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蕕薫



 五十年ほど前、星系随一の医療機関であった政府病院はたった一人の人物によって倒壊寸前にまで追い込まれた。

 当時、新薬や治療法が次々と開発され、医療業界は目覚しい成果をあげていた。だが、その大義名分を隠れ蓑にして陰惨な実験が行われていたのも事実である。研究員でもあった「医師」のなかには、他者の命を命とも思わぬような輩が少なからず存在していたのだ。

 そのブラックリストの最たるものとしてあげられるのがオルベックという名の男だった。

 世間には詳しく知られていないこの事件は、オルベックが魔女の養い子であった幼児を誘拐し、人体実験を行おうとしていたことに対する報復であった。入院棟と治療棟は無傷であったが、政府病院の大半を占めていた研究棟は完膚なきまでに破壊された。

入院患者の中には巨大なドラゴンを見たという者もいたらしいが、そのあたりの信憑性は薄い。それより何より関係者一同の心胆を寒からしめたのは、これがたった一人の女によってもたらされたものだということだ。

 病院側は醜聞を恐れ、魔女に対して何ら申し立てすることはなかったというが、魔女が吹聴せずとも別の人間の口によって政府病院の内実は惑星全土に知れわたることになった。

 この事件を起こしたオルベックや助手らは、薬品の引火による火事で大火傷を負い死亡したと思われていた――



 「……その狂った医者が生きていて、しかも再び政府病院に入り込んでいるというのか……?」

テイルは眉間に皺を寄せて呟く。

執務室のソファにテイルとホーンは向かい会って座り、テイル家の執事(バトラー)が出してくれたお茶で喉を湿らせてからホーンは頷いた。

「どうもそのようだ。あの事件を知らないものも多い。政府病院は他星系からも若手の医者をどんどん雇用しているようだし……それに、俺たちのような古参議員ならいざしらず、若手だと知らない奴のほうが多いだろう。これまで政府側も病院と一緒になって押し隠してきたんだからな……」

ホーンは苦々しく笑ったが、ふと怪訝な表情で首をひねった。

「……知らないものが多いとはいえ、上の連中は覚えているだろうに……何しろ、魔女が関わっているんだから……」

――そうなのだ。

ペンタスの魔女はどんな条件を出されても絶対に特定の者に与したりはしない。だからこそ権力を握りたいものは躍起になって魔女に取り入ろうとするし、彼女が関わってこないからこそ政界・実業界は均衡を保っているのだ。

 過去の政府病院の事件をみても、魔女の逆鱗に触れることは破滅を意味するといっても過言ではない。――にもかかわらず、あれだけの惨事を引き起こした者を引き入れるとは何を考えているのだろうか?

「……ホーン。近頃、浮浪者が姿を消していることを知っているか?」

テイルは低い声で訊いた。ホーンは一瞬きょとんとしたような顔をしたが、ああ、と軽く頷いた。

「知っている。それは軍が放り出すか、原生林に迷い込んで出られなくなっているんじゃないのか? 原生林が荒らされて怒った研究団体が軍に捜索を要請したこともあったろう」

 サタナは近年他星系から流れ着いた者が増えていた。企業都市、学園都市からなり、惑星の大部分は原生林で覆われいるのだが、職を求め、あるいは様々な事情から身を隠すために入ってくるのだ。うまく職につけたものはいいが、そうではない者のほうが多い。職もなく家もない――そういったものが増えればどうしても治安が悪くなる。そのため、政府は他惑星からの移住者に対しては厳しく身分証明書の提示を義務づけ、正当な理由なき者に対しては入港を禁じた。一方で既に浮浪者となっている者に対して強制退去を命じる事例も出てきていた。

 だが、テイルが掴んだ情報はそういったものではなかったのである。

「強制退去ではなく、ある事業の労働のためらしい。百人近くが行ったらしいが……」

「ほう? 浮浪者を百人雇うなんて、どこかの工事現場か?」

ホーンは軽い調子で尋ねたが、対するテイルは沈鬱な表情で首を振った。

「……政府病院だそうだ。ついでに言えば、あの病院の敷地内で工事している場所などない」

意味するところが解ったのだろう。ホーンの顔から血の気が引いた。

「……戻ってきた者はいるのか……?」

「いないだろうな」

「じゃあ……じゃあ、お前の息子は……」

愕然として呟いたホーンに対し、テイルは首を振った。

「考えたくはないが……正直、そこがわからん。あの狂った研究者がおぞましい実験のために浮浪者を連れて行ったというなら、ダリューンが同じ目的で誘拐されたとは考えにくい。わざわざ議員の子供を狙うか?」

「うむ……」

「犯人の意図が、まったくわからんのだ」

そこまで言ったとき、執務室のドアが控えめにノックされた。バトラーがそっと外へ出て、ほどなく戻ってくる。

「旦那様。お客様でございます。坊ちゃまのご親友であるダグラス様が、旦那様にお話したいことがあると……いかがいたしましょうか」

テイルは驚いたように目を見張ったが、ここへ通すように指示した。


 テイルに招き入れられたダグラスとエリスは、そこにテイルの政敵と目されているホーンがいたことに驚いた。ダグラスが口を開くより先に、テイルが穏やかな口調で言った。

「よく来てくれた。あのバカ息子からいろいろ聞いているかもしれないが、今ホーン議員とは休戦中だから、気にしないでくれたまえ」

「……はい」

ダグラスは神妙な顔で頷くと、示されたソファへエリスを促して腰掛ける。

「彼女はエリス・ソールン。クラスメイトです」

「はじめまして」

エリスはぺこりと頭を下げた。ようこそ、と言って穏やかに笑うテイルは、本当にダリューンとよく似ている。

息子の級友二人を眺め、少し逡巡したようだったが……

「……君に、ダリューンが転校したなんて嘘は通らないだろうね?」

どことなく疲れたような声で言ったテイルにダグラスは深く頷く。

「はい。……単刀直入に言います。おじさん、あの日誘拐されたのはダリューンだけじゃないんです。彼女の兄も自宅から連れ去られました」

「……なんだって……?」

「エリスの兄は政府病院の医師なんですが、おそらく、いかがわしい実験に協力させられていたんじゃないかと……」

驚くテイルとホーンに、エリスはこれまでのことをかいつまんで説明した。念のためにブライトナーの名は伏せておく。あの幼い少女が万一にでも巻き込まれるようなことがあってはならない。

