蝶の舞に火花が咲いて
花束の元になったお話。
赤い花が咲いている。
あの日と同じだ。
ゴウゴウと音を立てて燃え盛る赤い火花は空をも赤く染めていく。
窓の外に見える赤いそれを俺はぼんやりと眺めていた。
「恭二!面白いモノを拾ったんだ。育ててみないか?」
そう言って同僚が俺に寄越したのは薄汚れた、まだ幼い子どもだった。
「あぁん?戦争孤児か?ってか、なんで俺に寄越すんだよ?それから名前!本名出すなっつールールだろうが!」
まだ開店前ではあるが、そういうのは普段からの行いがモノを云う。
営業中に本名で呼ばれるなんざ、たまったもんじゃない。
「はいはい、キョーカ姐さん。で、どうすんの?いるの?いらねーの?」
犬猫拾ったみたいな言い方しやがって。
「んなこと、アゲハに伺い立てねーと……」
「面白いじゃない」
凛とした声が響く。
ここを取り仕切る女社長、アゲハ蝶が2階のテラスから此方を見下ろしていた。
隣にはナンバー2の黒アゲハを従えて。
「決まりだな」
同僚がニヤリと俺を見て笑う。
「はぁ……」
面倒なことになった。
*
「おい、恭二!そろそろ時間だ!いい加減起きろよ!」
まだ声変わりしきっていない高い声が俺の名前を呼ぶ。
「うっせーな……二日酔いなんだよ」
昨日の客がしつけーから……まだ時間には余裕もある。
しかし、久々に懐かしい夢を見た。
あれから何年経ったんだか。
チラリと布団を剥がしに掛かっている子どもを盗み見る。
強気な瞳は深い赤。
伸ばさせている髪も赤毛で肩に着くか着かないか。この前言い付けを破って一度切りさえしなければ今頃腰にまでその長さが届いていただろうに。勿体ない。
やんちゃ盛りは俺の上に馬乗りになっているところから将来有望。
そろそろ本格的な仕込みをしても良さそうか。
「恭二!」
「わかったよ……でけぇ声出すなって」
上に乗っていたモノを全て押し退け、ベッドサイドに置いていた煙草に手を伸ばす。
火を点け、大きく吸い込んで吐き出した煙はすぐに部屋の空気に溶けていく。
「……荊」
徐に名前を呼んだ。
「うん?」
自分の仕度をしながら此方に視線を向けることなく返事だけを寄越してきた。
「お前、いくつになったんだ?」
そう問いかけた俺に少年はあからさまに眉間にシワをよせた。
「急になんだよ?」
「いくつだって聞いてんの」
髪を掻き揚げ、肩越しに視線を投じる。
「あんたと出会って丁度10年だよ」
「10年、か」
出会ったときが推定4つ。だとしたらコイツは14歳になるってことだ。
「なんだよ?」
「いや。そろそろ本格的な仕込みをしようかと思っただけだ」
「本格的……ってまだ何かやらせる気かよ……?」
荊はウンザリだという顔で仕度をしていた手を止めた。
「嬉しいだろ?一人立ち出来て」
「嬉しくない」
面倒が増えるだけだ。
そう続いた少年の言葉に確かにな、と頷いてしまう自分がいた。
「まぁ、そう言うな」
花束に入っちまった以上はここで生きていく他にないんだから。
花束は表向きは客をもてなすそーいうお店。しかし、裏ではどうでもいい情報から危ない情報などをも取引する情報屋だ。
今夜は新しい依頼をお得意様から受ける大事な日だ。
さて。
俺もそろそろ切り換えないと。
「店に出る準備して?今日は特別なお客が来るんだから」
高い声を作った俺に荊はため息を吐いている。
仕方ないだろ?これが俺たちの仕事だ。
「わかったよ。鏡香姉さん」
*
スパンコールをふんだんに散りばめたナイトドレスは深紅を選んだ。
俺の趣味じゃあない。今夜の客の趣味だ。
ミドルショートの黒髪に客から貰ったアメジストの髪留め。
お前の瞳と同じ色だと言って贈られたっけ。
店の喧騒はいつもと変わらないが、何処か浮き足立っているようにも思えた。
「鏡香」
俺を呼び止める声に足を止めれば、そこには黒アゲハの姿。
名前の通り、夜空みたいな黒を纏っている。
髪も黒いから顔の上で一際輝く赤い柘榴石みたいな瞳と唇が良く映える。
「今日の上客は任せたわよ?」
「言われなくても承知の上よ」
短いやり取り。
周りからも期待の目が向けられている。
そんなに気を張る必要があるのか、正直俺にはわからない。
しかしそんな上客が来るってのに相変わらずアゲハ蝶の姿は店にない、か。
「余裕、ね」
