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隻影


 「ソコニ イルノハ ダレ……?」

声が、もう一度言った。

瞬きもしない一つ目が、じっと見下ろしてくる。この闇の中に埋もれるようにしている自分が見えているかのように――。

ダリューンは超高速で逃げ出したい衝動に駆られたが、逃げるといったところで逃げ場もない。じっとりと冷たい汗が脇を伝い落ちるのを感じながら、一か八かの勝負に出た。

「……あの……俺、ここに迷い込んで出られないんです……」

小さな声を出したつもりが予想以上あたりに響いて、思わず首を竦めた。

「……マヨッタ……?」

声が訝しげな響きを持つ。いくばくかの間があった。

これは失敗だったかと、恐怖にばくばくし始めた心臓をなだめつつ、ダリューンはそろそろと扉から離れるように後退しはじめた。あの一つ目が、闇の中の自分を見つけていないことを祈りつつ……。

「……アケテ」

唐突に声が言った。

青年はぎょっとして立ち止まる。

「あ、あけてって、何を……?」

ダリューンはおそるおそる、ほとんど囁くように訊いた。

「ココ ヲ アケテ」

「……え?」

一瞬、どういう意味なのか理解できず、ダリューンは立ちすくむ。

無論、開けてとはドアを開けろということだろう。

二通り考えられる。

一つは純粋にドアを開けろということ。当然、こんな場所に閉じ込められているならロックされているはずである。

もう一つは、ロックもなしにこちらから簡単に開けられるが、相手は外に出られないようになっている。もしくは、入ってきたものを捕らえる……捕らえられた者がどうなるのか、あまり想像したくはないが。

 ダリューンは、だからドアに近づくのをひどく躊躇(ためら)った。

この地下に閉じ込められているとはいえ、まだ「自由」だ。だが、部屋に入ればそれこそ閉じ込められてしまうだろう。そうなれば、自分から死地に飛び込んだも同然である。

 相手はダリューンの沈黙をどう受け取ったものか――しばらくの沈黙のあと、じゃらりと音がして、ドアの前から気配が遠ざかるのがわかった。

ダリューンは、相手が遠ざかったことよりも音のほうに反応した。

「きみ……まさか、鎖につながれてるのか……?」

思わず問いかけてしまったダリューンに、相手は肯定の意思を伝えてきた。

そこで、彼は初めて気がついたのである。相手の声は発声されているものではなく、頭の中に直接響いてくるものだということを――。

 ダリューンはほんの少し考えた。鎖に繋がれているということは、少なからず相手は自分と同じ立場にあるはずだ。そして何よりも、この地下ではじめての「生存者」である。

相手の情報と自分の情報をあわせてみれば、また何かわかるかもしれない。

 目と鼻の先にあるはずのドアは、闇に沈んでしまっている。その闇の中へ、青年はそろそろと手を伸ばした。

右手をゆっくりと右方向へずらしてゆく。

「……!」

ボタンらしきものが手に触れた。

これを押せば「上」に異常が知らされる可能性もある。だが――。

ダリューンは、ほとんどやけくそのようにボタンを押し込んだ。






 照明もつかなくなった居間に、ハンドライトの明りだけがぼんやりと床を照らしていた。

エリスは泣きはらした顔に、恥ずかしげな笑みを浮かべて目の前に座る男に礼を言った。これまでの不安や出来事を吐き出してしまったためか、なんだか気持ちがすっきりしている。

「礼なんて……。しかし、たいへんだったな、お嬢。一人でよく頑張ったな」

初老の男――トイは柔らかな笑みを浮かべて、既知の娘の頭をぽんぽんと叩いた。

「うん、あの……いろんな人が助けてくれて……友達とか……」

エリスは「友達」という言葉を口にして、妙な気分になった。これまで、「友達」と呼べるような間柄になったものがなかったからだ。ひょんなことから共闘する形になったダグラスは、少なくとも友達と呼べる人物だろう。

(……ダグラスは嫌かもしれないけど……)

そこまで考えたとき、トイは気遣わしげに訊ねた。

「で、今はどこに寝泊りしてるんだ? まさかここじゃないだろう?」

「あ、違うわ。あの、お隣に……」

「隣? ……ここの隣は何やらの事務所のように見えたが……?」

トイは不思議そうに首を傾げる。エリスは苦笑を浮かべて【城】の方を差した。

「な、なんだってええええ?!」

予想外なことに、トイが驚いたので、エリスも驚いた。

「おじさん、あのお城のこと、知ってるの?」

「知ってるも何も……」

トイは、そこに【ペンタスの魔女】と言われている女性が住んでいることも、惑星政府との微妙な関係も知っていた。

「ペンタスの城にゃ、そう簡単には入れないと聞いたが……」

「うん、本当はね……。私は、運がよかったの」

「……そうか」

トイは多くを聞こうとはしなかった。言葉を切ると改めて部屋の中を眺めた。そして、ふと、床を這う白いコード線に目を留める。

「……こいつぁ……」

切られたコードの先端を見つめて呟いたトイに、エリスは思い出したように言った。

「そうだった。兄さんが攫われたとき、なんでだか通信機のコードが切られていたの。あの時この辺は停電になってたのに……」

「……通信機も盗まれたのかい?」

「ううん。コードを切られていただけ。通信機はいま城にあるの……」

「城に……」

エリスは、モールヴァルフに言われたチップのことを思い出したが、何となく口にするのを憚られた。

トイはコードをもてあそびながら、何か考え込んでいる。

やはりあの通信機には何かあるのだろうか……そうぼんやり考えたとき、トイが言った。

「あれは年代物だからなあ……停電が終わってお前さんに、軍にでも通報されられちゃあ困るとでも思ったかな? でも良かったなあ、お嬢。あの通信機の中にゃ親父さんや兄さんが入ってた組織の名簿も入ってんだ」

