4 猫ら、陰謀を垣間見る
坂下の酒亭。
今はとっぷり日が暮れて、明るい窓の中に知った顔三つ。知らぬ顔多数。
表のヴェランダにも客が数組。繁盛している店だ。
ヴェランダの一番隅。自前らしい粗末な木の揺り椅子に陣取った白髪爺いが、シエナ土色の陶製ジョッキで何やらちびちび飲ってる。椅子の脇に寄り掛って赤髪の少年ぺたりと床に座り、通りの地面に足投げ出して寛いだ様子。爺いの揚げ豆の皿に手を伸ばしては齧っている。
店の内外で一番戦闘力高そなのが義足の白髪爺いって、情けないにゃニヤケ猿。
まぁ那、店の用心棒なんだろうけど。
コワモテ居たら店の客落ち着かないだろうからね。何かあったら白髪爺いが抑えてる間に赤髪小僧が応援呼びに走る寸法か。工夫するもんだ。傷痍ヤメ傭兵の働き口とか、この町って誰が差配してんだろにゃあ。目端利く奴だ。
☆ ☆
店に入る。
此方には戦闘力0じじいが一人。戦闘力しょぼい斥候三人。おれも入れて。
「お前もう食ってんの」
「へっへへ我慢できなくてさー」と、尻娘がへらへら。
「その茹で麺って、昼も鱈腹食ってたろ。よく飽きないにゃ」
「じゃまぁ乾杯」と猿。
「ああ、飲む前に! 奴ら、たぶん上役に伝令出す。尾行する?」
「猫どんはメン割れとる。嬢ちゃん日没後の女一人歩きは悪目立ち過ぎ。わしは足腰弱い爺ぃじゃ」
「わーかったよ。食うだけ」と、猿。
「ここは開門する朝まで袋小路、先は貧民街だけじゃ。首魁にご注進なら嫌でも此処の前を通る。窓から通りを見とれば可い」
「あそこ常駐の最上官は軍曹が二人で、いたのは兵隊ばっかり二十名ばかし。交代で出てたとしても間取りから見て精々が小隊レベルの詰所にゃ。死んだ騎士の名はデキムス。階級は中隊長だけど、たぶん総出でも中隊なんて人数はいないにゃ」
「デキムス・デ・ボルガス! ・・・凶獣デキムス、生きてたのか」
「いや? 死んでたにゃん」
「嬢ちゃん茹で麺ばかり食っとらんで、子羊のロースト美味いぞ。ほれ」
「じいちゃんゴチ」
「馴染んでんにゃあ」
猿が無口になったのは蟹食い始めたからだ。不貞腐れたのではにゃい、と思う。
「中隊長の後釜は、中隊長『心得』でトーゾク王国とやらの準貴族だと。あの騎士みたいに個室の下宿に住んでるんだろ。同格の将校がすぐ埋まらない程度の組織と見たにゃ」
「ということは、別口かのう」
「別口?」と、猿。
「越境して逃げてきたゲルダン兵共が食い詰めちゃあ野盗化して農村部が堪らんと憂慮した伯爵、いっそ召抱えて生業与える方針じゃ。足軽に雇って荒れ地に屯田始めさせ、元将校なら指揮官に何人も使っとる。この拠点で補充の将校がすぐ埋まらんと云うことは、伯爵ん処の連中とは直結しとらんと言うことじゃ」
「今でこそ河北とか河南とか、フルメマンヌ河の南北で分かれちゃってるけど、昔は同じ国だったんだよね? あたしら町の者はゲルダンもみんな昔から同じ南部人だと思ってるし、逃げて来てこの国でちゃんと居場所を見つけた人もたくさん居るのに、なんで『野盗の方がまだマシ』な犯罪者に堕ちちゃってんだろね」
「野盗の方がまだマトモみたいな言い方したの俺だけど、アウトだよなあ野盗も」
お猿の元気が無いぜ。
「実はあたしたち、昨日まで自治村の見張り小屋で不寝番の仕事やってた。夜盗がこう増えると、墻壁ないタイプの村が結構もう辛い状況んなっててさ、民兵が交代で徹夜すんのもう限界だって。彼ら、昼間は本業あるもんね」
「同郷人として申し訳ねえ」
「誘拐もな」
「もう気付いてるとは思うがな、俺の持ってる情報は、上にゃ随いて行けねぇと足抜けした下っ端の幾人からも依り集めた聞き取りで、いくぶん象を撫でちまってる。あそこが単なる詰所なら、監禁とかは別の場所かも知れねえな」
