誰よりも完璧で目立って見せた。

 しかし、それがいけなかったのか。

 ドリンクを片手に談笑しながら移動していた彼女の足を誰かが引っ掛けようとした。

 それに気づき、彼女は難なく避けてみせる。

 完璧だった。

 躓いた素ぶりも、誰かが何かをしてきた素ぶりも見せなかった。

 正に完璧。

 さらに彼女の耳は微かに響いた舌打ちを聞き逃さない。

 チラリと横目で相手の顔を盗み見て、すぐに視線を逸らす。

 アナタになんか興味ない。

 そんな思いを込めて。

 それは果たして相手に届いているのか否か。

 しかし、やはり彼女も人間だ。失敗はある。

 それもとても些細なこと。誰でもが遭遇しうる、ちょっとしたアクシデント。

 パーティーではもちろん、お酒が提供されている。大の大人、それも貴族や政治家でも荒い酒の飲み方をする者は残念ながらいる。わずかではあるが、と補足はしておこう。

 パーティーも終盤に差し掛かれば、かなり出来上がった御仁も出てくる。

 その中に腕時計を自慢している男がいた。

 政治家でかなり上のポストについている御仁だが、酒癖がよろしくないことは世間一般でも有名だった。

 要人とだけあって、路上演説中に何度か命を狙われたこともある。

 その際につけていた腕時計が彼の身を守ったのだという。そんな英雄譚だ。

 確かにその腕時計は煌びやかなものである一方で、大きなキズが付いていた。

 ナイフで切り付けられた際に咄嗟にその腕時計で防御したと語る彼の手首にはその時に付いたのだろう、古い傷痕がはっきりと見える。

 使用人の支えを振り払い、自分で歩けると豪語しながらもその足取りは危うく、寄りかかったテーブルのクロスを引っ張ってワイングラスを倒した。

 残念なことにごくわずかに残っていた中身がその拍子に飛んだのだ。よりにもよって、完璧主義者の彼女のドレスに。

 赤いドレスに濃いシミができ、その場にいた何人もの招待客がその様を目撃した。

「ベル様……!」

 近くにいたメイドがすかさず駆け寄り、彼女のドレスに手を伸ばす。

 当のベル本人はしばらく放心していたようでメイドが駆け寄り、ドレスの汚れを拭い始めてからやっとハッとして言葉を紡いだ。

「なんでもないわ。大丈夫よ」

 穏やかな笑顔さえ浮かべて彼女は周りにも気を配る。

「ご心配なく。少し、ドレスを汚してしまっただけですわ」

 それから、一連の事態を呼び起こした政治家の男にも笑顔を向ける。

「お怪我はありませんか?」

 二言三言交わしたが、彼から謝罪らしき言葉が放たれることはなかった。

 その代わりのように、彼の使用人が平謝りしてクリーニング代を出してくれると申し出た。

 建前上一度は断ったが、出してくれるというのなら貰っておくことにする。

 いずれにせよ、このドレスは今後一切袖を通すことはないだろうが。

 なんて決して穏やかでない心中をひた隠し、今すぐにでも去ってしまいたいパーティー会場に最後まで出張ったのは褒めて欲しい。

 最後の招待客を見送り、屋敷の扉が閉まる。

 訪れた静寂。

 それまでパーティーが開かれていたことを思えば一層静かだと思うのも不思議はない。

 しかし、この屋敷においては違う。

 それを使用人を含めたその場の全員が理解していた。

 だからこそ、張り詰めた糸が切れる限界までキリキリと引き絞られているような異様な緊張感がその場を、否。屋敷全体を覆い尽くしていた。


 


 

「あぁ、失敗したわね。ベルももう終わり。ドレスにワインを引っ掛けられるなんて……最悪。殺して良いわよ」

 女の声が静かに言った。

 ベルの隣にいた女性から放たれた言葉に、張り詰めていた糸がぷつんと音を立てて切れた。

「……ごめんなさい!……ごめんなさい!お養母様!もう一度チャンスを!!あの男は、私が必ずこの手で……!」

 金切り声を上げてベルが泣き縋る。

 彼女、ベルの母親を名乗る女性は静かに頷いてからベルに告げる。

「彼を始末してから私の元に戻っておいでなさい。それが最後の機会よ」

「!……はい!必ず……!!」

 一縷の希望を掴んでベルは勢いよく顔を上げて力強く宣言した。

 必ず成し遂げて見せる、と。

 そうして少女は赤いドレスを翻し、彼女の前を去っていく。

 その後で、彼女はポツリと言葉を漏らす。

「ええ、それはもちろん。アナタの手で始末はしてもらう。でも、アナタの失態を見ていたのは彼だけじゃないでしょう?」

 一体、幾人の招待客があの場を見ていたことだろう?

