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喜劇的☆マ☆テキテキ  作者: 村崎羯諦
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シガクテキ・マ・テキテキ 19

 どれだけの時間が流れていただろうか。


 周りの変わらない風景を見る限り、それほど経ってはいないことはわかったが、私にはそれよりもずっと長いこと目をつぶっていたように感じられた。私は気だるげに顔を動かし、声の主を確認する。


 そして、それ同時に、私は夢の中にいるのだろうと思った。


 私の目の前には立っていたのは、ずっと昔に家を出ていったお父さんだったからだ。頬と顎についただらしない肉とおどおどとした自信のなさが見て取れる童顔に、生え際が後退し、かすかにテカる額が露わになった頭。まさに私の記憶の中にいたお父さんそのものだった。


 お父さんはずっと前に出ていって以来一度も顔を合わせていないし、なによりどこに住んでいるのかも知らない。だからこそ、お父さんがこんな場所にいるなんて夢だとしか考えられなかった。それに私が夢だと思ったのには、もう一つ理由があった。私の目の前に立つお父さんは、ここが公共の場であるにもかかわらず、パンツ一丁だったからだ。


「どうしてお父さんはパンツ一丁なの?」


 夢なら夢で構わない。私はぼんやりとそう考えながらお父さんにそう尋ねた。


 お父さんは何も言わず肩をすくませた後、そのまま私の隣へと腰かけた。それから私たち二人は、久しぶりに再会した人なら誰もがそうするように、お互いにお互いの立ち位置を手探りで確認しながら、ポツリポツリと話し始める。


 しかし、すぐに私たちの会話は軌道に乗り始め、空白なく長年共に過ごしてきた家族と同じような心地よいものへと変わっていった。


 私は九条先輩との初恋について語った。先輩とのロマンティックな出会いから、最後の下劣な別れ方はもちろん、先輩の股間の盛り上がり具合に至るまで、私は洗いざらいぶちまける。


 お父さんは時に笑いながら、時に確認の質問をしながら、最後の最期まで私の話を聞いてくれた。初恋の話が終われば、今度はお母さんの話やプーシキンの話をし、話題に詰まった時にはとっさに考え付いたアネクドートを披露する。


 とにかく私たちは一秒の間も許さないといった態度で会話を続けた。日が傾き、辺りがオレンジ色の陽光に包まれるころには、私のそれまでの鬱屈は泡沫のように消え去っていた。


 そろそろ家に帰らないといけない。


 私とお父さんは目配せをすると、一緒のタイミングで立ち上がり、そのまま二人で歩き始めた。私たちは仲睦まじい親子のように、二人並んで帰路を歩く。いつもはどこか胸を締め付けるような夕焼けも、心の隅に押し込んでいた孤独を引き釣り出すような町の喧騒も、二人でいればそれらも単なる舞台背景やBGMに過ぎなかった。


 燃え盛る恋情やゆるぎない友情と同じように、私はこうした何げない日常を求めていたのかもしれない。私は隣を歩くお父さんのビール腹を見つめながら、ふとそのようなことを考えてしまう。もし私が詩人だったなら、きっと目に感傷の涙を浮かべながら韻を踏んだソネットを作っただろう。私は心から満たされた気分だった。


 つまり簡単に言うと、私の今の状況はとてつもなく詩的だった。私は思わず頬を緩め、お父さんがどうしたのかと不思議そうに尋ねる。私はおどけながらなんでもないと答え、歩くスピードを少しだけ、そしてさりげなく緩めた。


 そして、その詩学的な帰り道の途中、私たちは二人の警官に呼び止められた。


 ハスキーな声の警官と二言三言言葉を交わした後、二人の警官は左右からお父さんの腕をつかみ、そのまま家とは違う方向へと連行していった。その場に残された私は二人の警官と、二人に挟まれたパンツ一丁のお父さんの後ろ姿を見送る。


 お父さんのむき出しの背中には、ところどころ大きな茶色の染みができていて、それらは夕日に照らされて儚げな美しさを醸し出していた。そんな光景を見ながら、私は急に昔お父さんに教えてもらったフランス詩を思い出し、それを心の中で暗唱する。


  Le bruit de l'aéro se fane à la descente

  La voix du ciel nouveau, toupie

  O Orion module

  Dans le matin chargé d'émotion de vivre

  Ma cour sonore

  Le bruit profond des seaux remués dans la cour


 詩の意味も、それを読んだ詩人も知らない。だけど、それでよかった。


 大事な思い出ほど、曖昧でなければならない。私はそんなことを考えながら、少しずつ小さくなっていくお父さんの汚い背中を見つめ続けた。

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