花束(ブーケ)という店
人口約七万五千人。六大都市の一つ、主都。
そんな街の警備・治安維持を担っている組織、フェンリルに所属する男が開いた店の扉。ちょうど昼時を回った頃だ。休憩も兼ねていたのだろう。部下らしき小柄な女性、というにはまだ幼い少女を従えて。
「あら、いらっしゃい」
見知った男の顔に店員の女性は笑顔を向ける。
「ずいぶん久しぶりじゃない?お仕事が順調だったのかしら」
そんな皮肉に男は苦笑しながら女性の機嫌を取るためか、はたまた別の狙いがあるのか、少し値の張る品を注文した。
「しばらく顔を見せられなかったのはすまない。忙しくてな」
そんな言い訳じみた決まり文句にほんとかしら、と女性は拗ねた態度を崩さない。
「可愛いお連れさんも一緒なのね。ゆっくりしていって」
グラスに注いだ水を出してくれた女性に会釈を返した少女は最近フェンリルに入ったばかりなのだろうか。見慣れない顔だった。
「今日は花も一輪頼めるか?」
「一輪と言わず何輪でも。それこそ、花束でも作りましょうか?」
冗談めかした女性の言葉に新顔の少女は慌てた様子を見せたが、男は動じる様子もなく懐から一枚の写真を取り出して店員の女性に寄越してきた。
「昨夜、この男を見なかったか?どこかで呑んでいたのは確かなんだが」
女性が受け取った写真には随分と高級そうな服を纏った男が映っていた。一緒に綺麗な女性も映り込んでいる。
お世辞にもどちらも到底、写真の男に釣り合っているようには見えなかったが。
「・・・見てないわね。このあたりで呑んでいたの?」
写真を返しながら男に尋ね返す。
「どうだかな。まぁ、別に大した事件じゃないんだ。ただ、事件性が薄いってことを証明できれば、それで」
そう説明した男に女性は興味なさげに相槌を返し、注文の品を運んでくるために一度二人の席を離れていった。
それをいいことに、少女が男に小言を飛ばす。
「ちょっと先輩!いいんですか?聞き込みとはいえ重要人物についての情報をこんな公の場所で訊いたりなんかして」
「まぁ、見てろ。この仕事、正攻法だけじゃ続かねぇぞ?」
そんな話をしていた二人の元に店員が注文の品を運んでくる。
「お待ちどおさま。後、さっきの写真の人だけれど、他の子たちも見てないそうよ」
「そうか」
配膳された食事に礼を述べた少女に微笑み返し、女性は再度男に視線を向ける。
「ここからは追加料金が必要だけれど、いかが?」
意味深な言葉を告げた女性に男はしばらく悩んだ後に結論を告げる。
「いや、今日は止めておこう。もともと事件性が低いんだ。これ以上の経費は落ちそうにない」
あら、残念。そう女性は踵を返す。
「先輩、いいんですか?」
せっかく極秘情報まで渡したのに。そう少女は言いたいのだろう。
「今日はこれでいいんだ」
「今日は?」
聞き返しに男は頷く。
「後は、勝手に調べてくれる。ここはそういう店だ」
男の言葉に少女はただただ首を傾げる。だって見かけはどう見たってただの飲食店。少し視野を広げたとしてもちょっとしたお喋りや相談事、悩みを聞いてくれるなんてことに付き合ってくれる程度のサービスがあるお店にしか見えなかった。
「それが、花束だ」
上司の言葉に納得できないまま少女は男について店を後にして行く。それを女性は微笑ましく見送った。
「それじゃ、後お願いできる?」
そう言って別の店員にフロアを任せ、彼女は店の裏へと回る。そしてインカムを手に取った。
「話は聞いていたかしら?早速、情報を集めてもらえる?」
そうインカムの向こうに指示を飛ばす。
情報が集まるまでの間、彼女は先ほど見せられた写真の男について情報を整理することにした。
彼女が見せられた写真は白黒だった。一組の男女を映し、カメラ目線ではなかったことからどうやら隠し撮り。その提供源は今は置いておく。
男の方はスキンヘッドに肩に一部だけ見える入れ墨。一応隠してはいるようだったが、今巷で噂になっている組織の一員だろうか。その象徴である紋が彫られていた。
