10 悔恨が押し潰す
《三月八日木曜、宵》
尻娘クリスが夜の大通りを走っていた。
改めて言うが、お尻(culus)が、ではない。
前方に見識った人影。
「じいちゃん!」
「おお、嬢ちゃんやっと会えた。未だ倅に遭えん。拙速じゃが、捕まえてトスキニアのブリンチオ港まで拉致しちまって欲しい。ほい、手付の二十両」
「おわわわっ」
「立話でする話でもない。兎も角、詳しくは猫どんと会ってからじゃ」
「立話で二十両も手渡してんじゃないわよっ。てか、倅って誰!」
「武器商スパダネーロ家の弟の方じゃ」
「しぃぃっ、じいちゃん! 人が来る」
わらわらと現れる。
「って、うんこ猫じゃん」
「猫どん、其のお人らは?」
「逃がすにゃ。出来ればヤバめの証拠物件も始末して引き払って貰う。じじい、放蕩息子は?」
「未だ逢えん」
「軍曹殿、隘路は抜け切った。挟撃の窮地は脱したであります。屯所に火急の知らせを」
「敵の動きは?」
「当班を追跡、散開して展開中のため動きが鈍いと思われる。東西大路渡った松明の総数は2個小隊相当だった。さっき屋根の上で見た時点では、最大の中核集団三十名超程度が公文書館通りをゆっくり西に移動中。そこに怖ろしい手練れが集中してる模様」にゃ
「急がねば屯所に帰投出来なくなるか」
「むしろ問題は当局の動きが依然見えないこと。黙認だったら最悪の事態」にゃ
「(それは無いわい)」と横で警視閣下、心中で。
「猫殿は?」
「あの中隊長心得では、小職の通報は逆効果であります。別件のトラッカー任務に回るであります」にゃ
「そうか。幸運を」
「貴官らも、どうかご無事で」
軍曹ひと息して、
「敢えて第2班の消息を言わぬのは、心遣いであるか?」
「あたしから言って、いい?」
「覚悟はしておるゆえ」
「ラマティ街道から来る僧侶って、嶺北修道騎士団の要人でした。だから、ギルドが迎えに出したのは恐らく現有の最強戦力です」
「『龍殺し』以上、であるか」
「恐らく」
「そう、か」
「苦痛は感じなかったと思います」
「そう・・か」
戦友だったんだなぁ。
「もう再びお目に掛かることもあるまい。ご健勝であられよ」
「あなたがたも、どうか生き延びて下さいね」
「城市の北西隅。石畳の坂中腹から左手に貧民街へ下りると城内を西へと貫流する川がある。城壁基部の出水口が、閉門後唯一の脱出路であります」にゃ
「出口そこだけって町のもんは知ってるから、待ち伏せにはくれぐれも気をつけてね。特に、その・・」
「特に何かにゃ」
「特に、黒髪に」
別れる。
尻娘、じっと猫の顔を見る。
「何にゃ」
「いや、ほんとに傭兵だったんだなあ、って」
☆ ☆
「どういうことだ」と、半数になって帰営した強襲部隊の軍曹。
留守居部隊の生真面目そうな軍曹が当惑しながら答える。
「たった今、哨戒班が回収して来た」
床にマント敷いて遺体が三体。
「下の路地を入った所だ。脇の石壁に額を打ち当てて、立ったまま死んでいたと」
「もう手が回ったか。この人は?」
「雇い主だ。護衛に付けた四人中二人が側を離れたほんの僅かの隙に、三人同時に殺害された」
「面妖な」
「素手一撃で即死。他に外傷なし。小官の勘だが十中八九、中隊長殺害と同一犯」
「何故に五人中三人だけ殺したと読む?」
「さあ、手が二本しか無いからでなくば、遺体を持ち帰らす人数を残したかと」
「警告か、燻り出しか? 判断に迷う」
「して、貴官の部隊は?」
「第2班はギルド側の待ち伏せで全滅。我が班は十倍する敵に挟撃され、猫斥候殿の手引きで辛くも包囲から脱出叶った。我が方の作戦行動は最初から監視され把握されていたのだ」
「貴様ぁ! 上官への報告前に何をくっ喋っておるかぁ!」
奥より怒声。
「火急の報告と取次いだところ、待てと御下命でしたので、時間を惜しみ同役同志情報交換致しておりました。軍規に照らし適正であります」と留守居軍曹が無表情。
中隊長心得が私室にした部屋から女が髪を撫でつけながら、そそくさ立ち去る。
強襲隊軍曹、前掲の報告に加えて、
