1 猫の日常
《三月七日水曜、朝》
エリツェブルの町、探索者ギルド協会*会館。 本館大広間の東隅から短い渡り廊下を隔て、中庭を見下ろす宿泊棟。
一階が文無しの泊まる大部屋だ。早い者勝ちで好きな場所に、勝手に藁を敷いて寝る。藁籠にある藁は綺麗なもんだし、好きに使える衝立も有る。ここが無料で泊まれるんだから結構毛だらけ猫驀進ぐら。
ただし連続三日までなのだ。つまり三日の猶予の間に誰か協会所属の親方が出した求人に応募して、栖処付きの仕事にあり付くか給金で二階の有料宿泊所に移るかの二択。
それで三日仕事取り外って市警の無宿人取締に引っ掛かったドンくさい奴を身請けするタコ部屋もあるんだが、あまり語りたくない。そのくらいなら最初から、市当局発注の汚れ仕事受けて糊口を凌ぐわ・・キツいけど。けど、この町は職種でも人種でもあんまり差別しない。
いい町だ。
稼げりゃ、有料の二階も兵舎みたいな寝台で朝飯付き。そこそこ居心地良くて安上がりだから常連が居付く。上を見たなら際限が無いが、上層階には文字通り雲の上なる上級者さん。上客捉えてばんばん稼ぎ個室住まいだ羨ましい。
因みにこの町、他所とは大分と毛色が違う。
何でもその昔、旧帝国の軍団が敢えなく潰走したとき置き去りに棄てられ撤退し損ねた工兵や輸卒、酒保商人らが渋太く生き残って陣営跡に建てた町だそうで、土木産業や運送業は勿論、軍に編入されてた武具や攻城兵器の職人、馬丁集団とかが基幹産業の礎となった。種族や職種で差別が少ないのは、そんな来歴故えらしい。異族の従卒に墓掘人に屠殺人、みんな軍団組織にいた者たちだ。この町創建の仲間なのである。
そう。例えば他所の街だと決闘代行人なんて酷く差別されてるけど、この町じゃゴリ押し決闘裁判から弱者を護るヒーローだったりする。尤もこの町の決闘*ってハリセンみたいな棒でやるんだが。
文無し大部屋で藁に包まり朝寝する。ぐうたらじゃないよ。見張り番小屋で仕事した徹夜明けの朝だから。これから寝るのさ、ちょっとだけ。
ちょっとだけ、仮眠だから。
向こう側の壁際で、昨夜一昨日同僚だった斥候女が尻出して寝てる。そこそこ見目好い小娘が尻丸出しで寝ていても誰も不埒に手を出さぬ。そう、ある意味この場所は町で一番治安がいい。おっかない古参たちがいて、ときどき目端の利かない新参者が中庭の池の中程に頭を下にぶち込まれる。
おれ? おれなら唆られにゃいよ、あの尻じゃ。種族違うもの。
おれ、猫獣人だから。
☆ ☆
起きたなら、使った藁は片付ける。同宿者への礼儀だもんな。東の鎧戸開け放ち差し込んで来る早春の陽の光が未だ柔らかい。自分の使ったのを日当たり好い場所に自分で干す。折角藁を干したのに、ひなたで心地良くなって二度寝する連中、今日は休みか?
ホールには白銅板を水銀で磨きに磨いた大鏡ででんと鎮座在しまする。お貴族様の館でもこんな姿見ザラに無い。ついポーズ取る。
小洒落た焦げ茶の革ジャーキン*にずらりと並ぶ金釦、紅薔薇色のクラバットきりと結んで亜麻の白シャツ。烏賊胸に見せかけた軽いゴジエ*のズレを直し、襟元に黄ばみが無いか目を皿にして見る。フリーの探索者は毎日が面接だもんな。顔は黒猫だから白い腹は見せない方が格好良い。
ぱんつ? 猫が下半身裸で文句言われたこと無いにゃ。
大広間に行く。こんな時刻だもの、昼飯どきまで閑散。
割りのいい仕事はどうせ朝一番で消えてるから、求人掲示板も見る気がしない。寝てたんで朝飯は食い損ねた。樽から柄杓で腰の錫水筒の蓋に汲む。呷って一息。会館じゃ飲料水が無料だ。なんでも昔この場所は、良い水場に軍が築いた宿営地だったらしい。どう言う訳か近からぬ北嶺からの清浄な伏流水が湧き出すのだ。僅かに漂う水苔の香りが山渓の水らしい。
「おおい! 斥候猫」
「にゃ?」
尻出し娘も起床きて来た。
「番い作りも前の娘がなんて格好して寝てるにゃ」
「見んなよ」
茶虎みたいな髪色で雀斑ちょっと目立つ娘。別嬪さんの部類だと若い男が云っては居たが、おれにゃ頓と判らない。気伊達良さそなメスなのは見てて喋ってよく分かる。
仕事明けだから男装同然だけどブリーチパンツの短いの*みたいなのと長脚絆の間に太腿が丸出しにゃ。まぁ元気な男の子みたいな格好?
