7 刺客、動く
《三月八日木曜、夕刻》
市警の、と或る小部屋。
八の字寄せたニクラウス曹長*が溜息。 *註:警部補に当たる市警の階級
「正直、すまんかった」と、謝る。
気の毒そうな顔で「そんな切羽詰まってたって知らなかったし」
卓の向かいで、猿がうな垂れている。下半身は裸。
「すまんかったよ。俺の替え下着やるから」
「下着じゃ、おもて歩けないし」と、猿が涙声。
「だから謝るよ。急に威嚇するような声かけたのは、俺が悪かった」
猿、マジ泣きする。
「ニークラウスくーん!」 老人がひょこっと。
「あ、警視。参事会は終わったのでありますか?」
「いや、中休み。ちょっと外出するよ」
「お帰りは?」
「日没前には戻るから」
「あの、その・・隠し戸口なんでありますが、効果的な偽装が却って祟り、酔漢共の小用足しスポットになっておりまして、対策が必要ではと存じます」
「却って偽装に効果的じゃない?」
「ううっ、通るの嫌で」
「それが効果的な偽装じゃんか」
「でも、閣下・・」
「彼、泣かしちゃダメだよ。スカウトしたてホヤホヤ新人の密偵、優しくしてね。コードネームは『お猿』。ゲルダン関係の事情通だ。面倒みてやって」
「はあ」
老人、隠し扉から出かける。「確かに、くっせー」と、遠くから声。
曹長、また溜息。
「下穿き、洗濯させとくから」
猿が、まだ下向いて泣いている。
☆ ☆
中央広場の噴水前。
じじいと尻娘がいる。
「駄目だったにゃ」
報告する。
「そうか」と、溜息。
「腹、括るか・・」
「まだ早くにゃい? ゲルダン兵だけ暴走させて尻尾切って逃げるかもだし」
「『魔術師』の奴が始末された。もと悪童どもも見逃されまい」
「パンツさえ脱がされたんだよ」
「パンツ関係にゃいし」
「この町の組織とプフスの代官所。連携取ったか手を組んだか。坊さん云うのは恐らくは嶺北の修道騎士団が密偵じゃろ。連中、騎士で修道僧じゃ。ただの坊主の真似など容易い。三勢力が動いたと聞いてまだ強気に出るとは、度し難い」
「包囲網だねー」
「なんか偉い坊さん言ってたぞ。アサド師*とか」
「そりゃ指令出した人じゃろう。元修道騎士団長の名じゃ」
*註:Fra Asad=Brother Asad
「ぷちっと1号はー?」
「今日の午後じゃ。町にあるガルデリ子爵別邸から市警に訴えがあってな、逗留中の客人が昼過ぎても寝室から出て来んで事件ぽいから様子見てくれぇちゅうんで警吏を行かせた。そしたらーー」
「そしたら、ぷち?」
「ーー内鍵二重に掛けた寝室でジャン・ブシャールちゅう若い対魔コミッサールが縊死体で天井からぶる下がっておってな。審問官殿宛てに詫び状が遺書に認めてあった。次の間におった従僕も人の出入りは無かったと証言しとる。完全な密室じゃ。自分の意思でぶる下がったとしか見えなんだと」
「なに詫びてたの?」
「『先立つ不孝をお許し下さい』じゃと」
「隠し子かよー!」
「密室って、既視感にゃ」
「遺留品に審問官宛報告の書損が未処分で残っとってな、市内の地下水道に児童の死体遺棄やらかした容疑者としてニコラス・ベリンゲリウスの名が挙がっとる」
「ふーん、玉突き『ぷちっ』とかぁ」
「従僕ども言うに書状は一昨日に教会便で出した後じゃと。馬鹿じゃな。嶺北の大司教座に筒抜けじゃわ」
「なんでその『魔女狩り』屋、子爵家に泊まってたにゃん?」