「当所の総員を大きく上回る兵力での襲撃が危惧される。機密書類の迅速なる破棄を具申する」
「撃退しろ! 傭兵どもなぞ烏合の衆だろうが」
「市街戦になれば公権力が動く。機密書類が押収されれば異端審問官が派遣されてくる。お覚悟は宜しいか?」
「下賤の輩。貴族の矜持を欠片でも恵んで貰えたなら、恥じ入ることも出来ように無恥無能共がぁ。庶子ばらの分際で剣術など学んでも所詮は下士官止まりと思い知って、賤業に精出して居れば分相応。生意気に具申などと片腹痛いわ」
「北西の貧民街から川筋を辿って城外に脱出可能であります。再考を」
「王女様に累が及ぶ可能性は優先して排除すべきであります」と留守居軍曹も。
「ならお前、焼いとけ。他の者は館外の哨戒に出ろ。わしは指揮官室の書類を整理する。おい、お前! お前は皆のために、その脱出ルートを確保せよ。おめおめおめと負けて逃げ帰って来た失格分隊でも、その程度やってのけろ」
そそくさと自室に戻り、金目の物を鞄に詰め始める。
☆ ☆
坂下酒亭に着く直前。
「あのさ」と、尻娘。 (そろそろ呼び名はクリスにしようか)
「あたし、わかっちゃった」
歩みを止めて、言う。
「ううん、やっぱりお猿もいるとこで言うね」
店に入る。村人が輪になって踊り出していた。
☆ ☆
七人組が急な階段を降りる。旧城市の北壁だった場所だ。その昔は外堀だった川が西へと流れ、南北の段丘下の葦原の合間合間の微高地に貧民街が散在している。
「軍曹、あの川ですね?」
「うむ」
北門に通じる橋の畔に川端へ降りる小径。その途中で、まったく気配を感じることのなかった頭上から声が掛かった。雲の切れ間から射し込んだ月の光に、髪の長い女が影絵の様に浮かんでいた。
「何処迄遁げれば逃げ果てるかの。既から気付いておるのじゃろ。世界の奈辺でも逃げ切れぬ。必ず御身に随いて来る。後悔と具に追従て来る。微睡む刻は思ひ出す」
「誰だ?」
「儞の悔恨じゃ」
「それは?」
「垠て无く責める霊」
「果て無くか?」
「嗟、はてなくじゃ」
「子供は泣き叫んだであろ? 指を斬られて号んだか? 目を抉られてなんとした?」
「殺したく・・無かった」
「受けた命令は何じゃった? 殺して部位を奪う事。苦痛を与えず出来たぞえ」
「命まで奪わずとも!」
「無用な情けじゃ。苦しめただけ。御身のそんな性情を那の凶獣が知らいでか」
「それでは?」
「御身が遁がした子供らは、始末係が尾行いて回り、残らず殺して埋めていた」
「そんな・・」
「武人の心も喪った。人の情けも失った。唯だ豺狼に成り果てた今の御身に何が有る?」
「何処に逃げても何も無い」
「たった一ツ丈け途が有る。茶番の果てに来る者だ」
「それは?」
「死じゃ。死とは虚無。地獄にて責めら被るとは古き駄法螺」
偶と看ると橋梁の下に先を輪にした縄7つ。ご丁寧に、下に樽まで立って居る。
「数年前だ。そう、故郷であの狂気の処刑人の許に部下として配属されたあの頃から、こんな最期の気がしておった」
☆ ☆
少し離れた場所。
貧民街の外れ、蘆の群生の中に肩まで没し、浮浪児ふうの少年が見ている。
「かいりつとか知らない。くやみ いのりながら 死んだ。 きっとすくわれた」
☆ ☆
「呑んどるんかい、東方の博士どの」
もと従騎士だった農民ハンスがまたエールを注ぐ。
猿の目が座っている。
「なんて格好してんのさー」と、尻娘ことクリスが呆れる。
「ひゃっひゃ。似合うだろ? しっかし、なんでこの服、ポリツァイの衣装部屋に在ったんだろ。謎だ」
「実は、内局の宴会用じゃわ」
「なんと意外な真相!」
「あのさ、あたし解っちゃった」
「何がにゃ?」
「凶獣デキムス・デ・ボルガスがあんな場所で死んでたわけ」
「勿体つけねえで教えろや」
「お猿、あんたゲルダン人でしょ。あんたが真っ昼間、仕事放り出して家に帰って頭から毛布ひっ被って震えて寝るのは、どんなとき?」
「へ?」
「何と出遭ったら、仕事ぜんぶ抛り出し、家に帰って頭から毛布ひっ被って震えて寝たくなる?」
