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ブライトナー〔二〕



 目の前の男――用務員は、ブライ・ブライトと名乗った。

 当主の既知で昔からこの屋敷に出入りしているのだそうだ。今年、ウルフがジュニアハイスクールに入学したので校内の様子を観察がてら、雑事を請け負っていたのだという。

「そういえば、君はペンタスに身を寄せているんだってね」

ブライは茶器を静かに置きながらエリスに言った。

「あ、はい……」

どう返答したものかと悩んでいると、

「珍しいこともあるものだと思ってね。どんな理由であれ、彼女が他人を城に住まわせるようなことは今まで一度もなかったから……。というより、よくあの皇子が許したものだよ」

ブライは笑いながら独り言のような調子で呟いた。どうやら魔女とも既知であるらしい。皇子とは、モールヴァルフのことだろう。

 ウルフはエリスの素性と今の現状を、当然、保護者であるシヴァーン・ブライトナーに説明しているだろう。でなければ、ウルフを送迎する車にエリスやダグラスを乗せて学校と城とを往復してくれたりはすまい。ブライトナーと魔女の既知であるなら、おそらく、この男は一連の出来事を全て知っている。だからこそ、自分に関わってしまったウルフの身の安全を確認するために用務員として学校へ入ったのだ。

エリスは心を決めた。

「それはたぶん、ウルフちゃんがあの人に会わせてくれたからです」

エリスが今、安心して眠れる場所があるのも、兄の失踪の原因であろう政府病院の資料を見られるのも、すべて、この少女の存在があったからである。

「でも、魔女様は優しいもの! 一生懸命お願いすれば、おねえちゃまのおにいちゃまも、おともだちも、きっと助けてくださるわ!」

「……ありがとう、ウルフちゃん」

ウルフの無邪気な言葉に、エリスは微笑んだ。

そこへ、年配の使用人がウルフを呼びにきて、少女は席をはずした。

金髪が揺れる小さな背中を見送りながら、エリスはため息を漏らす。

魔女は、動けない。

ダグラスが言ったように、魔女を利用しようとする輩は数多く存在し、彼女が下手に動けばこの星の勢力の均衡が崩れる。

(……そうか……)

それは、あの少女にもいえることなのだ。

ブライトナーという巨大な組織の次期総帥と目されているウルフ――彼女とて、魔女同様いつも危険にさらされているのだ。

(いけない。つい甘えてしまったけれど、きっとブライトナーの人々にとっては、私こそが危険人物なんだ……)

エリスは全身の血がすっと引いていくような気がした。

「すみません……私……私、自分のことで頭がいっぱいで、ウルフちゃんのことまで気がまわらなくて……あの……、これから送迎も結構です。今日は家に帰ります! お邪魔しました!」

蒼白になりながら、ぺこりと頭を下げて部屋を駆け出して行こうとするエリスを、ブライは苦笑しながら呼び止めた。

「まあ、そう早合点せず、ここにお座り、お嬢さん。……うん。実際ね、そのことに気づいてくれたのはこちらとしてはありがたいよ。正直、あの子の身もけして安全ではないからね。ただ、今回の件に関しては、君だけの問題ではないんだよ」

「……どういうことですか……?」

「君は今、一生懸命お兄さんを助けようとしているけれど、そもそも、なぜお兄さんが攫われたのだと思う?」

それこそ、エリスが聞きたいことだった。あれから、いくら考えてもその理由がわからないのだ。兄が、あの病院の何かを知ってしまったのでは、という懸念以外は――そう告げると、ブライは小さく頷いた。

「病院のあの資料――あれがなんだかわかるかい?」

「ブライさんも、あれを……?」

「見たよ。まったく胸が悪くなるね」

「……友達とは、まるでキメラのようだという話をしました。ダグラスは、その……親友の失踪もこれに関係してるんじゃないかって……」

「……キメラね……。そうだね……そうともとれるか……」

「え。違うんですか?」

エリスの驚いたような問いかけに、だが、ブライは考え込むように黙りこくってしまった。



 広い部屋はびっしりと本が詰まった書棚が壁の二方に据え付けられ、部屋の主が座っている執務机の右手、中庭が見える大きな窓は開け放たれており、心地よい風が入ってくる。部屋の中央に置かれた巨大なソファに、ちょこんと座る少女は人形のように見えた。

