花束の監査-セセリの場合-
花束に所属する構成員の忠誠心を測り、裏切りを許さない花束が予告なく行う監査。
それに今回選ばれたのは花束の蝶・セセリだった。
彼女に課された課題は、親友をその手に掛けること。
朱い華が咲いた。
街の中央に位置する建物の上層階だった。
幾つもの朱い花弁を散らしながら燃え盛る炎はしばらく消えることなく新聞の一面を大きく飾った。
「やぁ、セセリちゃん。今日も精が出るねぇ」
花束の常連の一人に声を掛けられてセセリは立ち止まる。
「いらっしゃい。お二人もいつも仲がよろしいこと」
夫婦にそう微笑みかける。
二人はにこにことお互いに微笑み合う。
「セセリちゃんもそろそろ身を固めたらどうだい?知り合いにいい男がおるよ。今度紹介しようか」
「嫌だわ、おじいさん。セセリちゃん程の子よ?いい男がほっとくはずないわぁ」
「それもそうだ」
本人そっちのけで盛り上がる夫婦に愛想笑いを浮かべる。
「それはそうと最近、不審火が多いようだね」
「セセリちゃんも気を付けなさいね」
「ええ、もちろん」
そう答えたセセリの耳が遠くから響くサイレンの音を拾った。
「あら、またよ?今週だけでもう何件目かしら」
不安そうな表情を浮かべる夫人の手を夫の手が握る。
「人が亡くならなければいいのだけれど」
そう呟かれた言葉に心の中で静かに同意した。
「最近、蜘蛛の動きが活発ですね。情報漏洩防止の為とはいえ、少し注目を集め過ぎではないですか?」
花束の定例報告会でそのような指摘が飛んだ。
何を隠そう、件の不審火についてだ。
「確かに」
「そうは言っても向こうにこちらも相当数の構成員を捕らえられている。そろそろ、具体的な対策を取らないと危険かもしれません」
「フェンリルの目もありますしなぁ・・・」
そんなやり取りを静かに聞いていた一人の人物が口を開く。
「わかりました。この件に関しては早急に手を打ちましょう」
蜂の頂点に立つ女王蜂がそう言葉を紡ぐ。
「ええ、早急に」
アゲハ蝶も静かに頷いた。
「お呼びでしょうか、アゲハ様」
そう言ってアゲハ蝶に呼び出されたセセリが訪ねたのは花束の幹部連中が出入りしている建物だった。
主都の中では比較的高い建物で地上三十階、地下二階のオフィスビル。新都製のエアコン完備は当然、高速エレベーターまで付いた新しいビルだ。
セセリを呼び出したアゲハ蝶は蝶をまとめる花束のトップであり、経営者。蜂をまとめる女王蜂と並ぶ手腕の持ち主と聞く。花束ができる前は蝶たちを一人でまとめていた人物だ。すごい人、という印象が強すぎてセセリは彼女についてはほとんど何も知らない。会った回数も片手の指で足りてしまう程。同時に女王蜂とは顔を合わせたこともなく、未知過ぎる存在だった。
そんな存在の前に朝から呼び出しを受けたセセリはいつも店に立つ時のような華やかな出で立ちではなく、タイトスカートにブラウス、ジャケットというシンプルなもの。
「セセリ、貴女に暇を出すわ」
「えっ・・・?」
アゲハ蝶から告げられた予想もしない言葉に言葉を失う。
「しばらく休暇を楽しんで。次の出勤日は、追って連絡するわ」
続けて告げられた言葉にただただ頷くしかできない。
「そうそう。最近何かと物騒だからくれぐれも気を付けて頂戴ね」
言ってことり、と音を立てて机の上に置かれた小瓶。香水瓶を模したそれの中身は光を受けてきらきらと光って見えた。
「鱗粉?」
セセリから見せられた小瓶を見て蜜流が呟く。
「そ。アゲハ様から今朝渡されたの。普段支給されている物と同じだと思うんだけど・・・」
“鱗粉”。諜報活動の中で蝶が必要に応じて使う小道具の一つ。一定時間空気に触れ続けると発火する。それはまるで、蝶が飛び立った後に揺れる朱い華のよう。最近の不審火とも関連がないとは言えない代物だった。
花束のルール、足跡を残すな。そのために蝶が使うものだ。