「ま、魔女は君たちに力添えを……っ!?」

ホーンが驚愕したように口を開いたが、エリスは首を振った。

「あの人は動けないのだと言いました。均衡が崩れるからと。だから代わりに情報を提供してくれたんだと思います……ね?」

同意を求められて頷いたダグラスは、そこでここを訪れた目的を口にした。

エリスの兄はともかくとして、ダリューンが攫われたのは腑に落ちない。ただの金目当てとも思われないし、例のいかがわしい実験にわざわざダリューンを攫うとも思われない――と。

「……君の言うとおりだよ。ダリューンを攫った犯人は判った。犯行声明も何も、まったく音沙汰なしだ。おまけに犯人は、消えてしまっているんだ……」

「どういうことです……?」

そこで二人はダリューンが誘拐されるまでのいきさつをホーンから聞いたのである。

あの日、テイル家を見張っていたホーンの手先から横取りされるような形でダリューンは攫われた。そのランドカーの行方を追っていたところ、行き着いたのが政府病院というわけだった。

それらの糸を引いていたのは巨大な闇組織だったのである。


いったい何のために――


「……おじさん、失礼は重々承知して伺います。そんな闇組織に狙われるようなことが何かあったんでしょうか……?」

ダグラスの直球な質問にテイルの苦笑は深くなる。彼が口を開くより先にホーンが言った。

「言っちゃなんだけどね。このテイルって男は公私共にそんなものとは縁がないよ。性格的に受け付けないだろう……まあ、俺が言うのもなんだけど。それでもテイルのことはガキの頃から知ってるし、そういう潔癖なところは昔から変わらないからな。だからよくぶつかるんだが」

褒めているのか貶しているのか卑下しているのかよくわからないが、要はテイルという男は闇組織に関わるような人物ではないと言いたいらしい。

何より、このホーンとテイルがどうやら幼馴染ともいえる間柄であったとは驚きだ。子供の頃から何かと競い合っていたということは、政敵などと周りが言ったところで本人たちにしてみればその延長なだけなのかもしれない。

ダリューンとダグラスとは違う形の友人なのだろうと、エリスは思ったのだった。

「……ふむ……状況がどう転がるのか、ちょっと不安な気もするが……これ以上手をこまねいていても仕方ないだろうな……」

テイルは考えをまとめるように低く呟くと、ダグラスとエリスに(おもて)を向けた。

「ダリューンの誘拐を公表しよう」






企業都市のユリース東E地区、サマスターン通り。表通りの「サマスターン大通り」の裏にあたるが、昔からこの通りは治安が悪く、殺傷事件が絶えないために危険地域と認識されている。

表の大通りが華やかに開発されていくのに対し、この区画だけは空気が淀んだように暗く冷たい。古ぼけたビルが密集しており、狭い路地が迷路のように奥へと延びている。あちらこちらにボロボロの衣服を纏った浮浪者が座り込み、通り過ぎる者を無表情に見やる――。

 男はよれよれのジャケットにくたびれた鞄を引っ掛け、スタスタと歩いていく。白髪はぼさぼさ。痩せて小柄な身体、飄々とした相貌の口元と眉間に刻まれた皺は職人を思わせた。

一見こんな裏通りには似つかわしくない風体である。新しい移住者が知らずに紛れ込んだものとみたのか、浮浪者の一人が汚い歯を剥きだして笑いながら、ふらりと近寄ってきた。

「……旦那、ここはあんたみてえなお人が来るとこじゃないぜ……俺が外まで案内してやるよ……」

浮浪者の言葉は最後まで続かなかった。

ぼろきれのように吹っ飛んだあと、壁に激突して地に落ちた。

「……大きなお世話というものですよ」

低く静かな声に振り返ると、チャコールグレーのスーツにネクタイをきっちり締めた商社マン風の男がレーザー銃を掲げていた。

「おい、ヤン……なにも殺すこたぁねえだろう」

白髪の男は少しだけ顔をしかめてみせた。スーツの男は鼻で嗤う。

「何をおっしゃいますことやら。コトと次第によっては貴方だって同じことをなさったでしょう? ……貴方、仕事しない人間が大嫌いですものね、トイ」

トイはふん、と鼻を鳴らしただけだった。

「で? まだこの惑星(ほし)にいたのか……顔も変えてねえのかよ」

「ご挨拶をと思いまして。わけのわからない仕事でしたが、きちんと報酬もいただきましたし……かの銀環の主幹である貴方とのご縁をいただきましたこと、感謝いたします。もう二度とお会いすることもないでしょうが、どうぞお健やかに。では、ごきげんよう」

低くトイにだけ聞こえるほどの声音で、優雅に一礼するとヤーン・アヴェンと名乗っていた男はくるりと踵をかえし路地裏に消えていった。




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