蜜を提供する者
蜜(情報)を集めてくるのは蜂だけにあらず。
蜜の提供源となってしまった少女と少年だったころの蜂の話。
「ご来店、お待ちいたしておりました。アシュリン様」
出迎えたセセリに、彼女は優雅に微笑んで見せる。
「ごきげんよう、セセリ。さぁ、本日の報告会、早速始めましょうか」
つばの広い白い帽子とワンピースを合わせた彼女、アシュリン・フローレス。
ただ佇んでいるだけでもそのオーラは隠しきれず、人々の視線を惹きつける魅力がある女性だ。
当然、通すのは個室。中でも今日のために念入りに掃除をし、普段は出さないクッションカバーや花瓶、テーブルクロスで整えられた特別製の部屋。
花束がここまでしてもてなすのには当然、理由がある。
「さて、なにから話しましょうか。クラーク家の婚姻が正式に成立した話?それとも、ジョシュア家の事の方が気になって?」
紅茶に口をつけ、彼女が尋ねてくる。
今出た、二つの家名はどちらも貴族階級の家柄だ。そんな情報を知り得るのは貴族でしかありえない。
そう、アシュリン・フローレスも貴族の一人。
そんな彼女が何故、花束に情報を提供しているのか、というと彼女も花束の毒牙に掴まってしまった哀れな被害者だということに他ならない。
ジェマ・カーター。それが、彼女の本来の名前だった。その名を捨てなければいけない事態を引き起こしたのが、他でもない花束だ。
ジェマ・カーターが十歳の夏だった。
貴族の娘として大事に育てられていたジェマが生まれたのは、貿易で成功を収めたカーター家。
成功の陰には不利益を被った者たちもいるわけで。花束はカーター家のライバル会社から一件の依頼を引き受けた。カーター家の情報収集を依頼するものだ。
家族構成、使用人の数とその配置や勤務時間、屋敷の間取図に家具の位置まで。他にも当主の近日中の予定や日課に至るまでの情報を集めて提供した。ただ、一つの事実だけを隠して。
その情報を元に、カーター家はある夏の夜、一家全員が殺されるという悲劇に見舞われることとなる。一人娘を除いて。
カーター家の一人娘だった彼女を父親はほとんど外に出さず、学業に関しても家に家庭教師を招く徹底ぶりだったとか。
そんなジェマの情報を花束は意図的に隠した。カーター家に娘などいないのだ、と。
その結果として見逃されることになったジェマを花束が保護し、新しい名前を与えた。花束の協力者となることを条件として。
当時十歳だった少女にそれに従わないなどという選択肢を取れるわけもなく、彼女は花束の“花”となった。
どういうことかというと、カーター家の案件を通してみても分かる通り、貴族には貴族にしか得られない情報がある。ジェマに関した情報もそうだった。
貴族だけが参加できるパーティにはジェマも参加していた。カーター家の一人娘としてジェマは有名だった。それでも、貴族間にしか出回らない情報だったから、花束は依頼人からジェマの情報を隠せたし、依頼人が花束以外からジェマの情報を得ることもできなかった。
貴族の情報を得るために花束はジェマを保護し、利用することにしたのだ。
そしてあの日、花束の思惑通りにジェマ以外のカーター家の人間とその使用人たちは皆、夜盗に一人残らず殺されてしまった。
そんな過去を持つジェマ、もといアシュリンは現在フローレス家という花束が創り上げた貴族の家の令嬢として暮らしている。もちろん、現当主は彼女だ。
そんな彼女から提供されるのはもちろん、貴族からの情報だ。いずれは一般人にも知れ渡ることとなるものがほとんどだが、それまでには大きな時間差がある。時は金なりとはよく言ったモノで、何事も早いに越したことはない。
貴族からの情報を逸早く花束にもたらしてくれる存在として彼女は花束にとって、もはや欠かせないものとなりつつあった。
それを見越した彼女から花束に提案されたこと。
ジェマのように世間から消されることになるだろう子どもたちの保護をフローレス家で担いたい、というものだった。保護された子どもたちを育て、アシュリンのように情報という蜜を提供する花とする。フローレスは花という意味を持つ。さながら蝶や蜂に蜜を提供する花になるというワケだ。
「貴族には貴族にしか得られない情報があるように、子どもにしか得られない情報もあるのではなくて?」