「物騒ですね」
ぽつりと言った蜜流。
「ほんとにね。突然暇を出されたと思ったら・・・」
アゲハ様の考えはわからないわ。そうセセリがため息を吐く。
「何か仕事を依頼された、とかではないんですか?」
蜜流がそう聞いてくるが、そんなことは言われた記憶がない。
「え?極秘任務?そんなこと言われたっけ・・・?」
混乱しだすセセリに今度は蜜流がため息を吐いた。
「とにかく、気を付けてください。物騒なのは本当なんですから。蜘蛛が動きを活発にしているそうです」
「ええ、聞いているわ。件の不審火も大本はそれが原因」
蜘蛛の糸、という組織がある。スパイ活動を行っている集団で情報屋である花束の、蝶と蜂の天敵だ。
「俺の同僚も何人か捕らわれてしまいました。セセリさんも十分に気を付けて」
蜘蛛が張り巡らせる糸に捕らわれれば生きて帰ることはほぼない。
「いつもみたいに護衛はしてくれないの?」
得意でしょう?そう問えば蜜流は真面目な顔で返す。
「生憎、明日から出張でして。王都に、次の仕事の下見に行くことになっています」
蜜流と別れたセセリの背後から人影が迫る。
気付かれないように気配を殺して。
「っ!」
振り返ったセセリに抱き着いてきた一人の女性。
「久しぶり!会いたかった!」
「クリス?」
思わぬ相手の登場に張り詰めていた緊張の糸が一気に緩む。
「もう!びっくりするじゃない!」
「私も驚いたわ!何年振りかしら?」
驚かせてきた相手に怒るセセリを気にした風もなく、クリスと呼ばれた女性が表情を綻ばせる。
クリス・アダンソン。セセリの親友だった。
セセリよりも少し背の高い彼女。長く美しい黒髪が背中で揺れている。青と黄色を織り交ぜたような不思議な色合いの瞳が真っ直ぐにセセリを見つめている。
「貴女が急に故郷を出て行ってからずっと心配していたのよ?元気にしていた?」
「ええ、見ての通りよ」
貴女も元気そうね。
世間話よろしく、お互いの近況を報告し合う。
場所は近くのカフェへと移っていた。
話に夢中になりすぎて、注文したカフェラテはとっくに冷めてしまっている。
「今はフリーのライターをしているの。この街にも仕事の一環で来たのよ」
そうクリスは言った。
「へぇ。大変そうね」
「そう言う貴女は?」
クリスに尋ねられ、セセリは正直に話すべきかどうか暫し迷った。
情報屋という仕事に誇りを持っているか?と問われれば少し迷ってしまう。選ばざるを得なかったということもあるが、情報屋として人を消してきた経験もあるからだ。少なからず後ろめたさというか罪悪感を感じている。それが例え直接手を下していなくとも、関わっているのは事実なのだから。
「飲食店で店員をしているわ」
だから曖昧にそう濁した。それなのに、
「飲食店?どんなお店?」
クリスにそう食いつかれた時はしまった、と思ったがもう遅い。
「今度行ってみたい!」
「嫌よ。恥ずかしいじゃない!」
そう言って断ったが、それで通用するはずはない。
「今は休暇中なの。今度、ね」
仕方なくセセリがそう折れてやっと、質問攻めから解放された。
「じゃあ約束よ?私の仕事が一段落したら絶対に連れて行ってね!」
その日はそんな約束を取り付けられてクリスとは別れた。
彼女と別れ、一人になった瞬間に入った着信。
“アゲハ蝶”。そう示されたディスプレイに嫌な予感がセセリを襲った。
「セセリ、休暇をあげたばかりだけれど、貴女に仕事よ。蜂の子がしくじったらしくってね。ターゲットに警戒心を強められて近づけないらしいの。フリーのライターでウチのことを嗅ぎまわっている小娘よ」
再度呼び出されたセセリに提示された一枚の写真。
「彼女を消してくれる?仕事の内容は、情報末梢」
「これ・・・」
提示された写真を見て、セセリは言葉を失った。
「貴女なら同性同士だし、何より警戒なんてされないでしょう?」
親友、なのよね?