「今日は城に入れなかったか」

執務机に座っている老人が、問うでもなく言うと、

「はい、おじいさま」

「……また、竜が増えたな……」

律儀に答える曾孫を見やり、苦笑とともに呟く。

(よわい)一六〇を経ているはずの男は、せいぜい六〇前後にしか見えない。長い白髪は銀色にちかく、艶やかな光を放っている。鋭い眼光と引き結ばれた口元は、容易く人を寄せ付けない雰囲気さえある。

この老人こそ、ブライトナーの現当主、シヴァーン・ブライトナーであった。

「ウルフ。あの高校生を救いたい気持ちはわかるが、お前が下手に動くと彼女に危険が迫ることを忘れてはならない。登下校の送迎はよい。だが、彼女が抱えている事件に、お前が首を突っ込んではいけない。いいね?」

「……はい」

シヴァーンの言葉に不服そうにしながらも、少女は頷いた。

執事とともに少女が部屋を出た後、シヴァーンの後方から低い、空気を震わすような美声がした。

「さて。お前の忠告をあのお嬢様はきくと思うか?」

「……伯父上。いつも言っているでしょう。入るならドアから入っていただきたい。――あの子の場合、誰がなにを言ったとて、無理でしょう。生まれ変わったとはいえ、あの性格が直るとは思えませんね。かつて妻だったといえ、ウルフは千早殿ありきの子です。彼女に関する限り、あの子は意志を曲げません……それは貴方とてよくご存知じでしょう?」

「まあな」

苦笑まじりの老人の言葉に、後方の男も笑う。シヴァーンは表情を改め、懸念を口にした。

「……ただ、千早殿は今回の件、あの子供たちをご自分が巻き込んだものとみなしておられるようですから、近々動かれるかもしれません……五〇年前のような騒動がおきなければいいんですが」

「それはちょっかいをかけてくる阿呆どもに言え。竜の逆鱗に触れるようなことをするのは、いつもあいつらなんだからな」

男は、ふんと鼻を鳴らすと、空間に溶け込むように消えてしまった。

シヴァーンはふっとため息を漏らすと、窓の外に目を向けた。



 日曜のメインストリートは学生たちで溢れかえっている。企業都市にあるアミューズメントパークに行く者、一時帰省するのか大きなキャリーケースを引いている者――さまざまに休日を満喫しているようだった。

そんな人々を眺めながら、エリスは自宅へと向かっていた。

危険は感じていたが、もう一度兄の部屋や、自分の部屋を確認しようと思ったのだ。

 昨日のブライ・ブライトとの会話を反芻する――彼は、あの病院でなされていることが、キメラ作成などではないと断言した。ただ、自分が持っている情報は確実なものではないため、エリスにはまだ話せないと……。エリスの兄は、彼自身が知ってか知らずかはわからないが、それに加担する形になってしまったため、監禁されている可能性が高いと――。

はっきりとではないが、遠まわしにそう言った。

もしもそうなら、兄はあの病院のどこかにいるのだ……殺されていなければ――。

恐ろしい可能性に、エリスは身を震わせた。

(早く兄さんに会いたい。兄さんの優しい笑顔が見たい……)

企業都市に入り、自宅近くまできたとき、門前に佇む人影に気がついた。

思わず足を止め、建物の影に隠れるとそっと窺ってみる。

泥棒か、あるいは自分を捕らえにきたのか――じっとりと冷や汗が脇を伝う。

その人物は小柄な老人のようだった。よれよれのジャケットに、使い古したカバン……エリスは目を凝らし、そして――

「……!! トイおじさん!!」

思わず叫んだエリスを、自宅の門前にいた老人が驚いたように振り向いた。

「よう。お嬢。元気か?」

老人は、人懐こい笑みを浮かべてひょいと手をあげてみせた。

エリスにとっては懐かしい、かつて両親がいた頃の幸せな日々を思い出させる人物――あの古い通信機をいつも直しに来てくれたチューナーだった。

「おじさんっ!」

今までこらえていた涙が溢れて……エリスはその老人に飛びついた。






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