それが、アシュリンの言い分だった。
それを花束の上層部が了承し、そこからフローレスという名を持つ者は花束に情報を与える者という構図ができあがった。
「それでは、ごきげんよう」
高級車に乗り込み、ジェマ・カーターが、もといアシュリン・フローレスが花束をあとにしていく。
「ジェマ・カーター、ですか」
彼女を見送っていた背にぽつりと呟かれた声。セセリは振り返る。
「あら、来てたの?」
挨拶くらいすればよかったのに。そう言葉を投げれば、予期せず冷たい声が返って来た。
「はっ、冗談でしょう?」
普段はあまり見ない蜜流の表情に思わず目をみはった。
「大人しく、仇討ちに遭えとでも?」
続いた言葉に思い出す。
そういえば、ジェマに花束の協力者となるように持ちかけたのは蜜流の仕事だったらしい、という話をいつか聞いた。
六年前の話だ。当時の蜜流もまだ十代前半。そんな時分から花束に尽くしていたのかと感心したものだ。
まだ少年だった蜜流であれば十歳の少女も警戒することなく話を聞けるだろうと判断されての采配だったのだろう。
しかし、それは二人の間に確執を生むには十分すぎる出来事だった。
「彼女が俺を恨んでないとでも思いますか?俺が彼女の立場だったら・・・」
絶対に許さない。
蜜流が背を向けて歩き去る。
そんな彼に掛ける言葉をセセリは持ち合わせてはいなかった。
蒸し暑い夜だった。
蜜流はただ、自分と同じくらいの年齢の少女を保護しろという命令を受けていた。
花束が先導する作戦ならばまだしも、現場は依頼人が雇った夜盗、烏合の衆が襲うことになっている。統率なんて取れているわけもなく、開始早々現場は大混乱に陥った。
文明の発達した現代で金持ちの大豪邸を夜盗に襲われるという事態が起こるなど誰が予測できただろうか。
明かりはそうそうに全て落とされ、現場は暗闇に包まれる。
就寝時間を過ぎていたこともあり、使用人の数も必要最低限だった。聞こえる声はどれも不寝番の者の声。
そんな中で蜜流は目的の部屋まで一息に駆けた。
蜜流の存在は夜盗たちには知らされていない。彼らと鉢合わせれば、一族皆殺しという命令を受けている彼らに蜜流も殺されるだろうことは予想に難くない。
(早く目的を果たして脱出する)
それだけを考えていた。
目的の者は十歳の少女だ。泣かれるかもしれない。叫ばれるかもしれない。それでも、彼女をここから連れ出すことは彼女を助けることになる。
十歳の少女に罪はない。だから、助ける。助けた後は彼女も花束の役に立ってくれるかもしれない。そうならなかった時は・・・。
効率を考えて、蜜流は動く。
彼女を連れ出し、今後花束の役に立ってもらうために必要だと考えた。
移動中に夜盗たちの位置を把握する。
ジェマの部屋は三階の一番奥。その手前にはカーター夫妻の寝室がある。
蜜流が三階に到着すると同時にカーター氏が事態を把握するためだろう、階下へ降りていくのとすれ違う。物陰に隠れてそれを見送り、廊下の奥へと視線を向ける。
微かに小声で話す女性の声が蜜流の耳に届いた。カーター夫人のモノだと思われる。
娘の部屋から聞こえたそれに蜜流は好都合だと微かに笑う。
ジェマの部屋の扉は閉じられていた。おそらく鍵も掛けられているだろう。それを蜜流は控えめにノックした。
扉の向こう側から息を呑む気配が伝わってくる。
「エバンズさんから指示を受けました。奥様とお嬢様を屋敷から逃がすように、と」
出したのはこの家に仕える執事長の名前だ。それだけで、二人の蜜流に対する信用度は確実なものへと変わった。蜜流が声変わり前の少年特有の声だったこともだが、始末対象である使用人の名前を一々夜盗が憶えているわけがない。
恐怖に竦む身体を必死に動かして、カーター夫人がやっとのことで扉の鍵を開けて顔を覗かせた。
見慣れた使用人の装いにカーター夫人があからさまに安堵の表情を浮かべる。カーター家から拝借したものだが、そんな考えには露程も至らない夫人を急かし、部屋から連れ出す。
カーター夫人に隠れるようにして姿を見せたジェマ・カーターは控えめに蜜流に頭を下げて母親と一緒についてくる。
そんな姿に罪悪感を刺激されつつ、任務のためだと心を鬼にする。