まるで当たり前の常識でも示されるように言われた言葉。嚙み砕いて、吞み込んで、理解するのに数秒を要した。
「やってくれるでしょう?」
コトリとテーブルに置かれた小瓶。中にはキラキラと光りに反射して朱く光る粉、“鱗粉”が詰められている。
「本当は、こんなもの使わずに蜂の“毒”で対象となる記憶だけを消せればいいんだけれど、警戒が強すぎて近づくことすらできないから、最終手段に出たってワケ」
よろしくね。
朱く光る小さな小瓶を残してアゲハ蝶は立ち上がり、部屋を出ていく。
「期限は一週間。ちょうど昨日、ターゲットとの接触を果たしたそうね。報告が入っているわ。探す手間が省けてよかったわね」
そう付け足された言葉にセセリはただ立ち尽くした。
帰り道。
立ち寄った公園で空を仰ぐ。
末梢対象となった人物についての情報を端末で確認する。職業はフリーのライター。そしてセセリの親友、クリス・アダンソン。
「はぁ・・・結局、ちゃんとした返事はしてないけど・・・やらないわけにはいかないわよねぇ・・・」
少しでも抵抗しようと言い訳もしてみたりしたのだが無駄だった。
蝶と蜂。今は役割が分かれているとはいえ、蝶も現場に出ていなかったわけではなく現場に出るなという規制もない。むしろ蜂のトップ、女王蜂から蝶への直々の依頼とあっては、アゲハ蝶の面子を潰すわけにもいかない。
「セセリ?」
呼ばれた声に顔を上げる。
「あぁ、クリス・・・」
今、一番会ってはいけない、会いたくない人がそこにいた。
仕事中なのか、パンツにジャケット姿のクリス・アダンソンだ。
「どうしたの?なんだか落ち込んでいるみたい」
「あ・・・えっと・・・」
「悩みがあるなら聞くわ」
そう促されて昨日と同じカフェへと足を運んだ。
川が近く、テラス席が人気の店だ。今日も昨日同様店内はそこそこ込んでおり、賑わいを見せていた。
花束とは違う装いの店にセセリは何処か落ち着かなさを憶える。もっとも、それだけが原因ではないが。
セセリは察してしまった。昨日、彼女とこのタイミングで出会うことが偶然ではなかったことを。花束が仕向けたのだ。彼らはサポートだ、と当たり前のように言うだろう。
「まぁ、色々あるわよね」
クリスはそう言って自分のことを話し始めた。
「私もね、追いかけている大きな山があって。とある大きな組織についての情報なんだけど、この街に本店を構えているらしいという情報を掴んだの。まだ記事をまとめている段階だけど、数日中には週刊誌のトピックスを占領する予定よ」
楽しみにしていて。
そう、自慢気に話すクリスの声に耳を傾けながら運ばれてきたカプチーノに口をつける。正直、味わっているような余裕はなかった。
「でもこの案件を追いかけ初めてからここ最近、不審な人が近づいてくるようになっちゃって・・・」
太陽が雲に隠れるように、陰った彼女の表情にセセリも声のトーンを下げる。
「まぁ、それは怖い、わね」
自分で言っていて反吐が出そうだ。間違いなく花束の構成員たちが彼女に近づいている。昨日はともかく、とやかく言う自分も漏れなくその一員なのだが、クリスはそんなこと疑いもしていない。
「どこで誰が聞いているかわからないし、貴女を巻き込むワケにもいかないから話せないんだけれど。私と話していることであなたも狙われちゃうかもしれないわね」
「それは、さすがにないんじゃない?」
自意識過剰よ、と笑えばそれもそうだと二人で笑い合う。
それからしばらくは昨日と同様、お互い仕事のことは忘れて思い出話や近況報告に花を咲かせた。
「よかった。少しは気分転換になったかしら?」
クリスにそう微笑みかけられて忘れていたことを思い出す。
「あ、うん。ありがとう」
なんとかそう、お礼を言えた。
そんな時間を過ごした二人がカフェを出る頃には日が沈みかけていた。
「話せて楽しかったし、嬉しかったわ。何よりも貴方が笑ってくれたから」
そう告げるクリスに胸が締め付けられる。それでも別れを告げる彼女をセセリはなんとか呼び止めた。
「あの、クリス・・・もし、迷惑じゃなければ明日も会わない?」
目を丸くする親友にセセリはさらに言葉を続ける。
「貴女ともっと一緒に居たいの。買い物に付き合って」
ダメかしら?