「ろくな仕事、ないねー」と、もう掲示板見て来たらしい。
「なあ、尻出し娘。お前って町っ子?」
「そんな名前付けんな! 近所の荘園*ン生まれだよ。もう無いけど」
「無い?」
「荘園領主が伯爵に殺られて自治村になった。村役が伯爵党ばっかで居辛くなった親父が年寄株ぅ親類に譲って町に来たのが、あたしがちょびの頃。でも、ここも伯爵がパトロンしてる自治都市なんだけどねー」
ここいらは潰れた旧帝国から北の王国に鞍替え帰順した外様の地。在来の小領主たちは独立心ばかり強くって、王都の偉いさんに領地寄進して庇護ゲットとかいう小技、仲々やりたがらないんだよね。だから強欲伯爵がみんな食っちゃう。
「荘園の肝煎*かなんかのお嬢か。それが今じゃ尻出し娘とはショギョームジジョーって奴だにゃあ。伯爵もヒッスイなんかね」
「むつかしい言葉知ってんね」
「学もあるし猫村じゃ名門だったけど、人里じゃ猫差別で収入少ないにゃ」
「この町、そういう差別ってあんまり無くね?」
「前いた町に比べたら天国かもにゃ」
「落ち着く気?」」
「まあにゃ」
「昨日一昨日一昨々日と一緒にやった縁もある。あたしと斥候コンビ組まない? あんただったら下手に気ぃ許して犯られる心配もな・い・し、他意の無いトモダチん成れそだ」
「悪くにゃい」
こいつって遠慮会釈のない口利きが感じ良い。
「ん?」
「なに?」
「面白そうな匂いするにゃ」
☆ ☆
ギルドへの依頼客は広間を抜けて、奥の案件受付に行く。だが今しがた、あんまり外部者の知らなそうな裏口抜けて、毛色の違う誰かが入って来た匂いがする。そう。厨房の裏から中庭の隅に入った。ギルド職員と会ってる。
「尻娘、行くにゃ」
中庭側から、ちょっと散歩した風情で建物の入り組んだ蔭に入り込む。息を殺して近づくと、身長差で尻娘の無駄乳がむんにゅっと後頭部に当たる。
見知らぬ男。
「市警は『事件性無し』だって。お医者さんの書類もくれました。ウチみたいな飯屋の下宿人に不審死とか出たら、客足マズい半端ない、お願いしますよぉ」
「うー」
唸ったのはギルドの牢番頭だな。
戦場だったら一人で敵兵十人は捻り殺しそうな彼の男が気弱そうな声。
「これが埋葬許可書でさぁ」と、来訪者。
「警吏の署名じゃなくて官印捺したやつは?」
「いま頼んでまして、仏さんと一緒に持って来やす」
「俺じゃ何とも言えん。金庫番に相談する」
「ひとつ、お願いしますよぉ」
「ほかの書類も預かる」
男と会っていた物陰から、容貌魁夷な牢番頭の巨体が現れ、中庭の奥、植込みの中の小径に消えて行った。
要するに籠抜けで、ギルドが引取って呉れりゃ経財的に損はさせぬという話の様ではあるが、額面通りでも無さそうにゃ。
「お金の匂い」
と、尻娘が胸の無駄肉をむにゅむにゅ押し付ける。
「これは尾行だにゃ」
☆ ☆
目抜き通りから裏路地入って二十歩くらいの所に赤煉瓦造の建物。一階が殊の外繁盛の酒亭。ギルドに相談に来た男が店主らしい。上の方に下宿部屋が有る模様。
「で、どするにゃ?」
尻娘は特上等の白腸詰のよに肉ぱんぱんの、毛のない太腿まるっと晒して短か過ぎキュロット。つか、ナニもう其れ丸出しぱんつ。道ゆく男*は播種系の、獣人は胃袋系の肉欲で振り返る。尾行に相応しくないこと夥しい。
「昼飯食おう」と、本人至ってお気楽だ。
入る。
「(おい、高い店だぞ! )」
入場料一銖銀一枚半で飲み物別料金かよ。定食屋で昼メシ六回食えらぁ。昨日の稼ぎがラーズス峠の淡雪みたいに消えちゃうぜ。
「入っちゃったもん仕方ないよ、元取ろう」
おい、情報収集に来たんだぜ。目的忘れて食ってる場合じゃない。
けど、食うにゃ。
「定額食べ放題だね」
この後、目的忘れてむちゃくちゃ食った。
☆ ☆
ひらたい堅パン勝手に取って、大皿料理を盛っては齧る。
「この干鱈をベーコンスープで戻した奴が美味いにゃ」
