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四方山徒然草  作者: 長野晃輝
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「作家論」

「作家論」


 作家論という言葉をご存じだろうか。

 文学研究の手法の一つで、その作家の実体験や生活などから作品を読み解いていくのだ。

 例えば、豊かな自然の描写があり、その作家が地方出身の人であれば「これらの自然描写はかの作家が幼少期を過ごした〇〇の豊かな自然が元となり、望郷の念や幼少期の自然への畏敬を表している」などと解釈することができる。

 また、作品以外の寄稿文や、雑誌新聞のインタビューなどの作家の発言から作品を読み解くのも作家論の一種だ。

 わたしは作家論で読み解くのは文学研究としては必要だが、個人的には苦手だ。

 作品は作品の中だけで読み解くべきだと思う。

 例えばわたしが小説を書いた時、ヒロインにモデルがいたとしてもそれを明かしたいとは思わない。作品はその中の世界だ。もちろん我々人間が作る以上、現実からの干渉は免れない。

 だが、それを明確にせずとも研究ができる作品こそが名作と呼ばれる。

 極論を言えば、作家の素性も人間性も過去作品も全ての情報を削ぎ落して作品と向き合いたい。

 村上春樹氏の作品と知って読めば、そういうものだと穿ってしまう。

 わたしが個人的に愛してやまない河野裕先生の作品も、先生の作品だと知っているから買ってしまう。欲を言えば、新作を読むたびに河野裕先生に関するすべての記憶を抹消して作品を読みたいものだ。

 バンドなど音楽でもそう思う。

 その音楽をどのような人が、どのような経緯で、どのように曲を奏でているか。それら全てを知ることなく、ただ音楽だけで鑑賞したい。

 あれこれ言っているが、要は先入観を排して作品に向き合いたいということだ。

 もちろん外れを引かないために既に知っている名前を選ぶものだし、わたしもそうするのでそれらを否定するつもりはない。

 ただ、作った人間だけで作品を触れる触れないの選択をするのは少し勿体ない気がするだけだ。




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