そう問えば、彼女は二つ返事で快諾してくれた。
「いいわね!私も、もっと貴女と一緒に居たい。久しぶりに会えたんだもの。明日は私も仕事はお休み。買い物に行きましょう!」
時間と待ち合わせ場所を決めて今度こそ別れを告げる。
再度クリスと会う約束を取り付けはしたが、セセリの中には迷いがあった。
「彼女を、私に殺せっていうの?」
小さな呟きは誰に拾われることもなく夕焼けに溶けた。
「お待たせ」
そんな声と共にセセリは親友の前に姿を見せた。
白いブラウスに花を散りばめた淡い紫色のスカートが目を惹いた。
一方のクリスは白いシャツに黒のチノパンとシンプルな出で立ちだった。
「おはよう。そんなに待っていないから大丈夫」
どちらからともなく歩き出す。
最初に入った店は流行りの服を逸早く売り出すことで人気の服屋。
「さすがセセリね。私はこんなに華やかな服を着る機会なんてめっきり減っちゃった。ネタを集めるときには目立てないし、家で記事をまとめることも多いからどうしても、ね」
しかし、普段は着ないような服に興味があるのかクリスは積極的に商品を手に取っているようだ。
「なんなら、私がコーディネートしてあげましょうか?クリスは背も高いしスタイルいいんだからどんな服でも似合いそう」
羨ましい、と微笑めば貴女には負けるわ、と謙遜された。
それでもセセリが服を合わせればちょっと派手じゃない?とは言いつつも楽しそうにしていた。
セセリのコーディネートで買った服はそのまま店からクリスが着ていくことになった。
「なんだか落ち着かないわ」
普段あまりスカートは着ないらしい。そんなクリスにセセリはお構いなしに、ツーウェイのスカートを選んだ。色はクリスの希望で黒にしたが、トップスには華やかな赤を選んだ。
「よく似合っているわよ」
そう褒めるのだが、クリスにはそれも落ち着かない要因の一つらしい。
「でも、荷物が出来ちゃったわね。一度置きに戻る?」
そう提案したセセリに一度は遠慮をしていたクリスだが、クリスの自宅が近いこともあり来た道を戻る。
クリスの家があったのは意外にも花束の近くだった。
路地裏に入ったところにある縦長のアパートの三階。各階に部屋は一つだけのワンルーム。二つある扉はそれぞれ収納と浴室だろうか。周りを気にしないでいい分、過ごしやすそうだとセセリは感じた。
まだ片付けも終えていないようで積み上げられた段ボール箱が残っている。家具はベッドとデスク机。その上に乗った仕事道具であろうノートパソコンが一台だけ。台所もまだ使っていないようで何もない。
「こんな掘り出し物の物件、よく見つけたわね」
「たまたま空き部屋が出たからって不動産屋さんが紹介してくれたの。意外に眺めもいいのよ?」
そう言ってクリスが開けたベランダ。花束の店がよく見えた。中で働く従業員の姿も確認できる。
「あ・・・」
それを見てこの物件をクリスが見つけたことも偶然やタイミングが良かったという訳ではなく、花束が仕向けたことなのだと改めて感じた。そこまでするのだ。花束は本気でクリスを消そうとしている。
「あの店、知ってる?けっこう客入りもいいんだけど、私が追いかけてる件に関わってるかもしれない店でね」
花束を見下ろしながらクリスが言う。
「ランチにしましょう。せっかくだからあの店で、なんてどう?」
クリスが微笑む。
「ええ。行ったことのない店だから楽しみ」
客としては、というただし書きが付く言葉に内心で苦笑しながらクリスの部屋を後にする。
花束の店はいつもと変わらなかった。
あらかじめ二人が来店することは当然、情報が入っている。セセリがアゲハ蝶直々の指名により仕事を任されていることも。
だから店に入ってセセリが店員たちから特別に声を掛けられることもなければ、従業員割なんていう割引が適用されることもなかった。それには少しだけ残念に思いつつ、経費として後で請求しようと決めた。