「言うわね鏡香!」
「結果が楽しみだわ」
俺の呟きをどう受け取ったのか、周りからは的外れな声が掛かる。
それを背中に受けながら上客が通されるVIPルームに先に足を踏み入れた。
*
「お前、名前はあるのか?」
押し付けられた子どもに問い掛けた。
「……けい」
「ふーん?よし、じゃあお前は今から荊だ。イバラっつー意味もある」
覚えておけよ。
*
いつぞやの記憶に耽り過ぎていたようだ。
少し眠ってしまっていたのかもしれない。
気配もなく目の前に上客が座っていたときには肝が冷えた。
しかし、仕事の出来はこれ以上ないと言えるだろう。
「ただいま」
仕事を終え、店の片付けが終わり帰路に着いた時には既に朝日が顔を覗かせていた。
まだガキだからと日付けが変わる前に店を追い出される荊はまだ夢の中、か。
もう少し気を配ってやるべきだったか、と考えなくもないが今更遅い。
しかし、そんな俺の心配も必要なかったらしい。
「お帰り!仕事、どうだった!?」
俺の声を聞き付けて直ぐに玄関に飛び出してきた荊に呆れる。
「寝てないのか?今日も仕事だろ」
言って顔に掛かった髪を掻き揚げた。
「寝られるワケないじゃん!で?どうだったの?」
話をせがんでくる荊に遠い記憶の影が重なった。
それに懸命に靄を掛け、蓋をする。
思い出すな。
「大したことない。仕事は受けた。明日から暫く空ける」
それだけ言って部屋の中へと進む。
進みながら鞄や靴、上着を床に落とす。
それを拾い集めながら後ろを着いてくる少年を俺は呼んだ。
「お前も一緒に来い」
*
雨だ。
「お前、雨季生まれだろ?」
唐突に俺が放った言葉を理解するのに暫く時間を要したらしい。
それでもちゃんと答えは帰ってきた。
「俺が雨男だって言いたいの?」
「そうに決まってんだろ。俺は乾季生まれだからな」
傘も差さずに雨に降られるまま街を歩く。
ふと、おっさんと少年が2人連れ立っている様は他の奴らから見るとどのように映っているのだろうかと考えた。
親子?んなワケないか。
「で、何処に行くんだよ?」
荊の問い掛けに俺は間を置いてから答えてやった。
「王都だ」
言って、丁度後ろから近付いてきた車を停めた。
「空港まで」
運転手にそう告げた。
「何しに行くんだよ?」
「言っただろう?仕事だ」
車が走り出す。
車内に響くのは雨の音だけ。
「王子が死んだらしい。それを確かめに行くんだよ」
言って、雨が叩き付けるフロントガラスに目を向ける。
雨が強くなった。
運転手の表情は無表情を装い、興味の無さげなフリをしているが聞き耳を立てていることを俺の目は見逃さない。
このまま存分に情報を拡散してくれることを期待する。
*
鉄の塊が次々に空へと旅立って行くのを見送る。
「また飛んだ!」
空港に来るのも飛行機に乗るのも初めてだろう荊はここに着いてからずっとはしゃいでいた。
「お前いい加減うるせーぞ」
仕事だって言ってんのに。
心中で毒づきながら手続きを済ませていく。
途中の仕込みも忘れない。
到着ゲートから出てきた奴らを適当に見繕って声を掛ける。
「アンタ、王都から来たのか?」
不審そうな目は俺が開示する僅かな情報で直ぐに好奇心に染められ、目の色が変わる。
仕込みは上々だろう。
「荊、行くぞ」
*
鉄の塊の中に乗り込む。
個室になった客室には俺と荊の2人きり。
「さっきからこそこそと、仕事熱心なこった」
ガキの癖に、目敏いなと感心する。そう仕込んだのは俺か。
「お前もちったぁ見習えよ」
言っていつもの癖で煙草に火を点けようと手を伸ばしたが機内が禁煙であることを思い出す。
火を点ける代わりに舌打ちした。
「花束の本当の仕事、教えてくれんじゃねーの?」
外の雨で何も見えなくなった窓に飽きたのか真面目な顔を向けてくる。
煙草をしまい、俺も荊に真面目な顔を向けた。
「花束は情報屋だ」
「それは知ってる」
ま、店に出入りしていれば嫌でも目につく。
些細な情報ならば、接客をしながらホールで酒を呑みながら世間話よろしく堂々と提供されている。
内容が重大であればあるほどさも大した話ではないことのように喧騒の中へと紛れ込ませて。木を隠すなら森の中、人を隠すならなんとやらよらろしく情報を隠すならまさしく情報の中。時に難解な暗号と化してしまうこともしばしばだ。