「審問官殿が子爵に紹介状書いとった。誘拐事件とか始まるずっと前じゃ。お家騒動に目を付けて、最初から伯爵世子周辺で有ること無いことネタ探しする積もりで嶺南入りした様じゃな」
「なら『魔術師』ベレンガー濡れ衣かもにゃ」
「探られて痛い腹もあったから、彼のデブも『ぷちっ』と行かれたんでは無いかのう。隠し子どんも鼻は利くようじゃ。でも馬鹿じゃな。世子の政敵と思って子爵家に『ええ情報ありまっせ』しに行ったか、それとも何か別件で金せびりに行ったか知らんが、肝心の自分が先に『ぷちっ』と行かれた」
「挙句、逆に親父の弱み握られてるにゃ」
「相手が悪過ぎたんじゃないのー?」
「この情報、市長判断で参事会にも伏せとるから取扱注意で頼むぞ」
「あたし、ギルド見て来る」
「尻娘、用心にこれ持ってくにゃ」
「何これ」
「万一の護身用にゃん」
「いや何って、このデザインがー」
「むかし猫村で匿った貴族が感謝の印に置いてった業物にゃ」
「でもこの短刀、鍔がたまたま型で柄頭には鈴口ついてんですけどー」
「護身名刀、銘は『ちんちん丸*』にゃ」 *註:剣種はBalloc Daggerらしい
「うんこ猫、あんたソレを乙女に握らせるわけ?」
「縁起物と聞いてるにゃん。運が良くな・・なぜ耳を引っ張るにゃッ! 刃渡は市内で所持できる規制値クリアしてるけど大事とって腰に差さないが吉」
「当たり前よー、人前じゃ・・」
「そうそう、肌身に着けて隠し持つ護身用短剣にゃ。内腿に隠して差す用の剣帯が付いてるにゃん」
「それもイヤ」
「ニンゲンの感性よくわからないにゃん」
「日が落ちたら寺町坂下の店で合流ね。猿も来る。あ、これ市警の裏鑑札。あんたの分! じゃね」と、走って行く。
「じじい、気ぃ落とすな。まだ道あるかも分からんし」
「慰めんでいいわい」
「今日、倅が家に帰って来たら説得して、有るたけの金持たせて南へ逃がせ。夜のうちにフル河渡ってゲルダン越えて、トスキニアの港から東帝国へ。手引きしてやるにゃ。まだ間に合う。最後まで足掻くにゃ」
「お主、良い猫じゃの。いま少し足掻いてみるか」
「それがいいにゃ」
「手前勝手に良い方に期待してみるか。騎士団の方が察してくれるとか、末端組織だけ潰して悪童どもは国外追放くらいで勘弁して貰えるとか、夢見てみるか」
「虚しくても、絶望より希望がいいにゃん」
「うむ。今夜は合流少し遅くなるやも知れんが、またの!」
☆ ☆
坂下の店。猿がコルンを飲んでいる。
東方の博士みたいな長衣。
「こんな服しきゃ無かったんかよぉ」
ターバンまで巻いている。
隣席で農民たちが祝杯。
「おっちゃんら、景気いいなあ」と、猿。
「そらもう祝杯よ! 町に来るのに旦那様に小遣いまで頂いて、気も晴れ晴れ!」
「野盗どもから取り上げた馬十三頭、なるべく良い値で売り捌いて来いってお使いさ。売り急いだら叩かれるからな。俺ら、町で何泊かしていいって! 忍耐したご褒美だな」
野盗の馬十三頭って、1個分隊まるまるじゃねぇかっ!
「旦那様も奮発して腕ッ利き傭兵頼んだもんで、懐がなあ。連中の馬でも売って少しでも稼がんと」
「傭兵団雇ったのかい?」
「いや、団なんてぇ大勢を雇えるもんか。感じのいい若衆三人と可愛い姉ちゃんの四人組さ」
おいおいおい! 実質三人で十三人全滅させたってか?
店は繁盛、客も多い。喧騒の中で、だんだん声が大きくなる。
「そりゃもう凄かったぜ。段平かざす野盗ども、みるまに素手でボコボコに」
おいおいおいおい! 素手って何だよ、それ!