「味は保証するわ」
注文の品を待ちながらクリスが言う。
「来たことがあるの?」
「記事を書き始める前にここの系列店舗に何度か、ね」
ここは初めてかも、と微笑むクリスに相槌を打つ。花束の記事を書く前ならばまだ花束も彼女を警戒などしていなかっただろう。料理に細工がされておらず、彼女が記事を書くのを止めなかったことにも納得がいく。
今日はといえばセセリが一緒だ。それに店の体裁もあるから料理に毒を盛るなんてことはできない。花束も手を出せないはずだ。食事は問題なく済み、食後の会話に花を咲かせた。
「ねぇ、クリス。昨日言っていたことだけど・・・」
昨日彼女が言っていた身の危険を感じ始めたという話。それを理由に花束の記事を書くのをやめるように説得できればと考えた。
「仕事で身の危険を感じているって・・・私、考えたんだけれど貴女が危険な目に合うのは心配だわ」
記事を書くの、やめた方がいいんじゃない?
そう言外に告げる。
「セセリ・・・心配してくれて、ありがとう。でも、これは私にとって敵討ちでもあるんだ」
クリスが告げて来た言葉。
「敵討ち?」
「・・・私の両親は、この店に殺された」
クリスがぽつりと告げて来た言葉にセセリの心臓が跳ね上がる。
「え・・・」
「ここでする話じゃないわね」
クリスが苦笑する。
場所を移し、クリスから聞いた話にセセリは何も言えなくなった。
その案件にはセセリも関わっていたからだ。
伝統や伝承が数多く残る古都。そこに保管されていた古い貴重な書物をどこかのお偉い方が欲したらしい。その保管場所に関する情報を手に入れるために情報収集が行われた。
情報提供者としてターゲットに上がった名前の中に聞き覚えがあったことに今になって確信が持てた。“アダンソン”、それは間違いなくクリスのファミリーネームだ。
通常、情報提供者が消されることは滅多なことでは発生しない。
しかし、運悪くその時は事の核心に触れる危険人物であると情報収集部のミツバチに判断されてしまった。
結果、アダンソン夫妻は殺された。花束によって。
もちろん、その事実が公にされることはなかったし、二人の死は事故として処理された。
しかし、娘であるクリスは二人の死に疑問を抱き、独自で調べるに至ったとのこと。
そう、それは些細なきっかけに過ぎない。
そして、今花束の重大な秘密、真実に近づこうとしている。
クリスに告発を止めるように説得しようかとも考えたが、難しそうだ。それに、止めさせたところで、花束の秘密を知ってしまったクリスを花束が諦めるわけがない。この先、告発をしようとしまいと、彼女は花束に命を狙われ続けることになる。花束の秘密を知る限り、ずっと。
噴水のある公園まで来たところでセセリはクリスを振り返る。
「今日は付き合ってくれてありがとう。私から誘っておいてなんだけど、今日はもう帰るわ」
そう告げたセセリにクリスも頷く。
「しばらくはこの街に滞在するつもりだから。また、食事に行きましょう」
背を向けて離れていくクリスの背中をセセリは見えなくなるまで見送った。
クリスと別れ、セセリは一人、別の公園まで足を延ばした。そこで花束へと連絡を取る。
『あら、セセリ?仕事は順調かしら?』
思わぬ人物の声に言葉が出なかった。
「・・・アゲハ様」
『こっちに入ってきている情報では彼女が掴んだ情報について知ったみたいだけれど、深入りは禁物よ?』
貴女まで消さなきゃならなくなる。
続いた言葉に息を呑む。
『なんてね。冗談よ』
電話の向こうでアゲハ蝶がクスクスと笑う。これは、花束の内情について真偽を確かめるまでもない。
「あの、アゲハ様。恭二、先輩は近くにいらっしゃいますでしょうか?」
『恭二?あぁ、彼は貴女の指導係だったわね。呼びに行かせるから、少し待って頂戴』