見習いとはいえ、荊もその店の一員だ。
「お前、情報屋はどんな仕事をしてると思ってるんだ?」
「情報収集と情報提供じゃねーの?」
目に見えてる部分なんて所詮はこの程度、だ。
情報屋って言ってもただ、情報を集めて提供するだけが仕事じゃない。
その程度のことなら誰にでも出来る。
「いいか?情報屋の仕事は大きく5つだ」
2つは荊の言った通り情報収集と情報提供。だが、上辺だけの情報収集なら情報屋なんて仕事はいらない。
「昔、自分の寿命が知りたいという依頼があった」
「寿命?」
荊が怪訝な顔をする。
やはり情報屋の仕事を丁寧に説明してやる必要があるな。
「お門違いにも程があるだろ。そんなものが知りたいなら医療機関の充実した医都にでも行って聞くべきだ」
荊の意見にそうかもな、と頷いた。
「だが、依頼された以上そいつの寿命を情報として提供するのが俺たちの仕事だ」
「でも、どうやって?」
「徹底的に調べあげるんだよ。そいつの生体データはもちろん、年齢、性別、家族構成、家族の病歴、生活環境、習慣、食生活から人間関係、仕事、トラブル、住居環境、嗜好品、そいつの住んでる地形から考えられる自然災害やそれが起こり得る確率……」
一気に捲し立て、息を吸い込む。
「それらから考えられる可能性全てを考慮してそいつの寿命、どんな死に方をするかまで割り出した」
荊が息を呑む気配が伝わってくる。
「ま、ここまで徹底的に調べあげてやったんだ。決して安かない情報だったな」
時間も手間も掛かった。
一体いくら巻き上げたんだか。知っているのは上の連中だけ、か。
「で?どんな結果になったんだ?」
「花束のルールを忘れたのか?秘密厳守だ」
俺の言葉に荊はため息みたいな声で頷いた。
「じゃあ、他には?」
「そうだなぁ……ある根も葉もない情報を真実にする、なんてのがあったなぁ」
「嘘を本当にする、ってこと?」
荊の問い返しに頷く。
「嘘よりももっと酷いモンを本当にしちまうんだよ」
今回の仕事は正しくこれ、だ。
「王都に着いたらお前には情報収集を頼む。正義感が強くて、純粋で。主人のことを疑いもしてない真っ直ぐな奴がいいな」
俺の言葉に荊はイマイチ納得していない様子だったが、警戒されないためにはこの程度でいいだろう。
下手に情報を持たせて相手に此方の手の内を見せてしまわないという保証もない。
「お前の初仕事だ。期待してるぞ」
*
王都に着いてからも雨は勢いを緩める気は無いようで窓の外はずっと暗い。
お陰で灯りの点いた建物の中が良く見えた。
“期待してる”
なんて誰かに言う日がくるなんて思ってもいなかった。
ずっと一人だった。
あの日から。
俺の言葉に嬉しそうに笑う顔が忘れられない。
照れ隠しに頭に置いた手を払う様も、張り切って出ていった背中も。
今もここから見える、真剣に花束の仕事に臨む姿も。
「バカだな。花束に、命賭ける価値は多分ねーよ」
呟いた言葉は誰に向けたモノか。
*
王都に入って一週間。
その日はよく晴れていた。快晴だ。
通りを歩く王都民の姿が絶えない。
そんな中、赤い花が咲いた。
レンガ作りの建物の三階から火花が溢れる。
あちこちから上がる悲鳴。
それを他人事よろしく宿の部屋から眺めていた。
と、部屋の外。廊下をどたどたとけたたましい靴音が鳴らす。
「恭二!火事だ!」
「あぁ、見えてる。ここから良く見える」
赤い花が咲いてる。
俺は何処か酔ったように呟いた。
「潮時だな。荊、情報収集はどうだ?条件に合う犬はいたか?」
俺の問い掛けに荊は眉をしかめる。
俺が酔っていると思っている様だ。
「こんな真っ昼間から酒なんて呑んでねーよ?」
ましてや仕事中だ。
「花束のルールを覚えているか?」
聞きながら俺自身も花束のルールを反芻した。
秘密厳守とそれから……。
「足跡を残すな。あの火事は……」
「ご明察!」
誉めてやったのに、荊はあまりいい顔をしなかった。
「花束の小道具の1つだな。“鱗粉”つーんだ。一定時間空気に触れ続ければたちまち火の花が咲く。赤い花だ」
あの火事は正しく花束の蝶が鱗粉を使ったがための火事だ。
情報提供者を消したのか、はたまた……。
「荊、お前にも渡しておく。だが、使い処を間違えるな?」
大事なモンまで燃やしちまうぞ?
