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黒星

 兄に、かつてないほどぎゅうぎゅうに絞られ、もう不法侵入はしないという宣誓書まで書かされたエリスは、翌日、よろめきながら教室のドアを開けた。

「おはよう、エリス! 昨日の探検はどうだった?」

気楽にそんなことを聞いてくれる友人に、恨めしそうな目をむけ、

「サイアクよ。」

それだけ言って倒れこむように席に着く。

殺されそうになったのだとは言えないし、気がついたら家の前にいただなんて、信じてもらえそうにもない。兄は、自分の言い分を聞いてくれはしたが、あの何ともいえない哀しい目で見られるのは、正直つらかった。彼の心労を上乗せしたのは、他でもない自分であることをいやが上にも思い知らされ――エリスには謝るしか方法がなかったのである。

そして今朝、夜にも増して青白い顔で出勤していった兄を思うと、自分が情けなくて涙が出そうだった。

(もう、絶対、絶対、あいつらとは関わらない!!)

拳を握りしめ、心に固く決意したエリスに、

「……ソールン、ちょっといいか」

(くだん)の首謀者の一人であるダグラスが声をかけてきたとき、仇を目の前にしたような反応をしたとて、仕方がなかったろう。平生、沈着な態度を崩さない青年は、少女から向けられた厳しい目に少しのけぞりながら、素直に謝罪を口にした。

「……その……。悪かったよ、昨日は……。悪いけど、少しだけ付き合ってくれないか」


 連れて行かれたのは校舎の裏庭で、ひと気がなかった。

「なに、話って?」

エリスはつっけんどんな物言いで口を開く。ダグラスはそれに気を悪くした様子もなく、あたりに人がいないか確かめると彼女に向きなおった。

「君、ダリューンから連絡をもらってないか?」

突拍子もない質問に、エリスはぽかんとする。

「連絡じゃなくても、登校中にあいつを見たとか、なかった?」

「いいえ。見なかったし、連絡なんてないけど?」

なんとなく嫌な予感を覚えながら、エリスは応える。頼むから、もうこれ以上やっかいなことを吹き込まないでほしい。そう言葉にのぼせようとしたとき、だが、相手のほうが早かった。

「ダリューンが、戻ってないらしんだ……」

エリスは両耳を塞いでしまいたい衝動にかられた。が、あえて軽い調子で言ってみた。

「夜遊びにでも出かけたんじゃないの? 貴方だって、気がついたら家の前に立ってたでしょ? だったら……」

「そんなはずない! 昨日もちらっと言ったけど、今あいつんちは、そんな悠長なことをしてる場合じゃないはずだから」

ぴしゃりと撥ねつけるような声音に、エリスは口をつぐむ。ダグラスは、はっとしたように再び小さく詫びた。

「……知らないならいいんだ。ありがとう。戻ろう。授業が始まる」


 今日の授業はまったく身に入らなかった。朝っぱらから不安を煽るようなことを聞かされたせいでもあり、そして、あんなふうに心配してくれる友人がいるダリューンが少し羨ましい気がした。幼いころから転居が多かったエリスは、友人と離れる寂しさから心を守るように、いつの間にか自分と人との間に壁をつくるようになっていた。思い入れがなければ、別れもそう辛くはないから……。

それでも。

今日のダグラスのように、友人のことを親身になって心配する姿を目の当たりにすると、いたたまれないような気持ちになる。

「ただいまあ………兄さん? 寝てるのかしら……?」

しんとした家の中、今日は午後には帰っているはずのランディの声はなく――居間に入ってエリスは息を呑んだ。

「なによ、これ……っ?!」

部屋の中はめちゃくちゃに荒らされており、よく見ると泥のついた複数の足跡が縦横に走っている。玄関から入ってくれば、こんな汚れたものがつくわけがない。

エリスは二階へ駆け上がり、兄の部屋に飛び込んだ。

彼の部屋は居間よりもさらに荒され、部屋中のものがひっくり返されていた。一体、なにがおこったのか……彼女は震えながら部屋に入り、ベッドのシーツに点々とついた赤い染みに目をとめた。