廊下を突っ切り、裏口まで先導した。
途中何度か夜盗をやり過ごす。
そしていざ裏口に手を掛けた時だった。外の様子を確認するために蜜流が背を向けた瞬間、物陰に隠れていたらしい一人の夜盗が襲い掛かって来た。
声にならない悲鳴が夫人とジェマから上がった。
蜜流も反応するが、間に合わない。
カーター夫人は夜盗の振るった斧の餌食になった。
それをジェマは近距離で目撃する。
「ははっ!」
夜盗が驚愕の表情を浮かべ、落涙する少女を見て笑う。
「安心しな!すぐにおんなじ場所に送ってやるからよ!」
しかし、その言葉の実現には至らなかった。
「うるさいですね。もっと静かに仕事をしてもらえませんか?」
蜜流の声に夜盗が振り向こうとしたところでバランスを崩し、床に倒れ伏す。
それを当然のように見下ろした蜜流が野党が取り落とした斧の持ち手から何かを回収する。月明かりにきらりと光ったそれは、ジェマには小さな針に見えた。そう、画鋲のような。
「やはり、まだまだ改良の余地がありますね。効果が出るのが遅すぎる」
斧の持ち手に仕込んでいたのは毒針だった。普段使用している致死性のないものではなく、これにはばっちりと致死量の毒が塗り込まれていた。
毒の周りが早ければ、カーター夫人の死も防げたかもしれないが、こればかりは仕方がない。それに、蜜流の目的はジェマだ。カーター夫人はジェマをここまで楽に連れてくるために利用したに過ぎない。
「・・・ママ?」
夜盗の脅威が去ったことで我に返ったらしいジェマがカーター夫人に呼びかける。
「ママ!」
悲痛な声が響くが、残念ながらカーター夫人がその声に応えることは・・・。
「・・ェマ・・・」
微かに聞こえた声に今度は蜜流が息を詰めた。
「ママ!」
親子は二言、三言言葉を交わしたようだった。最期に夫人は蜜流にも言葉を掛けた。
この子をお願い。
そうして、カーター夫人はその命を終えた。
「・・・行きましょう、お嬢様」
すすり泣く少女を促して、外へ。蒸し暑い空気に交じって漂ってきた、噎せ返るような血の匂いが、大量の血が流れたことを知らせる。
ジェマはずっと泣いていた。
茂みに身を潜め、夜盗たちが引き上げてしまうまで、蜜流は彼の少女を強く抱きしめて夜を明かした。
ジェマが少し落ち着いた頃に少しずつこれからのことを伝える。
「これからここに、俺たちを助けてくれる人たちが来ます。大丈夫、悪いようにはされません」
ジェマは返事をすることなくただ静かに聞いていた。
「どうしますか?一緒に来ますか?」
多分、訊きたいことはたくさんあっただろう。母親だけでなく、父親はどうなったのかとか、一体誰がこんなことをしたのか、だとか。
しかし、ジェマは蜜流には一切訊いてくることはなかった。
空が白み始めた頃、完全に明るくなってしまう前に花束の人間が蜜流とジェマを回収しに来た。
本当に安全だと思える場所に付くまで、ジェマが蜜流の手を離すことはなかった。そして薬で眠らされてからやっとジェマの手から力が抜け、蜜流から離れる。
「お疲れ様」
労いの言葉に文句を言いたくなるのをぐっとこらえて頷いて、任務を終えた。
それからジェマ・カーターがどんな話を花束にされて、どう自分を納得させて今の位置に落ち着くことになったのかを蜜流は知らない。
現在、どんな思いでいるのかも。
あの夜現れた蜜流を恨んでいるかもしれない。少なくとも感謝をしていることはないだろうと思っている。何故母親を助けてくれなかったのかと怒りを抱いているのではないかと、蜜流は勝手に思っている。
二人をあの場に連れ出し、危険にさらしたのは他でもない蜜流だからだ。
「俺は任務を全うしただけだ」
だから、そう言い訳する。
そうしていつも考えるのだ。その先を。
蜜流は元々孤児だった。花束に保護され、育てられる中で花束が絶対の組織だと教えられた。
だから裏切ることはあり得ないし、そんなことは許されないとさえ思っている。
ただ、言われたことをすればいい。そうすれば、何の間違いもないのだから。
だから、悪いのは・・・。
「花束に目を付けられた自分自身を恨むんですね」
そう呟いた声は風に流されて溶けて消えた。
矛盾点などお気づきになられましたら教えていただけると幸いです。