15 四十人いる
《三月九日金曜、午前》
遠目に連合会館の玄関が見通せる位置に箱馬車。
ひょいと御者台に跳び乗った猫が天井をコンコンと叩くと、天窓からお猿が頭を出す。
「動き、ないぜ」
「昨日忍び込んだ感じじゃ、屋根伝いの出入りはヒト族にゃ無理。裏口脇口なし。抜け穴とか無いとは言い切れないけど、連中そこまで警戒レベル高くないってか、むしろ無防備にゃん」
「でも、お兄ちゃん結構あれで神出鬼没タイプだから油断禁物です」と、ルキア嬢ちゃんも頭を出す。二十二歳子持ちに嬢ちゃんも無いかとも思うが、なんかそんな雰囲気っぽい人にゃん。
あのじじいの息子なら一応警戒はしとくか。
依然、動きは無い。
☆ ☆
「さてキュリ嬢ちゃん、儂が二十四年前の事件穿じくる為に百里も歩いて来た訳無いのは先刻ご承知じゃろ? 全てはいま起っとる事件阻止の為。前回の事件の全体像はある程度掴んでおる。あの時は来るのが間に合わなんだ。痛恨の限りじゃが、遥かに犠牲者の多い事件の方に手を取られ、私事の絡む方は後に回さざるを得なんだのじゃ」
「なんとか派の弾圧のこと?」
「そうじゃ。あっちに手を取られた。この件、儂は公人として臨むが、私的にも大いに関わっとる。その面だけは少し明かすの後回しにさせとくれ」
「身の下だな」「下だね」
黒髪弟ら、兄の拳骨でぐりぐりされる。
「で、残念な話から先にすると、誘拐された子供らはもう絶望じゃ。邪法の儀式に生贄を捧げる流れじゃったなら儀式を阻止して子供ら救出という可能性も有ったろうに。が、ではのうて指とか切り取って供物にするのじゃ痛ましい。取るもの取って疾うにもう口封じ済みじゃろ…たった数人じゃが遺体も見つかっとる」
「ひどっ」
「連中が何の儀式をする気かは、もう掴んどるんじゃろ?」
「難産で死にそなお姫さんの平癒祈願だって」
「前の事件では、御曹司の母君の恢復祈祷に禁呪を使うたと。御曹司が当時十二歳、取り巻き小僧どもが十七か八ちゅうところ、か。要は、暴走した無軌道な子供たちの所業なのじゃな?」
「そゆことらしー」
「伯爵家は単に事件を隠蔽したんでなく、それなりに情に流されず厳罰に処したと言えるかも知らんな。実は、御曹司も廃嫡の線で話が進んでおったのじゃ。処が先代伯爵の急な逝去で有耶無耶の沙汰止みになった。死因に疑問が出ておる。一部しか知らん裏話じゃから他言無用ぞ命を惜しめ」
「お坊様、惜しまないんだね」と、黒髪兄が飄々。
「ふわはは、儂は簡単にはやられん。もう二度逃げ果せたわい」
「さんどめ、くるなー」「くるねー」
「まあ、来るね」と、黒髪兄も平然と相槌。この人の神経もちょっと解らない。
「坊やちゃん、お茶のおかわり頂ける? 代わりに、はい! 秘蔵のお菓子の追加!」
館長が現れた。
「大刀自さまや、この資料ちょっと借り出して宜しいかの?」
「駄目ですわよ、市本庁の方に申請して許可が下りないと。でも持って行っておしまいになるんでしょ? はいはい、とっても怖いお侍さんに睨まれて身が竦んでしまったと言っておきますわ。ハンサムなお兄さんだったからとは言いません」
「かっこいいばばあだ」「女はどきょー、だね」
「坊やちゃん、王宮でもそんなおナマ言ってたの?」
「ううん、ちゃんとねこ被ったよー」「被ったー」
「ふわはは、次いでに頼んで宜しいかの。儂らが出たら直ぐ市庁総馬事のティト・アルバちゅう男にアル・アサドが二十四年前の資料ごっそり持ち去ったと伝えて『あんたのお役目知ってて注進』と言い添えておくれ」
「はいはい、確かに」
「さて、これで出方を拝見じゃわい」
「スパイさんー?」
