テツガクテキ・マ・テキテキ 8
田辺さんと原田さんと一緒にオセロをして楽しんでいると、約束の時間がやってきた。
時計の針が二時を刺したと同時に、部屋に来客を告げるインターホンの音が鳴る。
玲奈ちゃんが来たんだ。私は喜び勇んで玄関に駆けて行こうとしたが、ふと思いなおし、オセロしていた田辺さんに玄関を開けてきてほしいと頼み込んだ。事情を知らない田辺さんは自分が頼られたことをうれしく思ったのか、快く承諾してくれ、そのまま玄関へと歩いて行った。
ガチャリという玄関の扉が開く音と同時に、女の子の甲高い叫び声が聞こえてくる。私が玄関へと飛んでいくと、そこにはショックのあまり失神している玲奈ちゃんがいた。私は突然の出来事におろおろしていた田辺さんと一緒に玲奈ちゃんを客間へと運ぶ。
私と田辺さんは玲奈ちゃんの身体を慎重に客間に横たえた。窓を開け、新鮮な空気を部屋に入れつつ、私は玲奈ちゃんの頭の下にタオルをしき、頭が少しだけ持ち上がるようにしてあげた。
客間は閉め切っていたためまだ若干蒸し暑く、私は田辺さんをリビングに返すと、玲奈ちゃんの横に座り、うちわで彼女に風を送り続けた。風を送るたび玲奈ちゃんの細く繊細な前髪がふわりと浮かび、心なしか先ほどまでの引きつっていた表情も少しだけ和らいでいるように感じる。開かれた窓からは爽やかな風に混じって、外ではしゃぐ子供の声が聞こえてきた。
玲奈ちゃんはみんなから強くて気の強い女の子だと思われがちなのだが、それは間違いだ。玲奈ちゃんは誰よりも優しく、そしてハムレットのように繊細な感受性を持っている。そのため、強すぎる刺激のために失神してしまうことが度々あったし、そのたびに幼馴染の私がこうして、日頃の感謝を込めながら看病をするのだ。
玲奈ちゃんが私をどう思っているかはわからない。しかし、私は玲奈ちゃんのことがどうしようもなく大好きだった。私は玲奈ちゃんの目の上にかかった前髪を払いながら、天使のような美しい寝顔に優しく微笑みかける。
閑話休題。これは何回も看病をした経験を持つ私しか知らないことなのだが、玲奈ちゃんは失神してからきっかり十分後に目を覚ます。私は時計で時間を確認した。二時九分。つまり、そろそろ玲奈ちゃんが意識を取り戻す時間だ。
そこで私は隣のリビングへと戻り、オセロの続きをしていた田辺さんと原田さんに、玲奈ちゃんのそばに寄り添っていて欲しいとお願いした。
二人が客間に入るのを見届けた後、私はポットに水を入れ、お湯を沸かし始める。客間から玲奈ちゃんの叫び声が聞こえてくると同時にポットのお湯が沸いたので、私はそのお湯で五分かけてコーヒーを淹れ、それを五分かけて飲み終える。ふうっと一息ついてから、私はみんながいる客間へ入っていった。
客間では、対角線上の隅と隅で、互いを牽制するかのような恰好で玲奈ちゃんとおじさんたちが向かい合っていた。玲奈ちゃんは、枕代わりにしいていたタオルを力いっぱい握り締めながらおじさん二人を鋭く睨み付け、一方のおじさん二人はそんな玲奈ちゃんの眼光におびえるように、二人身を寄せ合って震えていた。特に繊細な田辺さんは申し訳なさそうな、そして当惑するような表情を浮かべていて、後輩である原田さんの右腕をまるで恋人みたいに抱き寄せていた。
私はとりあえず当惑するおじさん二人を落ち着かせ、リビングでオセロの続きをやるように促した。おじさん二人はわけがわからぬまま私の言葉を受け入れ、玲奈ちゃんが見つめる中おずおずと客間を出ていった。
その後でようやく私は玲奈ちゃんのもとに近づき、すぐ真向かいにちょこんと正座した。私は玲奈ちゃんの顔を覗き込む。玲奈ちゃんは怒りで頬をうっすらと紅潮させており、パンツ一丁のおじさんたちとの突然の出会いというショッキングな出来事に対する混迷と恐怖が、表情の奥にこべりついていた。
私の心の奥から、玲奈ちゃんへの憐憫の情がふつふつと沸き上がってくる。私は思わず「怖かったね」とささやきながら玲奈ちゃんを優しく抱きしめようとしたが、玲奈ちゃんに黙って押し返された。