「……組織……って?」

不安そうな表情をしたエリスを見て、トイの苦笑が深くなった。

「ん。まあ、医者の組織だな。医学会のな――」






 ドアは、ごく簡単に開いた。

突然、まぶしい光と濃厚な異臭に襲われ、ダリューンは思わず目を閉じ、袖で口と鼻を覆った。

 鳴り響く警報や人が近づいてくることを半ば覚悟していたダリューンだったが、しばらくたっても何の変化も訪れなかった。

そろそろと目を開く。闇に慣れてしまっていたせいかチカチカする。それでも部屋の中を確認しようと必死で目を開く。

青白い一筋の光が汚れた床に落ちていた。そして、赤黒い染みとともに羽毛のようなものも――

ダリューンはそろりと部屋の中へ一歩進める。戸口に立ったまま、ぐるりを見渡してみた。光源を見つけ、思わず叫びそうになった。

天井近く、はるか上空に明り取りの小さな窓――その向こうに煌々と光る月が見えていたのだ。

ダリューンは陶然とそれを見上げた。小さな窓から見える青い闇と銀色の月のなんと美しいことだろう。


帰りたい――


強烈にそう思った。

家族や友人たちのもとへ帰りたい――絶対、生きて帰る。

そう、強く強く思ったとき、

「……モ、カエリタイ……」

唐突に声が聞こえ、彼は文字通り飛び上がった。

その拍子に体が部屋の中に入ってしまい、背後でドアが閉まる。だが、彼の意識は声のほうに向かった。

「……きみは、どこから連れてこられたんだ……?」

青年の問いかけに、部屋の闇の中にうずくまっていたそれ(ヽヽ)が、じゃらりと鎖を鳴らして動いた。

大きな闇が動いたような気がした。

じゃらりじゃらり、という音とともに、なにかが擦れるような音も――

そして、月光の薄闇の中に現れた姿に、青年はあんぐりと口をあけた。

「……カエリタイ……」

声は繰り返しながら、光る目でダリューンを見下ろした。

それは、怪鳥とよんでも差し支えないほど巨大な【鳥】だった。


 その巨大な【鳥】が、突然羽を広げ、ダリューンに覆いかぶさってきた。

「な……っ」

声をあげようとしたとき、部屋のドアが罵声とともに開いた。

羽毛の中で、ダリューンは身を強張らせた。やはりドアが開閉すれば「上」でわかるようになっていたらしい。

「誰だ、ここに入ったやつ!」

荒々しい声を張り上げ、部屋の中をぐるりと見回す。

部屋のドアの前、月光の下にうずくまる【鳥】をじろりと見やり、

「何かしやがったのか、このバカ鳥! まったく、あの気違いジジイめ、えらそうに指図しやがって……! 」

男は口汚くののしると、腹立ち紛れに【鳥】の腹を蹴り上げた。

【鳥】は悲痛な声をあげたが、男に抵抗することなく震えながら縮こまった。 翼の向こう側にいたダリューンでさえ、男のやりように怒りを覚え、飛び出しそうになる。だが、【鳥】は翼をしっかりと閉じており、青年は身動きできなかった。

男はまだぶつぶつ言いながら、部屋の反対側に向かう。向こう側にドアの開閉ボタンがあるらしかった。

ドアがあき、男がでていってほどなく、閉まった。

(……そうか。あのドア、開いてしばらくは間があるんだな……距離のせいか)

音だけ聞いていたダリューンはそう感じた。


 しばらくたって、【鳥】はゆっくりと翼を開いた。

あたたかな羽毛は存外心地よく、ちょっと惜しい気もしたが、ダリューンは素直に出てきた。

そして、【鳥】の正面に回り、蹴られたらしい反対側を心配そうに覗き込む。

 なぜ抵抗しないのかとも思ったが、おそらく、鎖に繋がれた状態では、抵抗すればするほど虐待がひどくなるのだろう――床の散らばった羽毛と黒ずんだ血は、その形跡と思われた。

 ダリューンは痛ましげにそれを見やり、【鳥】を見上げると、つとめて笑顔をみせた。

「隠してくれてありがとう。……腹、大丈夫か? ここ、薬か何かないのかな……」

言いながら、棚のほうへ向かった。

「……ダイジョウブ。アナタ ハ ニンゲン……?」

【鳥】の声が背後からした。それへ、振り向きながら応える。

「うん、そうだよ」

「サッキ ノ モ ニンゲン?」

【鳥】の問いに、ダリューンはなんともいえない顔をした。

「……うん。腹立たしいことにね。同じ人間だよ。ああいうのはくそったれ、っていうんだ。あ。でも、いいやつもいる。人間にもいろいろさ」

「ニンゲン イロイロ クソッタレ ノ ト ソウ デ ナイノ」

聞こえてきた声に、ダリューンは思わず吹き出した。くすくす笑いながら棚を探る。しかし、治療用品などは何もなかった。

「……ああ、くそ。薬なんか置いてないか……」

ダリューンは悔しそうに呟いた。

「ダイジョウブ コノ ホシ ニハ シャラマンドゥーラ ガ イル カラ」

【鳥】はぱちりと瞬きして言った。

「シャラマンドゥーラ?」

聞いたこともない名に、ダリューンは首を傾げた。ふと振り返って、彼は思わず息を飲んだ。

 月光の中に浮かび上がる【鳥】は、そうとう痛めつけられていたであろうにも関わらず、神々しいとさえいえる輝きを放っていた。



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