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喜劇的☆マ☆テキテキ  作者: 村崎羯諦
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テツガクテキ・マ・テキテキ 6

 まず最初に、自分の部屋から大学入試問題集を引っ張り出し、それを制限時間付きで田辺さんに解かせてみることにした。


 田辺さんは中年男性が得てしてそうするように、問題の所々で「なんだっけなぁ」とか「どうすればいいんだろう」とか、結構な音量の独り言をつぶやきながら、問題を解き進めた。科目間の休憩を挟みながら全科目を解き終えた後で私が採点をしてみると、理数系科目の点数が低かったが、英語を始め、人文系の科目の成績が総じて良く、全体としてはそこそこのスコアだった。

 そのことを口頭で告げると、田辺さんは卑屈気味に微笑みながら、照れを隠すように頭をぼりぼりとかいた。私は自室の放りっぱなしになっていた大麻観察日記にそのスコアを一応記録しておく。


 途中で夕食を取った後、今度は田辺さんの語学力を詳しく調べてみることにした。

 私が相手となって、英語のリスニング力とスピーキング力を試してみる。すると驚いたことに、田辺さんはいわゆる日本人的アクセントではあるものの、かなり流ちょうに英語でコミュニケーションを取ることができた。


 私はまさかとは思い、他の言語は喋れないかと尋ねてみる。すると田辺さんは少しだけ眉をひそめて考え込んだ後、不意に詩のようなものをそらんじ始めた。それは少なくとも英語ではなく、田辺さんでさえも何語かわからなかったのだが、何度も繰り返して聞くうちにどうやらフランス語であるということがわかった。

 会話はさすがにできないものの、田辺さんはフランス語の詩を暗唱できるらしい。これは今日一番の大発見だった。私は早速観察日記に書こうと思ったが、ちょうどシャーペンの芯がなくなってしまい、わざわざ新しい芯を補充するのが面倒なのでやめにした。


 そんなこんなくだらない時間を過ごしているうちに夜は更け、就寝時間が近づいてきていた。


 まだまだ調べるべきことはたくさんあったが、正直少しだけ飽きてきたし、今日の調査はこれで終えることにしよう。


 田辺さんには客間として普段使っている畳の部屋に寝てもらうことにした。当人は生後一日目ということで色々と疲れていたのだろうか、私に断りを入れ、早々と自分の寝床へ向かった。

 

 私は田辺さんの後姿を見送った後、軽くシャワーを浴びた。その後、リビングでゆったりと本を読み始めたのだが、客間の方から聞こえる田辺さんのいびき声が邪魔になって、内容があまり頭の中に入ってこなかった。相当疲れがたまっていて、もうすでに熟睡しきっているらしい。私はなんとなく様子が気になり、読みかけの本を閉じ、忍び足で客間へ向かう。


 田辺さんはトランクス一丁のまま、客間の中央で大の字になって眠っていた。


 でっぷりとしたお腹を膨らませ、間髪入れず大きないびきをかいたかと思うと、その後しばらく何の呼吸音も立てず、十秒ほど経ってから再び同じように大きないびきをかく。どうやら田辺さんは生後一日目であるにもかかわらず、睡眠時無呼吸性症候群を発症しているらしい。そのような重い十字架を背負って生まれた田辺さんを憐れみながら、私は断続的に膨らんだりしぼんだりする醜いお腹をじっと観察する。


 生まれたばかりのおじさんがパンツ一丁のまま畳の上で寝ているという光景は、なるほど確かにシュールレアリズムではあった。しかし、やはり哲学的とは言えない。


 どうしたら哲学的になるのだろうかと少しだけ考えた後、私は自分の部屋から、一番難解な哲学書である『存在と時間』を取ってきて、気持ちよさそうに寝ている田辺さんの耳元で朗読してみることにした。すると、朗読とともに田辺さんのだらしなく緩んだ表情が次第に険しくなっていき、大きないびきの代わりに小さなうめき声をあげ始める。私はそのまま朗読を続け、田辺さんの哲学的な反応を十分に楽しんだ後でようやく本を閉じた。


 私は時計で時間を確認する。そうこうしているうちに時刻は深夜近くになっていた。夏休み中とはいえども、規則的な生活を心がけているので、そろそろ本当に寝ないといけない。そこで私は去り際、おやすみのキスの代わりに、無防備となっていた田辺さんの右乳首を思いっきり指で弾いてみた。田辺さんが「アオゥ」と太ったアシカのような喘ぎ声をあげたのを見届け、私は自分の寝室へと向かう。


 私はパジャマに着替え、自分のベッドに潜り込む。今日はここ一週間では珍しく退屈しない一日だった

。私はお気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら、ふとそんなことを考えた。

 私はぬいぐるみに顔をうずめながらほくそ笑み、今日一日を頭の中で振り返ろうとした。しかし、その冒頭で醜く汚れた田辺さんの裸体がイメージとして思い浮かび、なんだかものすごく嫌な気分になってしまう。


 なんだかこれ以上続けると自分のバージンが穢れてしまいそうな気がしたので、今日は回想を止めにしておこう。また、そのまま寝てしまったら、おっさんの裸体が夢に出てきそうにも思えたので、私は本棚からきつめのBL本を取り出し、男前の精悍な体つきで目の保養を行った後で、再びベッドに入った。


 明日もまた楽しい一日でありますように。私は習慣にしているお祈りをしてから、ぬいぐるみを抱き、電気を消した。


 ぬいぐるみから匂う優しい柔軟剤の香りをかぎながら、私はゆっくりと目を閉じる。部屋に置かれた時計の針が子守歌のように音を立て、キッチンからはブーンという寿命が近い冷蔵庫の共鳴音が聞こえてくる。さらに深く耳を澄ませば、マンション近くの道路を走る車の音や、客間にいる田辺さんのいびきさえ聞き取ることができた。私はもう一度だけほくそ笑み、寝返りをうつ。そのまま私はゆっくりとしたペースで、深い深い眠りへと次第に誘われていった。



 そしてその次の日。ベランダにあったもう一つの苗のつぼみが開花した。そしてそのコロラリーとして、この世にもう一人のおじさんが誕生することになった。

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