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錯行


 薄暗い地下室は空気が淀み、空調機などでは、沈殿し、染み付いた死臭を払うことはできなかった。殺風景な四角い部屋には窓もなく、厚い金属の扉には拳大の鉄格子の覗き穴がついているのみで、明かりといえば古めかしい小さなソケット電球ひとつ。

 その薄闇の中、壁際に男が両手を拘束されて横たわっていた。薄い色のシャツはところどころに黒いシミがついており、散らばった髪の間からのぞく顔は、ひどく殴られたのか赤黒く腫れ上がっている。だが、瞼からのぞく緑の瞳だけは強い意志に輝いていた。

彼の頭にあるのは、たった一人の妹・エリスのことだけだった。だが、そのたった一つの気がかりは昨晩あらわれた、不思議な青年によって払拭された。


 ――息を呑むほどの美貌――まさか、これほどまで完璧に整った相貌というものが、この世に存在しているとは思わなかった。

幻のような青年は、あろうことに壁から現れ、床に転がっている自分を睥睨すると、

「ランディ・ソールンか」

問うでもなく呟いた。ランディの返答を待たず、美貌の青年はこう告げた。

「お前の妹は無事だ。ただ、あの血の気の多さでは、今後どうなるかわからんぞ」

それだけいうと、青年はまた壁の中に消えかかっていく。

「まってくれ、きみは……!?」

ランディは叫んだつもりだった。だが、彼の声はつぶれており、出てくるのは荒い呼気のみで……すでに、青年の姿はどこにもなかったのだが。

エリスは無事――

深い安堵の息が洩れ、同時に強い睡魔が襲いかかってきた。どうにも抗えず落ちていく意識のなか、彼は祈った。


 どうか、彼女があれに気づいてくれますように……

 ああ、否!

 どうか、彼女があれに気づきませんように! どうか、このまま何もせず、安全な場所にいてくれますように!

 そう――もう、いっそ、誰にも気づかれず灰にされてしまったほうがいい。あんなもの(・・・・・)と関わりを持たぬほうが…………


 それでも、いつか、彼女と再会することができるだろうか……



 

 美貌の青年によってもたらされた膨大な情報は、少年少女の常識の範疇をはるかに超えていた。そこに記録されていた事柄は、想像するだに恐ろしい、人の仕業とは思えないようなものだったのである。その恐怖の半分を占めるのは、世間では良識のある優秀な人材と信じられている人々が、なんらかの大義名分を隠れ蓑にして平然と悪行を犯し、それに対してなんの痛痒も感じていない、ということだ。


 夜半まで吐き気をもよおすような資料と格闘し、グロテスクな悪夢に苛まれ、ずきずきと痛む頭を抱えて登校した二人だったのだが――。

「おはよう、エリス!」

「おはよう……」

教室のクラスメイトたちはいつもと変わらず、人気俳優のゴシップニュースだの、恋人のことだのに嬌声をあげていた。

「……ここは、平和だね……」

佇むエリスの後ろから、ダグラスが低く呟く。その声音に潜んだ小昏い感情は、エリスにも痛いほどよくわかる。

 そう……彼の言うように、ここは平和にみえる。けれど、その裏側ではいま少なくとも二人の人間の安否が知れないのだ。ついこの前まで自分たちもこの平和の中にいた。だが、それは一瞬にして覆されたのだ――今のこの光景が崩されない理由があるのだろうか?

 教室の片隅には、ダリューンが座っていた机がぽつんと置かれたままになっている。あれだけ彼に群がっていたクラスメイトたちは、ダリューンの突然の 「転校」 に対してなにも感じなかったのだろうか? 

あの日、教諭から聞かされたことをダグラスに告げられたとき、クラスメイトたちの口から出たのは、

「やっぱ政治家の息子は違うよなあ」

こんな言葉だった。何か釈然としないものを抱えながらも、そんなものかもしれないと思った。けれど……。


 昼休み、エリスが裏庭へ行くと、ダグラスが木の根元にぼんやりと座りこんでいた。ちら、とこちらに目をやった彼は苦笑を浮かべる。

「……来たのか」

「なんとなくね……」

そんな会話を交わした後、二人はしばらく黙りこくっていた。

「……またあの資料に目を通さないといけないと思うと、気が滅入るな……」

「同感」

いったい、どれほどの人が、あんなわけのわからない実験の犠牲になったのか……ある者は右手を(ひれ)にされ、ある者は頭を犬にされ……本物の病院の資料でなければ、安っぽいホラー小説の一部か何かだと思っただろう。

そう――その資料には、「キメラ」 製作のための実験が、延々とつづられていたのである。

こんな時代に、何のために 「キメラ」 などが必要なのだ? 見世物か? あるいは一個人の研究とでも言うつもりだろうか?

そして、そんな怖気をふるうような実験が、今も続けられているのだ。あの病院で。

兄は、なぜ攫われたのだろう……? 何を知ってしまったのだろう?