「ふん縛った野郎どもギルドに届けたら、牢番さんが目を白黒させてたぜ」
「そりゃ、すりゅさ!」 あ、噛んじまった。
この町のギルドに草鞋脱いでる傭兵ん中に、とんでもないのが居るようだ。
「しっかし兄ちゃん、変わった格好しとんな」と、農民。どんどん大声。
「やあ、野壺にハマってさ、洗濯頼んだら貸してくれた衣装がこれ。宿代の足しに旅芸人が置いてった奴だと」
「そいつぁいい」
「うわっはは、兄ちゃん、もちっとマシな宿に泊まれよ」
実はもう注目を集めていたらしく、周りの他所の客も一斉に笑う。
すると、剣呑な空気が近付いてくる。
坂を降りてくる十三人。
あのアジトのある脇道から出て来たし、へいへい平凡な平服着てても服の上から判る締まった体つき。足並み揃えて露骨にベテラン戦闘部隊1分隊。六人と七人の二隊に別れたけど、あんたら、も一寸ッと軍人臭さ隠せよな。もと軍偵のお兄さんが忠告しちゃおうかな? ・・って、冗談独白してる場合じゃない。
おい七人組、こっち来んなよ! 来んな!
あああ、入って来やがった。
でも、強そうな割りに間抜けですか? 尾行ついてますよ。気付いてない?
「あ! ぼーず、また会ったなぁ。一緒に饅頭食うか?」
「(おいぃぃぃ! 農民さんよ! 尾行者に声掛けんじゃねえよ!)」
お兄さん思わず叫んじゃうぜ。七人組に緊張が走ったじゃねえか。
おいおいおい、尾行中の少年もニコニコしながらこっち来んじゃねえよ。
亭主が椅子の数を増やす。どんどん店は狭くなる。詰めて座って近くなる。
「あー、ハンスさん! みんなもー! とらまえた野盗たちの馬、もう売れた?」
「いや、もちいと粘って少しでも良い値で売るつもりじゃ」と、一番年嵩の農民。
皆と同じような生成りのスモック着て農家ふう出立なのにプリジャン帽子の被り方が妙に垢抜けた少年が饅頭咥えて、
「ぼくらは、任務完了で新しい仕事に移るのだぁ。あふたけあで警備にベテラン一人派遣するって、ギルドのお姉さんが」
おいおいおいおい、若衆三人って、ひとりは坊主かよ!
てことは、ふたりで十三人?
「しっかし、ぼーずたちの兄ちゃん強えなあ」
「(・・たちぃ?)」
「えっへん。ガルデリの侍だもん。十人や二十人、ひとりでも素手でチョチョイのチョイなのだ」
八人の男たちが揃って飲みかけの酒を吹いた。
七人組と、俺だ。
☆ ☆
なんか凄いの、いた。
ギルドの会館から出て来た。
ごっつい椅子の左右に大きな車輪付けた、変な輿みたいのに乗ってるー。
オーラとか言うヤツ? 空気がビリビリする感じ。
もしかして、あれが『龍殺し』さん?
頭剃り上げたマッチョ。大男ってより、もう巨人? 車夫さんかわいそうだよ。
あ、恐怖の受付姐御が一緒!
そうですかー。ギルドはこういう布陣で来ましたかー。
尾行すべき? ちょっと怖いんですけど。
あれ、ギルド馬車口の方から幌馬車一台。これもお仲間かな?
どっちも東西大路のほうに行くみたい。
お、尾行が一人付いた。
下手だなー
浮浪者の方が本職で、尾行がバイトの人? 歩き方は兵隊だけど。
これ、捕って殺されないの周りに人がいる街中だからー以外に考えられないし。
お! 尾行また一人増えた。
こっちは上手いなって思ったら、こないだ「食べ放題」にいた若い警吏だわ。
これを、あたし尾行すると、それ何て大名行列?