特に理由を聞かれることもなく目的の人物が数分もしない内に文句を言いながらも電話口に出てくれた。
『もしもし?』
少し不機嫌そうな声。電話口であるとはいえ、それまでアゲハ蝶と話していた緊張感から解放されたセセリは肩の力が抜けるのをヒシヒシと感じた。
「恭二・・・」
『なんだよ?こっちだって暇じゃねーんだ。それにお前、“先輩”を呼び捨てにしてんじゃねぇよ』
からかうように言われた言葉も今はセセリの耳を素通りしていった。
「そんなことより、私・・・どうすればいいの?」
思わず呟いた言葉。
『・・・今どこだ?少し待ってろ』
それだけ言って切れた電話。その後すぐに姿を見せた男にセセリは心の底から安堵した。
「やっぱり、私には無理よ」
「でも、お前も知ってしまったんだろう?花束の秘密を」
どうやら、その情報は早くも花束の連中全員、少なくとも幹部連中には知らされているようだ。
「花束の秘密を知ってしまった以上、もう後には引けない。お前が生き残るためにも、クリス・アダンソンにはこの世界から退場してもらわなければならない。お前の手で、な」
花束の秘密を知ってしまったセセリも花束に警戒される対象となってしまった。花束に忠誠を示す必要がある。
「でも、親友なのよ?」
「知ってる。だから、お前が選ばれた」
「花束は、やっぱり酷い組織ね」
ぽつりと呟いた言葉。花束に入ったときにも同じことを言った。
「それは、俺も同感だ」
賛同を得られはしたが、それだけでは問題の解決にはならない。
「彼女を殺さずに、情報だけを消せないかしら?」
「それができていたなら、お前に白羽の矢なんて飛んできちゃいないさ。蜂の連中は皆、ターゲットに警戒されて近づけない」
「近づければ、いいのね?」
恭二の言葉にセセリが反応する。
「そう、だが・・・」
「蜜流は、空いているかしら?」
「蜂の坊主か?確か、数日前からこの街を離れてる。王都に次の任務の下見だそうだ」
働きすぎもよくないものだ。
「そういえば、そう・・・だったわね。タイミング悪い・・・」
これも花束が仕組んだことなのだが、今のセセリにそこまでを推察する余裕はなさそうだ。あくまでも花束はセセリに仕事をさせようとしている。
「どうするつもりだったんだ?」
「彼氏、だとでも言ってクリスに蜜流を紹介して近づけて、毒針でチクッと・・・」
「ずさんな計画だな」
「じゃあ、どうしろっていうのよ?」
引けないセセリは真剣なのだが、いい案は浮かばない。
「・・・親友、なのよ」
セセリがぽつりと呟いた。
「それは、さっき聞いた」
ぶっきらぼうにそう返した恭二の声が聞こえているのかいないのか。セセリの言葉は続く。
「私が独りになったとき、あの子が傍にいてくれたの。助けて、くれたのよ?なのに・・・」
私じゃクリスを助けてあげられない。
セセリの言葉を隣で聞きながら、恭二は空を見上げる。何処までも青く広がるそこに阻むものなど何もないのに、逃げることのできない現実に閉じ込められている。
何もかもを放り出してしまえたら、どんなに楽だろう。
「・・・やるしかない、か」
やがて諦めたように言ってセセリが立ち上がる。
「健闘を祈ってるよ」
そう言って小さな背中を恭二は見送った。
アパートの狭い階段をドタドタと上がってくる音がした。会ったことのない、上の階の住人かとも思ったが、どうやら違ったらしい。
唐突に音が止んだと思ったら、激しくノックされた扉。
「はーい」
扉を開けて、そこに立っていた人物を見て彼女は驚いた。
「セセリ!?」
「お疲れ様、クリス。ちょっとキッチン、借りるわよ?」
そう断ってセセリは大量の買い物袋と共にクリスの部屋に上がり込む。
「ちょっと、どうしたの?」
大量の荷物を見て尋ねるクリスにセセリは首を傾げる。