「ああ。その手の気配は無かったにゃ」
「あんまり言いとう無いがのう、奴隷にして使って良いのは改宗拒む異教徒だけと知っとろう? これの裏の意味は『この国の者を奴隷として売って良い先は異教国だけ』じゃ。悪徳貿易商と組んだそっちの交易ルートを持っとらん者にとって、誘拐はまるで商売にならん」
「つまり?」
「身代金要求しない人攫いは金儲けと違う。婦女なら裏で苦界に売れもしようが、子供なら本物の異端審問官が食指を動かすような話ちゅう事じゃ」
みな、暗澹とした気分になる。
☆ ☆
「あれ、たぶん伝令」
「出番か。帰って来るまで食っててくれよ。多分近くだ速ぐ戻る。そしたら飲む」
お猿、ふらり夜道に出て行く。
「なあ、じじい・・」
「何じゃ?」
「魔術師ベレンガーって、デキムス中隊長殺せると思う?」
「所詮は薬局の倅じゃ。練達の殺し屋相手は無理じゃろ」
蒸した根菜つつきながら、
「お猿さんベレンガーのこと知らなかったんだけどー? どっから情報?」
「うちの次男の幼馴染み、今は困った悪友じゃわ。魔術がどーとか夢見がち無邪気坊じゃったが。ああなっちまったのも御曹司のせいじゃ。いや、悪いのは本人か」
「御曹司?」と、尻娘。
「伯爵の御曹司じゃ」
「伯爵家の?」
「御曹司の母方がガルデリ家でな、幼な子のときに超常の力がちらっと発現したのだと。それを、御遊戯衆として御城に呼ばれておったベレンガー家の坊主が見てしまってな、魔術ごっこに嵌って仕舞うたのさ。それで四十過ぎた今も自称『魔術師ベレンガー』。 はは」
「鬼と魔法使いの谷の話かにゃ?」
「あたしら、昔から普通にご近所さんなんだけどなー」
「ときどき異能の者が生まれるのは本当なんじゃ。怪我の癒りがやたら早い者とか、川で魚獲りにいつまでも潜っとる者とか。噂じゃから話半分に聞いときゃええが、おる者はおる」
「じじい、酔っ払って来たろ」
「昔々のその昔、旧帝国が遠い国から招聘したという、でたらめに強い異民族戦士の子孫なのじゃ、と。男は敵将首さくさく刈ってくる一騎当千の豪傑で、女は負け戦を勝利に変える魔法使い。とまあ、そういう民謡じゃ。谷の衆がお祭りで歌って踊る」
「あたしら地元のもんは『黒髪の悪魔』っていうけど、それ『鬼ツエー』とか『悪ゲンタ』みたいな褒め言葉感覚だよねー」
「ゲンタって誰だよ」
猫、コルンを啜る。
「なあ、もしかして『魔女狩り』屋ぁ潰しちゃうのって?」
「あたりじゃ。ぷちっとな」
「じゃあ?」
「そう。あちら方向からの横槍は気にせんでええ。たぶん捜査の邪魔はせん」
「お猿がびびり過ぎか」
「いや、『注意は!』 しといて間違いない。ガルデリ衆は頭に血が昇ったら止まらん。過去、お猿どんの国で町いくつも焚いたは本当じゃ。国王一族の生皮剥いだ縫い包み藁人形飾り付けた山車曳いてカーニバルやったのも本当じゃ。黒髪悪魔の異名は伊達じゃない。とにかく触れるでねえ」
「じじい、黒腸詰煮込み食ってるとき言うなよ」
「ああ、言わん。ガルデリ衆に殺されたゲルダン王が、生きたまま腸引きずり出されて何フィートあるか測られる公開処刑だったとか、言わん」
「言うなぁぁあ」
とんでもない連中らしい。
「そらまあ・・・魔人いうわにゃ」
「わしゃ非力に生まれついた。腕力の強い男なんぞ異族に見える。そんなもんじゃ。みんな同じ。商売の相手じゃ。森だって木を伐り過ぎたら不可ん。池も汚したら魚が獲れん。みんな取引相手じゃろ?」
「じじい、達観してるな」
☆ ☆
「ちょろい」
猿が帰って来た。自分で陶杯にエールを注ぐ。なみなみと。
「準貴族の将校さん下宿はすぐ裏。金物屋の二階。で、ぜんぜん強くなさそなデブがお屋敷町にあたふた駆けてった。俵積んだ荷車の紋章ある屋敷」と、飲む。
「フロラン家か」
