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仆頓

 エリスはふと、資料をめくる手を止めた。

 ペンタスの城は静謐に包まれ、時おり聞こえてくるのは木々の間で鳴き交わされる鳥の声だけ。

 こぢんまりとした部屋は年代物の調度に囲まれ、ゆったりと流れる時間の中にいると、自分が今どこにいるのかわからなくなりそうだ……

「紅の色彩は 薔薇の面影 真実へと至る甘い香り」

 ぼそりと呟かれた言葉を耳にしたエリスは、ぶっと噴き出した。

「……なにそれ?」

 ダグラスは紅茶を一口飲むと、飄々と応える。

「知らないのか? 紅茶を飲むときの呪文だぞ。殺菌作用とか疲労回復に効く呪いさ」

「……へえ……」

 エリスはまじまじとダグラスを見つめた。

「……なんだよ」

「べつに。あなたがおまじない言うなんて、ちょっとびっくりしただけよ」

 ダグラスは照れ隠しのように鼻に皺を寄せたが、ふいに口調を変えて問いかけた。

「……兄さんの誘拐は公表しなくてよかったのか?」

「うん……だって、そうすると身動きがとれなくなりそうだし……」

 ダリューンの誘拐事件を公表するにあたり、同時期に行方がわからなくなった兄ランディのことも公にしようとテイルは申し出てくれたが、エリスは考えた末、辞退した。

 ランディ自身の状況――何故そうなったのかがわからないからだ。

 なにより、政府病院で何があったのか、彼の口から直接聞きたいのだ。

「……周りに引っ掻き回されてわけがわからなくなるようなのはごめんだもの」

 エリスの言葉に、ダグラスは「それもそうだ」と小さく笑った。

「でもどうしよう……軍に紛れ込むことは難しいかしら……」

 彼女の呟きにダグラスは思案しつつ応える。

「……軍人に紛れるのは難しいかもしれないけど、騒動に紛れることはできるかもな……」

 テレビジョンに映し出された政府病院の表門には、マスコミが押しかけてんやわんやの状態だ。あそこに軍が到着となれば……

「軍が到着してすぐマスコミや野次馬は鎮圧されるわよね?」

「だな。入り込むなら、その前だ」

 エリスに賛同するようにダグラスが頷く。

 彼女はそれへしっかりと頷き返したのだった。

  



 政府病院の一画にある理事長室では、理事長、院長、その他の主だった面々が渋面をつくって円卓を囲んでいた。

「軍が立ち入りを要請してきたが……一体どうなっているんだね?」

 理事長の質問にみな困惑の表情を浮かべる。

 表には報道関係者が大挙して押し寄せており、しかも、どこから聞きつけたものか、【宇宙間通信】のカメラクルーの姿まである。

 この惑星内でのごたごたなら何とでもなるが、【宇宙間通信】が来たという事は星系全域に知れ渡るという事だ。

 何とか穏便にすませることが先決だった。

「いま研究所長を呼び出しております」

 秘書が淡々と告げた。

「軍の立ち入りは何とか引き延ばしておくように」

「承知しております」

 一礼した秘書に理事長はひとつ頷く。

 そして、彼らは研究棟の責任者の出頭を待っていた。



「軍の立ち入り捜査だと……?」

 理事長の秘書から理事長室に来るよう要請を受けた研究所長は、そこで初めてテイル議員の子息が誘拐され、この病院に連れてこられていたことを知った。

 テレビジョンに映し出されたダリューン・テイルを見て一気に血の気を失った。

「いったい、どういうことなんだ……」

「所長、どうしましょう……?」

 傍にいた副所長がおろおろと口を開く。

「どうもこうもあるものか! 早く議員の子供を放り出せ……!」

「ですが所長、そうするとあの実験のことが露見してしまいます……」

 怒鳴り返した所長へ、副所長が恐ろしいことを告げた。

 ――そうだ

 あの少年は自分達とオルベックの実験室へ連れて来られ、何が行われているのかを目撃しているのだ。

 あんなことが世間の明るみに出れば……

「…………消せ」

 所長は凄まじい形相で振り返り、副所長に命令した。

「は、はいっ!」

 所長室を飛び出して行く副所長の背を睨みつけ、低く唸る。

「……くそ……っ! こんなことになったのも全部あのトチ狂った爺のせいだ……!」


 狂った老人――オルベック――を彼に紹介したのはある若い外科医だった。

 所長自身はその外科医を知らない。だが、政府病院の研究室は医学界の中では名が知れ渡っていることもあり、先方が自分を知っていることを不思議にも思わなかった。

「僕の知人が優秀な人物を紹介してくれたのですが、うちでは高度な研究はできませんから、政府病院ならと……」

 外科医はそう言ってオルベックの簡単な経歴をまとめた書類を差し出した。

 それには数十年前に開発された新薬などの名が並んでおり、ざっと目を通しただけで所長は頷き、承諾した。だが、招き入れたオルベックという老人は完全に常軌を逸した人物だったのである。

 ――そして、苦情を申し立てようにも、あの外科医は既にサタナを去っており、行方はわからなくなっていた。


 内線の呼出音が鳴り響く。

 それに飛び上がった所長は束の間の逡巡のあと、受話器を取った。

「……いま事実確認を行っておりました。すぐに参ります」



 一方、研究員たちの動揺は研究所長の比ではなく、既に数人が行方をくらまし、機を逸した他の研究員たちは罵りの声をあげた。

 そして、研究所長・副所長不在の今、彼らは誰からともなく顔を見合わせ――

 視線の先には外の騒動など気にもかけておらぬオルベックが、熱心にカルテを見てはおぞましい【研究】に没頭している。

 研究員たちは頷き、研究室を出て行こうとした。

「何だ……!?」

 彼らの前に立ちはだかっていたのはライフルを構えた警備兵たちだった。

「どこに行くのかね? ……議員の息子さんはどこかね?」

 警備兵の後ろから現れた副所長は、小さな目を光らせながら研究員たちに尋ねる。

 研究員たちは顔を見合わせ、首を振った。

「……わかりません……」

「わからない?」

「世話をしていた者が逃げたので……」

 その応えに副所長の目がさらに酷薄な色を強める。

「逃げた……? 困ったものだ……。とにかく、議員の息子さんを探して見つけ次第、地下で始末《ヽヽ》したまえ」

 副所長の言葉に、研究員たちは息を呑む。

 それは、彼らで言うところの地下『焼却場』を意味する。実験に失敗したモノを消滅させるための部屋だ。

 副所長は軍の捜査が入る前に、証拠を隠滅せよと言っているのだ。

 研究員たちはライフルに急きたてられ、部屋へ押し戻された。


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