隣にはきれいな女性も映っていた。腰まで届くロングヘア―は緩やかに巻かれてカーブを描き、昼間にしては大胆なナイトドレス。白黒であるため判別は難しいがどうやらシチュエーションは夜。辺りを警戒しているような男の目線。お忍びでの逢瀬、といったところだろうか。
一枚の写真から彼女はそう推理した。
机の上に散らばった書類の中から手に取ったのは一枚の写真。
それは先ほどフェンリルの男に見せられたモノとほぼ相違なかった。違いがあるとすれば、先ほどのモノは白黒だったのに対し、彼女が手にしている写真はフルカラーである、ということぐらいだろうか。こちらが原本であることは間違いない。
更に、先ほどフェンリルの男には言っていない事実があった。聞かれなかったから言わなかったのだが、男と一緒に映っている女性には見覚えがあった。
「いい仕事してるじゃない、亜麻音」
そう褒めれば、インカムの向こうから謙遜する声が届く。
『蝶のお姉さま方には及びません、セセリ様』
いつもは黒いスーツに身を包み外回りを任せている蜂側の部下だ。女は化粧一つでいくらでも化ける。
セセリと呼ばれた彼女は集まり出した情報に目を細めた。
「やっぱり、成り上がりなのね。道理で持ち物や人間関係が身の丈に見合ってないわけだ」
一人呟く。
どんなに立派な街にも環境に馴染めない人間はいるものだ。彼もそんな中の一人だったらしい。自分にあった職を見つけられず、その日暮らしをしていたようだ。
街のゴロツキと化した彼はチンピラ仲間と割のいい仕事を探す内に大きな仕事で成功したらしい。尤も、チンピラにとっての大きな仕事だ。ヤバい内容のモノに決まっている。
それでも一躍その界隈の成功者として名を売った男。
その筋の者の間ではかなり有名だという。その世界で縁を結んで妻と子供にも恵まれた四人暮らし。
最近では巷で問題となっている危ない薬の流通を取り仕切り、大きな組織の一幹部という地位を手に入れた。
「それで満足しておけば良かったのにねぇ」
男の境遇をそんな風に評して溜息を吐いた。
欲を出せばその身を亡ぼす。それ相応のリスクを伴い、彼は見事に自身の命をもってその代償を支払うことになったらしい。
「なるほど。これはなかなかに面白そう」
呟いてセセリは新たな指示を部下に飛ばす。
「明日のランチ、特別ゲストを招待して頂戴。怪しまれないで。うまくやってね。信頼はしているけれど。腕の見せ所よ」
そんな彼女の声はどこか楽しげだった。
「私、物事の裏を取ってる時間が一番好きよ。だってまだ誰も知らない事実を一番に知ることができるのよ?」
ご機嫌にそう語った女が店頭に立つ。
時刻はもうすぐ昼時に差し掛かるといった頃。早めのランチを求めて来た人々で店内はかなり賑わっている。
そんな中で彼女の視線を惹いた客がいた。五人組の女性客。母親同士の集まりのようで子供を抱えている者もいた。
青いショートボブの女性。子供を抱えている女性は首の後ろで髪をひとまとめにしていた。ロングヘアの女性は赤いワンピースがよく似合っている。金髪の彼女は子育てを始めて間もないらしい。手荒れを知らない手をしていた。一番最後に入店してきた女性は口数少なくただ仕方なく彼女たちについてきた、という印象を店員に与えた。
「いらっしゃい。ママ友さんかしら?子育ては大変?」
そう声を掛ければ面白いくらいに話が次から次へと飛び出してくる。子育てについてはもちろん。旦那の愚痴も大いに含まれている。
「うちの旦那ったら家のことなんかそっちのけで。それに比べて奥さんは羨ましい・・・あ、ごめんなさい。不謹慎だったわ」
機嫌よく話をしていた髪をまとめた夫人が話を振った女性。しかし、すぐに申し訳なさそうな顔で口を閉ざした。
「いいのよ。気にしないで」
話を振られた女性、最後に入店してきた夫人はそう言って話を元通り盛り上げようとそれまであまり食いつかなかった話に自分から口を開き始めた。
「彼女、どうしたの?」
五人もいれば必然、話し手と聞き手に役割が分かれる。聞き役に回った一人、ロングヘアの女性に店員はすかさず声を掛ける。
他人の不幸は蜜の味。ママ友仲間に起こったであろう不幸な身の上話は余すことなく女性店員の知るところとなった。