「あたしら南部人はこのハーブ味の茹で麺に目がないんだけどね」
「だけど肉食わんと損だぜ」
こないだの謝肉祭では呑んで騒いでいたくせに、断食肉断ち誰もしない。それが南部人。
「あそこの・・はりはりした皮の美味そな鶏ローストひたすら食ってる奴、平服だけど警吏。前に職質されたから知ってるわ。あたし顔バレしちゃった」
「いい酒飲んでやがるな。勤務中だろ」
こっちもメシ食ってるだけだから顔バレどんと来いだにゃん。
「なんか聞こえる?」
猫、耳の邪魔にならぬようブリム左右を折り上げた帽子を狭い額に手で押さえ、
「奥で遺体の第一発見者ぽい小娘がまだ興奮してて、帰って来た店主が宥めてるにゃ。泣き声混じりでよく聞き取れないけど、夜中に不審死してた下宿客ってのは、ゲルダン人の強そな大男のお侍らしい」
「ゲルダンのお侍さんが不審死って・・」
「昨日の昼過ぎに突然走って帰って来て、忙しいから誰が来ても通すなっ取り次ぐなてぇ言い付けて、軽食と夜の寝酒持って部屋に篭り切り。明日起こせって言われた時刻に行ったら死体」
「死因不明?」
奥の厨房から大皿盛りの料理が出ては中央の円卓の上に置かれていく。
今度は豆と野菜の衣揚げか。揚げ立てにとろりハーブ油のソースが掛かって旨そな音。
必ず誰かしら居る帳場の脇に昇り階段。二階三階は店主家族や使用人の居宅らしく、生活音がするよ。下宿か貸間になってるのが、その上の階。警吏があそこで頑張ってられたら、入り込んで現場見るのは無理だな。
ま、行こうと思やぁ屋根伝いに行けるけど。
おれ、猫だし。
「若僧警吏が張り込んでるってことは『事件性無し』は嘘ぱちで泳がせ中だねー」
「おうよ」
「猫ニャン、その耳で日当2銖って安く叩かれてない?」
「だから猫差別だぜ」
「まあ、そのぶん戦闘力低そうだから適価か」
「うるせ」
「さっき牢番頭の話があたしに聞こえるとこまで行ったのは、気を遣ったわけ?」
「コンビ組まないかと言われた返事代わりにゃ」
「営業中でも夜中でも、店の人に気付かれずに騎士の部屋まで行くのは無理そだね。密室殺人? ねえ、これさ・・あたし等の手に負えるかな?」
「まあ若干ヤバめのヤマに見えもするが、危険度は傭兵団にいた頃に比べりゃ、そんなじゃ無くね?」
「えー! あんた元傭兵に全ッ然見えない」
「なめんなよ。正規軍で騎兵スカウトやってて、差別ひどいから傭兵団に行った。結構ベテランの偵察兵だぜ。ま、激戦でびびって団ヤメたチキン猫だけどな」
「チキン猫って揚げたら美味そ」
「食うにゃよ」
「あたしなんか探険パーティーの斥候やってただけだから山賊と戦闘とか、たま〜にくらいね。あと、プフスの代官所で野盗討伐隊に加わったりもするけど、聞き込みとか足跡探しとか担当だから、激戦とかは経験ないな」
「死体は?」
「検死はセミプロ。親父がボケ爺ンなってから法医の叔父貴の助手で食ってた」
「ほ、そこそこ稼げるコンビ結成できそだな」
「ん? 動いた」
☆ ☆
ハリコミ警吏に先輩っぽい奴が接触。エールの小ジョッキ片手に、煮野菜の冷製大盛りにした堅パン。ベジタリアンかな? あいつ多分だいぶ人殺してるにゃ。
「ちょっと怖い奴ね」
あ、わかる? それ、斥候が長生きする大事な才能。
「お前さ、ギルドの受付にいる背のでかい姐さん知ってる?」
「う・・黒歴史。あたし初対面で怖くて漏らして赤恥かいた」
「赤黒の歴史かい」
こいつ大丈夫だ。牢番頭よりあの受付にびびるって、素質あるわ。
「ギルマスは?」
「話の面白い人ねー。いっぱいご馳走になっちゃった。資産家らしいよ」
なんであの人のこと、誰も怖がンにゃいんだろ。解せぬ。
「・・にゅうこ・・許可あり騎士・・市警に取り調べ権限・・な・・よう疑が・・。
・・・聞き取りにくい。密談用の喋り方上手いな、先輩」