「アナタは、あの場にいた要人全員を始末するとでもいうつもりなのかしら?」

 そんなことは不可能だ。

「私が完璧であるためには完璧でないものはいらない。アナタはもう完璧ではなくなってしまった」

 だから、もういいわ。

 それはベルにとっての死刑宣告。

 彼女に告げられることはなかったが。

 そう彼女が言うが早いか、ベルという少女の死体が用意されることになる。

「やっぱり他人任せはダメね。後始末が大変だわ」

 言って彼女は執事の男から礼服一式を受け取る。

 それはどこかで誰かが来ていた柄によく似ていた。否、同じものだ。

「ベルが始末を付けたら、しばらくは私があの男の代わりをする手筈になっている」

 口髭を付け、眼鏡をかける。

 声がだんだんと女性のそれから低い男のものへと変わり、あの要人を思わせる声色に使用人たちがピクリと肩を跳ねさせた。

 腕時計もあの男が持っていたものとそっくり同じものを準備している。

 手首にもあの傷痕をそっくりそのまま特殊メイクで作ってしまい、準備は整った。

 ベルの母親を名乗っていた女性の姿が消えて、あの要人の男がそこにいる。

「さて、完璧な人生を始めよう!」

 そう高らかに宣言したのは、究極の完璧主義者。




 彼、あるいは彼女は、どんな小さなことでも許せなかった。

 言葉遣い、仕草、マナー、そして勉強でも運動でも、何事においても完璧を求めた。

 褒められた者を観察し、どんなことでも徹底的に真似して身につけた。

 いつしか彼、あるいは彼女は隙のない完璧な人間になった。

 はずだったが、やはり文句を付ける者はいる。それが許せず、彼、あるいは彼女は完璧を求めるあまりに、些細なことでも自分を許せなくなった。

 こうして彼、あるいは彼女は自分を殺した。

 そしてまた新しく始めるのだ。傷のない、完璧な人生を歩むために。今度こそ失敗しない。そう胸に誓って。

 究極の完璧を求めた観察眼はここに完璧なコピー人間を生み出した。

 彼、あるいは彼女の名前は誰も知らない。当の本人さえも忘れているのではないかとさえ思われた。

 そして今日もあの子は言う。

「あぁ、失敗したわ。ドリスももう終わりね。飽きてきたし。殺して良いわ」

 そう彼あるいは彼女が言うが早いか、ドリスという少女の死体が用意される。

「次は男の子がいいかな?長い髪のお手入れも面倒だしな」

 言って、ドリスと同じ顔をしている者が自分の髪を切り落とす。

 長い縦ロールは未練もなく、あっさりと床に投げ出された。

 声色も青年のそれへと変化する。

 そうして、そこにはドリスのドレスを着た短髪の青年が完成する。

 目つきは鋭く、無表情なそれに先ほどまでの少女の面影は微塵もない。

「少し出てくる」

短く言った彼に、執事の男はただ頭を下げて見送った。

 

 



 変装の達人、通称コノハ蝶。

 性別や身長を問わず、ありとあらゆる人間に成り変わる。

 そんなコノハ蝶に花束が目を付けないハズがない。

「いらっしゃいませ」

 新しい姿で花束を訪れたコノハ蝶に店員が声を掛ける。

 彼はさりげなくあるモノを店員に見せた。

 一種の身分証のようなモノだ。

 頻回に姿や声を変えるコノハ蝶を一目で見抜くために花束が用意した。これにより、花束はコノハ蝶をコノハ蝶として認識する。

「お待ちしておりました」

 身分証を確認して、店員がすぐさま対応を変えた。

 奥の個室に通される。

 それを当たり前のように受けてコノハ蝶は椅子に腰掛け、足を組む。

 ここに来た際には必ずと言って良い程毎回注文するグラスワインが運ばれてきた。

 完璧に成り切るにはこの習慣も変えるべきなのだろうが、こればっかりは難しいらしい。

 一口傾け、息をついたところで見慣れた女性がコノハ蝶の前にやってくる。

「お久しぶりです。コノハさん」

 にこやかに対応する彼女、セセリはどんな姿のコノハ蝶を見ても驚くことがない。

「あぁ。名前はグラハムで頼むよ。確かに今回はだいぶ間が空いたな。息災そうでなによりだ。」

 応えたコノハ蝶、もといグラハムにセセリは軽く頭を下げるにとどめて応じる。

「で?今回の呼び出しの要件はなんだ?またどこぞの軍人の代わりにでも成ればいいのか?」

「お話が早くて助かります。正にその依頼です」

 それから、とセセリは言葉を続ける。

「その他にも上から打診したい案件がいくつか」

 お引き受け願えますでしょうか?