「心当たり?」
「心当たりも何も、そこの次男坊、うちの馬鹿息子の悪友じゃ」
「それって・・」
「此の町を牛耳る豪商達の次男坊三男坊。皆な二た昔半、十代の砌に伯爵家御曹司の御遊戯衆だった子供たちじゃわ。上から圧力なんぞ懸けずとも市警は引く。これが、オルトロス街の組織に捜査を丸投げした理由よ」
「市警は逃げた?」
「逆じゃ。上が愚図愚図しとるんで若手捜査官共がキレて、組織を嗾けたんじゃ。組織の奴らなら遠慮会釈の『ヱ』の字も無い。捜査権が有ろうが無かろうが、抜け道を知っとるからな。上手く口実作って自衛権行使に持ち込んで、締め上げ吐かせ始めるじゃろ。状況が動き出しちまえば、上も腹を括ると踏んだわけじゃ」
「あのなあ、道々考えてたんだが」と、猿。
「凶獣デキムスが誘拐犯を指揮してたってことは、盗賊の王族が絡んでる可能性が跳ね上がったんじゃねえかと。奴、落城のときから生死不明で、まあ皆んなが死んだと思ってたわけだが・・こんなとこに潜伏して・・あんなことやってた訳で。入国許可証なんてのも偽造でなけりゃ、本物殺って入れ替わったんだろ。旦那の依頼で追ってた男の正体が、まさか奴とは思わなかった」
「話が見えんにゃ」
「あ、すまん。デキムス・デ・ボルガスは、バーナム1世の子飼いの部下だ。って、一代で亡んだ王国に1世も無いけどな」
「飼い犬かにゃ?」
「王の処刑人と渾名されてた男だ。裏の汚れ仕事には必ず関わった」
「それってー・・王族が落ち延びてて、この国のどっかに潜伏してるって、あの話関係? わざわざ1世なんて言ったの、2世がいるって匂わせたんでしょ?」
「姉ちゃんそれ深読みしすぎだ。俺、うっかり言っただけ。だって、逃げた王族って一人娘だもん」
いつの間にか「嬢ちゃん」から「姉ちゃん」に昇格してる尻娘。
「ふむふむ。亡んだラーテンロート王国の残党が此の国に潜伏して、子供攫って非人道的な呪術か何かやらかしたとして、呪術で何を如何様する気じゃ?」
「そっすね。王城攻め陥としたのも、盗賊王吊るしたのも俺んとこの国だ。その俺んとこの王も重臣も、東グェルディン王国の手で首チョン。王家の血筋も絶え果てた。呪術で復讐する相手、ないわぁ」
「わけわかんないわねー」
「ははは、酒亭で酔っ払いが詮議して国家機密とか解明できたら世話ないぞい。やぁい亭主、泊まれる部屋あるかいの?」
「相部屋でいいかい?」
「部屋あるそうじゃ。飲み明かすかの」
店で飲んでる何人かが杯掲げて挨拶して来る。多分同宿になるお友達。
「おれ、明日の仕事が朝早いにゃ・・」
「ギルドで場所取ってないし、渡りに船でしょ?」
「お前、取っとけって言ったにゃん!」
「もう疾っくに外出禁止時刻だし、いいんじゃねえの?」
「さっきまで歩いてたお前が言う?」
「この町いろいろ緩いし」
☆ ☆
夜道を長身痩躯の女が歩いて来る。歳の頃なら五十前後。毅然と背筋伸びて黒渾成、今時皆の祖々父母当たり世代なら着たかもしれぬ古風なブリオー着熟て高家の侍女よろしき立居振舞いだが、何故かヴェールも着けず黒髪を垂らして居る。
店に入って来る。
明らかに露骨に場違い奇異なのに、誰もまったく気に留めない。
テラスの一番道寄りの角、一人席に腰掛ると、店主が黙って火酒を注ぐ。
月影に照らされ、夜風に髪が少し靡き婉然。
ばばあなのに。
☆ ☆
《註》
わっけ:Wache, Nachtwächter, =Night Watchman(en.)
まうあ:Mauer, Miure, Murus(lat.), =Wall(ge.)
ふえで:Fehde, Vehede(mhd.) cf. Todveintschaft, Vindicta(lat.)
ラドリ:Ladr-o(ita.), -i(pl)