ま、裏の公僕がお上の情けで足洗わせて貰った、とかの口か。
「何かの容疑者としてマークしてた奴が、死んじゃったわけですかー」
「結構なお値段とる料理屋の上に下宿してた奴だ、金回りも良かったんだろにゃ」
聞く。
「こんゆら・・に・・持ち込ませ・・」
「『こんゆら』って何?」
「わかんにゃあ。隠語かな」
「店主のおっさん、ギルドの牢番頭んとこに遺体を持ち込もうとしてたよねー? 市警ってば、探索者ギルドに厄介案件の捜査肩代わりさせる狙いじゃない?」
「市警に圧力かかった・・かな?」
「ありゃ、警吏二人とも本格的に飲み始めちゃったね。状況動いたらどうする気だろ。あ、厚切りハム炙りハーブソース掛け、出た」
「窃み聞きより肉だにゃあ」
なんか密偵か何か上がりっぽくて要注意な先輩警吏の方まで、もう警戒心やや薄れて来て飲んでるから、探索者ギルドに不審死案件持ち込ませたとこで連中の任務はひと段落らしいな。
「お前さあ、お腹ぽっこり出て来てねえ?」
「食べなきゃ損でしょ」
「その茹で麺、ずいぶん好きだなあ」
「これ三人前は食わなきゃ南部人じゃないわよ」
そう言や、私服の警吏二人組もそれ際限なく食ってるわ。まあ警吏だから地元っ子か。指三本で器用に摘んで上向いて下からツルリって、猫だと難しいにゃ。
「おれ、肉」
ホール真ん中の卓に大皿が幾つも。ソースで煮込んだ塊り肉、挽肉をでかいベーコンでぐるぐる巻いて固めて焼いたののスライス、アバラの骨付き辛味焼き。どれも良いが、今度はこれだな。
天井の鉤から鎖で吊る下がった炙り腿肉。腰から下げた径五寸のお飾りボオクルの蔭から万能ナイフ抜いて、えいやっと! 上手く堅パンに乗るように刮ぐのに、一寸いと許のコツが要る。が、ちょうど反対の側にも肉を削いでる客が居たんで楽ちんだった。
目が合ったので会釈する。
肉を取って尻娘んとこ戻ると、さっきの客がついて来る。
「同席、いい?」
☆ ☆
《註》
探索者ギルド協会: Societas Artium Investigatorum
この町の決闘って:貴族と違い、平民は棒で決闘することが多い。
cf.“The weapons allowed them are batons, or staves, of an ell long, and four-cornered leather target; so that death very seldom ensued from these civil combats.” (About commoners in judicial combats)*ell=45inches
”A Brief Display of the Origin and History of Ordeals.. : Trials by Battle”
III. Trial By Single Combat, In Case of Civil Right :James P. Gilchrist:1821
ジャーキン:Jerkin, Lerkin ジレ的な袖無し上着。主に革製。十六世紀の風俗だ
が、大人の事情で紀元前から存在したことになっている。
ゴジエ:Gorget, =Throat Protector、通常は金属製や革製。ここでは防刃繊維製
ブリーチパンツの短いの:Breechesより短い
荘園:Hof, Hoeff, Hoeven, Houes
りとねす:Litones(lat.)=Laten(ge.)、評定衆
ゔぇあ:Wer(ahd.) = Mann(ge.) ルビ対応で「うぇあ」とした
てりあん:Therion Anthrōpos (gr.)
こんゆら:Conjuratio(lat.)
径五寸のお飾りボオクル:Bocle(frz.), Buckler(en.)
;パリングや殴打に使う超小型丸盾