「兄さん……」

どのくらいそうしていたのか――自失の態から抜け、かちかちと鳴る音が自分の歯がたてているのだと気づいた頃には、日は沈みはじめており――彼女は、やっとテレフォンの受話器を取り上げて通報しようとした。だが、通話音はせず、コードが中ほどで切られていることに気がついた。

「うそ……」

この荒され方と、通報を遅らせるように断ち切られたコードが示すものは――何者かが兄を攫っていったということだ。

(どうすれば……)

身寄りのない場所で、わけのわからない事態に直面して、一体だれを頼っていいのかわからず――ふらふらと外に出た彼女が見上げた先には、昨晩、自分たちの前に立ちはだかった巨大な門が静かに佇んでいた。

ここへ来てどうしようというのか……あの美しい魔女に、二度と来てはいけないと、否応なしに追い出された自分が……?

まさか、兄が攫われたのは、自分のせいではないのか? ここへ押し入るような真似をした、そのせいで……

シーツについていた血痕を思い出し、エリスは血の気が引いていくのをはっきりと感じた。

「兄さん……」

少女の目から涙がこぼれ落ちる。

行かなければ。行って、魔女に会ってきちんと謝って、兄を返してもらわなくては――エリスは引きずるように一歩を踏み出した。と。

「おねえちゃま、ここで何をしてらっしゃるの?」

ひどくあどけない、幼い声が後ろからかかった。

エリスはびくりとして振り返る。

「……泣いてらっしゃったの? 魔女様にご用?」

立っていたのは、エリスのお腹のあたりまでしかない小さな女の子だった。淡い金色の髪がふわふわと流れ、人形のような愛らしい容貌と紺色のドレスがよく似合っている。

「あ、いえ、私……」

エリスは慌てて涙をぬぐった。それでも、立ち去ることができなかったのは、家に帰ることが怖かったからである。

そんな彼女の内心を読んだはずもないが、女の子はにっこり笑った。

「わたくしも、今日はお約束せずに来てしまったの。……ガブリエル、こんばんは! 魔女様はいらっしゃいますか?」

そして、彼女は門柱の上に向かって呼びかけたのである。

こんな時ではあったが、傍らに立っていたエリスは不思議そうに上を見上げた。大きな門柱はどっしりと鎮座しており、威圧するように立ってはいるが、その上には空が広がっているだけである。

「ねえ、誰もいないよ……?」

「銀色のドラゴンがいるよ! おねえちゃま、見えないの? ……入ってもいいって!」

女の子はかえって不思議そうにエリスを見上げ、そして彼女の手を引いて大きな門扉を押した。驚いたことに、がっちりと閉じられているはずの門はあっけなく開き、二人を迎え入れたのである。

(銀色のドラゴンですって……?!)

以前、一度だけ見たことのあるそれ(・・)が、あの門柱の上にいるというのだろうか?

エリスは女の子に手をひかれながら、門を注視したが何も見えなかった。

昨晩、夢中で駆けた森の中を、小さな女の子に導かれて歩いているのが不思議な感じがした。その二人の前に、大きな黒い犬がのっそりと現れた。

「きゃっ!」

ぎょっとしたように後退さったエリスは、慌てて女の子の手を引っ張った。現れたのは軍用犬として飼われるものだ。襲いかかられたらこんな小さな子供などひとたまりもない。頭など女の子のそれよりひと回りは大きいのだ。自分だって無事ではすまされない。よく見れば、木々のあちこちに同じ種類の犬がこちらを窺っているではないか!