犬の銅像前広場を抜けた。
「うん!」
☆ ☆
中央広場の北側は、南北通りを挟んで市庁舎やら商工連合会館やらと公共施設の立ち並ぶ中心街だ。抜けると五叉路になって、その一つが酒亭のある伽藍坂下に通じる。
わりと近いのにゃ。
五叉路に差し掛かるあたり。
と、向こうから屯所で見掛けたゴツい六名様。
「(あ! 強襲部隊の兵隊さんがた、今ご出勤にゃ)」
坊さん班だろか? 『龍殺し』班だろか? 人生別れめかにゃ。
まあ、猫の顔見分けらんないと思うけど用心に、人目につかんよう小さく敬礼。
「ん? 貴様は?」って、大声で誰何されちゃったにゃん。
「先刻、拠点でご一緒した斥候であります」にゃ。
「目抜き通りを行くのも憚られる。東門へ抜ける裏道を存知ないか?」
あ、こいつも猫差別しない班長。
「それならば、この五叉路から東へ折れ、三重塔屋が特徴の公文書館前で丁字路を南下すると東西大路。幅員五尺未満の脇道に逸れぬよう注意すれば迷わない。そこから先は表通りしか無いであります」にゃ。
あ、大ぶりな敬礼で返されちゃった。もうちょっと人目気にしろよ。
小さく猫手で敬礼を返す。
でも、良かった。坊さん班か。死ぬにゃよ・・
・・て駄目にゃん! 尾行いるにゃん。それも結構上手い奴。
「(どうする? 教えてやる?)」
・・て駄目にゃん! 尾行少年に挨拶されちった。ギルドで見かける黒髪少年。
「はいよっほー猫さん元気ぃ? 賞金首さんお先にご馳走様なのだ」
あ・・そう。あいつら賞金懸ってるって噂だっけ。
黒髪少年もう一人走って来る。饅頭咥えてる。
「はい、饅頭」って、兄弟の分も持ってたにゃ。
「ごめん、猫さんの無い」
き、期待して無いにゃ。
「おさきにー」と走っていってしまう。
「・・駄目かあ」と、ちょっと重たい気持ちで、方向転換して、とぼとぼと兵隊たちの後ろ姿を追う。少年たちが饅頭食いながら兵隊たちを追い越して走って行く。
「誰があれを尾行と思うにゃん」
☆ ☆
ギルドに音もなく風のように入って来た赤髪の少年。受付の衝立をノック。
「あれ? いつものお姉さんは?」
「わたしが代わり」と、黒髪の娘。
「店にきたゲルダン兵七人が尋常じゃない精兵だ。『白』の見立てじゃ出動待機で、店じゃ暴れないだろうって。以上、第一報」と、赤髪。
「賞金首よ。分隊の半数が市外に向うので追跡中です。残りの半数が捕捉できました。感謝します」
「戦力は『赤葡萄酒三本』だって」
「ふうん。『白』さんのお見立てじゃトリペル級の戦闘員ですか。そこそこ脅威ね。並の兵士二十人送って返り討ちになるリスクなら、ギルドとしては市内での流血は避けたいので、封じ込めで行きましょう」
「じゃ、動きがあったら第二報に来るね!」と、風のように去る。
「おっけい!」
突然そこに、菜の花娘が入って来た。
「バイトちゃん、一緒に来てくれますぅ?」「はあ」
菜の花娘が酒臭い。
つかつか広間の方に行く。仕方なさそうな顔して黒髪娘が従う。普通の町娘風の踝丈ワンピースを捲って腰のベルトに端折り、下は男物のぴっちりした黒ショースに軍隊式サンダルの緒を締めず突っ掛けている。受付の机の蔭で人から見えないと思って気楽な格好をしていたらしい。慌ててスカートを下ろす。
菜の花娘、手近にあった錫のマグを肉切りナイフでけたたましく叩いて
「皆さぁぁぁん、賞金首七個はけぇぇぇん!」
「あの、封じ込めで・・」
「おまえらぁ! 稼ぎたいかぁぁぁ?」と、卓上に跳び乗って気勢あげる。
広間が怪気炎に包まれる。
「せめて、せめて日没後にぃぃ」黒髪娘、悲痛な声。
☆ ☆
東西大路。路肩に幌馬車が停っている。
黒髪の少年ふたり。走って来て馭者台の左右に飛び乗る。
「六個きた」
「じゃ、街道まで出て見附の外で、いい場所探そうか」と、馭者の若者手綱とる。
☆ ☆
《註》
ぶぅれぇ:Braies
プリジャン帽子:Bonnet Phrygien