「何、って・・・どうせ仕事に夢中でろくなモノ食べてないんでしょう?」
この前見たクリスのキッチンはいくら引越ししたばかりだとしても綺麗すぎた。
「私が、作ってあげる」
数十分後。段ボール箱で作った即席のローテーブルにセセリの手料理が並んだ。
「一体、どうしたの?」
怪訝な視線をセセリと料理に交互に投じながらクリスがもう何度目になるかわからない問いを口にする。
「だから、ただの恩返し!こっちだって恥ずかしいんだから何度も言わせないでよね!」
照れ隠しをするように出来上がった料理の一つを口に運ぶ。
「うん、おいしくできてる」
満足げに微笑んだセセリを見てクリスも料理に手を伸ばす。
「おいしい」
「本当に?よかった!」
クリスの感想を聞いてほっとした表情を浮かべるセセリにクリスも微笑む。
他愛もない会話をしながらの食事は傍から見れば何でもないように終わったと見て取れた。
しかし、セセリは気付いてしまった。
クリスがセセリをも警戒対象としてしまったことに。
提供した料理に手を付けないのだ。セセリが手を付けるまで。
それが悲しくて俯きかけたセセリにクリスが立ち上がり、ベランダの戸を開けながらぽつりと言った。
「明日」
「え?」
聞き返し、顔を上げたたセセリにクリスは窓の外、花束を見下ろしながら言葉を紡ぐ。
「明日、告発文書を提出するわ」
突然告げられた言葉に頭が理解するのを拒んでいる。
それでもセセリは声が震えてしまわないように気を付けながら頷いた。
「そう」
期限が早まった。それでもやることに変わりはない。
決意を固めるように、セセリは唇を固く結んだ。
「ただいま・・・」
「お疲れ様です、セセリさん」
裏口から姿を見せたセセリに腰を浮かせかけた後輩をセセリが制する。
「いい。代わりに個室、一つ借りるわ」
そう残してふらふらと廊下を進んでいく。
宣言通り、個室に陣取りワインのボトルを一本開ける。
ちょうど、外がざわめき始めた。
「火事だ!」
そんな声もしたかもしれない。
ここからは見えないが、さぞかし美しい華が咲いたことだろう。溢れんばかりの火の粉という花びらを纏って揺れる、朱い華が。
やがて聞こえ始めたけたたましいサイレンは夜が明けて空が白み始めても尚、しばらく鳴り止むことはなかった。
「お疲れさん」
ふらりと姿を見せた男はそう言って無遠慮にセセリの隣へと腰を下ろした。
「恭二・・・」
呼びかけられて視線を向ければしかめっ面でただ一言。
「煤臭い・・・」
「しょうがねぇだろ。火事の現場が店の目と鼻の先なんだよ」
言って上着を脱いだ。
「ねぇ、私・・・ちゃんとやれたでしょう?」
呆然とした様子のセセリがそう尋ねてくる。
「・・・そう、だな」
複雑な心境で恭二はただ頷いた。
「贈り物をしたの。あの子に似合いそうなストール、よ。色は、悩んだんだけれど水色がいいと思って。鱗粉は朱いから目立っちゃうけれど、彼女に似合う色の方がいいでしょう?」
酒に酔ったように語るセセリの言葉を恭二はただ、聞いていた。
『明日からは正真正銘の休暇だそうだな。一日でいい。俺に付き合え』
そう言われて、渋々指定された公園に足を運んだ。
少し早く着きすぎてしまっただろうか。恭二の姿はまだなかった。
手近なベンチに座り、空を見上げる。どこまでも青いそれはどこまででも広がっている。
「遠くに、行きたいな・・・」
ぽつりと呟いた言葉は風に吹かれて空気に溶けた。
「待たせたな」
不意に掛かった声。
「・・・遅い」
休日に呼び出しておいて待たせるとは何事だ、とばかりに不機嫌な声で応じた。
「元気そうでなによりだ」
詫びることなくそう告げてきた男にそんなことはない、と表情を曇らせる。
「呼び出して悪かった。お前に会わせたい奴がいてな」
いつもの軽い調子で告げられた。視線で示された先。
隣のベンチにいつの間にか座っていた女性がいた。