曰く、最近旦那を事故で亡くしたそうだ。
「あら、それはお気の毒に」
表情を曇らせた店員に、しかし未亡人となった本人が否定の声を上げた。
「いいんですよ、あんな人!いなくなってせいせいしたわ!」
言って腕を組んだ彼女に店員が苦笑する。
「あらあら、自暴自棄?子どもさんもいるんじゃないの?」
これはママ友の会なのだから。
「まぁ、それなりにお金は入れてくれていたから当面の間は困りませんけど」
今は突然いなくなったことも含め、悲しみよりも怒りの方が強いらしい。他人に好き勝手噂されるよりかは自分から話してしまえとでも思ったのか。
「あの人、浮気していたのよ!その日もその女の元で呑んだくれて帰ってきて。階段から足を滑らせていなくなるなんて間抜けすぎて。怒る気にもなれないわ」
なるほど。そういうことにしたいようだ。
「それは、奥様もやり切れませんわね」
夫人に同情を見せ、頷いた。
彼女らが食事を終え、おしゃべりにも満足して店を出る頃。
「奥様方。これは当店からのサービス」
微笑み、そう声を掛けて女性が手渡したのは名刺ほどの大きさのサービス券。メッセージが添えられたそれに彼女は手渡してきた店員の顔を見返した。
「あら、嬉しい」
「またのご来店を心よりお待ちしています」
店員はただ頭を深く下げて退店していく客を見送った。
「あの・・・セセリさん、という方はいらっしゃいますか?」
その日の夜も更けた深夜のこと。
「はーい。奥の部屋に通してちょうだい。あ、何か飲む?」
常連客の相手でもするような気軽さでセセリと呼ばれた店員は一人の女性客を迎えた。
個室に通された女性客は昼間にも姿を見せたママ友の一人、ロングヘアの女性だった。昼間は華やかな印象を与えていた服装も今は人目を忍ぶように地味なものへと変え、自慢の髪もフードの中へと押し込んだ装いにこちらの方が気の毒になる。
「そんなに身構えないで。貴女を悪いようにはしないわ」
別の店員に持ってこさせたドリンクを一口傾けたセセリを、なおも女性客は警戒するように睨みつけてきた。
「そうね、私たちに目を付けられてしまったのは本当に気の毒に思うわ。でも、悪いことをしたのはそちらだもの。その点は間違えないで」
そう、断りを入れてからセセリは組んでいた足を組み替えた。
「でも、ママ友達の旦那を寝とるなんて度胸があるんだもの。それに、嫉妬から相手を階段から突き落とすなんて、なかなかできたことじゃないわ」
まぁ、そう仕向けたのは私たちなんだけれど、なんてことは口が裂けても言わない。だからこそ、慈悲の手は差し伸べるべきだろう。
「だから、私が助けてあげる。私たちの店で働かない?そうすれば貴女の秘密は花束によって守られる。貴女が裏切らない限り、ずっと。ね?」
微笑んだセセリ。ロングヘアの女性は渋々といった体でその手を取った。もっとも、彼女にはそれ以外の選択肢なんて用意されていない。弱みを握られたのだ。従う他ないだろう。
「・・・何をすればいいの?」
そう尋ねてきた彼女にセセリはそうねぇ、と顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「私たちの店舗はね、世界中にあるの。その中の一つでお客様の相手をしてちょうだい。引っ越すことになるけれど、貴女にはその方が都合もいいでしょう」
必要な情報を簡潔に書いたメモを女性に渡す。
「私の名前を出せば、いいようにとりなしてくれるはずよ。頑張ってね」
話は終わりだとばかりに立ち上がったセセリを彼女はただ見送った。
「お疲れ様です、セセリさん」
そんな声と同時に裏口から姿を見せた青年。黒いスーツ姿に赤みがかったくせ毛。かっちりと着込んだスーツが堅い印象を与える一方で目を惹く金色のピアス。
「あら、お帰りなさい。外回りご苦労様」
青年を労いながらセセリは紫煙を長く吐き出した。
「昨日のお客様はどうなりました?」
そう尋ねて来た彼をセセリは思わず振り返る。
「珍しいじゃない。貴方が仕事の中身に興味を持つなんて」
明日は槍でも降るのかしら?