「いや、当然公然公認同然のレポ係じゃ。仕事も早い。ブツはもう儂が持ち去ったと拡散しとかんと、公文書館に付け火でもされたら叶わんからの」
「まあ怖い、あははは」
豪快なばあさんでした。
☆ ☆
あたし荷物持ち。山のような資料。
黒髪弟らも。
「お兄さん、持ってくれないんだー」
「ごめんね、一応護衛だから手が塞がるのは駄目なんだ」
「ふわはは、儂はじじいじゃ」
「でも、四人の中でいちばん体格良くないー?」
若い頃はすごい豪傑だったって聞いたけど、まあ見て納得かな。
館長がお見送り。
「向こう一週間くらいは用心に、ギルドで夜警さん頼んだが宜しいかしらねえ」
「そうだね。下手に市警に頼んで放免*でも派遣されて来たら却って厄介だよね。ギルドに行って、足の速い若い子を夜番に泊り込みさせといて、何かあったら腕っ節の強い元傭兵とかを呼ばす契約にすると安く済むよ。仮眠室提供って条件は人気あるから、ギルドも信用置ける子を選んで派遣してくれる」
お兄さんが何かコツを伝授してる。
*註:特赦した模範囚で編成した市の下級刑吏
「昼間はいいのー?」「いいのー?」
「ふふん。坊やちゃん達、この婆ちゃまも若い頃は、御城で伯爵夫人の側仕えの一人だったからねえ。暴漢が衛士を突破したら最後の盾さ。今だって其処いらの青瓢箪より手強いよ」
「裏近衛の娘子軍ちゅうてな、武闘派の伯爵家らしいじゃろ?」
お坊様が訳知り顔。
「うちの婿殿も、も少し肝が座ってくれたら安心して館長の席を譲りますのに。御城の衛兵隊長だった荒武者の倅で一端の騎士のくせ、すっかり文官暮らしが馴染んじゃって」
状況を飲み込むまで少しかかったらしい尻娘、
「えー! こんなとこに生き証人が!」
「キュリ嬢ちゃんや、無駄無駄。口の軽いもん側近にゃ置かんて」
「ばばあ筋金入りだぞお」「筋金ばあちゃんだ」
「うふふ」
豪快ばあさん嬉しそう。
にこやかに別れる。
☆ ☆
公文書館から南へ。馬車が擦れ違える広小路だが折れ曲がりが多く見通しが悪い。それでも一本道で東西大路まで出る。黒髪弟が「近道」とか言って、オルトロス街より一本東の小路へ誘う。突き当たると袋広場。中央広場の三分の一くらいの池があり、すごく下手くそなマーライオン像の口から、どういう仕掛けか水が出てる。ここ、あんまり来たことない。いつも小さな朝市の立つ広場だ。
だいぶ前から、マーライオンといい勝負にすごく下手くそな尾行が付いてる。覚えてるよ、昨日の大名行列参加者。今日は警吏さん居ないね。
黒髪弟が酒類問屋の通用口にずんずん入ってっちゃって、
「はいよっほー」「よっほー」
それで門番が通したよ。あんたら誰?
あ、尾行さんごめんね左様なら。
奥の倉庫前を抜けたら、今度はガタイの良い連中数人使って荷の出し入れ指示出してるおっさんが、向こうから「よっ」とか言って裏木戸開けてくれた。細い路地を少し行くと厨房勝手口。
「はいよっほー」 もう何それ合言葉?
調理場親方がなんか仕込んでた切れ端を一個づつ黒髪弟らの口に突っ込む。
「むいもっおー」「むおー」
調理場抜けてギルドの大広間だ。
☆ ☆
奥の受付へ。
「もっおー」 まだもぐもぐしている。
いつも目鬘の姐御がいる窓口に、初めて見る黒髪の娘がてきぱき仕事中。新人かな?
菜の花色コーディネートがトレードマークのお姉さんがぴょこんと飛び出して来て、奥に通される。こんな部屋、入ったことないな。いろんな調度。美術品みたいのも飾ってある。中でも目を引いたのが釉薬の色鮮やかなポットで、金銀金具とかいっぱい付いてて不思議な形。見てたら、お姉さんに「使ってみる?」とか言われた。何だろう?