 言葉こそ丁寧だが、断りを入れる隙がない。

「話を聞いてからだな。私もこう見えて色々と忙しい」

「もちろん。グラハム・ホップス様といえば大学で教鞭を取られているだけでなく、執筆にラジオへの出演などなど多忙であることは存じております」

 笑顔を崩さない彼女にグラハムは満足げに頷いた。

「悪くない。いつもながら、情報の伝達速度は上々。多忙だが、先の件も善処しよう。そう上には伝えておくといい」

 グラスを傾け、赤い液体を一息に飲み干す。

 すこぶる機嫌が良かった。

 相変わらず、ここの連中はコノハ蝶の扱いをよく知っている。

 コノハ蝶にとって何よりも大事なのはどんなにその人物に完璧に成り切れているのかどうかに掛かっている。

 少しのミスも許さない。いや、許せない。

 故にコノハ蝶が今取っている姿がどんな人物であるのか、その答え合わせを花束にしに来ていると言ってもいい。

 現にセセリが言った通りグラハム・ホップスは若干19歳でありながらも大学を飛級で卒業し、教鞭まで取っている。

 正に完璧な人生を歩んできた成功者の一人。

 しかし、知る人ぞ知る!というにはまだまだ遠い。

 そんな人物の情報を姿とファーストネームからのみで花束は短時間で集めて見せた。

 それに満足するコノハ蝶をセセリは微笑ましく見守っていたりするのだが、そこは悟らせない。

 そんなことをすれば、すぐさま機嫌を損ねてしまうのは明白だから。

「では、詳細は追って」

「あぁ。よろしく頼む」

 そうして彼は上機嫌で花束を後にした。



 

 

 コノハ蝶の御機嫌取りには成功したらしい。

 去っていく背中を見送りながらため息をつく。

 相変わらず面倒くさいお人だ。もう慣れたが。

 そんなことを胸中に秘めつつインカム越しに報告を入れる。

「コノハ蝶の協力を取り付けました。後日、詳細を連絡いたします」

 インカムからは何も聞こえてはこなかったが、了承の意と捉える。

 否を唱えるのであれば、何かしらのアクションがあるハズだ。

 そう解釈してセセリは店の中へと戻る。

 それにしてもグラハム・ホップスを捕まえるとは、なかなかに大胆なことをするものだ。

 成り代わるのはいい。しかし、成り代わった相手をどうするのかが問題だ。

 ただ成るだけでは相手とコノハ蝶が成った相手、二人の同じ人物が世界に存在してしまうことになる。

 だからコノハ蝶は相手を捕まえる。

 そして生かすのだ。自身が失敗したときの身代わりとする為に。

「……ホント悪趣味」

 ポツリと吐き捨てた言葉が誰かに拾われることはなかった。

 





 

 数日後、グラハム・ホップスの死体が上がったと知ったのは新聞の一面だっただろうか。

 今回は飽きるのが早かったらしい。

 もしくはホンモノが耐えられなかった、か。

 どちらにしろ、グラハム・ホップスという名の青年はもうこの世にはいない。

 それだけが間違いのない事実だ。

 そしてコノハ蝶はまた違う姿を手に入れていることだろう。

 今度の犠牲者は女か、男かはたまた若者か、老人か。

 セセリの知るところではないが、コノハ蝶が飽きるのが早くなければいいな、とは願う。

 その分だけ、次の犠牲者が幸せな時間を過ごせるのだから。

 もっとも、当人たちがその日常が幸せであることに気付いているのかは疑問だが。

 今日もまた世界のどこかでコノハ蝶はいつものように呟いた。

「あぁ、失敗した。もういいよ。次にいこう」

 そうして今日も新たな死体が増える。

 コノハ蝶を完璧な存在にするために。

 




 


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