「俺がか?」
「部下は、日頃のコワモテの彼しか知らなかったから、想定外だったのよ。残忍な豪傑が急に家に帰って閉じ籠っちゃったなんて、誰も思い付かなかった。多勢に無勢で敵に拉致られたとか、雇い主の宝剣持ち逃げしたとか、そんなこと考えて右往左往してたわけ」
お猿愕然と、
「あいつぁ、出遭っちまったのか?」
「そうよ」
「がが、ガルデリの魔女にか」
「あ!」
「猫どん、何じゃ?」
「おれ、大事なこと忘れてたにゃん」「何?」
「連中がやった儀式の目的、盗賊王女の病気平癒祈願にゃん」
「見えたな。俺が今日手に入れたのは『元王女様ご懐妊』情報だ。もちろん相手は所謂彼の人。伯爵御曹司よ」
「その計画、穴だらけじゃ。成婚なくば相続権の無い庶子が生まれるだけ」
「だけで済むの?」
「むろん済まぬ。現ゲルダン政府が人道上の罪人として手配し、王国にも外交ルートで捜査・捕縛を願い出とる逃亡者とーーじゃぞ。庶子を儲けたり、まして婚儀じゃと? 国際紛争の種を作るわけで、御曹司廃嫡の決定打と為る美味しい材料じゃ」
「狙い目だにゃ」
「甥御擁立派にしてみれば婚儀反対で牛歩戦術して居るだけで勝馬に乗れる。労せずして馬鹿を潰し、狡兎も走狗も皆な直き鍋の中じゃわ」
「亭主ぅ、鹿肉煮込み、あるー?」
「王女が難産で死んだら、ラトロ派ゲームオーバーだわなあ」
「いや、追い詰めたら不味いって典型にゃ」
「行き着く先が妖術ね」
「負け組が、どんどん悪い方向に転げてる訳かよ」
「旧帝国が崩壊した折りに、広大な穀倉グェルディナ平原の北側三分の二を伯爵家が切り取って北の王国に帰順したのじゃ。残り三分の一、フルメマンヌ河の南を伯爵が狙うのは累代の宿願。上手く王女を手駒にすれば、格好の大義名分に為った。しかしこの町の馬鹿息子どもが下手を打ち続けよった。妙な左道で異端審問官など呼び込んだら、それこそ致命傷じゃわ」
「誰のー?」
「みなまで言わすな。誰もが考えとるじゃろ、蜥蜴の尻尾の先っちょか、根元か、はたまた腰から下か」
「そんな切ったら死ぬし」
「最悪、伯爵家が腰斬刑で死ぬ。当然先っちょで済ませたかろ? 不幸にも、うちの倅は間違い無う先っちょじゃ。それで依頼よ。倅の名はルッカ・スパダネーロ。箱馬車を用意する。拉致ってブリンチオの港で東の帝都スタンボル行きの外国船に放り込んでくれ。時間があれば、わしの口から説得する。無くば縛って連れて行け」
「肝心の倅は何処にゃ?」
「済まん。そこから依頼じゃ」
「とほほだにゃ」
☆ ☆
振り分け荷物、両手に鞄。夜道の坂を心得、小走り。
無造作に詰め込んだ隠しから、金貨の数枚零れ落ちたか、ちゃりんと涼しい音がする。
「おっと」
立ち止まり、音のする方に屈む。
坂少し上に停めてあった荷車の車輪留めが外れて急に動き出し、心得を轢く。
小径に這入る為に轍の軌の狭い荷車の、右車輪が両膝を砕く。
金貨詰め込んだ鞄が車止めになり、左車輪が胸腹の辺に乗ったまま、荷車が止まる。
異常な重さが内臓を潰す。吐血が口中に溜まり、声にならない。
「潰れておるな」と、僅かな月明かりの中、黒衣の女が現れる。
心得の、声にならぬ声が呻吟する。
「あ・・ぐ・まぁ・」
幾分単語らしいものも聞こえる。
「わしは何ぁにも為て居らぬ。お主の鞄が当たった拍子、車が動き出した而已。其処をお主が自分の意思で立ち止まって居って轢かれた。自分の所為で招いた事じゃ。結果も自分で受け容れよ」
黒髪の女が淡い月影の中に消える。
心得が圧死するまで未だ幾刻も時が有った。
《註》
スパダネーロ:SpadaNero, =Black Sword、RotSchild(Red Shield)とは関係ない
放蕩息子:Prodigal Son,(Lukas15:11 - 32)
ブリンチオの港:Brentio, Brention(ブリンディシの古名)に響きが似ているが別の港
帝都スタンボル:Stambol, Istanbul(Byzantium)に響きが似ているが別の都市