「おほん」
お坊さまの咳払いで、お姉さん弾かれたように対面に戻ってレベランス。
着席。
「これを換金したいんじゃがのう」と、懐から紙切れ。
お姉さん、凝視して暫し無言。
厨房から小僧さんが、フレーバーの利いた発泡鉱泉水と薄焼き菓子など持ってくる。
お姉さん硝子細工の猪口に注いで供しながら、
「すぐご用意は出来ますがぁ、お持ちに・・なりますぅ? あのぉ・・金貨だと重量が少しその・・アレで。当協会の貸金庫をご利用いただけたらぁ、絶対ご不便はなさらないと存じますぅ」
「そりゃ渡りに船じゃ。見てのとおり少々荷物が御座っての。貴重書じゃ」
なんか契約してる。
「それでじゃ、この天下無双さん兄弟に改めて警護をお願いしたいのじゃが、細かい条件など相談しておる時間がなさそうじゃ」
「俺はもう乗っちゃった船だから、言い値で受けるよ」と、黒髪兄。
「取り敢えず千両っぱかし前渡しといて後で精算で良いかのう」
すいませーん鉱泉水吹きました。
「ちちち因みにあたし、別口の道案内で代済みでーす」
☆ ☆
「おい、なんか迎えの馬車が来てるぜ」
「あ、あの赤帽子、会議室にいた奴にゃ。名前は確かマッテオ」
「よし、ここは度胸だ。俺が行くぜ」
「にゃにゃ! マッテオ!」
お猿が小走りに歩み寄る。もちろんスパダネーロ家のお仕着せ着用。
「あの・・もしやルッカ坊っちゃまのお友達の、マリウス・・いやマテウス様?」
「何だ、またルカ捜索隊か。毎度息切らせて、あんたらも大変だな」
「ああ! また行き違いかあ、とほほ」
「ひと足先に馬で御城に走ってっちまった。朝一番で出たって言うから、もう追いかけても無駄だ」
「あああ、お友達には連絡なさるのに実家は蔑ろ。坊っちゃま酷いです」
小芝居は得意。
「親父さん厳しいから反動なんだよ。ときにボルサの若後家さんってのは、そんなに美人なのかい?」
「うううん、実際のお歳よりふた周り若く見えるっていうか、薄幸の美少女っぽいっていうか、坊ちゃんすっかり保護欲唆られちゃってる雰囲気ですねえ」
「おいおい。ふた周り若かったらガキじゃねえか、はは、は・・」
「マッテウス様、お顔の色が!」
「いや、余計なこと思い出しちまった」
「マッテウス様、あのこと・・ですか?」 ちょっとカマかける。
「ルカが何をこそこそ動いてるのか、何をやりたいのか、今は何となく分かる。あんたに頼める義理ゃないが、もし俺が死んだって噂を聞いたら、暇なときにこの小遣い銭持って丘の上の孤児院に行って、何人でもいい、その日の夕暮れにマテウス・ドーリアって男の魂のために祈ってくれる子供を募ってくれねえか」
なんか手を握られたと思ったら、金貨を握らされてた。
「縁起の悪いこと言いっこなしですよ」
なんか、しんみりしている。
「ついでに、あんたも祈ってくれたら感謝するぜ」
行ってしまった。
悪りぃ連中ばかりじゃないんだよなあ、と暗い気持ちになる。
馬車に。
「坊ちゃん今朝もう単騎で御城に向かったって」
「えー」
「どうすんにゃ」
「行きましょ、御城」
「おいおい、御城だぜ御城!」
「どうせ日蔭者バツいち女の残り人生、男にパーっと使っちゃうのも悪くないし」
「いやいや嬢ちゃん考えろ。あんた小公女みたいな人生が待ってる気も若干するにゃ」
「お嬢、俺ぁそういうの嫌いじゃないぜ」
「よし! じゃあ、お兄ちゃんとやらに逢ってイイ雰囲気んなっても一発やらないと誓うなら猫の手ぇ貸すにゃん」
「おい、露骨じゃね?」
「おれ、猫だし」
「いえ生娘じゃあるまいし、わたし物言いなんぞ気にしませんよ、お兄ちゃんもその気無いし。誓いますから手を貸して!」
「気ッ風のいいお嬢にゃ敵わねえ。ひとっ走り尻娘に繋ぎ取ってくるから待つにゃ」
☆ ☆
「匂いで、こっちにゃ」
オルトロス街。
ギルド大広間に駆け込む。
「斥候さん!」と、呼び止める小声。
「あ、昨日の!」屯所で話した兵卒君にゃん。
「強襲部隊軍曹さん達が戻らない。中隊長心得は金貨たっぷり鞄に詰め込んで抱えたまま、表で荷車の下敷きになって死んでた。あの人らしいや」
「軍曹さん、だめだったか・・。折り目正しい武人だったにゃ」
「ベルコーレ軍曹が、もう屯所は撤収するって。あんたにも会えたら逃げろって伝えろって。雇い主と護衛に就いた二人の遺体も見つかった。もう駄目だ。壊滅っす」
「ベルコーレさんっていうのか。あの軍曹さんも部下の面倒見いい人にゃ」
「それから、一番重要な話。北街道には行くなって」
「?」
「カズー(1個小隊いる)」
「カズー?」