「え・・・?」
目に映ったものを疑った。それでもそれが夢や幻などではなく、現実なのだとセセリが理解するまで恭二は何も言わなかった。
「・・・クリス?」
そう名前を口にして駆け寄ったセセリをベンチに座った彼女が見上げる。
見間違うハズもない。長く綺麗な黒髪。青と黄色を混ぜ合わせたような不思議な色の瞳が変わらず澄んだ色をしてセセリを見ていた。
あまり着ないといっていたワンピースは白。首元をふわりと覆うスカーフは・・・。
「・・・どこかで、お会いしましたか?」
不思議そうな表情で彼女の口から出て来た言葉に目を瞠る。
「最近、火事に合ったらしい」
セセリの後ろから恭二が唐突に話し始める。
「そのショックで彼女は自分のことも、親友のことも、それまで手掛けていた仕事のことも、なにもかも全部忘れてしまったそうだ」
記憶喪失ってやつだな、と恭二はどこか面白そうな表情を浮かべる。
「貴方・・・何をしたの?」
セセリの糾弾に恭二は尚も面白そうに笑いを噛み殺している。
「なに。仕事を頑張った後輩にちょっとしたサプライズだ」
悪びれる様子もなくそう告げる恭二をセセリは睨みつける。
そんな二人の様子を記憶をなくしたという女性だけが不思議そうに見つめていた。
クリス・アダンソン宛ての荷物を預かった。差出人は聞いていた通り花束のセセリから。
中身は聞くまでもなく鱗粉をたっぷりと塗布した燃えやすい何か、だろう。
件の建物は花束の持ち物で三階のクリス・アダンソン以外の住人は一人もいない。精々彼女を監視するために配された花束の構成員が交替で出入りしている程度だ。
そんなことは露程も知らないであろう彼女の部屋のインターホンを恭二は鳴らした。
今の彼は配達員の姿に扮し、彼女の部屋のドアの前に立っていた。
オートロックなんていうものはこの建物には付いていない。それは彼女にこの物件を提案した際の構成員が了承を得ている。物騒な世の中だ。安全を考えればオートロック付の物件をと渋られるかとも危惧したものだが、彼女は金銭面を優先した。その点は彼女の誤算だったとも言えるだろう。
いや、そもそも花束に喧嘩を売ろうとしたこと自体が間違いだったのだ。
たっぷり時間をかけてガチャリと鍵の開く音がした。
警戒心を少しも解くことなく外を覗き込んだ瞳。それが荷物を持った恭二の姿を映す。
「クリス・アダンソンさんですね?」
そう尋ねた瞬間に届け物である箱を押し付けた。
「いたっ・・・!」
彼女が咄嗟に受け取ろうと伸ばした手に向かって突き刺した毒針。
消したのは直前に問いかけた事柄に関して。クリス・アダンソンという女性の記憶、全てだ。
そのまま気を失ってしまった彼女を壁に寄せて恭二は荷物を中へと運び込む。
彼女が荷物を開封するまで決して空気に触れることのないように厳重に梱包されたそれをクリスの仕事道具、ノートパソコンの近くまで運び入れた。
役目を終えた毒針で切った封。一瞬見えた中身。水色をした衣類がきらきらと仄かに朱く輝いていた。
「と、まぁこれが全貌だ。満足か?」
そう尋ねたセセリの瞳は未だに据わっていた。
「なんであんたが、蜂の毒を・・・」
そこまで口にして愚問だったと後悔した。
「俺は蝶にも、蜂にも籍を置いていたんでな」
蜂を脱退する時も毒針を返せなんて言われてねぇし、と嘯いてさえ見せる恭二にセセリはため息を吐く。
「お礼なんて、言わないから!」
ふいと背を向けて歩き出す。
まだ休暇の途中なのだ。こんなところで貴重な時間を無駄にはできない。
「可愛くねぇの」
遠ざかっていく後ろ姿にそう呟いた。それでも、もう一度笑顔が消えなくてよかったと思う自分もいた。
「柄じゃねぇことはするもんじゃない、な?」
周囲を囲む構成員たちに聞こえる声で男はそう言って同意を求めた。それに返る応えは返っては来なかった。