そんな失礼なことを言って窓の外、空を仰ぎ見るセセリに青年はムッとした表情を向けた。
「いけませんか?」
「ううん。いいんじゃない?ただ情報を横流ししてるだけじゃつまらないもの」
そう言って彼女、セセリはふわりと笑う。
「でも、それが俺の仕事です」
「わかってる。いつも助かるわ。貴方たちミツバチのおかげでこの店は回っているのよ」
「情報屋ですからね。提供するモノが無ければ成り立たない」
「蝶も蜂も情報という名の蜜に寄って集る。今は同じ店を回す協力者だもの。仲良くしましょう?蜜流」
「意味深ですね。そんなに俺の仕事が気に入らなかったですか?」
セセリの向かい側の椅子を引きながら蜜流と呼ばれた青年が食いついてくる。
「そんなんじゃないわよ。今回の仕事も、これまでの仕事も貴方の仕事は完璧よ。・・・完璧だったからこそ、知らなくていいことまで知ってしまった。だから、少し迷ってしまっているだけ」
言って、今回の件について改めて整理する。
花束の上役から一人の男を消せ、という命令が下った。こういう仕事は大抵の場合、国や政治がらみのことが多い。今回はどちらだか知らないが、どちらだってやることに変わりはない。
しかし、あくまでも飲食店である花束が男に直接手を下すことはできない。
そこで、男を消すために男の情報を徹底的に洗い出した。経歴はもちろん、酒や女性の好み、今まで付き合ってきた女性、その経緯や別れた原因まで。
そうして集めた情報から髪の長い女性が好みであるという分析結果が出た。
そこで次に花束がしたのは髪の長い女を探すことだった。中でも嫉妬深く、それなりの度胸がある女を選んだ。なんでも、男を殺してもらわなければならないのだ。そこは慎重に、一番時間を掛けたと言っても過言ではない。
女を選んでいる間に男の方への接触も図り、いい女がいると言っては妻子がいると断り続ける男を唆した。そうして莫大な経費と時間をかけて選ばれた女性に男を会わせた。
花束の働きかけにより思惑通り、二人は不倫関係へと発展した。
そんな状況を作り出し、二人の仲が深まった頃合いを見計らって更に花束が新たな情報を手に入れるために動く。
例の写真だ。花束の構成員である亜麻音にナイトドレスを着せ、男に言い寄らせて撮ったのがあの写真だった。
それを不倫相手の女に渡るように仕向ければ後はその後の展開を待つばかり。
花束の描いた通りのシナリオでフェンリルから情報提供を求められ、セセリはこの件の成功を確信した。
最後に、使った女のアフターフォローを入れてこの件は終了。
報酬は上から降りてくるだろうが、これだけの時間と労力をかけて一体いくらになることやら。まぁ、女の選定や男の情報集めは莫大な情報網を持つ花束にとっては労力を使った内には含まれないので、男と女を接触させ、不倫に発展させるまでの方が大変だったと言えるか。なにせ、そこは当人たちに任せる他ないからだ。でも、うまく事が運んでくれて何より。
「今度、新しく花束に入った子。あの子にも子どもがいるのよ。なのに、こちらの都合で動かして・・・ってね」
セセリの言葉にそんなことか、と蜜流は息を吐き出す。
「そんなこと俺たちが考えることじゃないです。それを考え、采配するのは・・・」
「わかってるわよ。すべては、上の・・・女王様の望みのままに」
今回、花束にいいように使われてしまった彼女には今後、花束内でのそれなりの地位が約束され、それなりの報酬も受け取ることになるだろう。セセリが、そうであったように。
「私たちは末端でしかないんだもの」
蜂が集めた蜜を蝶が店で客に提供する。それが情報屋、花束。今までも、これからも。
「時には客が望む情報を。捏造することも厭わない。だってそれが真実になるんだから」
それが花束のやり方だった。