「こーらこら。年寄りみたいにぼーっと日向ぼっこもいいけれど、そろそろチャイムが鳴るよ?」

突然ふってきた声に、エリスとダグラスは飛び上がった。見ると、自分たちの背後からクリーナーを持った男が覗き込んでいる。

この前と同じに、ぼさぼさの髪をひとつに束ねているのみで、顔半分は前髪に覆い隠されている、あの用務員だった。

「あ、はい」

慌てて立ち上がった二人に、用務員の男は人懐こくニカッと笑った。

「あー。そうそう。帰りは東門をお使い。正面は工事か何かするらしいからね」

「そうなんですか。ありがとうございます」

エリスは素直に頭を下げると、教室へと向かった。後からついて来たダグラスが不思議そうに首を捻る。

「……工事……? そんなの聞いてないけどな……」

「そうなの? 急にはいったんじゃない?」

二人が教室に入ったと同時、いつもの間延びしたチャイムが響きわたった。


 用務員の言葉通り、東門は下校する生徒で賑わって、さほど狭くはないはずの門がひどく小さく見える。

工事の話が教諭からもたらされたのは帰りのホームルームの時で、一日程度のこととて、特には問題視されてないようだった。

 エリスとダグラスが門を出たときには、すでにウルフが乗った高級車が二人を待ち構えており、少しだけあいた窓からウルフが顔を覗かせて手を振っている。

「……これに慣れつつある自分が恐ろしいぜ……」

ぼそりと呟いた少年の言葉に、エリスは思わず吹き出した。

そうして……二人が再びペンタスの城へ入り、資料との格闘に一段落つけたころ。

何気なくつけたテレビジョンの民間チャンネルに合わせたとき、無残に焼け崩れた門の映像が映し出された。

「うわ。なんだこれ。どこだよ?」

ダグラスの呟きにエリスも顔をそちらに向けた。スクリーンには、けたたましいサイレンや軍靴の音に負けじと、レポーターが声を張り上げて現場を説明している。

「……これ、うちの学校だぜ……」

「……そうね……」

この惑星には、学校は一つしかない。しかも、このチャンネルの放送局は、この惑星の中でのことしか放送しない。

「……工事中の事故みたいね……」

「たのむぜ、まったく」

二人はどちらからともなく嘆息し、テレビジョンを消すと、残った資料を片付けるべく再び戦闘態勢に移ったのだった。


 

 惑星サタナのセントラルスクールといえば、幼稚舎から大学院を擁し、各星系のVIPを排出しているとなれば、否が応にもその名は知れ渡っていく。

その巨大な学舎の奥に位置する校長室では、珍しくも怒声が響き渡った。

「工事だとっ!? なんだそれは、私は聞いとらんぞ!! しかも爆発事故だとっ!? ああああ、理事長になんと言えば……」

初老の男はわめいて頭を掻き毟り、寝台ほどもある校長机に突っ伏した。そう多くもない校長の頭髪が、報告する教頭のほうまで飛んでくる。彼は、さりげなくそれをよけると、淡々と報告を続けた。

「おかしいですね。どの教諭に聞いても、昼過ぎにはその話を知っておりましたが?」

暗に、お前が会議で通達するのを忘れていただけだろうと言われ、たような気がして、校長はじろりと教頭を睨んだ。

目の前に立つ教頭は、白髪こそ多いものの、ふっさりとした髪を丁寧に後ろへ撫で付け、地味な色合いながら仕立てのよいスーツをきちんと着こなす中年の男である。有能な教諭として、他星系を渡り歩いてきたという特異な経歴の持ち主だった。

「……まあ、いい。怪我をした生徒も居なかったようだしな。理事長にはうまく伝えておく」

「はい。よろしくお願いします」

慇懃に一礼した教頭は、軽い身ごなしで校長室を出ると、そのまま自分の執務室へ戻った。

通信機の受話器をあげ、いくつかのボタンを押す。

「マクスウェルです。生徒、教諭、巻き込まれた者はございません。……はい。正門の破損が激しいですが……はい。よろしくお願いいたします。ああ、それから、後ほど校長から報告が入るかと思いますが。……はい。では、わたくしはこれで」



 相手の通話が切れたところで、彼も通話ボタンを切った。

「……ということで、おかげでみな無事ですよ、バル……」

どこか飄々とした趣を持つ老人が、言いかけて、あっと口を押さえた。

ゆったりとしたソファの向かいに座っていた男は、老人の茶目っ気のある仕草にちょっと苦笑する。

「ブライ・ブライトですよ、理事長。早く覚えていただかなくては。……まあ、子供たちが無事でなによりでした。貴方には、これからまだ心労に耐えていただかなくてはならないようですが」

「……それはよいのです、ブライ。私のことは。こんな職についてれば、当たり前でしょう。……それに、今は貴方もお力を貸してくださっている。…………あの方は、お元気でいらっしゃいますか?」

老人はにこりと笑うと、懐かしむような顔で男に問いかけた。

「ええ。元気ですよ。そして、今も美しいままです」

「……そうですか……。もう一度お会いしたい気持ちはあるけれど、こんなよぼよぼになっては、あの方の前に出るのは恥ずかしい……。どうか、宜しくお伝えくださいますよう」

「ええ。必ず」

男は、前髪に半分隠された顔に笑みを浮かべて頷くと、老人の前から掻き消えた。



 日が暮れかかった今も、巨大(マンモス)校の門前には警備兵や作業員、修復のための職人たちで騒がしかった。

その様子をいくぶん離れた場所から眺めている男がいる。

小柄な痩せた体によれよれのシャツとズボン。肩には擦り切れ色褪せたカバンを引っ掛け、穴があく寸前のジャケット――ぼさぼさの白髪頭のしたには眉間と口元に深く刻まれた皺がある。もう老人と言っても差し支えない年齢の男だった。

「ふむ」

老人はすん、と鼻をうごめかすとつぶやいた。

「コッケル、クラムとランガン……多少アリムストンが混じった、小型爆弾か。そんなものを学校にぶち込むたあ、物騒な話じゃねえか……」

しわがれた声で低く呟くと、彼は踵を返して立ち去った。





お久しぶりの方も、始めましての方も、こんにちは。


半年ぶりに投稿します。

実を言えば、こちらの作品は「小説家になろう」さんから削除してしまおうかと思っていたのですが、ときおり見てくださっている方がいると知って思いとどまりました。

またこれから、少しずつ進めていきますので、気が向かれたときには覗いてやっていただけるとうれしいです。


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