小さな小瓶に詰まったそれは窓から入ってきた火の粉を反射して赤くきらきらと光って見えた。
*
「コイツにしよう」
荊が持ってきた情報からターゲットを選ぶ。
運悪く選ばれてしまったソイツは王国軍の中堅騎士。
王制になんの疑いも持たず、絶対的な忠誠を誓っている。
正義感の強い、行動力に溢れた性格。
若いながらに王子の剣術の稽古にも立ち会っているという。
「荊、お前がコイツに情報を渡してこい」
情報収集の介あって今日この騎士が仲間と居酒屋で酒を呑むという情報は入手済み。
特に明日はコイツの非番の日だから目一杯呑み明かす。
後は情報提供によって背中を押してやるだけでいい。
「俺が蒔いた情報の種を育て上げ、花を咲かせる夜に相応しい」
俺の言葉に荊はため息を吐く。
「アンタは今回特に動いてねーじゃん」
ずっとここで花を見てた。赤い花を。
「違いない!」
荊の言葉に笑った俺を荊はじとっと睨み付けてくる。
「また酔ってるのか?」
「かもな」
これで俺たちの仕事は終わりだ。
後は事の顛末を見届けるだけ。
情報でしか成り行きを知り得ないのがもどかしいが場所が場所なだけに仕方ない。
「とびきり大きな花を咲かせてくれよ?」
なんてったってこの都で一番目立つ場所で咲くのだ。
大きくなければ折角の花が見えない。
「鱗粉を仕込むのを忘れるな」
「了解」
*
「火事だ!」
「王子が死んだらしい!」
「殺されたんだってよ?」
「一体誰に!?」
「クーデターだってよ?」
「火元は玉座の間ですって!」
「内部抗争か!」
「病気だったらしい……」
「死んだのは第二王子?」
「王を殺そうとして射殺されたとか……」
「兵士が王族を殺したらしい!」
・
・
・
噂が噂を呼んで真実をどんどん隠していく。
それに人知れず仕事の成功を祝って微笑んだ。
*
来たときと同じように鉄の塊に乗り込んだ。
あの日と違うのは雨が降っていないことと、仕事からの解放感を感じていることだろうか。
そして、機内はもちろん。向かう先々では先日の王族の急逝の話題で持ち切りだった。
「なぁ、この後はどうなるんだ?」
荊の声に振り返らずに俺は帰りの列車に乗り込んだ。
「どうって?別に。何もない。いつもの日常に戻るだけだ」
出張は終わり。経費を報告すれば、後は上が妥当だとする今回の件の報酬を支払ってくれる。
「でも、今回の件について真相を知りたがる奴はいるだろう?」
なんだ、そんなことか。
「それについて俺たちが何か考えることは何もない」
上の指示に従うまでだ。
「花束のルールは?」
「秘密厳守」
「よろしい」
それをちゃんと理解できていれば、今後この件に関しての厄介事からは花束が守ってくれる。
「花束に利益をもたらしている間は、な」
俺の声は窓の外に興味を移した荊には届かなかった。
*
本当にこれで良かったのか?
そう自問する日々は続いている。
今日もそしてこれからも。
ただ、今自分に出来ることを。
そう思うから、これからもこの日々を続けていくことになるのだろう。
終わりは見えないし、知りもしないだろうけれど。