恐怖で顔面蒼白になった彼女とは対照的に、女の子は嬉しそうに黒犬に手を伸ばした。

「ランマル!」

ランマルと呼ばれた犬は長い尻尾をひと振りして少女の掌を舐める。「こんにちは」 のあいさつをすませると、女の子は小さな手を広げて犬の首に抱きついた。エリスはあっけにとられてそれを眺めていたが、女の子が大きな犬と並んで歩き始めたので、恐る恐るついていく。

 やがて、黄昏に黒く聳える城が視界に入ったとき、申し合わせたように館の扉が開かれた。

出てきた人物を見た時、息が止まった。

(あの人だ――!)

昨夜、殺気を噴き上げ、自分たちの前に立ちふさがった青年――。

「チビか?」

冷たさを伴うバス。昨晩は闇夜の中とてはっきりとは見えなかったが、美しいひとであるとは思っていた。だが、こうして光のあるところでまみえてみると、腰がくだけそうなほどの美貌の持ち主であることがわかる。黒服にゆるくウェーブのかかった黒髪と濃い群青の瞳――完璧なまでに整った造作と白い陶磁器のような肌は女性がうらやむほどだ。

エリスは状況も忘れて、ぽかんと青年を見つめた。彼女の兄も美貌の青年であるが、この青年に比べれば百人並みと言って差し支えない――薄情にもエリスは本気でそう思った。

幼いレディも例外ではなく、頬を染めていくぶんもじもじしながら青年を見上げる。

「あの……このひとも、魔女様にお会いしたいって……」

「………。昨晩の不法侵入者か。……仕事が終わるまでしばらくかかる。中で待つか、庭でランマルと遊んでいろ」

青年はエリスを一瞥し、それだけ言うと屋敷の中へ入っていった。高飛車な物言いにむっとしたものの、そんなふうに言われても仕方ないと肩を落とす。それに、今はそれどころではないのだ。気をしっかりもって、魔女に会わなければ……。

「不法侵入者って……?」

女の子は不思議そうに首を傾げる。エリスはうっと詰まり、しばらく悩んだあと、

「昨日……クラスメイトと一緒に、このお屋敷に忍び込んでしまって……」

だんだんと声が小さくなり、しまいには俯いてしまった。ダリューンたちの本当の目的が何だったのか、それを今ここで女の子に告げても仕方があるまい。

(そう、だ……ダリューン……。彼は、どうして……)

ここに至って、クラスメイトの行方が知れないことに気づく。エリスは自分の腕を抱くようにして震えた。だが、女の子のほうは彼女のそんな様子よりも、もっと別のことに気を取られていたらしい。大きな目をさらに大きくし、囁くように訊いてくる。

「……おねえちゃま、どうしておうちに帰れたの? だれも……黒皇子(くろおうじ)さまにも見つからなかったの?」

「……黒皇子……?」

「さっきの綺麗な人よ。とても強くて……魔女様を護ってるの。……魔女様は、いつも、命を狙われているから」

「え……? いえ、あの……見つかったのだけど、黒いドレスの女の人が助けてくれて……」

女の子は合点がいったというように、小さな手を胸にあてて吐息してみせた。

「魔女様が助けてくだすったのね……それなのに、どうして今日はここへいらしたの?」

女の子は、ふいに大人びた目で少女を見上げてきた。エリスは心なしか息を呑み、そして、意を決したように言った。

「兄が……攫われたの。家の中が荒らされて……通信機のコードも切られてて……昨日、私がここへ入り込んだためかと……その、あの人に謝って兄を返してもらおうと……」

「馬鹿馬鹿しい。主が何のためにお前の兄を攫う――中へ入れ」

横合いから飛んできた低い声は、多少の嘲りを含んで響いた。振り返った少女たちの前、大きな扉の脇に立って睥睨するようにこちらを見ていた黒皇子――モールヴァルフが、ついてこいというように、顎をしゃくった。

「……おねえちゃま、行きましょう。ちゃんと、魔女様とお話したほうがいいと思うわ」

エリスは、伸ばされた小さな手にすがるように、館の階段を上って行った。






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