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"さえ"駅、散策

 ……ヤ。

 ……クヤ。

 ……タクヤ。


 タクヤ――。


「ううん……あれ?」


 誰かに名前を呼ばれた感覚と共に、失っていた意識が現実へ引き戻される。

 随分と長いあいだ眠った気がするが、ナミはまだ戻っていないようだった。目元を擦りながら身体を起こせば、肩や腰やらがパキパキと音を立てる。

 喉が無性に渇いていたので、給湯室から水を汲んできて飲んだ。水らしく無味無臭だった。


「さてと。これからどうすっかなー」


 時間を持て余した俺は、暇つぶしがてら、駅の中を探索して回ることにした。

 今いるのは駅員室。一見して清潔な雰囲気だが、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていた。あまり丁寧に掃除をしない人なのかもしれない。

 駅員室にある扉は三つ。一つは、ナミから決して入らぬよう釘を刺された、赤い木造の扉。二つ目は給湯室、もとい簡単な台所へと続くもの。最後の一つは駅員室からの出口で、駅構内やホームへと行くことが出来る。

 室内にこもってても気が滅入りそうだったので、鉄製の扉を押し開けて外に出た。

 晴れる気配のない濃霧の中、電車がやって来た方向に向かって、意味も無くホームを歩いてみる。途中で駅名の書かれた看板を見つけた。どうやらこの駅は“さえ”という名前らしい。俺が来た方向は“あしはら”、行き先は“ね”となっている。

 習慣的にスマホで調べようとしたが、いつの間にか圏外になっていた。おかしいな。さっきも電話が繋がらなかったが、アンテナは確かに立っていた筈だ。

 どういうことだろう。訝しみつつ、スマホをポケットに仕舞いなおした……その直後。


 ――リン、と。どこからか鈴の音が聞こえた。


「っ!?」


 突き落とされた時を思い出し、全身の産毛が一斉にそそけ立つ。

 音は……霧に覆われて見えない、線路の遥か先から聞こえたようだった。発生源は不明。だが直感的に確信出来た。何かがやって来る、と。

 汗の匂いがした。自分の冷や汗だった。逃げろ、と警告を発する頭に対して、身体は石のように強張ってピクリとも動かない。そうしてしばらく同じ方向を睨み付けていると、やがて濃霧をかき分けて、一人の人影が姿を現した。


 それは小さかった。

 少女だった。

 背丈だけで判断するなら、彼女は精々、小学校低学年といったところ。赤い着物を身に纏い、おかっぱ頭を俯かせ。一切の言葉を発さぬまま、線路の上を歩いて少しずつ俺の方に近付いてくる。

 少女が足を踏み出す度に、リン、と聞き覚えのある鈴の音が鳴った。


「――タクヤ」

「え?」


 優しく、甘く、名前を呼ばれる。彼女の第一声だった。


「タクヤ」


 そのままホームまで上がってくるかと思われたが、少女は駅から一定の距離を保った位置で止まった。腕を持ち上げ、手招きをしてくる。こっちだ、こっちに来い。そう言っているように見えた。

 可愛らしい外見にいつの間にか警戒が緩んでいた。俺は少女につられるまま、半ば無意識に線路へと降りて行こうとして……。


「――何をしているッ!?」


 慌てたような叫び声と共に、背後から力強く抱き締められた。

 我に返って振り向いた目の前を、艶やかな黒髪が流れていく。果実のように甘い香りが鼻をくすぐった。

 息を弾ませ、もの凄く焦ってるナミの顔が、首を伸ばせば届きそうなほどの距離にある。


「正気かお前! 駅から、出るなと、言っただろうが……!!」

「ご、ごめん。……でも、今そこに女の子が」


 線路を指差して必死に伝える。ナミはそちらに目を向けたあと、忌々しげに歯軋りをした。


「……ああ」


 俺を抱き締めている腕に、心なしか力がこもった。


「私にも、見えている」


 いつになく低い声色だった。漆黒の瞳に炎を宿し、正面から少女を睨み付ける。少女は少女で一歩も退かず、黒髪の下から焼けるような視線を俺たちに浴びせかけていた。

 虚空に火花が散る。一触即発の状況を前に、圧倒された俺は声一つ上げられなかった。


「――タク」

「失せろ」

「……」

「こいつは私のものだ。貴様には渡さん」


 しばらく沈黙が流れた後、大人しく少女が去って行く。緊張の糸が切れた俺は、力なくその場にへたり込んでしまった。


「大丈夫か、拓也」

「……はい。あの、今のは一体」

「あいつだ」

「え?」

「あいつが、君を狙う妖魔の正体だ」


 ※


 駅員室に戻った俺は、この駅での禁忌について、ナミから改めて言い聞かされた。

 一つ。ホームから降りてはいけない。

 二つ。駅員室の奥にある、赤い扉の部屋に入ってはいけない。

 そして……。


「最も重要な三つめだ。今度、再びあの子どもが現れても、決して相手をしたりしないように。結界で守られてるとはいえ、万能じゃないからね。内側から許可を出せば、奴らは悠々と侵入してくる」


 指を立てたナミが滔々と語る。落ち着いた声色ながら、その表情は見惚れそうになるほどに真剣だった。


「こっちに来て、とか。もっと近付いておいで、とか。肯定の言葉を口にしては駄目だよ。ましてや……無いとは思うが、名前を呼ぶなど持っての他だ」


 分かったな? そう念を押してくる。俺は首を縦に振った。よろしい、と満足げな返事が返ってきた。


「あの、ナミさん?」

「何だい?」

「……ずっと気になってたんですけど、どうして俺を守ろうとするんですか?」

「私がそうしたいと思ったからだが?」


 臆面もなくサラリと答える。だけど理由にはなってない。


「教えてください。あなたの言い方からして、誰も彼も俺みたいに助けてる訳じゃないでしょう」


 ナミの眉が微かに持ち上がる。そうしてしばらく待っていると、やがて彼女は諦めたように口を開いた。


「ふむ……そうだね、何と言えば良いかな。私は、幼い頃の君を知っているんだ」

「俺を?」

「ああ。君に救われたことがある」

「でも、俺たち初対面ですよね」

「……どうかな。人の記憶は得てして刹那的なものだよ」


 少しの情報は手に入ったが、重要な部分は誤魔化された。よほどの秘密があるのだろう。こうまでして隠そうとし続けるなら、俺だって、無理矢理に聞き出そうとは思わない。

 ぐう、という腹の虫の鳴き声が気まずい沈黙を破る。恥ずかしくてお腹を押さえた俺に、ナミは頬を綻ばせて言った。


「一緒に甘い物でも食べようか、拓也」

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